癌の通常療法
1投稿者:777 投稿日:2005年11月05日(土) 20時52分38秒
滅び行く者は世界が滅ぶと勘違いするが
その滅びる原因も、滅びる者は理解できない。
理解できないから滅びるのだ。
滅びる原因を再三再四、怒鳴ってみも、耳に入らない。
馬耳東風なのだ。それを、夢遊病と呼んでいるのだ。
別に、皆が、滅びるんじゃ無い。
おまえらだけが滅びるのだ。
2投稿者:がん治療の実力病院全国調査 投稿日:2005年11月05日(土) 20時56分42秒
日本経済新聞社はがん治療を行う全国の主要病院を対象にアンケート調査を実施、その結果を評価したところ、最高ランクの「AAA」に愛知県がんセンター(名古屋市)など公立病院を中心に10施設が入った。うち6施設が地域がん診療拠点病院だった。
「AAA」の10病院のうち公立が5施設。愛知県がんセンターを含め、神奈川県立がんセンター、埼玉県立がんセンター、福井県済生会病院、静岡県立総合病院、大阪府立成人病センターの計6施設が拠点病院だった。
治療成績の格差も目立った。調査で治療成績が全国平均以下だった診療科で治療後5年以内に亡くなった患者は約2万7000人。これらの診療科の技術レベルを全国平均に引き上げることができれば、このうち約8300人が延命できることが分かった。今回集計した患者数の6.5%に当たり、年間の新規がん患者数約60万人に当てはめると、約4万人分となる。
http://health.nikkei.co.jp/hranking6/
3投稿者:免疫療法で末期の肺がん患者を延命 投稿日:2005年11月05日(土) 20時59分17秒
特殊な免疫細胞で末期がん患者延命…理研・千葉大
人体の免疫を担う「NKT細胞」と呼ばれる特殊な細胞を活用したがんの新しい免疫療法で、末期の肺がん患者を延命できることが理化学研究所と千葉大の臨床試験で明らかになった。
従来の免疫療法は、がんへの攻撃に加わらない細胞があるなど弱点が指摘されていたが、新療法だと免疫によるがんへの“総攻撃態勢”が整い、画期的治療法となる可能性もある。札幌市で開会中の日本癌(がん)学会で16日に発表する。
免疫には、異物が体内に侵入すると最初に働く「自然免疫系」と、それでも撃退できない場合に機能する「獲得免疫系」がある。
研究チームは、両方の免疫系に働くNKT細胞に着目した。従来の治療が効かない肺がん患者9人から、特殊な免疫細胞(樹状細胞)を採取。これにNKT細胞を活性化する物質を取り込ませ、増やして患者の体に戻した。樹状細胞1億個を戻した患者3人のうち2人で、がんの増殖が止まり、2年半が経過した今も転移などがなく普通の生活を送っている。1人は肺がん以外の病気で死亡した。樹状細胞が1000万個以下では、3年経過した現在、6人のうち、がんの増殖が止まったのは1人だった。
(2005年9月15日14時45分 読売新聞)
4投稿者:胃のピロリ菌退治で「前がん状態」改善 投稿日:2005年11月05日(土) 21時20分25秒
元凶説を裏づけ
胃がんの「前がん状態」でも、胃の中のピロリ菌を除菌すると、進行を抑え、状態を改善する効果がある。そんな研究結果を、厚生労働省研究班がまとめ、1日、岡山市で開催中の日本ヘリコバクター学会で発表する。主任研究者の斉藤大三・国立がんセンター中央病院内視鏡部長は「胃がん予防を考えると、慢性胃炎が進んだ人も除菌した方がいいかも知れない」という。
研究対象は96〜04年に登録された全国20〜59歳のピロリ菌感染者で4年以上経過した392人。胃がんへ進む前の状態と考えられている萎縮(いしゅく)性胃炎や腸上皮化生(じょうひかせい)(胃の粘膜の変性)など慢性胃炎になった患者について、抗生物質を飲んで除菌するグループと、除菌しないグループに無作為に分け、平均5.3年にわたって症状を追跡した。
患部の細胞を採取して調べた結果、胃の下部の萎縮性胃炎で状態が改善した割合は、除菌しなかった116人で17人(15%)に対して、除菌した116人では72人(62%)だった。胃の上部や中部の萎縮性胃炎、腸上皮化生を含め、すべて除菌した人の方が29〜47ポイント改善率が高かった。効果は性別や年齢層に関係なく見られた。
ピロリ菌に感染すると胃の粘膜が傷つけられ、慢性胃炎になり、さらに胃の粘膜が薄くなる萎縮性胃炎、さらに腸上皮化生になる。これが続くと胃がんを発生しやすい――。こうした筋書きが動物実験や過去の疫学調査から示唆されてきており、ピロリ菌を除菌すると胃がんの発症率が3分の1以下になるとする研究結果もあった。「ピロリ菌元凶説」はかなり広まっているが、科学的根拠は必ずしも十分ではなかった。
今回の研究は最終的な胃がんの発生頻度まで調べたものではないが、前がん状態でもピロリ菌除菌が胃がんへの進行抑制効果を持つらしいことを厳密な研究で裏付けた点で画期的だ。
研究班は今後、除菌の効果がいつごろから現れるか解析を進めるとしている。また、研究で除菌しなかった人について、希望に応じて除菌することも検討している。
5投稿者:胃のピロリ菌退治で「前がん状態」改善 投稿日:2005年11月05日(土) 21時21分32秒
50代だとピロリ菌の保菌率は80%を超えているのだ。
原因はよくはわかっていないけれど、衛生状態と関係があるらしい。
上水道の普及率が低かった世代ほど、保菌率が高いのだ。
僕は地下水を毎日飲んでいる。大丈夫なのだろうか…。
先日、たまたま講演を聴く機会があって、お医者さんがピロリ菌のことを話していた。
話を聞いて、びっくりしてしまったのだ。
「ためしてガッテン」とは言っていることがかなり違っている。
まず、驚いたのは、ピロリ菌の保菌者は、医者に行けば、なんと9割の確率で除菌できるそうなのだ。
胃の中はpH2の強酸である。でも、ピロリ菌は胃の中でも生きていくことができる。それはなぜか。ピロリ菌はアンモニアを体内から出して膜を作るから、死なないのだ。
このアンモニアがやっかいで、胃壁を痛める。萎縮性胃炎を起こし、それが、胃潰瘍やガンになりやすくしてしまうのである。
これまで、胃潰瘍や十二指腸潰瘍は再発しやすいと言われてきた。ところが、ピロリ菌の除菌をすると、ほとんど再発しなくなるというのである。
では、どうやって、除菌をするのか。
抗生物質を2種類飲み、胃酸の分泌を抑える薬を合わせて3種類の薬を一週間服用する。 これだけである
6投稿者:胃のピロリ菌退治で「前がん状態」改善 投稿日:2005年11月05日(土) 21時22分10秒
そして、一カ月くらいたってからピロリ菌がいないか再検査をするのだ。なぜ一カ月たってから検査をするのかと言えば、薬を一週間服用すると、ピロリ菌は死んでしまうか、仮死状態になる。
ピロリ菌の種類や、体質によって、残念ながら、10%の人のピロリ菌は駆除できないのだそうだ。
すぐに検査してしまうとほとんど「陰性」になるので、検査をする意味はない。一カ月たつと「仮死状態」だった場合のみ、ピロリ菌はまた活動をはじめるので、検査でわかるのだそうだ。
また、もうひとつ、興味深いことがある。
それは、ピロリ菌は、若者くらいまでの胃には感染するのだけれど、年を取ってしまうと、胃は完成してしまい、ピロリ菌には新たにはほとんど感染しないというのである。
つまり、一度除菌してしまえば、胃潰瘍や胃ガンにかかる可能性は、ぐっと減ってしまう。
それから、今の地下水はポンプでくみ上げているので、かなり水質がよく、昔のつるべ井戸の濁った水とは異なるので、ピロリ菌に感染する率はぐっと小さくなるのだそうだ。
地下水を飲んでいるからと言って、今の衛生状態では、ピロリ菌には感染しにくい。
結核やC型肝炎が、徐々に過去の病気となっていくように、ピロリ菌に感染する人は、日本では今後、どんどん少なくなっていくというのだ。
現在、ピロリ菌の検査や、除菌は、胃潰瘍などの病気に連動した診療でないかぎりは、保険の適用がないのだそうだ。
もし、ピロリ菌を除菌する構成物質を成人が全員、一週間飲めば胃潰瘍、胃ガンにかかる人は劇的に減り、国民全体の医療費もかなり減るだろう。
7投稿者:胃のピロリ菌退治で「前がん状態」改善 投稿日:2005年11月05日(土) 21時22分39秒
実際、大企業の中には、(従業員が胃ガンや胃潰瘍になって、企業負担が増えるよりは、抗生物質を飲んでもらった方が、ゆくゆくは費用もかからず、大切な従業員を失わずにすむ)という考えから、従業員にピロリ菌の除去のため、抗生物質を飲ませているところもあるのだそうだ。
ところが、今のところ、保険適用の診療ではないのだ。
それはなぜか。
医療機関へのアンケートによれば、本音を回答してきたところもあった。
「胃潰瘍やガンになってもらったり、再発してくれた方が、病院は儲かる」
抗生物質を一週間飲んで、90%の人の胃のピロリ菌が除菌されてしまっては困るというわけだ。
「試してガッテン」を見て、ふうんと納得してしまった僕は何だったのだろうと思ってしまった。
60代やそれ以上の人でも、胃の調子が悪くなくて、きれいな胃をしている場合がけっこうある。ピロリ菌に感染していなければ、高齢でも丈夫な胃を保つことができるのだそうだ。
8投稿者:通常療法の問題については 投稿日:2005年11月07日(月) 15時32分01秒
間違い探しの旅
http://03.members.goo.ne.jp/www/goo/k/u/koumatsuba/main.html
がん患者学 従順な患者は、早死にする
http://www.d4.dion.ne.jp/~doi-jimu/soudan.htm
9投稿者:製薬会社の本性 投稿日:2005年11月07日(月) 18時31分03秒
多くのインド低所得者が外国製薬会社の人間モルモットに
【バンガロール(インド)30日】新薬の開発コストを下げるためインドで臨床試験を行う外国製薬会社が増加している。業界関係者によると、新薬をつくるには10億ドル(約1130億円)以上かかることも珍しくないが、そのうち3分の2近くは臨床試験コストという。インドには安い報酬で人間モルモットに応じる低所得者がたくさんおり、インドで臨床試験を行えば、新薬開発コストを55%以上削減することが可能。(1枚目の写真は外国製薬会社がバンガロールに設けた新薬実験ラボで働くインド人科学者)
またインドには英語に不自由せず、科学知識を持った熟練労働者がたくさんいる。他の国にはない、こうした利点に着目してインドに新薬試験拠点を設けた外国製薬会社は約50社に上っている。これら企業は本国で新薬の動物実験と、ボランティアを対象にした第1次の臨床試験を行ったあと、インドで第2次、第3次の臨床試験を実施する。(2枚目の写真はバンガロールの新薬臨床試験施設で仮眠するインド人ボランティア)
米国のコンサルタント会社によれば、インドの臨床研究産業は2010年までに15億ドルの規模に発展する見込み。そのころには約30万人の人間モルモットが必要になるという。批判派は、心ない企業が疑問のある新薬の実験台にインドの膨大な非識字人口を利用する危険があると指摘している。〔AFP=時事〕
2005年09月30日12時36分
10投稿者:製薬会社の本性 投稿日:2005年11月07日(月) 18時33分05秒
新薬のモルモットにされるアフリカの人々
ジャン=フィリップ・シポー
世界の大手製薬会社が、新薬の試験をアフリカで行うようになっている。アフリカの魅力は、安上がりなコストと規制の緩さにある。被験者の安全は二の次だ。事故が相次いでおり、中止に追い込まれた試験もある。こうした無軌道なやり方は、製薬業界が先進国の医療問題の解決のために、いかに途上国の人間を利用しているかを如実に物語っている。[フランス語版編集部]
2005年3月、抗エイズウィルス剤であるテノフォビル(R)に関してナイジェリアで行われていた臨床試験が、倫理に大きく反するとして中止に追い込まれた。この試験は米国の製薬会社ギリアド・サイエンシズの委託により市民団体ファミリー・ヘルス・インターナショナルが行っていたもので、資金は米国政府とビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団から提供されていた。カメルーンでは2005年2月に、カンボジアでは2004年8月に、同じように試験が中止された(1)。しかし、タイ、ボツワナ、マラウィ、ガーナそして米国ではまだ試験が続行されている。
11投稿者:製薬会社の本性 投稿日:2005年11月07日(月) 18時36分06秒
2001年8月、同じように道を外れた試験が訴訟沙汰となった。ナイジェリアの30余りの家族が、髄膜炎治療のための抗生物質であるトロバン(R)の試験について米国の製薬会社ファイザーを相手取り、ニューヨークの裁判所に訴えを提起したのである。髄膜炎が流行中の1996年に行われたこの研究では、被験者となった子供200人のうち11人が死亡し、数名が脳や運動機能に重篤な後遺症を負った(2)。
どの途上国も、製薬会社が倫理や被験者の安全を無視して行う臨床試験の舞台となっている。本人の同意もなく、詳しい情報も与えられず、十分な医療上のコントロールもなく、現地の患者や住民にとっての利益もわずかなのだ。とはいえ、臨床試験は新薬の認可と商品化に欠かせない、形式化された厳格な手続きの一環である。その目的は耐性と効果を測ることにある。
トロバン(R)の臨床試験では、家族に提供される情報や同意の取りつけについて、少なくとも公式には、ナイジェリア当局や倫理委員会が相談を受けた経緯はない。同様に、2004年7月から2005年1月にかけてカメルーンで売春婦400人を対象に行われた、抗ウィルス剤テノフォビル(R)の試験も、倫理面の要件を満たしていない。この新薬はサルに関して、SIVウィルス(ヒトのHIVウィルスにあたる)の伝達を妨げる効果が得られている。製造元は、ヒトについても効果を確かめるため、HIVの有病率の高い国の、中でも感染率が高いと考えられる売春婦という集団を対象に選んだのである。
「予防措置を取ることと予防薬の試験を実施することとは、明らかに利害が衝突します」。しかも、「対象となる若い女性たちが感染の危険にさらされ、実際に感染しなければ、試験自体が成立しません」
http://www.diplo.jp/articles05/0506-3.html
12投稿者:製薬会社の本性 投稿日:2005年11月07日(月) 18時45分15秒
ガンの検診や治療の問題
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan.htm
13投稿者:幹細胞を殺さなければ治らない 投稿日:2005年11月08日(火) 18時13分33秒
九州大学生体防御医学研究所(大分県別府市)の森正樹教授(50)の研究グループは2日、消化器のがんの「幹細胞」とみられる細胞を、食道や胃、肝臓などから見つけたことを明らかにした。がんの幹細胞が見つかれば、これをたたくことでより効果的な治療ができると考えられている。成果は米国の専門誌「ステムセルズ」11月号に掲載される。
幹細胞は、臓器などを構成する細胞のおおもとになる細胞を指し、さまざまな種類の細胞に変身(分化)する能力を持っている。
これまでがんは「幹細胞が分化した後の、普通の細胞ががん化する」と考えられていた。しかしがん患者に抗がん剤を投与したり、放射線治療をすると、いったん腫瘍(しゅよう)が小さくなっても再びがんが増殖を始めることが多い。これは「がんの中に死滅しにくい幹細胞が存在し、これががんを作り出す」と考えれば説明がつき、実際に白血病や乳がん、脳腫瘍ではがん化した幹細胞が見つかっている。
森教授と九大医学系学府大学院3年、原口直紹さん(32)らは、手術で摘出された人間の消化器がん(食道、胃、大腸、肝臓、すい臓)の組織を使い、がん幹細胞を探した。その結果、(1)抗がん剤に強い耐性を持つ(2)自分と同じ細胞を作る複製能力以外に、自分とはやや違った細胞を作る分化能力もある(3)動物に移植すると、普通のがん細胞に比べて100倍以上の腫瘍を作る−−という性質を持った細胞を発見した。がん幹細胞の可能性が高いという。
14投稿者:幹細胞を殺さなければ治らない 投稿日:2005年11月08日(火) 18時13分57秒
放射線医学総合研究所(千葉市)は今年2月、人間の食道がんの組織からがん幹細胞とみられる細胞を発見したと発表している。九大グループの研究は多くの臓器で幹細胞の可能性がある細胞を見つけたのが特徴だが、森教授は「幹細胞を見つける方法論や条件設定に詰めなければならない問題があり、現段階でがん幹細胞と確定したとまではいえない」と話している。【渡部正隆】
◇ことば…幹細胞(ステム・セル)
さまざまな細胞の「たね」になる細胞。普通の細胞は自分と同じ細胞を作り出す能力しかないが、幹細胞は異なった種類の細胞に変身(分化)もできる。例えば血液の中にある造血幹細胞は赤血球や白血球に変化し、骨髄幹細胞は血管や心筋などを作り出すこともできる。受精卵から人工的に作る胚性幹(ES)細胞は再生医療の分野で注目されている。
毎日新聞 2005年11月3日 9時03分
15投稿者:幹細胞を殺さなければ治らない 投稿日:2005年11月08日(火) 18時15分30秒
厚労省、抗がん剤承認に延命効果の確認義務付けへ
厚生労働省は新しい抗がん剤を承認する際の臨床試験(治験)で、患者の延命効果の確認を義務づける。抗がん剤の治験結果の評価指針をこのほど改訂、2日までに都道府県に通知した。来年4月から適用する。抗がん剤の有効性や安全性を正確に見極められるようにする。
従来は腫瘍(しゅよう)の縮小効果が認められれば原則的に承認していた。
欧米並みの基準にすることで世界に通用する抗がん剤の開発につなげる。
患者が多い非小細胞肺がん、胃がん、大腸がん、乳がんなどが対象となる。安全性を調べる第1相試験、腫瘍の縮小効果を確かめる第2相試験のデータに加え、延命効果を調べる第3相試験のデータを求める。海外で実施したデータの利用も認める。
[2005年11月2日]
16投稿者:幹細胞を殺さなければ治らない 投稿日:2005年11月09日(水) 13時01分36秒
医療裁判では、被害に遭った人達、皆が皆、訴訟を起こしているかというとそうではありません。
例えば抗癌剤を投与されて、その抗癌剤の副作用で亡くなられる人達がいます。化学療法をどんどんやることによって、骨髄の働きが悪くなって、結局血小板とか白血球等を作れなくなり、その為に亡くなっていく。このように抗癌剤で患者さんが亡くなるということがあります。
抗癌剤で亡くなるのを化学療法死と言います。ケモセラピー(化学療法)によるデス(死)を略してケモデスという言い方をします。でもケモデスなどという言い方はあまり一般化されていなくて、
家族は癌で死んだと思っています。ところがよく調べると抗癌剤の副作用に対する対処の仕方の問題で、実は下血をして亡くなっているということがあります。亡くなった本人もそうでしょうけれども遺族の人達も気付かないわけです。
癌で死んでいったと思っておられるのですから、薬の使い方等を問題にするという気にもならないわけです。自分が事故にあったことも気付かないのですから、クレームを出すこと或いは何か疑問をお医者さんにぶつけるということはできません。こういう人達が多分、相当数いると思います。又、仮にクレームを出しても、体質的なものではないかとか色々なことを後から言われるという雰囲気があります。どうもおかしいと気付いたけれど、今更お医者さんに言っても死んだ人が返ってくるわけではないし諦めたという人が沢山います。「年寄りだったし、まあそれも寿命と考えます」とそういうことを言う人もいるでしょう。どうも変だなと思い、思い余ってお医者さんにどうして亡くなったのか申し出たけれども、それはその方の寿命と考えて下さい等と色々なことを言われ諦めさせられるというケースもあります。
17投稿者:いい病院ランキング 投稿日:2005年11月14日(月) 13時35分32秒
病院による治療成績の差
http://hanabira.aqua-studio.net/
18投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 21時49分10秒
検診技術の進展でがんかどうか判別しづらい1センチ以下の腫瘍(しゅよう)まで見つかるようになってきた。がん予防センターの森山紀之センター長は「肺を2ミリ間隔で断層撮影すると、数ミリ程度の影でも十分に読み取れる」と話す。 同センターが今月から始めた肺の検診外来では判別が難しい「超早期」の影が見つかった場合、定期的な検査で経緯を見守っていく。すべてのがんで一刻を争い治療する必要はない。「これからは早期発見以上に“適時発見”が大切だ」と垣添氏はいう。
「がんを抱えながら重くならずに生きている人が想像以上に多いのではないか」。垣添氏が考えついた大胆な仮説だ。
がんは遺伝子の異常で起きる。ウイルスやたばこ、紫外線や化学物質などで遺伝子が傷つくと、本来は規則正しく分裂・増殖するはずの細胞が制御できなくなり、増え続ける。
19投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 21時50分26秒
治療の代償
微小ながんが見つかるようになると、新たな課題も出てくる。厚生労働省は今春、乳がんの自治体検診基準を改定、40歳以上の女性ではマンモグラフィーと呼ぶX線装置の採用を決めた。母乳を運ぶ乳管内の石灰化をとらえがんを発見するが、悪性度の低い「非浸潤がん」がたくさん見つかることになるという。
東京共済病院(東京・目黒)の馬場紀行医師は「非浸潤がんは放っておいても死なない。(転移の可能性がある)浸潤がんになるのかどうかもわかっていない」と話す。両者を区別せずに乳房切除に踏み切ると、患者は大きな肉体的・精神的負担を負うことになる。
進行がんでも共存しながら延命できないか――。従来の抗がん剤治療の発想を180度転換した新治療法も全国規模の臨床試験が昨年始まった。がんを縮小させるのではなく、進行を食い止める「休眠療法」だ。
抗がん剤はがん細胞と通常細胞を見境なく攻撃するため、激しい嘔吐(おうと)や下痢、脱毛などの副作用がある。苦しさに耐えきれず治療を断念せざるをえない場合も少なくない。
そこで休眠療法では投与量を患者ごとに変え、継続投与を最優先しながら少ない副作用で済むよう「適量」を決める。金沢大学がん研究所の高橋豊助教授が考案、これまで胃がん、大腸がんなど約300人の患者で治療し、延命効果を確かめた。「これからはがんといかに共存するかという視点も大切になる」(高橋助教授)
http://health.nikkei.co.jp/cancer/
20投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 22時05分11秒
がんへの恐怖から、子宮頸がんと診断されれば治療を希望するのが人間というものでしょう。しかし治療といっても、開腹手術をうける必要はありません。ごく早期のがんには膣のほうから子宮頸部だけを部分的に切除する方法がありますし、それ以上に進行したがんには放射線治療があり、どういう進行度の子宮頸がんも開腹しないで治療することが可能だからです。しかし日本の現状をみると、開腹手術が圧倒的多数を占めています。
なぜ睦の部分切除を問題にするかというと、膣が短くなるために、性交がスムーズにいかなくなることが多いからです。ことにゼロ期の子宮頸がんは、二十代、三十代で発見されることが多いので、治療後の人生に重大な結末をもたらしかねないのです。ところが、膣の部分切除をする率が一〇〇パーセントという婦人科さえありますから、若い女性も睦を切られているのは間違いありません。事前にきちんと説明されていないで、手術がすんで家へもどってみたら性交困難ないし不能になっていて、それでも泣き寝入りしている人がほとんどなのでしょう。
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan.htm
21投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 22時06分20秒
日本での子宮ガンによる死亡はここ50年で大幅に減っています。
そしてその理由は検診によるものではないことが明らかです。
また、子宮ガンについて、早い段階で発見して死亡率が下がることは証明されていません。ここでも良性の『ガンのような』顔つきの異変を手術で取り去れば、結果として治療した人の中で見る治癒率は上がります。しかし全体の死亡率は下がりません。検診を受けない人にも同じ割合で良性の病変は出来るのですが、それらの人は気づかず平穏に暮らしているのです。検診で見つかる『医者の言うガン』の半数以上は、近藤医師の言うがんもどきでしょう。乳がんと同じく何か異常が続くようになって始めて治療しても、結果は同じと予想されます。
もう一つの問題は日本では過剰に切り取る医者が多いということです。超早期ガンと診断しながら子宮切除は当たり前、膣切除におよぶ医者もいますから要注意なのです。これを読んだ方は、せめて「たくさん切った方が助かる可能性が高いということはない」という事実をしっかり記憶にとどめておいてください。
最後に子宮ガンによる死亡率は20歳代では問題にならないくらい低く、交通事故の1割にもなりません。40歳代でやっと交通事故と同じ率になります。ですから少なくと20歳代の人死ぬのが怖い人は「危ない人」の運転する車に乗らないなど路上の生活を工夫する方が大事だと思います。
検診費を払う場合はもちろん、金をくれるといわれても異常が無い限り検診には近づかないことです。また異常が続く場合は、検診ではなく一般の診療を受けるべきです。やたら切りたがる医者を避けて・・・
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan.htm
22投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 22時09分19秒
早期乳癌の術式、「全摘」と「温存」で差なし、歴史的な臨床結果が発表された
約30年前にスタートした早期乳癌の術式比較試験の長期成績2報が、New England Journal of Medicine(NEJM)10月17日号に掲載された。20年追跡しても、乳房の全摘手術と温存手術で、総死亡率や無再発生存率に全く差が認められなかった。「早期乳癌の乳房全摘に正当な理由がない」ことが明らかになった。
掲載されたのは、イタリアとアメリカで行われた試験。
イタリアでは、乳房と胸筋、リンパ節を切除する「ハルステッド手術」と、乳房の4分の1とリンパ節を取る「4分の1切除」を比べた。腫瘍直径が2cm以下の早期乳癌患者701人。4分の1切除では術後に放射線を照射した。また、リンパ節転移陽性の患者は、両群とも抗ガン剤を投与した。
最長29年間追跡した結果、手術を受けた側の乳房における再発率は、ハルステッド群(349人)が有意に低くなった。20年間の再発率は、ハルステッド手術群が2.3%、4分の1切除術群(352人)が8.8%。
反対側乳房の発癌率や遠隔転移および総死亡率に差は無かった。20年間の総死亡率はハルステッドが41.2%、4分の1切除が41.7%。
アメリカでは、腫瘍直径が4cm未満の1〜2期乳癌患者1851人が参加し、
@乳房は全摘、リンパ節は切除、胸筋は残す「胸筋保存乳切」
A腫瘍のみくり抜きリンパ節を残す「くり抜き」
Bくりぬき後放射線照射
の三つを20年以上にわたって比較
その結果、同側乳房の再発率は、A(634人)39.2%、B(628人)14.3%で、放射線照射の効果を確認。生存率、総死亡率は差が認められなかった。
以上の二つの結果により、ハルステッド術や胸筋保存乳切のように乳房を全摘する手術および1/4切除術が、くりぬき法より優れているとの仮説が完全に否定され、乳ガン治療術式の論争が決着した。
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan.htm
23投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 22時12分39秒
乳がんに限らず、癌で死ぬのはほとんど転移がある場合です。 そして乳がんの場合(いえ、ほかの癌でも殆んどそうですが・・・)転移は、触診やマンモグラフィーで見つけられない時期、 癌が非常に小さな状態で殆んど始まるからです。
検診で乳がんを見つけた時点で、 転移しているかそうでないかはすでに決まっている。であるからこそ、乳がん検診で乳がんによる死亡は減らせないのだ。
このように乳がんで死ぬか死なないかが決まる時期が人知の及ぶ前であるため、必然の結果として手術や抗がん剤、放射線などの治療でガン死を免れる効果は期待するほど大きくはありません。せいぜい数%死亡率が下がる場合がある程度。それどころか、マンモグラフィーによる検診を受けると、 放射線による発ガンがあるとの論文もあるくらいです。少し古いけど、手術と放置で乳がんによる生存率を比較したデータを示す。 このデータは、現在では殆んど見られない超進行乳癌患者(末期) から得られたもので、今日がん検診で発見される患者の生存率は、 もっと緩やかに落ちていくので、安心してください。
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan006.htm
24投稿者:早期発見しても… 投稿日:2005年11月24日(木) 22時16分29秒
これは貴重わずか数ミリの大きさで早期発見出来た、超ラッキーと言われる乳癌ですが切除後数年で肺転移が発見されました。でもこれは講演者が一般的なものとして解説しているように、特殊な例ではありません。
上の短い線が乳癌、下の線は肺転移を表し、時間と共に大きくなっています
肺に転移した時乳癌の大きさは、検診では発見出来ない大きさ、0.2〜0.4ミリです
つまり、”超早期発見”される3年も前に転移していたと言うことです(最新技術のPETなら大丈夫と思い込まされている人も居るようですがそれは間違いです。PETで1ミリ以下の癌を発見することは出来ません!)
これでは、検診を受けても受けなくても、生存率に差が出ないのも道理です
同時に早期発見・切除しても転移が防げないことも分かる・・・
早期発見し手術を受けた患者は95%助かると宣伝されているが、検診を受けない・当然手術も受けない人にも同数いる筈の”癌”患者はもっと高い確率で助かっているのだ。
一般の人はこのようなことを知らされていません。早く見つけた方が良い筈と検診を受けますが、不安以外何も得ることはないのです。
異状がなかったら検診には近づかないことです
でも安心してください。実際には早期発見された乳がん患者も大部分は死にません。それは検診を受けなかった人達と比較すれば明らかです(この中程にある管理者からの重要な注釈をご覧下さい)。治療しない方が余命は長いという大規模調査の報告があります。
手術しても薬を飲んでも余命は長くなりません。
それはこの図から明確に言えることですし、事実そうなのです!
運が悪い人は転移して死にますが、死ぬか死なないかは治療の有無とは関係ないのです。それもこの図から説明でき、事実もそうなっています(この例が特殊な例ではないということです)
http://03.members.goo.ne.jp/www/goo/k/u/koumatsuba/main.html
25投稿者:医者に逆らえない理由 投稿日:2005年11月25日(金) 22時27分56秒
インフォームド・コンセントとは?
そもそもインフォームド・コンセントはアメリカで生まれた考えで、訴訟社会を背景に、どちらかといえば医師の側の言葉として浸透してきました。
つまり、医師が医療過誤で訴えられた時に備えて、「患者にはきちんと治療法について説明をし、必ず同意をとっておこう」というわけです。このために「同意」がキーワードになっているのです。
医療者の側からは「インフォームドコンセントとは法的な承諾書を取ることだ。患者がこれにサインをしたということは医師の説明に納得したということだから、医師が医療上の責任を問われることはない」
1970年代、アメリカで急速に広まる
医師が患者に対して、受ける治療内容の方法や意味、効果、危険性、その後の予想や治療にかかる費用などについて、十分にかつ、分かりやすく説明をし、そのうえで治療の同意を得ることをいいます。
ここ10年ほど医療界を中心に盛んにいわれていることですが、この考え方には、もともと2つの来歴があります。
一つは、医療過誤裁判で医師に説明義務があることを認めさせるための法廷戦術上の概念であったもの。
もう一つは、人体実験における被験者の同意のとりつけの場での考え方です。この場合は、事前に実験の目的や危険性などが十分説明され、被験者が自発的に同意するというものでした。
1970年代のアメリカの医療思想は、この概念を医師=患者関係の基本に置こうと考えて急速に広まっていきました。しかし、その背景には、訴訟に対する医師の自己防衛が働いていたという事情もあります。
http://www2.health.ne.jp/library/0100/w0100012.html
インフォームド・コンセントにひそむ嘘
医者はいかようにも患者さんをだませる
手術をしたい医者の殺し文句は「手術でしか治らない」
26投稿者:医者に逆らえない理由 投稿日:2005年11月25日(金) 22時29分13秒
現在、ドクターハラスメント(ドクハラ)という医者にとっては耳の痛い言葉が新党しつつあります。
“ドクハラ”とは、患者に対する医者の配慮のない言動の事です。
“ドクハラ”を起こす医者にはそれなりの背景があるようです。
医局は非常に閉鎖された社会ですから、一般常識や社会的倫理観を学ばないまま、医者として独り立ちしてしまうケースが多々あります。
医者の多くは過酷な受験戦争を勝ち抜き、勝利者のようなプライドを持っている人も多いです。
まだ、臨床経験も、医者としての技能もなくても、「研修医」として患者と接する際に「先生」と呼ばれ、信頼と尊敬の態度をとられると、たちまち勘違いする人も多いようです。
その様な医者は、例えば患者が、自分の症状を鑑みて「この病気だと思う」と、自己診断を口にすると、突然逆上し「なら、ここに来る必要はない」「他の病院へ行け」などと暴言を吐いたりします。
これは、医者としてのプライドを傷つけられたと感じ、「素人のくせに、勝手に医者の領分を侵すな!診てやっているんだぞ!」という気持ちが働くからに他なりません。
形だけは「インフォームドコンセント」を行っても、自分の勧める治療法に患者が難色をしめすと、「どうなっても知らないよ」「今、手術しないと死ぬよ」と、脅かしめいた事を言う医者もいます。
まして、他の病院に移りたいと患者が言うと、「カルテや検査データは渡せない」「底で死ぬ気なの?」と捨て台詞めいた事を言う医者もいます。
これは、病院経営を第一に考える医者が、“お客”をとられたと思うから発せられる言葉です。
大量に処方された薬の種類のそれぞれの効能を聞くと、「俺が信用できないのか?」と怒鳴られた患者もいます。
診てもらっている立場の患者は萎縮してしまい何もいえないこともあるでしょう。
また、大学病院の産婦人科で、患者の許可も無く、主治医が研修医に「今後の研究のため」と称して局部の写真を撮らせたり、不必要な内診をし、女性患者に多大な心的外傷を負わせたという事もあります。
27投稿者:アメリカの医療や人体実験については 投稿日:2005年11月25日(金) 22時42分14秒
思想政治@あめざーねっとIII
アメリカの正体
http://www.amezor.to/shiso/051122235155.html
を参照して下さい。
28投稿者:手術は一番儲かる 投稿日:2005年11月26日(土) 00時52分58秒
竹下裁判
小坂氏は10年間で1000人に乳癌手術を行なっています。人口あたりの乳癌発症率から比べると、清水市の発症率は全国平均の2倍に相当します。病院の職員は「清水市では乳癌が風土病になっている」と自嘲気味に話していました。職員が言わんするのは、乳癌ではない人までが乳癌とされ手術を受けているのではないかということです。
小坂氏は00年に病院を退職しました。
その結果、乳癌患者は半減してしまいました。小坂氏がいると乳癌患者が増え、いなくなると全国平均になる。どう考えたらいいでしょうか。
「東京海上日動あんしん生命」のがん保険では、乳癌になった場合、450万円の保険金を給付しています。健康保険(1割〜3割負担)で病院が国保から受け取る料金とは別に、450万円ぐらいはかかるということです。自費負担だけを取っても、小坂氏の乳癌手術によって450万円×1000人で45億円の収入を病院は得たわけです。当時はこの半分だったとしても20数億円です。小坂氏は退職(事実上の解雇)するまでは、病院の赤字減らしに貢献した功労者として絶大な権力を振るっていたといいます。
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/takeshita_05_01.html
29投稿者:医者は自分に損な事は絶対にしない 投稿日:2005年11月26日(土) 01時14分44秒
小坂のデタラメ医療を病院内部の医師たちが知らなかったわけがないのです。
今年になって、病院に長くいる慶應医局出身の医師が近藤誠医師に「当時、小坂は病理に関係なく切っていた。若い医者たちはみんなそれを知っていた」と電話をかけてきたそうです。近藤誠医師はその医師に対して、市が小坂を訴えるべきだと言って下さったと聞いています。
市は、市長が退職させるほど問題があった医者の医療を受けた患者に対して、どう考えているのでしょうか。小坂は辞めても患者や患者の遺族のキズは永久に残るのです。
この平和な日本で、医師免許を持った犯罪医者の暴走を誰も止めることができませんでした。外からの圧力で退職まで追いやったものの、小坂が君臨していた22年間、問題が表面に出なかったことこそが大きな問題だと思っています。
私が声を上げなければ、まだまだ被害は拡大していたはずですし、現実に、小坂が院長を勤めている今の病院の職員から、売り上げ強要のつらさを訴える投稿が私のところにはきています。
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/takeshita_02.html
30投稿者:手術の後遺症の苦しさ 投稿日:2005年11月26日(土) 20時49分15秒
小坂手術の後遺症の苦しさは言葉で表現できるものではありません。
いっときでもいいからこの苦しさから解放されたいと常に思っています。
外見ではわからないようにしていますが、提訴して裁判所通いが始まってから、裁判所のトイレや部屋のドアの重さ、椅子を引く時の重さはこたえます。
何の説明もなく、一生、利き腕が使えなくなる、右上半身がコンクリートで固められたような、常に引っ張られたような苦しい手術がどうして許されるのでしょうか。しびれや痛みも伴い、右上半身が腐ってくる恐怖感があります。腕の重苦しさは表現の仕様がありません。
後遺症の苦しさは昼間、起きている時だけではありません。
手術以来、夜は、仰向けで右腕の下に枕を当てて腕を高くした状態でしか寝られません。身体を横向きにして右腕が下になったり、仰向けで右腕を水平状態で寝れば、リンパ浮腫によるむくみが出現してしまいます。
自由に寝返りを打って、思う存分自由に寝ることができたらと叶わぬことを思い描いています。
後遺症は外見ではわからないようにしているため、日常生活で外見と身体の不自由さとのギャップにも苦しんでいます。
コンサートに出かけて、演奏に感動しても拍手はできません。
草取りや、下水掃除、運動会など町内会の活動にも参加できません。
スーパーマーケットで買い物をしても、レジから袋詰をするための台まで、買い物篭を持ち上げることができません。
つらくなると同じ手術を受けた手術仲間に電話します。
身体のゆがみをどうやって矯正しているかとか、腕が思うように動かないけどどうしたらいいか、背中の苦しさはどうやったら楽になるかとか、小坂手術を受けた人でしかわからない苦しさを慰め合って、気持を支えています。
何年経っても苦しさに変わりがないことをお互い確認しあって、自分だけではないんだと、お互いに励まし合っています。
http://www3.tokai.or.jp/shimizu/takeshita_02.html
31投稿者:大秀才でないと医者にはなれないが 投稿日:2005年11月26日(土) 20時53分52秒
医者を目指す大秀才にはこういうのが多い:
静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒が、自分を育てている母親の食事に毒を入れて殺害しようとし、しかも母親が苦しむ姿をまるでモルモットの変化を見るような冷酷さで日記につけインターネットで公開していた事件が、父母や祖父母、教師に深い衝撃を与えている。
この女子生徒は小学校から成績優秀で、県内有数の進学校にすすんでからは「将来は化学者になる」と教師のなかで期待されていたという。こうした「成績のいい子」の冷酷で残忍な犯罪がつづいている。
肉親や同級生でも平気で殺す
「自分の母親によくあんなことができる」――女子生徒が母親を実験台にし、食べ物に混ぜて劇物のタリウムを飲ませた今回の事件に、多くの人が驚きと怒りを持って語っている。
苦しむ母親の病状の推移を克明に記録し、それを公の場であるインターネットに出す。その内容は「全身に発疹が起こり、とくに顔面に症状が強く出ている」「脚の不調を訴えていたけど、ついにほとんど動けなくなってしまった」「母は幻覚を見はじめたらしい。血圧は150前後にまで落ちたが、まだまだだ」など、毒を食べさせたハムスターの実験経過と同じような調子の、冷酷なものであった。
彼女はまた、病室の母親の髪の毛がぬけるなどの症状を撮影し、その写真をパソコンに保存していた。
彼女はいまの学校のなかでは、小学校時代から「成績優秀な生徒」と評価されている。高校は地元で一番の進学校の理数科に合格。とくに化学の知識がずばぬけており、4月の東大教授を招いた講義ではレベルの高い質問を積極的にして「すごい子がいる」と評判になった。教師のあいだでは「将来は化学者」と期待されていたという。
その一方で、筆記用具を忘れたときには「(先生に)泣きながら母の話をして、同情を得た。人って案外かんたんにだまされるものなんだなと思った」というような二面性を持ち、同級生からは「爬虫類」とも呼ばれていたという。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/seisekinoiikonoreikokunasatujin.htm
32投稿者:大秀才に感情が無い理由 投稿日:2005年11月26日(土) 21時02分57秒
これと全く同じでしょうね:
最強の投資家は「精神異常者」 米研究
【Reuters】この度、米国で行われた調査によると、投資業に最も適した人材は"精神異常者(精神病質者/Psychopath)"であることが明らかになった。
タイムズ紙が報じた。実験では、感情表現に影響する脳の特定部野に障害がある15人を含む、平均的IQの被験者(投資家)41人によって、簡単な投資ゲームが行われた。そしてゲームの結果、脳に障害を持つ人々はそれ以外の被験者らよりも、遙かに優れているという結果が出たのである。
科学者の分析によれば、(脳に障害のない)被験者の一部の人々には感情が作用し、たとえ潜在的な利益が損失を遙かに上回る時でさえ、リスクを回避しようとする動き ― 近視眼的損失回避と呼ばれる ― が見られたという。
実験に参加したアイオワ大学神経学助教授アンティオネ・ベシャラ氏はこれらの結果から、株式市場における最も優れた投資家は言わば「機能的精神異常者」なのではないか、と話している。
また共同研究者のスタンフォード大学ビジネス大学院ババ・シヴ氏は、多くの大企業の幹部や、優れた弁護士もやはり同様の特徴を持っているようである、と話している。
「感情は意志決定を速める際に、適応力として機能します。しかしまた、慎重かつ、より潜在的に賢明な決定が成されるためには、自然な感情的反応が抑制されなければならない状況もあるわけです。」
今回行われた実験は、スタンフォード大学、カーネギーメロン大学、アイオワ大学の研究者らが共同で行い、6月の心理学論文誌に掲載される予定であるという。http://asyura2.com/0505/bd41/msg/256.html
感情の豊かな人は死体解剖はおろか蛙の解剖すらできないでしょう?
要するに <感情表現に影響する脳の特定部野に障害がある> 様な人でないと医者は勤まらないという事ですね。
33投稿者:大秀才に感情が無い理由は 投稿日:2005年11月26日(土) 21時11分39秒
大秀才は思考力の訓練ばかりしているので、感情の機能が退化してしまったのです:
ユングは人の意識の態度には、”思考・感情・感覚・直観”の4つの型があるようだということを見出しました。
この4つの態度については、わかりやすい例があります。4人の中国人がベートーベンの音楽を聴くとしましょう。
北京出身のヤンさんは、その曲を聞いて、「曲全体の構成がよくできてますね。」と言いました。
重慶出身のツァイさんは、「熱い情熱を感じるねぇ。」と言いました。
上海出身のリーさんは、「弦楽器の音が気持ちいいね。」と言いました。広州出身のラウさんは、「なんていうか、こう、”人類の世界”みたいなものを感じたなぁ。」と言いました。
見事に感想が様々ですねぇ。北京のヤンさんは曲の構成を聞いています。これは耳で聞いているだけではわかりません。聞いた上で、その様式を頭の中で構築しなければなりません。”思考型”ですね。
重慶のツァイさんは曲全体を聞いて熱い情熱を感じました。”感情型”です。
上海のリーさんは「音」を聞いていますね。”感覚型”ですか。
広州のラウさんはなんだかわけわかんないこと言ってますね。言ってる自分も良くわかって無いみたいです。これが噂の”直観型”です。
「思考」は「感情」とは反対の機能になります。頭の切れる人が感情なさげだったりしますね。感情的な人はしばしば物事の道理を無視したりします。
もひとつ「感覚」と「直観」が反対になります。感覚的な人は物事の可能性=未来をしばしば見て無かったりします。直観人間はファッションセンス(つまり感覚的能力)が無かったりします。
主機能の反対の機能は劣等機能であり、これは無意識の領域に属します。というより意識化されて無い機能が「劣等機能」なのだと言うべき出しょう。
34投稿者:大秀才に感情が無い理由は 投稿日:2005年11月26日(土) 21時14分36秒
思考型と感情型の特徴
思考型
情感よりも理論を重んじる。
通常、客観的で、人間関係よりも物に興味をもつ。
いつも真面目なことを言うか、気のきいたことを言うかで分けるとすれば、前者である。
社交術よりも実行力に優れている。
原則的に他人の結論を疑いがちである。ーおそらくそれは誤っていると思って。
生まれつき素気なく事務的で、とくに心がけたり、それと意識しないかぎり、友情や社交性に欠けることが多い。事実や観念を理論的にまとめて、問題点を明らかにし、重要な事柄を指摘し、そして結論を引き出す能力に優れているが、いったん結論を出したら同じ問題をもう一度考え直してみようとしない。
思考による判断と両立しないような感情は、おさえつけ、重きをおかず、無視する。
社会の習慣や風習、通念などの知的批判、誤りの暴露、問題解決、人間の知識と理解力を拡大する ための科学研究などによって、社会の幸福に貢献する。
女性よりも男性に多くみられ、感情型の人と結婚すると、相手のなおざりにされた頼りない思考力の 番人となる。
35投稿者:大秀才に感情が無い理由は 投稿日:2005年11月26日(土) 21時16分23秒
感情型
理論よりも情感を重んじる。
通常、主観的で、物よりも人間に興味をもつ。
いつも真面目なことを 言うか、気のきいたことを言うかで分けるとすれば、後者である。
実行力よりも社交術 に優れている。
周囲の人びとの意見に同調するほうで、他人の考えるように考え、おそらく他人は正しいのだと信じている。
生まれつき人づきあいがよく、親しい人であろうとなかろうと、素気ない事務的な態度はとりにくい。
演説をどこから始めたらよいのか、あるいはどういう順序で言うべき事を言ったらよいのか、よくわからない。それで同じことを何度も繰り返したり、思考型の人には余計なことだと思われるくらい、細部にこだわる。
感情による判断に異議をさしはさむような思考は、おさえつけて重きをおかず、無視する。
一般に社会で善とみなされているような立派な仕事や運動に誠心誠意打ち込むことによって、社会の幸福に貢献する。それが正しいと思っているため、いっそう仕事の能率もあがる。
男性よりも女性に多くみられ、思考型の人と結婚すると、相手のなおざりにされた頼りない感情機能の番人となることが多い。
http://kenkuroki.net/ken/sei2.html
http://homepage1.nifty.com/thenamongja/aruhi_hu/yungu/yungu_taipu_1.htm
36投稿者:大秀才に感情が無い理由は 投稿日:2005年11月26日(土) 21時34分35秒
思考型という態度は、常に理論的で理性的であり、その手続きの厳密さにあります。可能な限り矛盾やデタラメを排除しつつ秩序を重んじるタイプです。
その反対の感情型は、世の中の事象や現実に対して喜び・悲しみなどの情動でもって判断し行動するタイプと言えます。思考型と比較すると矛盾があっても自身の喜びとなるものを選び取るし、秩序が保たれていても悲しみがあるのであれば、それは自身の悲しみ以外の何者でもないと感じるわけです。
職場などでは”思考型”の人が割合多くいて、逆に職場という理性的な場では”感情型”のような人はなかなか仕事をうまく前に進めることができません。しかし、アルバイトの女の子が完全に近い思考型で皆の机にお茶を配って歩きながら、フェミニズムについて語られたとしたら、これも非常に雰囲気がよくないわけです。
この概念をユングは夢の分析の中で得たといわれています。
夢の分析の中では、例えば医者や弁護士などのように秩序と計算の中で仕事などをしている人は、夢の中では幽霊を見たりして怖い思いをしていたりしたわけです。お医者などという仕事は死人とのつき合いもあるし、幽霊なんて現実の世界では信じていないのですが、もし夢の中ででも幽霊を信じられないとしたら至極冷酷な人間ということになります。その為に夢にそのような逆の感情が表れて本人のこころの秩序を補償しているとユングは考えました。
37投稿者:大秀才に感情が無い理由は 投稿日:2005年11月26日(土) 21時35分05秒
普段の生活の中で主に使われている心の機能をユングは、主機能(main function)、その対立機能を劣等機能(inferior function)といいました。劣等機能は普段の生活の中で充分に使われていない機能なので、非常に未分化であるということもあるし、時折その機能を本人が制御不能になるということがあるとユングは言っております。
というのは、感情型の優しい女性が、喧嘩の段になると無茶苦茶な屁理屈をこねてどうしようもなくなる場合は思考という未分化な機能に頼らざる得なくなり本人の意図をと越えて突っ走ってしまうわけです。
またこれらの諸機能においては、社会の期待感というものとのズレが起きます。バリバリの思考型の女性というのも世の中には存在するわけでして、それらの人物が女性としての期待、妻としての期待、母親としての期待にどうやって応えてゆくのかという場合にも非常に困難が生じると思います。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/tangsten/term/term/term3yagyou1.html
38投稿者:西洋医学の問題は 投稿日:2005年11月27日(日) 21時08分40秒
はるかなる東洋医学へ 本多 勝一 (著)
出版社: 朝日新聞社 ; ISBN: 4022614013 ; (2004/09/17)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022614013/qid=1131151039/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/249-5692396-2097109
で語り尽くされています:
健康あるいは病気について皆さんはどのように考えておられるでしょうか。
例えば体の具合が悪くて医者に行っても芳しくなく、別の医者を捜したりしたことはありませんか。人間の体も機械と同じように人まかせに考える習慣が知らず知らずのうちに身に付いていないでしょうか。
実は病気の原因を作っているのは本人自身であり病気を治すためには正しい食事、適切な運動、治ろうとする気力の三つが必要と説いています。人間の体も自然の一部であり自然の理に従い、自然治癒力を促すのが東洋医学であると言っています。
この本は西洋医学の近代科学合理主義一辺倒の考え方に対する警鐘をならしています。よく考えてみれば、人間の体をテレビやラジオと同じ手法で修理されたらたまったものではありません。
39投稿者:西洋医学の問題 投稿日:2005年11月27日(日) 21時09分37秒
(西洋医学を否定するものではなくその限界に触れ東洋医学の復権を願うもの、といいながら、かなり辛辣)
個人的に現代医療のいい加減さの被害を受け続け、東洋医療に出会い、医者個人の資質も問題だが、それだけでない現代医療の構造的な問題に思い至る。
現代西洋医療は押さえ込む医療、救急医療、対症療法、人間を部分で考える、サイボーグと考える、「現代型迷信」の医療。
現代西洋医療は現代型迷信を利用した搾取構造である。「進歩した医学」という幻想を振りまき、人々を支配している巨大産業だ。
「精密機械や進歩した医薬品や手術」は迷信や搾取構造から目をそらすための手品。「西洋医学に悪のりした制度や医療界の悪」「日本型西洋医学の悪」「非人間的人間観の医療」。
欧米ではその反省から「インフォームド・コンセント」が発展しつつある。日本ではまだ「医師のための医療」。カルテをドイツ語で書くのも「知らしむべからず、依らしむべし」の発想。
「食の世界」も同じ。
西洋医療が部分のみをとらえ、病を押さえ込むように、現代社会も押さえ込みの構造となっている。
http://www.kt.rim.or.jp/~adlove/EM/hensyu/hensyu13.html
40投稿者:西洋医学の問題 投稿日:2005年11月27日(日) 21時14分56秒
凍れる心臓 共同通信社社会部移植取材班 (著)
株式会社共同通信社 ; ISBN: 4764104067 ; (1998/04)
本書は和田心臓移植を検証することによって、医の世界の「密室性」「閉鎖性」の問題点を問い、患者や家族のための医療に一歩でも近づいてほしいという切なる願いから誕生した。
いわゆる「和田移植」についての詳細なリポート。
取材班の取材は非常に綿密で論理的です。
矛盾する証言と記録、素人の目から見ても適切とは思えない
(移植の準備にしか思えない)治療、肝心なところで
歯切れの悪くなる和田医師、厳密な論拠で和田医師を
批判する病理側、和田医師をかばう医学界・・・。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4764104067/qid=1133093454/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-4499262-9495560
中川米造 (故人) とのインタビュー (1997年6月)
「人体を物体として見る、近代医学の考え方は大変危険である」
「外科の進歩の過程で、いったいどれだけの人間が殺されたか。『有能な医者になるには屍の山を築かねばならない』という言葉がありますが、これが暗黙の合意だった。医者の技術は向上するにしても、新しいジャンルに挑戦するときは、また屍の山を築くやり方は、おかしいじゃないかという思いがしていました」
「医学は実験を盛んにやり、成功したときは外に出すが、失敗したときは隠してしまうわけですね。その根源をたどると、哲学的にはデカルト、医学的にはクロード・ベルナールということになる。つまり、医学は生理学であり、実験科学なのだから、どんどん実験をやれ、どんどん動物を殺せ、人間もやれ、と。それがもろに出たのが第2次大戦のナチスの人体実験。日本も731部隊でやっていた」
41投稿者:西洋医学の問題 投稿日:2005年11月27日(日) 21時17分38秒
「解剖実習をやると医学生は人格が変わるんですよ。生きている人が死んだ。死んだら物になる。物として解剖する。だから、解剖台の上に乗っている人がどういう生活をしてきて、こういう状態になったのかを考えない。つまり時間がない。ただあるのは存在。前時代的、工業化時代の、人間を物として見る医学では(体を)開けてみる外科が一番進歩する。躊躇がない」
「真っ先に移植が行われたのが南アフリカ。はあ、そうか。これはやっぱり前世紀的な考え方がないとできんぞと。日本なら東京、大阪のように監察医制度があるところでは起きないと思った」
「和田さんの言い分に理があるとすれば、古典的な外科技術開発の正当性。つまり、だんだん技術が向上すればいいではないかという考え方。しかし、そういう方法自体考え直さないといかんというのが私の考えです。じゃあどうすればいいか。やめればいい、そんな方法は」
「近代医学の根本思想はパーツの思想。どの臓器でも取り換えればいいということでは、ドナーの数はどんどん減り、大きな弊害が起こる。資本主義社会だと売買の対象になる可能性がある。1人ひとりの人間は生物学的には異なった要素を持っていて、拒絶反応が必ず起こる。拒絶反応イコール免疫反応。それを抑えるようなやり方で本当に長生きできるのかどうか」
「米国では同じ患者に2回、3回と再移植をやっている。移植を最終的治療法と考える思い込みが問題です。臓器移植をした後、他人のものを何とか自分の組織、生理と妥協させる治療法を永遠にやらなくてはならない。これは大変につらい永久治療で、アンチ生物学的な方法、ごまかし的な方法です」
「社会活動は制限される。臓器をいっぺん入れたら終わりというものではない。特に肺や小腸は難しい。タイヤのように、切ってつないだら機能すると考えるのは、自転車屋さんの発想ですよ。それでも善意はあるのでしょうけど」
http://www4.airnet.ne.jp/abe/books/98/toc_heart.html
42投稿者:子宮ガンの検診は不要 投稿日:2005年11月28日(月) 00時47分27秒
ニュージーランドの疫学調査
子宮ガンの検診で、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら
治療を受けなかった女性(750人)を20年間追跡した結果である
癌の中で取り扱かいが容易とされる子宮頸癌は早期の癌と診断されると、通常はことごとく手術となってしまう。取ってなくなってしまうので、早期の癌に自然消滅があるなどと確かめられない。
集団検診によって、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら、治療を受けなかった女性を、20年間追跡したニュージーランドの疫学調査がある。このような女性750人のうち、子宮頸癌となった者は、10人(1.3%)しかいなかった。しかも、検診で見つけられた上皮内癌から本当の癌に進展したと認められたのは2例しかなく、他は、当初の上皮内癌とは関係なく起こったものと考えられたという。
このことは別のことからも裏づけられた。子宮の集団検診をしている地域の子宮癌罹患率と、していない地域の罹患率はほとんど変っていなかったのである。
上皮内癌の病理所見(視覚的形態的診断)と発達した子宮癌の病理所見が似ていたことから、おたまじゃくしはなまずに似ているからなまずの子式の発想で、上皮内癌は子宮頸癌の子供と思われたのではなかろうか。 上皮内癌といわれて、それが本当の癌に発達するのは750人中2人しかいないとしても、子供を後々望まないのなら、子宮を取ってもいいのだろう。ただ、日本の婦人科医がこの確率を頭に入れて、患者に手術を勧めてきたとは思えない。
むろん、ニュージーランドの疫学調査を100%うのみにはできないにしても、日本の癌学者がこの論文を否定しうる根拠を示し得ないことは確かなのである。従って、日本の癌医学は定量的に未来の予測をなし得ておらず、科学とはまだいえる段階に達していない。
43投稿者:子宮ガンの検診は不要 投稿日:2005年11月28日(月) 00時48分24秒
改めて要点を書くと
・治療を受けなかった女性750人の中で、
・20年の間に本物の 子宮頸癌になった人はたったの10人(1.3%)でした。
・しかもその10人のうちで、
・検診時に見つけられた上皮内癌が進行したものは2例(0.3%)しかありませんでした
・他は検診時の上皮内癌とは関係なく出来たガンでした(1%)
と言うことです。
検診を受け、上皮内ガンと言われた人750人中、2人しか本物のガンの人はいなかった!
この割合は素直に治療を受けた人も同じ!つまり・・・
子宮ガンの発見率から13万人が検診を受け、その内約3000人にガン宣告がされた事に相当します
宣告された3000人のうち、本物のガンを見つけてもらった人はたったの8人!
2200人余りが不要な手術を受けた(750人は治療拒否)
本物のガンを見つけてもらった8人を除く約13万人が意味のない検査を受け
2200人あまりが不要な手術を受けて治療費を払ったことになるのです
子宮ガンを参照していただければ一目瞭然ですが、
最近50年間の子宮ガンによる死亡率(10万人あたり)の変化と子宮ガン検診が膣から行われはじめたかを示す下図も参考に、子宮ガンの検診や治療にどれほどの意味があるのかを考えてみてください
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/gan015.htm
44投稿者:がんを放置したらどうなる? 投稿日:2005年11月28日(月) 00時53分14秒
”早期発見”が決して早期ではないことは別のところで示したが、医者の言い分を仮に認めるとしよう。本書のこの節では、その早期がんの大部分を占める無症状のがんを放置しても、殆ど不利益がないことが示されている。それどころか、がんが消えることも結構な確率で起こることが分かる。だから、慌てて治療すると損をする可能性が高い。これは実感としても頷けることだが、これを支持する重要な証拠を管理人から付け加えておこう。
膨大な数のくじ引き試験が世界中で行われ、殆ど全てのがん検診を通じて”顕著な生命を守る効果”が、がん検診には無いことが示されている(多少ある〜全くない・・に限られると言うこと)。この事実をまず受け入れ、他の事実を組み合わせれば自ずと正しい答えが見えてくる。
その事実とは、日本では解析に好都合な適度な割合の人が、がん検診を受けているということだ。国民が一番従順に受けている肺ガン検診で、がん年齢人口のの6〜7割。胃ガンや大腸がんの受診率は2〜4割程度の筈だ。
どうだろう、お気づきでしょうか?
「がんを放置したらどうなる」と言うこの節のテーマは、「がん検診→早期発見→放置→どうなる?」を考察している。
がん検診を受けない人にも受診者と同じ比率の早期がん患者が居ることは自明のことだ。そしてこの患者達は自らの意志で結果的に放置している。
つまり、「がん検診を受けない→早期発見できない→放置→どうなる?」と言う大規模な全国民参加の試験がいま進行中なのである。
45投稿者:がんを放置したらどうなる? 投稿日:2005年11月28日(月) 00時54分49秒
がん検診が始まる以前は、殆どの早期がんは放置されていたことになる。いまは上記の比率で受診され、発見された早期がんの大部分が治療されている。放置と治療でその後が違うのなら、その差は当然死亡統計に現れることになる。
全死亡を原因別に纏めた年齢調整死亡率の年次変化図がある。それによれば、検診が行われ始めた頃から現在まで、がんによる死亡率は殆ど増減していない(がん死が増えているのは高齢化による)。
言い換えると、特定の年齢層、たとえば50歳の人ががんで死ぬ確率は、検診の有無で変化していないと言うことだ。つまり、「早期がんを放置しても殆ど死には繋がらない・・症状が現れてから治療するのと大差ない」というのが、この超大規模試験の結論だ。
これまでの知見を整理すると
@検診をすると、がんを多数発見できる。
Aそれらは大部分が潜在がんないし無害がんである。
B実際に放っておいても増大しないか、消えてしまう、
となります。
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/seijinbyou/209ganwohoutisitara.htm
46投稿者:抗ガン剤で殺される 投稿日:2006年02月28日(火) 20時59分06秒
船瀬 俊介 (著)
目次
第1部 「抗ガン剤、放射線、手術」でガンは治せない―ガン専門医たち衝撃の告白(ガンは自分で治せる
薬をやめると、病気は治る
デタラメ、いいかげんな“ガン治療”
抗ガン剤は無力だ―「反抗ガン剤遺伝子ADG」の衝撃
メスも抗ガン剤も放射線も捨てて、ガンに挑む ほか)
第2部 抗ガン剤は猛毒だ―「医薬品添付文書」「副作用情報」から暴く(「医薬品添付文書」とは
ガン治療…“地獄の責め苦”の行政責任を問う
「添付文書」「副作用情報」が明かす地獄図)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763404377/249-0368721-1720345
47投稿者:抗ガン剤で殺される 投稿日:2006年02月28日(火) 21時01分22秒
ガン治療に於いて治療と称して多用されている抗ガン剤を初めとする主要の3大治療療法の外科手術による切除・制ガン剤の化学療法・放射線療法の実態とその効果の裏の真実やガン治療の実態と患者が選択するべき真の治療方法の真相
船瀬氏は、長年の消費者運動における医療問題や医療過誤により自らのお子様の長女を殺され原告として病院と医師を訴え法廷で弁護士抜きで闘って地裁では全面勝訴した経験をお持ちになり、医療現場での医者や病院の驕慢さと患者無視の治療実態を充分に知る経験者でもあります。
船瀬氏は、昨年「抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ 」という本を出版されましたが、本当に今のガン患者たちは、医学によってお金をむしりとられて、殺されているも同然なのだということを知らせました。もし、家族がガンになっても、絶対に病院にはいってもらいたくないと思い、ガンの死亡者、
30万人以上のうち、25万人以上が医療によって、殺されているという真相だそうで、これを書いて出版しても、医者や医薬品業界からのクレームは皆無だそうで、彼らもそのように認識していると思われます。
電話で医者に取材をしたら、抗がん剤がまったく効かないのは周知の事実ということを、実際医者の口から聞いているそうです。マスコミも、そういう事を絶対に表には出さないそうです。なぜなら、ガンのビック ビジネスが成り立たなくなるから、人の命より、お金儲け・・・が、ガンを取り巻く医療の現状です。
http://asyura2.com/0510/health11/msg/297.html
48投稿者:抗ガン剤で殺される 投稿日:2006年03月10日(金) 18時02分07秒
そのすさまじさを知るには『抗ガン剤で殺される』(船瀬俊介著・家伝社刊)を読むのがベストであろう。この本の圧巻のインパクトは、著者が厚生労働省に「行政責任」を問うた直撃インタビューにあり、著者の船瀬さんはインタビューによって厚労省の役人から数多くの驚くべき発言を引き出すことに成功した。
結論から言えば、厚労省の担当官自体が「抗ガン剤の猛毒性」「抗ガン剤の発ガン性」「抗ガン剤の無力性」を認め、「ガンの死者の7、8割が抗ガン剤や放射線治療で殺されている事実」を暗黙のうちに認めてしまっていることだ。
そんな発言の中からいくつかを、以下に紹介させていただくことにする。
船瀬 お医者さん全員が「これ(抗ガン剤)は毒物です」とハッキリと言っている。
免疫が弱って、ヘトヘトになってガンと戦っている人に、
さらに免疫力を殺ぐのを入れるんだから
「これで治ることは、ほとんどありません」と医者は言う。
「七〜八割はガンで死んでいるんじゃなくて、抗ガン剤等で殺されますよ」と…。
49投稿者:抗ガン剤で殺される 投稿日:2006年03月10日(金) 18時03分20秒
厚労省 抗ガン剤でガンが治ることは、たぶんほとんど無い。
現状としては、少しでも(ガンが)小さくなるのであれば、
症状が少しでも軽くなるのであれば…それを有効と見ざるを得ないだろう。
この発言で重大なのは、「抗ガン剤でガンが治ることは、たぶんほとんど無い」と厚労省の担当官が公式に認めたことだけでなく、多くの医師たちが言う「七〜八割はガンで死んでいるんじゃなくて、抗ガン剤等で殺されますよ」という発言に対して、厚労省が暗黙の了解をしたことにある。つまり、ほとんど治る可能性のない抗ガン剤治療をそのまま放置し、少しでもガンが小さくなり、症状が少しでも軽くなるのであれば「有効」と見なし、「ガン死者の七〜八割が抗ガン剤等で殺されていても仕方ない」と考えているのだ。これは岩瀬さんが「組織犯罪だ!」と声を大きくして告発するように、ガン患者にとってはまさに由々しき問題である。この言質をインタビューで引き出しただけでも偉大な成果と言っていい。
http://www.creative.co.jp/top/main2885.html
50投稿者:抗ガン剤で殺される 投稿日:2006年03月11日(土) 09時06分10秒
医療裁判では、被害に遭った人達、皆が皆、訴訟を起こしているかというとそうではありません。
例えば抗癌剤を投与されて、その抗癌剤の副作用で亡くなられる人達がいます。化学療法をどんどんやることによって、骨髄の働きが悪くなって、結局血小板とか白血球等を作れなくなり、その為に亡くなっていく。このように抗癌剤で患者さんが亡くなるということがあります。
抗癌剤で亡くなるのを化学療法死と言います。ケモセラピー(化学療法)によるデス(死)を略してケモデスという言い方をします。でもケモデスなどという言い方はあまり一般化されていなくて、
家族は癌で死んだと思っています。ところがよく調べると抗癌剤の副作用に対する対処の仕方の問題で、実は下血をして亡くなっているということがあります。亡くなった本人もそうでしょうけれども遺族の人達も気付かないわけです。
癌で死んでいったと思っておられるのですから、薬の使い方等を問題にするという気にもならないわけです。自分が事故にあったことも気付かないのですから、クレームを出すこと或いは何か疑問をお医者さんにぶつけるということはできません。こういう人達が多分、相当数いると思います。又、仮にクレームを出しても、体質的なものではないかとか色々なことを後から言われるという雰囲気があります。どうもおかしいと気付いたけれど、今更お医者さんに言っても死んだ人が返ってくるわけではないし諦めたという人が沢山います。「年寄りだったし、まあそれも寿命と考えます」とそういうことを言う人もいるでしょう。どうも変だなと思い、思い余ってお医者さんにどうして亡くなったのか申し出たけれども、それはその方の寿命と考えて下さい等と色々なことを言われ諦めさせられるというケースもあります。
http://www.jahc.or.jp/kinki/k/mrkatoh/2.html
51投稿者:STO先生のお奨め療法 投稿日:2006年03月11日(土) 11時40分17秒
これが医療関係者の本音でしょう:YAHOO掲示板から転記
病院で見放されました、死を待つだけ? 2006/ 2/27 11:56 [ No.1 / 17 ]
この1月に還暦を迎えた母なのですが、一昨年の9月に直腸癌→肝転移が見つかり、国立ガンセンターで通院治療を受けていました。5FU+イリノテカンの抗がん剤を8ヶ月、効き目がなくなってきたのでその後はオキサリプラチンを半年弱やりましたが、これも効き目がなくなり、副作用も強かったために11月に抗がん剤は中止になりました。ガンセンターでは、もう治療が出来ないと言う事でホスピスを紹介されました。その後は在宅で静養し、週に二回緩和ケアの為に地元の病院から先生が来ておりますが、抗がん剤を中止して三ヶ月たった今は様態も悪化し、全身の痛みが増し、痛みどめのパッチと坐薬で抑えています。食欲もなくなり、若干ですが黄疸も出てきております。このまま何の治療もせず、日に日に弱っていくのを見ている事しか私たち家族には出来ないのか、毎日混沌としております。
この様な状態で再度治療をされた方、おりましたら情報をお願い致します。
52投稿者:STO先生のお奨め療法 投稿日:2006年03月11日(土) 11時40分59秒
それに対するsecond_third_opinion先生の回答
がんセンターで外来化学療法まで受けて、『病院に見放された』という言い草は感心しません
地元の先生の緩和のため治療も治療であり、抗がん剤の使用も含めて継続しているものです
ないものねだりしても、インチキ商売している連中に狙われるだけのこと
『何の治療もせず』というが、緩和療法も立派な治療であり、患者の容態を見守りながら充分な努力が払われているのです
在宅で治療するのが困難というけれど、今、療養型病床削減が政府から提案されています。
この方針が通れば、在宅で見守ることの出来ない癌患者、老人が列をなして病院を求めてさまよい、入院したらした入院したで、急性期病院の出口を塞いで、本来必要な医療をすれば助かる人まで受け入れることができなくなり、助からなくなります
自身の家族の不幸を振り返りながら、他人の不幸を防ぐためにはどうしたら良いのかということも考えて頂きたい それが社会人というものです
53投稿者:STO先生のお奨め療法 投稿日:2006年03月11日(土) 11時42分05秒
YAHOO掲示板から転記
Re 病院で見放されました、死を待つだけ? 2006/ 2/27 [ No.3 / 17 ]
美容/健康@あめざーねっとIII に
癌の通常療法
癌の原因(環境)
癌の原因(食べ物)
癌に効く食べ物
癌の鍼療法
癌に効く温泉
アタマに効く温泉・アトピーに効く温泉
を纏めました. 是非参考にして下さい.
a111hgさん有難うございました 2006/ 2/27 22:16 [ No.6 / 17 ]
早速見てみます。母は黄疸が悪化し、腹水もある状態です。一人での歩行は困難で、有明癌研究所のセカンドオピニオン外来も受けました。
癌の名医、H岩先生の面談も受けました。けれどどれも見解は同じで
今は癌自体の治療は出来ないそうです。痛みを取る事しか出来ないと・・・
H岩先生は、何も治療しなければ余命二ヶ月と言われました。
日に日に弱る母を目の前に、なすすべのない状態に申し訳ない気持ちです。
54投稿者:STO先生のお奨め療法 投稿日:2006年03月11日(土) 11時43分25秒
それに対するsecond_third_opinion先生の回答
タコがタコ壺を見つけて、わざわざ嵌り込む様が見えて感慨深い
タコ相手に、ゴミを売りつける商売が成り立つ所以であろう
もはや救い難いタコである
がんセンターの医師がビックリしていたのは、君がタコだと知ってしまったからではないのか?
窓口で8万円払うって高いのか?高額医療の補償もあれば、確定申告での還付もある 無駄な『癌に効く健康食品』で散財して、医療費が高いとは、不届き至極である ついでに気功で騙されて、丸裸にひん剥かれれば自覚できるのか?タコにはタコ壺が似合いである
バカがタコ壺で搾取されるのは無関係と言えば無関係
通常診療では、そういったバカも含めて面倒を見ないといけない
貧乏だからというなら、バカに付き合って浪費している余裕はないだろうと言いたい
『無害である』から効果のないものを飲んで自己負担できて納得できるのであれば、自己負担比率を上げて社会負担を減らすべきであろう バカの面倒を見れるほど、納税者の負担は軽くないし、癌診療も楽ではない 評論だと思うなら勝手に思えばいいが、国が貧乏になれば、それなりの医療しか提供できないし、医者が(本来あるべき)公務員のように高い倫理観を備えて診療してくれると期待するのは間違っているだろう
バカが平均値であれば、バカに相当する医療しか提供し得ないということをバカに知らしめるべきであろう
保険滞納している不届きなバカも含めて、冷酷に現実を知らしめるべきである時期に来ているのだとの認識である。 自己負担できないと言う自称貧乏人に関しては、福祉のお世話になるまで固有財産を使い果たしてから、社会に負担を求めなさいと言いたい
55投稿者:神戸の医師「患者は早く死ね」/ 投稿日:2006年04月04日(火) 14時56分09秒
[エイズ発言]神戸の区役所医師 中学で「患者は早く死ね」/毎日新聞
神戸市長田区役所の医師で部長級の男性職員(57)が昨年11月、同区の市立中学校で生徒にエイズに関する講義をした際、
「エイズになれば、自覚症状がないまま他人にうつす恐れがあるので、(患者は)早く死んでしまえばいい」などと発言していたことが分かった。
市は31日、誤った発言で生徒に著しいショックを与えたとして、この職員を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にしたと発表した。
市によると、職員は昨年11月22日、エイズ問題の理解を促す出張授業で生徒約110人を前に講師を務めた際に発言した。【坂口雄亮】
2006年04月01日01時31分
56投稿者:リンパ節広く取る手術標準手術と差なし 投稿日:2006年06月10日(土) 00時35分40秒
胃がん リンパ節広く取る手術 「標準手術と差なし」
2006年06月07日16時45分
進行胃がんの治療で、胃の周囲のリンパ節を広く切り取る「拡大手術」と、一定範囲の切除にとどめる標準的な手術(D2郭清)では、治療効果にほとんど差がないという調査結果を、日本の国立がんセンターなどがまとめた。アトランタで6日まで開かれた米臨床腫瘍(しゅよう)学会で発表した。
報告した同センター中央病院の笹子三津留・副院長は「リンパ節を多くとったことで、患者の状態を悪化させている可能性もあるのではないか。標準治療はD2郭清と考えるべきだ」と話した。
同センター中央病院など全国の24医療機関が共同で調べた。がんの進行度(4段階)が2〜4の進行胃がん患者で、95〜01年に拡大手術をした260人と、D2郭清をした263人について、治療効果を比べた。その結果、3年生存率はともに76%。5年生存率は拡大手術が70%、標準的な手術は69%で、ほとんど差はなく、「延命上の利点はない」(笹子副院長)としている。
日本胃癌(がん)学会の治療ガイドラインは、進行度2〜3の患者については基本的に「胃の3分の2以上の切除とD2郭清」を標準治療とし、拡大手術の実施は、がんの転移が進んだ進行度4の患者などに限っている。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200606070298.html
57投稿者:慈恵医大裁判 投稿日:2006年06月23日(金) 20時38分43秒
患者忘れた医療に警鐘
「知識や技術、経験もないのに、無謀な手術を行い、患者の死を招いた」
東京地裁の裁判長はこう断罪し、業務上過失致死罪に問われた元医師三人に対し、有罪判決を言い渡した。
東京慈恵会医大青戸病院で前立腺がんの摘出手術を受け、男性が死亡した医療事故の判決である。
判決文を読むと、手術は医療行為というより、医療に名を借りた「人体実験」と言わざるをえない。
判決は病院の責任にも厳しく言及したものの、それを理由に医師三人に執行猶予をつけた。患者の家族にとっては何とも割り切れない気持ちだろう。
三人の医師は二〇〇二年、内視鏡の一種である腹腔(ふくくう)鏡を使う難度の高い手術で、前立腺がんの摘出を行ったが失敗し、男性は約一カ月後に死亡した。
判決によると、三医師とも腹腔鏡手術の経験はなく、うち二人は手術に立ち会ったこともなかった。主治医は男性に手術の危険性の説明もしていない。学内の倫理委員会の承認も得ずに行われたというのだから、ただただあきれかえる。
「三人は少しでも経験を積みたいという自己中心的な利益を優先し、患者の安全を忘れた行為は強い非難に値する」。裁判長の指弾は当然であろう。
高度医療の実績づくりや功名心にかられ「人体実験」さながらの手術を実施した行為は、医師としての適格性を疑わざるをえない。
58投稿者:慈恵医大裁判 投稿日:2006年06月23日(金) 20時39分26秒
判決は、三人の上司の診療部長や輸血措置に当たった麻酔科医の責任も指摘した。さらに大学や病院についても「死因を心不全と偽り、組織ぐるみで隠ぺいを図ろうとした」と厳しく指摘した。
患者の立場を深く思いやることが事故を起こさない大原則だろう。ところが医師も病院も「患者のための医療」という姿勢が欠落していたということだ。患者や家族の尊厳を大きく傷つけたことを猛省すべきだ。
今回の事故は、他大学や医療機関にとっても人ごとでない。日本医療機能評価機構によると昨年一年間に起きた医療事故は二百七十二病院で千件を超す。統計は大学や国公立病院だけで、事故はさらに多いはずだ。
医学界も事故後、日本内視鏡外科学会などが医師の「腕前」を審査する制度をスタートさせた。専門性を高めるとともに医療者としての人間性や倫理観を高めることも忘れてもらっては困る。
最大の事故対策は予防にあることは論をまたない。なぜミスや事故が起こったのか、原因究明と再発防止策を徹底することだ。そのためには医師や看護師ら医療者同士、さらには患者が意見を言い合える信頼関係が前提であろう。
医療事故はそれでなくても患者や家族にとって究明は難しい。幅広い立場から相談などに応じてくれる中立的な第三者機関を早急に設置すべきだ。
[京都新聞 2006年06月16日掲載]
59投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時51分58秒
●専門家が駆使する言葉のトリック
最大の言葉のトリック…「効く」と「治る」はおおちがい
「生存期間が延長した」「長期生存が可能になった」の意味
「がんが消失した」の意味
「効く」「有効だ」「奏効率が高い」の意味
「奏効率何%」…しこりが反応して縮小しただけなのに「治る率」と錯覚させる
患者さんの誤解をわざと招く言葉のトリック
「しこりは消えた、患者は死んだ」場合、どう評価するか
「つきつめれば今の抗がん剤治療は根本から問われることになる」
●専門家が駆使するグラフのトリック
ずさんな卵巣がんのデータで病院間格差を強調したが
延命効果を証明したとするクレスチンの非科学的論文
60投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時52分46秒
●どんな患者さんが実験台にされるか
第一相試験(毒性試験)は再発して助からない患者さん
[第一相試験の患者さんの条件(とその理由)
第二相試験は、あと2か月は生きていそうな患者さん
[第二相試験の患者さんの条件(とその理由)]
高齢者や寝たきりの患者さんも対象になる
[PS(患者さんの元気度)]
「治験漬け」になったり、治験途中で死ぬ患者さんも
奏効率を上げるために、標準的治療のあるがんの患者さんも治験の対象に
どういう患者さんが治験の対象として狙われるか
治るがんでも治らないがんでも第三相試験
どこの病院で治験が行われているか
ホスピスでも治験?
[CPT−11(イリノテカン)の治験参加施設]
●口頭同意、家族の代理同意というGCPの抜け道
新薬の承認数は世界一、実験数も世界一
GCPは何のため?誰のため?
薬品市場の国際化に向けて、ポーズとしての「患者さんの同意」
医師の本音…「文書で了解を取ると実験だとわかって拒否される」
「この薬の副作用(毒性)をみるための実験だなんてしても言えっこない」
「患者さん本人からの文書同意」の原則を守ることが日本の製薬会社の生き残る道
61投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時54分16秒
●患者さんは「実験台であること」を知らされているか
同意の取り方のポイント
「胃潰瘍の薬です」と言って抗がん剤の治験?
実験であることを患者さんが理解できる言葉で言っていない
患者さんの「お任せします」で本人からの同意?
「本当に真実を言えば5秒で」治験への同意がふっとぶ
「くじ」と分かったらみんな拒否するから先に内緒で「くじ」を引いてしまう
プセラボ(偽薬)の治験ではもう説明のしようがない
実験とは言うが、治療にもなると思わせるような、あいまいな言葉で期待をもたせる
同意を取るための説明は国語力が勝負
すべて正直に言い、「他の患者さんのためになる」とボランティア精神を強調する
なぜ、がんの患者さんだけが「ボランティア精神」を要求されるのか
治験を拒否する自由は保証されているか
治験中に被害にあっても救済制度はない
●「新薬」はいったい誰のために必要なのか
製薬会社からの「研究費獲得」のために「これ、これ、これと順番に」治験
業績主義や名誉も治験の原動力…初めに治験ありき?
第三相試験は製薬会社の販売戦略の一環になる
多剤併用療法での治験はもっと危険
認可対象(適応症)を広げるための治験もある
とくに儲かるのはフルオロウラシル系抗がん剤の治験
[ユーエフティー(UFT)の治験に参加した施設]
抗がん剤治療は限界に達し「新薬」開発の必要性は低い
「新薬」がなくても患者さんは困らない
62投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時55分58秒
◆抗がん剤をやめたいと思ったら
●自分のからだは自分で守る
医師や世間の無責任な「常識」に流されない勇気をもとう
「必要がない」治療は受けないのが大原則
本人抜きの家族の同意判断は悲劇を産む
抗がん剤をやめたあと、どうしたらいいか
●あぶない言葉(こんな言葉で医師は不必要な治療や治験に誘う)
●こんな治療を勧められたら
抗がん剤周辺の治療と薬…その可能性と限界
動注
放射線と抗がん剤との併用
ホルモン療法
乳がんでのホルモン療法とは
タモキシフェンはどれくらい続けたらいいか
前立腺がんのホルモン療法とは
慢性骨髄性白血病、慢性リンパ性白血病、多発性骨髄腫の治療
高齢者のがん
骨髄移植の将来性
免疫療法はからだにやさしい治療とは限らない。名前のイメージが先行
免疫療法は有効か?
外から人為的に免疫を高められるか
インターフェロンは免疫療法というより抗がん剤
63投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時57分23秒
「危ない言葉」キーワード目次◆五十音順
新しく認可されたいい薬です
あなたの病気に効果が期待できる薬です
あなたの病名はがんです
あなたもがんばればこういけるんだよ
安全です。心配ありません
胃潰瘍の薬です
1%くらい向上する可能性はある
一緒にがんとたたかおう
1種類だけで治療しよう
今まで飲んだのが水のあわになる
がんが消失した。しこりが消えた
がんがなくなった状態を維持するために続けよう
がんが半分の大きさになった。続けましょう
患者さんの気の済むようにさせてあげたい
がんにならないように、予防のために飲もう
効く。有効だ。奏効率は30%です
急にやめたらあぶない
薬を変えてみましょう
薬を増やしてみましょう
経口でもがんが消失する患者さんはいるんですよ
抗がん剤で痛みを取ろう。腹水を取ろう
抗がん剤は小出しにしたほうが効果的
最後にもう1回、挑戦してみたい患者さんもいる
最善を尽くしたい
在宅でも抗がん剤治療はできます
再発予防のために飲もう
64投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時57分48秒
サインしてください
しこりが小さくなる人もいる
手術の補助に使います
点滴しましょう
統計学的に一番公正な方法で決めます
何もしないでよりは何かやったほうがいい
入院しましょう
念のためやっておこう
飲まないならもう来なくていい
吐き気止めがあるから心配ない
白血球増多剤があるから大丈夫
副作用はほとんどないマイルドな薬です
やれば楽になる。やれば長期生存できる
ゆっくり説明しましょう
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/sin_kogan_fuku.html
65投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時59分08秒
医療裁判では、被害に遭った人達、皆が皆、訴訟を起こしているかというとそうではありません。
例えば抗癌剤を投与されて、その抗癌剤の副作用で亡くなられる人達がいます。化学療法をどんどんやることによって、骨髄の働きが悪くなって、結局血小板とか白血球等を作れなくなり、その為に亡くなっていく。このように抗癌剤で患者さんが亡くなるということがあります。
66投稿者:口がうまくなければ医者になれない 投稿日:2006年07月15日(土) 07時59分39秒
抗癌剤で亡くなるのを化学療法死と言います。ケモセラピー(化学療法)によるデス(死)を略してケモデスという言い方をします。でもケモデスなどという言い方はあまり一般化されていなくて、
家族は癌で死んだと思っています。ところがよく調べると抗癌剤の副作用に対する対処の仕方の問題で、実は下血をして亡くなっているということがあります。亡くなった本人もそうでしょうけれども遺族の人達も気付かないわけです。
癌で死んでいったと思っておられるのですから、薬の使い方等を問題にするという気にもならないわけです。自分が事故にあったことも気付かないのですから、クレームを出すこと或いは何か疑問をお医者さんにぶつけるということはできません。こういう人達が多分、相当数いると思います。又、仮にクレームを出しても、体質的なものではないかとか色々なことを後から言われるという雰囲気があります。どうもおかしいと気付いたけれど、今更お医者さんに言っても死んだ人が返ってくるわけではないし諦めたという人が沢山います。「年寄りだったし、まあそれも寿命と考えます」とそういうことを言う人もいるでしょう。どうも変だなと思い、思い余ってお医者さんにどうして亡くなったのか申し出たけれども、それはその方の寿命と考えて下さい等と色々なことを言われ諦めさせられるというケースもあります。
http://homepage2.nifty.com/pcmv/001kyuusai.html
67投稿者:放射線治療が骨に有害 投稿日:2006年07月23日(日) 00時42分28秒
癌(がん)患者の受ける1回分の治療線量に相当する放射線をマウスに照射すると、骨内部の海綿状組織が39%失われることが、米Clemson大学(サウスカロライナ州)の生物工学者Ted A. Bateman氏らの研究によって判明した。これにより、体重を支える骨内部の結合力が64%低下することになるという。
今回の結果を直接ヒトに当てはめることはできないが、放射線治療を受ける癌患者や、宇宙飛行士の長時間飛行による放射線曝露に対する懸念を増大させる結果であると研究チームは指摘している。Bateman氏によると、骨の損失量は予想以上で、また予想よりはるかに低い放射線量で骨の損失がみられたという。この知見は医学誌「Journal of Applied Physiology」6月8日号に掲載された。
今回の研究では、マウスに2グレイ(Gy)の放射線を1回照射(グレイ=単位質量当たりの物質や体が放射線によって吸収したエネルギー量を示す単位)。癌患者が受ける治療線量は1回につき1〜2Gyで、一連の治療で受ける総線量は10〜70Gyになる。照射を受けたマウスでは、外側を緻密(ちみつ)な骨皮質に囲まれた海綿骨の損失がみられた。「骨皮質ではなく海綿骨が損傷を受けている点が興味深い」とBateman氏は述べている。海綿骨の損失により、骨の支持力が低下し、骨折しやすくなるという。
原文[2006年7月12日/HealthDayNews]
68投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時22分08秒
今朝の朝日新聞を見て、ため息混じりに、
「なるほど、やっぱりなぁ…」と思ってしまいました。
写真(右)を見ればお分かりのように、
職場の胸部エックス線検査
義務は40歳から
厚労省方針
と、それなりに目立った記事が出ています。
これを読んだ読者は、いったい何を思うでしょうか。
いえ、何も思わずに、ただ読み流してしまうだけだろうと思います。
「そうか、エックス線検査は40歳からになったのか…」
ただそう思うだけで、それで終わりなんだろうと思います。
しかし『ガン呪縛を解く』をお読みの賢明な読者は、
「やっぱり、医療産業のごり押しが勝ったんだな」と思うに違いありません。
今日は7月22日ですから、ほぼ1年前の2005年7月17日、
毎日新聞の1面トップには、次のような大きな見出しが踊っていました。
厚労省 有効性に疑問
X線検診を廃止
そうです。1年前に厚労省は「X線検診を廃止」を決めておきながら、
医療業界の大反対に押し切られるかたちで、
ついに「全面廃止」を「義務は40歳から」へと方針転換したのです。
69投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時23分19秒
これには、いったいどういう意味があるのでしょうか。
結論から言えば、こういうことになります。
(『ガン呪縛を解く』第1章「ふたつの風景」59P〜より抜粋)
この記事が伝えるものを一言で言えば、
「検査に有効性を示す証拠がないから法的義務づけを廃止する」となるが、
さらに記事中では、「エックス線被爆の影響で発ガンする人も出ている」とし、
その危険性についても触れている。
つまり、効果がなく、むしろ危険性があるのに
エックス線検査を義務づけるのは意味がない。
厚生労働省はそのように判断したのである。
厚労省がガン検診に疑問を持ったのは、実はこれが初めてではない。
同省は1998年4月にも、市町村の検診実施義務をなくしてしまっていた。
それまでは乳・肺・子宮頚部、子宮体部・胃・大腸の五つのがん検診の実施を
老人保健法で市町村に義務づけていたのだったが、
同法の告示を改正してその義務づけを廃止してしまったのである。
(中略)
このように日本でも実はガン検診の有効性が、
かなり以前から疑問視されてきていたのだ。
そして今回、ついに厚生労働省は「胸部X線検診の廃止」を打ち出したわけだが、肺ガンに関してはすでに1998年段階で
「世界的にみた場合、有効性について否定的な成績が多い」としていたのだから、それも当然の判断だったにちがいない。
70投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時24分47秒
ところがこの厚生労働省の姿勢に対して医療業界は猛反発している。
そしてその言い分は、
「有効だとの証拠はないが、有効でないとの立証もない」
というものである。これにはアメリカでの、
「マンモグラフィによる乳がん検診は、
乳がん死亡を減らすことができるかもしれない」
というおかしな言い方と共通したものがある。
要するに、ガン検診がなくなってしまっては、
業界は経営的に困ってしまうのである。
●業界の利益のために人命軽視する?
実際、毎日新聞が報道するところによれば、業界を代表する連合会の梶川専務理事は、
「廃止は健康診断料金の大幅値下げや受診者の急減につながりかねず、
死活問題だ」
と、思わずその本音を吐露してしまっている。
71投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時26分21秒
なにしろ現在の職場検診の受診対象者は5900万人にものぼり、
その費用は推定で年間3000億円から4000億円というから、
確かにこの市場がなくなっては大変と思う気持ちが分からないでもない。
しかし、業界の利益のために不要なガン検診を強要され、
しかもX線で被爆して発ガンするというのではたまらない。
(中略)
これだけ大変な危険を抱えながらなおもX線検査を義務づけるのは、
まさに「国家的犯罪行為」と呼ぶべきだろう。
それに、発ガンにまでは至らずとも、X線は免疫力を低下させるから恐い。
しかも「有効性が認められない」というのだから、
今回の厚生労働省の決断は当然だったというべきであろう。
実際、「検診したために発ガンした」という証拠もすでにあちこちで上がっている。
実は、こうした背景があった上での、今回の厚労省の発表でした。
しかし「朝日新聞」は、1年前の厚労省の方針(X線検査廃止)を伝えていません。
その背景に医療業界のごり押しがあったことなどには全く触れず、
ただ「職場の胸部エックス線検査 義務は40歳から」と報道しただけです。
これでは、「X線の危険性」も「検査のムダ」も全く伝わりません。
ぼくは『ガン呪縛を解く』の中で、次のように書きました。
このように、危険でありながら効果がない。
残念なことながら、それがガン検診の実態なのだ。
だから厚生労働省もついに「X線検診の廃止」を打ち出すこととなった。
72投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時28分44秒
日本は世界最初で唯一の原爆被爆国であり、
それだけに「被爆」に敏感であると思いきや、それが全く逆なのだ。
いとも簡単にX線撮影を受けてしまう日本人は「世界一の医療被爆国」であり、国民一人当たりの医療被爆がイギリスの8倍にものぼるという。
なぜそれほどまでに医療被爆が多いかといえば、集団検診が横行してきたからだ。
その意味で、ようやく厚生労働省が「X線検診の廃止」を打ち出したことは高く評価したい。
ただ、業界から猛烈な反発が出てきているだけに、
結果が果たしてどうなるかは残念ながらまだ分からない。(63P)
しかし、ついに「結果」が出てしまいました。
その「結果」は「40歳以上はなおもX線検査が義務づけ」というものです。
朝日の記事の中では
「一般に健康な若い層ではエックス線被爆のリスクの方が高いとの懸念もある」
と、その危険性に触れておきながら、「40歳以上に義務づけ」をしたのは、
40歳以上なら「もうここまで生きたのだから、危険があってもいいだろう」
ということでしょうか。
それとも40歳以上は、X線に対する耐性を獲得しているとでも言うのでしょうか。
さらに朝日の記事は、こんなことも書いています。
検査の有効性と有害性のどちらが大きいかについては、
専門家の間でもなお意見が分かれているため、
新たに研究班を設けて検証したうえで見直すとした。
73投稿者:医療業界の利益のために人命軽視 投稿日:2006年08月02日(水) 13時29分07秒
これを読んで、もう呆れ果ててしまいました。
去年の厚労省の方針転換は、検査の有効性が確かめられないばかりか、
危険性がはっきりとしたからこそ発表されたものだったのです。
すなわち、
胸の病気の早期発見を名目に毎年1回、職場の健康診断で実施されている
胸のエックス線検査について、厚生労働省は法的義務付け廃止の検討に入った。
検査の有効性を示す証拠がないためだ。
(毎日新聞2006年7月17日付 1面トップ)
そして、これに対する医療業界の言い分が、
「有効だとの証拠はないが、有効でないとの立証もない」
というもので、その言い分に厚労省が屈服してしまったわけです。
ジャーナリズムは、事の経緯を踏まえながら報道すべきでしょう。
しかし朝日はそうしたことを一切無視し、訳の分からない報道を決め込んでいます。
これが悲しいかな、日本のマスメディアのお粗末な実態です。
40歳からなおも義務づけられることになったX線検査の結果、
もし初期の肺ガンが発見されたとしたら、すぐにガン治療が始まることでしょう。
そして、それは本当に素晴らしいハッピーなことなんでしょうか。
現代医学は「早期発見・早期治療」こそ重要であるベストとしていますが、
しかし実際には、それを皮肉るような事例が、多々報告されています。
http://www.creative.co.jp/top/main3065.html
74投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
75投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
76投稿者:Yahoo掲示板から 投稿日:2006年09月24日(日) 09時32分51秒
気持ちの整理がつきません 2006/ 9/14 23:28 [ No.1588 / 1592 ]
投稿者 : taiatu0705
はじめまして、私は先月、子宮頸がんで子宮を全摘したものです。
手術前「準広汎摘出術」と「リンパ節隔清」を受けると言うことで同意書にサインし手術を受けました。その後排尿障害になり、今は尿が一滴も出ません(自己導尿中です)。その後看護師のメモから、私が実際にされたのは「広汎摘出術(以後広汎と呼びます)」であり、同意書にあった手術と違う、ワンランク大きな手術が勝手に行われていました(私や夫には何も話されませんでした)。
そして私は1a-1期なのですが、調べたところによるとこの期では広汎のような大きな手術ではなく、もっと小さな手術が標準になっているということでした。広汎は後遺症も出やすく、排尿障害が多く起こるのだそうです。主治医に訴えたのですが「どっちの手術も大して変わらない」と取り合ってくれません。ですがインターネットの情報では、切除する範囲が大きく違い、後遺症の出方も違うとのことでした。
毎日、なぜこんな体(排尿できない)になってしまったのか、同意書どおりの手術であれば後遺症はなかったのではないか、私は実験台(大きな方の手術をしてみたかった医師の)にされたのではないか、と恨みつらみが募り、苦しい毎日を送っています。訴えるつもりはないのですが、真実を知りたいと思うのです。ですが主治医の口から真実が出るはずもなく、話し合ったとしても医者の言い訳が通ることは間違いがないと思います。
これからのためにもこの辛い気持ちに封をして、前向きに生きていかなくてはと思うのですがどうしてもこの気持ちの整理をつけられず苦しんでいます。どう考えれば前向きに生きていくことができるでしょうか。
77投稿者:Yahoo掲示板から 投稿日:2006年09月24日(日) 16時05分18秒
Re: 気持ちの整理がつきません 2006/ 9/18 22:43 [ No.1590 / 1592 ]
投稿者 : taiatu0705
本当に今頭がおかしくなりそうな状態です。ですが、結局は泣き寝入りになるのだと思います。もう忘れて、前を向いていこうと思うのですが、忘れられず
ふと考え始めるともうだめなのです。
訴訟と言うのも現実的ではないですし、本当は主治医と話が出来れば
よいのですが、(病院の廊下などでたまたま)会うと気分が悪くなり
吐き気がして、とても話をできる状態にありません。
精神科にかかろうとしたのですが、精神科ではこのような場合
「主治医からの病気に対する詳しい紹介書」がないと受け付けられないと
言われ、まだ受診できていません。
医師は3人いるのですが、全員かばい合いという感じなので術後の検診も
行くのをやめました(どうしても気持ち的にあの病院に行けない)。
78投稿者:筑波メディカルセンター 投稿日:2006年10月17日(火) 19時45分01秒
医師3人を書類送検 医療過誤で茨城県警
茨城県警は2日、胃がんで手術を受けた男性患者が麻酔や術後管理の誤りで死亡したとして、業務上過失致死容疑で同県つくば市、元筑波メディカルセンター病院外科医(39)、同市、つくばセントラル病院外科医(42)の医師2人を、業務上過失傷害容疑で同市、元筑波メディカルセンター病院麻酔科医(35)をそれぞれ書類送検した。
調べによると医師らは、2002年12月26日に早期の胃がんで手術を受けた同県土浦市の会社員=(47)=
を麻酔の際のミスで下肢まひにし、術後管理の誤りで死亡させた疑い。
(共同通信) - (2006/03/02(木) 21:30:16)
7月8日、つくば国際会議場での市民健康講座で配布された資料です。
わずか2年の間に3件の重大事故を起こし、そのうち2件は患者が死亡、1件は重い後遺障害、2件は民事で係争中、1件は担当した麻酔医が業務上過失傷害、消化器外科医が業務上過失致死で書類送検、いずれ近い将来に民事訴訟に発展し、ひとつの病院が同時期に3件の医療過誤民事訴訟を抱えることになる。
そのような病院が、事故の反省をするわけもなく、再発防止に取り組んでいる気配もなく、性懲りもなく腹腔鏡手術をアピールし、医療に無知な患者予備軍(モルモット)をおびき寄せようとしている。
どうすれば奴らの暴走を止められるのでしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/beretta_dt10trap
http://blogs.yahoo.co.jp/beretta_dt10trap/15476486.html#17898293
79投稿者:筑波メディカルセンター 投稿日:2006年10月17日(火) 19時47分12秒
筑波メディカルセンター前で医療過誤訴訟を起こしていた69歳男性が焼身自殺
茨城・つくば市の病院前で、医療過誤訴訟を起こしていた男性が焼身自殺した。
5日昼前、つくば市の筑波メディカルセンター病院の前で、つくば市の男性(69)が灯油を体にかけ、焼身自殺を図った。男性は病院に運ばれたが、6日午前2時すぎに死亡した。 男性は、この病院で直腸がんの手術を受けた際、後遺症が残ったとして、損害賠償を求める裁判を起こしていた:
私の父親は、筑波メディカルセンター病院で99年の2月に初期の直腸癌と診断され、内科の杉谷医師により内視鏡手術を受けました。杉谷医師の手術は手際よく進みましたが、切除しきれない癌細胞が残ったために直腸切除術を受けるべく消化器外科にバトンタッチされました。
手術前の患者説明には消化器外科部長の辻医師、主治医の阿竹科長が当り、「腹腔鏡下手術で行います」との決定がなされ、術後の回復が早いとか傷口が小さいので恰好良いとか約2週間で退院できるなどの説明により承諾しました。
その際、腹腔鏡下で困難な場合は開腹手術に切り替えるとの説明もありました。
手術を担当した医師は4名。メディカルからは辻、阿竹、福沢の計3名。筑波大病院消化器外科から幸田医師が参加しました。父親は執刀医から「この病院で腹腔鏡下手術は冨田さんが初めてです」と術後に聞かされたらしく、私達家族もその様な説明はなかったので内心は非常に驚いていました。
80投稿者:筑波メディカルセンター 投稿日:2006年10月17日(火) 19時48分53秒
テレビや出版物によると、今現在においても腹腔鏡下による大腸切除術は試行段階であり、慶応大学病院や、他の専門医療機関でも少数の症例しか実施されていないそうです。 まだ一般的に確立されたとは言い難い手術にもかかわらず、未経験である事を隠し、リスクの説明もないままに、まるで実績を競うかの様に行われた手術でした。辻と阿竹については、腹腔鏡の大腸切除では助手としての経験もまったくない。机上の知識のみ。 後の辻に対する法廷の尋問で、辻は悪びれもなく「できるだろうと思った」と言えてしまうのだ。 その初めてだらけの腹腔鏡補助下大腸切除術が失敗したと自覚した途端、手術前には聞いたこともない幸田という筑波大の医師が参加したことになってしまった。 裁判が始まり、幸田医師の腹腔鏡補助下直腸切除術の経験症例数を確認してみると、内視鏡外科学会で定めているガイドラインを満たすどころか、本件以前の経験がたったの「1例」。これのどこが指導医なのだ?
彼らにとっては患者のための治療をしたいのではなく、一刻も早く腹腔鏡で大腸手術をしてみたいだけなのだ。恐らくこのテクニックで何回も何十回も患者や遺族を誤魔化して通用してきたのだろう。
「どうせ連中(患者・家族)は馬鹿だから適当に嘘をついても分かりっこない」と自信があったのだろう。
父親の入院する1ヶ月前に、筑波メディカルセンターに「地域がんセンター」が新設された。 現在院長の石川は、がんセンターのオープンに合わせて他の医療機関から「副院長兼がんセンター長」として赴任してきた。(後に、石川の前職は「筑波大学付属病院臨床医学系手術部助教授」だったと判明する)
81投稿者:筑波メディカルセンター 投稿日:2006年10月17日(火) 19時49分19秒
新設がんセンターのステータスとして、腹腔鏡による大腸ガンの手術を是非とも看板に掲げたい。
ちょうどその頃、消化器内科では父親が大腸ポリープの切除をすることになっていた。 比較的若く体力のある大腸疾患のモルモットが欲しかった消化器外科は、内科杉谷に父親の提供を強く要請し病理の組織検査をadenomaに書き替えさせ、父親を外科へのベルトコンベアに乗せた。
手術室で待ち受ける外科医は合計5名、辻勝久、阿竹茂、井坂直秀、福沢淳也、そして石川詔雄がんセンター長。
麻酔医の元川暁子と清水雄(別件事故で業務上過失致傷容疑で書類送検)、腹腔鏡レンタルと取り扱い説明のためのメーカー社員が2名(幸田法廷供述で発覚)。
メディカルセンターには大腸切除に必要な機材がなく、当日メーカーから貸し出しがされていたのだという。
そもそも父親にはガンなど存在しないのだから、術前のマーキングも行われないで手術が開始された。 どれだけデタラメな手術が行われたのかは、弊サイト「新事実発覚」と「被告幸田圭史反対尋問」をご参照下さい。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/
82投稿者:日本人の大学病院とはこういう所 投稿日:2006年10月17日(火) 19時53分17秒
大学病院のインフォームドコンセント /和田秀樹
東京慈恵会医科大学青戸病院で経験が未熟な医師たちが高度先進医療のやり方で手術を行おうとして60歳の男性を殺してしまったとして、業務上過失致死の疑いで逮捕された。
この件について、私は医師たちに同情するつもりはないが、むしろ患者の側が考えを変えるべきチャンスなのに、「異常な」医師による犯行という捉え方ばかりされることに多少の違和感を感じる。
前々から問題にしているように日本人の大学病院信仰は異常なものがある。
まさに信仰のレベルを超えて狂信である。
現実には、臨床の腕より研究業績で教授が決められるし、医局というのは技術のトレーニングの場というより、研究のための集まりで、指導医も指導をするより研究室にこもっているのが実態だ。いくら医者の数が多くて、いくら先進の技術が備わっていても、そんな医者にいい腕を期待するほうが甘い。
経験不足も問題にされているが、経験がない医者のトレーニングの場が
大学病院でもある。もちろん、それについての指導医がいるという点で
信用されるのかもしれないが、基本的には新しい手技や、初めての手術というのは、多くの医者は大学病院で経験する。
ついでにいうと、どの大学にも一通り医局がある。要するに耳鼻科や眼科や
産婦人科や脳外科のない医科大学や大学医学部はない。だから、医大の
密集するところや、人口の少ない地域にある医学部の付属病院ではろくに
患者の経験ができない。
たとえば東京のお茶の水から文京区にかけては、日大、東京医科歯科、順天堂、東大、日本医大と半径3キロくらいに5つも大学の付属病院がある。おのおのの科で患者の取り合いをしていれば、特に救急性の高い手術ほど経験をしにくい。 おおむね1県に1医大のシステムなので、やはり人口が100万人に満たない県の医学部は患者が集めにくい。
83投稿者:日本人の大学病院とはこういう所 投稿日:2006年10月17日(火) 19時55分20秒
ブラックジャックによろしくの北医師のモデルになったとされる私の最も尊敬する心臓外科医の南淵明宏氏によると、心臓外科の手術は一人年間100人はやらないと一流の腕にはなれないと言う。ところが、日本ではその手術をやる病院が多すぎて、クォリティが保てないのだと。その上、大学病院の場合は、一つの科に何人も医者がいる。そうでなくても地域の中核病院やある種の専門病院のほうが患者を集めやすいのに、その少ない患者を何人もの医者で交代にやるのでは、腕の上達が期待できないのは当然のことである。
デパートより専門店のほうがレベルが高いものを買いやすいように、大学病院は何でもある代わりに、よほど選ばないと(もちろん、食品売り場なら専門店に負けないデパートがあるように、前述の5大学病院の中でも日本医大の救命救急センターや順天堂大学の心臓外科などすばらしいところもある。逆に5つの中でそこに患者が集中するから、残りの四大学はよけい患者を経験できないことになる)、大学病院は経験不足の医者に当たらないほうが運がいいということになるのだ。
南淵氏に言わせると、その結果心臓外科では腕の差は、F1ドライバーと
サンデードライバーくらいの差になるという。仮に医療設備が最新鋭でも、腕の悪いパイロットにジェット機に乗せてもらうのと、腕のいいパイロットにセスナ機に乗せてもらうのとどちらを選ぶのかという選択になるというのだ。南淵氏は後者を選ぶという。私もそうだ。実際は、もちろんジェット機とセスナ機ほどの差はない。
一つ前の形のジェット機と最新鋭のジェット機くらいの差なのだから、明らかにF1ドライバーにやってもらいたい。
しかし、それに文句を言っても仕方がない。若い医者だって、どこかで修行を受けなければ、医者が育たないし、年寄りだらけになってしまう。もちろん、研究至上主義のためにろくに指導をしないことは許されることではないが、いずれにせよ、大学病院ではろくに経験のない医者の練習台になるという構造は受け入れざるを得ない。
84投稿者:日本人の大学病院とはこういう所 投稿日:2006年10月17日(火) 19時59分23秒
同じように最先端の医療を試しに行う場も大学病院であるし、新薬開発のための臨床実験の場も大学病院である。 要するに大学病院というのは、医者にとっては練習の場であり、実験の場なのである。しかし、それがないと医者もトレーニングができないし、医学の進歩のための実験ができない。
だから、何かを引き換えに提供しないといけない。現にアメリカでは大学病院では、治験の対象になるとか、レジデントのトレーニング台になるとかいう条件で、医療費を大幅に安くしてもらえたり、逆に礼をもらえたりする。UCLAのメディカルセンターなどは比較的金持ちの住むところにあるが、以前、マイアミ大学の病院に行ったときは、かなりスラムに近いところの真ん中にあった。少なくとも本来豊かな人が住むはずのマイアミでは貧しい人が住む地域なのだろう。そして、多くの大学病院がそういう場所にあるという。
日本でも、最先端の医療を受けられるとか、多くの医療スタッフがいるとか、腕のほどの保証はないが、運がよければ大学教授に診察してもらえるとか、その代わり、ここでは練習台ですよ、実験台ですよということをみんなが知れば大学病院か市中病院かは選択の範囲になるだろう。腕の悪い医者しかいない地域(昔医大のなかった県などでは、金儲けに走る流れ者の医者が多い地域もある)では、大学病院のほうがましということも十分あるのだから。
問題は、こんな当たり前の情報が患者に知らされず、共有されず、また今回の報道でも、本来高度な医療をやるはずの大学病院であってはならないことのような報じ方をされていることだ。
そうではなくて、大学病院とは本来こういうことを起こることを覚悟すべき場なのだと言うことを誰かが伝えなければインフォームドコンセントとは言えないだろう。
なぜ、大学が正直に練習の場だとか、実験の場だとか、しかしそういう場がないと医学の進歩も医師の養成もありえないのだとかいうことを正直に言えないのか?
85投稿者:日本人の大学病院とはこういう所 投稿日:2006年10月17日(火) 19時59分53秒
これは偏に教授たちがいばることが好きな人間がなるからだろう。
彼らが患者さんに、「若い医者のトレーニングのために我々の病院で治療を
受けてくださいまして本当にありがとうございます」とか、「医学の進歩のために、最先端の治療の実験を受けていただいて本当にありがとうございます」と頭の下げられる人間であればいい。しかし、むしろ大学教授は患者にとって
「診てやっている」という態度をとる人が多いし、そのおかげで礼をもらって
いるのか、大学から出る1000万やそこらの年収ではとてもできないような生活をしている。
彼らが本当のことを言えば、患者に威張ることもできなくなるし、お礼も
もらえなくなる。逆に礼を払わないといけない立場なのだから。だから、口が裂けても本当のことは言わない。でも、医者のトレーニングという任務を負い、医学の進歩のための研究の責任者であるのだから、そのために頭が下げられないようでは失格と言わざるを得ない。
http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/131.html
86投稿者:「がん病棟の真実」 投稿日:2006年10月25日(水) 15時12分41秒
がんの治療現場で何がおこなわれているか
医療法人慈繁会土屋病院外科部長 土屋 繁裕
癌外科医のなかには、まるで辻斬りのように、出会った患者さんを切り捨てていく医者がいます。これがすべて有効な手術なら問題はないのですが、明らかに無駄な手術が含まれています。治る見込みのない患者さんまで切られ、患者さんは肉体的、精神的損害をこうむるだけでなんの得もない。そんな手術が少なくありません。
現場の医師として長年、この事実に接し続けているうちに、現在の手術絶対主義の癌外科医のあり方はおかしいのではないか、と強く感じ始めました。数年前から手術だけを奨励するのではなく、場合によっては手術をしない方針でいく方が、かえって患者さんのメリットは大きくなるのではないかという思いが募ってきたのです。
手術をしなくてもよい患者さんまで切る。この背景には、癌の外科医たちの患者さん不在の治療があります。ただ興味本位で患者さんのお腹を開いてみたり、患者さんの術後の生活や苦しみなどまったく顧みず、まるでベルトコンベアで流れてきた商品でも扱うように切る外科医がいたり、患者さんをモルモットがわりにする・・・・・・医者という前に人間として許せない医者がいることに怒りを禁じ得ませんでした。
87投稿者:「がん病棟の真実」 投稿日:2006年10月25日(水) 15時14分29秒
第 1 章 心のケアを無視した手術後の定期通院
癌の再発の検査はまったく無意味
「転移」と「再発」は実は同じ現象
どんな名医にかかっても再発する人は再発する
再発の検査はロシアンルーレットをやっているようなもの
再発癌は症状が出てからの治療でも余命はほとんど変わらない
再発癌の検査は医療費の無駄遣い
何も考えちゃいないマニュアル医師
責任の一端は患者さんにもある
手術が終わったら、ただの「けが人」
再発を恐れる「心の傷」はずっと残り続ける
患者さんの「心のケア」なしの癌治療はあり得ない
真夜中に遠くをじっと見つめていた再発癌の患者さん
ご家族の協力なくしては十分な心のケアはできない
第 2 章 インフォームド・コンセントにひそむ嘘
医者はいかようにも患者さんをだませる
手術をしたい医者の殺し文句は「手術でしか治らない」
手術を万能のようにいう医者の魂胆
理想のインフォームド・コンセントとは
セカンド・オピニオンは患者さんのドクター・ショッピング
医療ではなぜ賢い買い物ができないのか
どんな病院にもいる危ない医者
学校教育に癌教育を導入すべき時代
88投稿者:「がん病棟の真実」 投稿日:2006年10月25日(水) 15時16分24秒
第 6 章 最期まで充実した人生を送るために
許しがたい失格外科医がいる
肝転移の切除を行う外科医は危険な存在!?
手術適応をどこまで拡大解釈する気だ
取られた臓器は一生戻らない
「生きているのがこんなにつらいとは…」
癌との共存の道がベストチョイスになるケースもある
私なら食道癌になってもすぐに手術は受けない
代替療法は末期癌の患者さんには救いになる
代替療法は効果を試したものを勧めるべき
第 7 章 外科医の良心とは何か
手術にともなう命の危険率は約数%
外科医が背負うべき心の十字架
「患者が死んだのはイキが悪かったから」
医者はご遺族から逃げてはいけない
患者さんを実験モルモットのように考えている医者の「犯罪」
「デブの女は診ない」とうそぶく医者
「もっと手術をやるか」で患者さんを死なせるとは
ブランド病院・大病院に危険な医者が生まれる理由
癌の手術成績と医者の腕はほとんど関係ない
患者さんが話しにくいのは医者に問題がある
自分に都合のいい医者は、治療には都合の悪い医者である
切られる側の気持ちをわかっていない!
患者さんを家族と思って治療をすべき
http://www4.airnet.ne.jp/abe/books/00/toc_tutiya.html
89投稿者:そして被害者は 投稿日:2006年10月25日(水) 17時26分31秒
気持ちの整理がつきません 2006/ 9/14 23:28 [ No.1588 / 1592 ]
投稿者 : taiatu0705
はじめまして、私は先月、子宮頸がんで子宮を全摘したものです。
手術前「準広汎摘出術」と「リンパ節隔清」を受けると言うことで同意書にサインし手術を受けました。その後排尿障害になり、今は尿が一滴も出ません(自己導尿中です)。その後看護師のメモから、私が実際にされたのは「広汎摘出術(以後広汎と呼びます)」であり、同意書にあった手術と違う、ワンランク大きな手術が勝手に行われていました(私や夫には何も話されませんでした)。
そして私は1a-1期なのですが、調べたところによるとこの期では広汎のような大きな手術ではなく、もっと小さな手術が標準になっているということでした。広汎は後遺症も出やすく、排尿障害が多く起こるのだそうです。主治医に訴えたのですが「どっちの手術も大して変わらない」と取り合ってくれません。ですがインターネットの情報では、切除する範囲が大きく違い、後遺症の出方も違うとのことでした。
毎日、なぜこんな体(排尿できない)になってしまったのか、同意書どおりの手術であれば後遺症はなかったのではないか、私は実験台(大きな方の手術をしてみたかった医師の)にされたのではないか、と恨みつらみが募り、苦しい毎日を送っています。訴えるつもりはないのですが、真実を知りたいと思うのです。ですが主治医の口から真実が出るはずもなく、話し合ったとしても医者の言い訳が通ることは間違いがないと思います。
これからのためにもこの辛い気持ちに封をして、前向きに生きていかなくてはと思うのですがどうしてもこの気持ちの整理をつけられず苦しんでいます。どう考えれば前向きに生きていくことができるでしょうか。
90投稿者:そして被害者は 投稿日:2006年10月25日(水) 17時27分05秒
Re: 気持ちの整理がつきません 2006/ 9/18 22:43 [ No.1590 / 1592 ]
投稿者 : taiatu0705
本当に今頭がおかしくなりそうな状態です。ですが、結局は泣き寝入りになるのだと思います。もう忘れて、前を向いていこうと思うのですが、忘れられず
ふと考え始めるともうだめなのです。
訴訟と言うのも現実的ではないですし、本当は主治医と話が出来れば
よいのですが、(病院の廊下などでたまたま)会うと気分が悪くなり
吐き気がして、とても話をできる状態にありません。
精神科にかかろうとしたのですが、精神科ではこのような場合
「主治医からの病気に対する詳しい紹介書」がないと受け付けられないと
言われ、まだ受診できていません。
医師は3人いるのですが、全員かばい合いという感じなので術後の検診も
行くのをやめました(どうしても気持ち的にあの病院に行けない)。
91投稿者:抗癌剤で記憶障害に 投稿日:2006年12月02日(土) 06時22分18秒
(10/12)癌(がん)克服後も患者を悩ませる「ケモブレイン」
癌(がん)で化学療法を受けた元患者が、「ケモブレイン(chemo brain)」と呼ばれる慢性的な記憶力および注意力の障害に悩まされることがある。ケモブレインには、脳の代謝および血流の変化が関わっているという知見が、医学誌「BreastCancer Research and Treatment」オンライン版10月5日号に掲載された。ケモブレインは患者の思い過ごしによるもの、という見方を否定する結果である。
米国女性の死亡原因として、乳癌は肺癌に次いで多く、年間21万1,000人以上が乳癌と診断されており、化学療法を受けた患者の25〜80%が後に記憶障害を訴えている。
今回、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)David Geffen医学部のDanielH.S. Silverman博士らは、PET(ポジトロンCT)を用いて、5〜10年前に腫瘍摘出術を受けた元乳癌患者21人の脳を検査した。このうち16人は化学療法を受けており、5例は外科手術のみであった。ほかに乳癌罹患歴も化学療法を受けた経験もなく、年齢やその他の条件の類似する女性13人についても検査を実施。被験者が約10分間の「短期記憶課題」に取り組む間、脳の血流を観察し、課題終了後に脳代謝も調べた。ケモブレインとの関係について直接脳を調べた研究は、今回が初めてとのこと。
この結果、化学療法群では、課題に取り組んでいるときに脳の特定部位で比較的大きな血流の「急増」がみられ、ほかの2群に比べ課題の達成率が13%低かった。さらに、化学療法群は課題終了後の前頭葉での脳代謝率が低く、化学療法とホルモン療法を共に受けた患者は、大脳基底核と呼ばれる部位での安静時代謝が約8%低いこともわかった。脳血流の急増は脳活性の高まりを示すものであり、課題を達成する上での負担が大きいことを意味するという。
92投稿者:抗癌剤で記憶障害に 投稿日:2006年12月02日(土) 06時22分47秒
ケモブレインは患者の生活の質(QOL)を長期にわたり大きく低下させるものであり、今回の知見は喜ばしいニュースとはいえないが、予防という観点からみれば、極めて心強いものだとSilverman氏は述べている。一方、別の専門家は、認知障害は多因子性のもので、年齢や閉経の影響と切り離すことが難しい点も指摘。また、症状が現れる患者は比較的少数であり、時間とともに改善することが多いのも事実だという。
http://health.nikkei.co.jp/hsn/news.cfm?i=20061019hj000hj
93投稿者:筑波メディカルセンターって... 投稿日:2007年02月01日(木) 22時54分31秒
>>79
さっき報道ステーションで特集をやってたな。
病院名はでてこなかったけど「病院 焼身自殺」
でぐぐるとココの病院の名前がゴロゴロヒット
してきたよ。
94投稿者:aina 投稿日:2007年02月09日(金) 15時34分34秒
面白いよ(・_・)
http://www.jjjp.jp/top/top3.htm
95投稿者:えいみ 投稿日:2007年02月09日(金) 15時35分46秒
そうそう、こないだこれ
おもしろかったよ
http://www.jjjp.jp/a02/a.top.htm
96投稿者:#ゆい# 投稿日:2007年02月09日(金) 15時36分36秒
そうだよねぇ。あっこれ、すごいよ
(。-_-。)ポッ
http://www.jjjp.jp/sennmonn/sennmonn.htm
97投稿者:抗癌剤で転移が消えるというのは間違い 投稿日:2007年02月25日(日) 22時00分46秒
がんで最も嫌なのは転移です。乳がんの場合も、乳房は手術や放射線で治療できますが、その後の転移が気になります。 転移とは、全身に散ったがん細胞が他の臓器で増殖することです。その予防、抑制のために薬物療法が進歩しています。
最近は、早めの薬物療法を勧める専門家も増えていますが、それに関連して米国ハーバード大学の臨床試験を紹介します。
抗がん剤治療を要する1〜2期の乳がんに、乳房温存手術をした後、半数は「放射線が先」、残る半数は「抗がん剤が先」で治療しました。順番は逆でも、全体では全員が同じ放射線と抗がん剤の治療を受けました。治療は1990年前後に行われ、それから経過観察されています。
最初の報告は約5年後の96年で、「先に抗がん剤を使った方が、明らかに全身の転移が少なく、生存率も若干良好なようだ」という結果でした。
手術直後の抗がん剤と比べ、放射線の後に抗がん剤をまわすと2〜3か月は遅れます。そして、一般に転移の半数は、手術後2年以内に出現します。
だから「2〜3か月の遅れも無視できない。放射線を先行している間に、全身の微小な転移が成長し、抗がん剤で制御できない大きさに育った」と判断され、「抗がん剤先行では、微小なうちに転移をたたき、がん細胞を消滅させたから、転移発生が減った」と推測されました。
「抗がん剤は、大きな転移は制御できないが、微小な転移は消滅させられる」という一部専門家の通念にも一致します。
98投稿者:抗癌剤で転移が消えるというのは間違い 投稿日:2007年02月25日(日) 22時01分51秒
ところが、一昨年、この研究の11年を超える観察の結果が報告され、そこでは、以前認められた「抗がん剤先行」のメリットが消えていたのです。
放射線先行群は、5年目以降あまり転移が増えず、以前の結果と大差なかったのですが、抗がん剤先行群では5年目以降に転移が少しずつ増えて、10年たつと両グループの転移頻度に差がなくなっていたのです。もちろん生存率も同じです。
「放射線先行」で5年以内の転移が多かったのは、「抗がん剤投与の遅れで、全身の微小な転移が育った」と考えられます。また、「抗がん剤先行」で5年以降に転移が増えたのは、「抗がん剤で微小な転移が消滅したのではなく、増殖が遅れて表れたから」と解釈できます。
この研究以外にも、「早めの抗がん剤で転移抑制」を期待して企画された大規模な臨床試験がありますが、やはり早めにしても転移は減りませんでした。
「抗がん剤は、顕微鏡レベルの微小な転移なら消滅させられる」。この通念に駆り立てられて、薬物療法の決断をしている方も多いでしょうが…
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/karadaessay/20070223ik0b.htm
99投稿者:糞病院バスター 投稿日:2007年03月02日(金) 11時17分45秒
>>93
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/
出てきた出てきた。
今時こんな糞病院があったということに驚き!
100投稿者:「抗がん剤で延命」は患者の一部 投稿日:2007年03月18日(日) 18時49分22秒
乳がんと診断されたら、手術する前に抗がん剤を投与する方法があります。手術後の投与に比べて、薬を使うのが数週間から数か月早い分だけ、身体に潜む微小な転移の消滅に有効だろう、と期待されました。
米国の臨床試験で、よく使われる2剤を手術前に投与したところ、大半の患者で、乳がんが縮小しました。
触診でも顕微鏡検査でも、がんが消失していた「超著効」が13%。触診ではがん消失と判断されたが、顕微鏡で調べたら残存していた「著効」が23%。がんのサイズが明らかに縮小した「縮小」が43%。サイズ不変ないし増大の「無反応」が20%。それから手術をして、10年近く経過をみています。
「縮小=延命」と考えられがちなのですが、意外な結果になりました。生存率を見ると「超著効」の13%の患者だけが抜きんでて良く、それ以外の「著効」や「縮小」は、「無反応」と大差ないようなのです。
「無反応」で延命効果があるとは考えにくい。となると、結果に差がない「縮小」も「著効」も延命しないと考えられます。
この後に行われた試験では、生存率の高かった「超著効」を増やすべく、手術前の抗がん剤を2剤から3剤に増やしました。すると「超著効」が13%から26%に倍増しました。狙い通り「超著効」が増えたにもかかわらず、生存率は向上せず、2剤、3剤ともほぼ同様でした。
101投稿者:「抗がん剤で延命」は患者の一部 投稿日:2007年03月18日(日) 18時50分17秒
理解しにくい結果ですから、私の解釈をお示しします。
「乳がんには、もともと驚くほど抗がん剤が効くタイプが13%くらいある。そのタイプなら、通常の抗がん剤で十分に延命効果がある。さらに抗がん剤の数や量を増やすと、一時的に『超著効』は増えるが、それは『見かけ上の反応』にすぎない。結局、明らかな延命効果があるのは、もともと驚くほど抗がん剤が効くタイプだった患者さんに限られているようだ」
本質は、以前紹介した大量の抗がん剤投与が無効だった話と同じです。驚くほど抗がん剤が効くタイプなら普通の抗がん剤で十分ですが、そこまで効かない乳がんには超大量投与でも及ばないのでしょう。免疫力が低下すると、むしろ逆効果です。
30年ほど前から「リンパ節転移のある乳がんの生存率が、抗がん剤で向上した」という報告がたくさんあります。それらの生存率が一様に、10〜15%上がっていることも、今回の推測を支持していると思います。
乳がんの抗がん剤はよく研究されています。それでもまだ、「万人に広く」ではなく、「一部の人」の延命に貢献しているのが現状と思われます。
だから、治療のガイドラインに万人を当てはめたくありません。個々人にとって最善の治療は、副作用などに無理のない方法の範囲にしかないはずです。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/karadaessay/20070309ik06.htm
102投稿者:CT検査で肺癌(がん)の死亡率は低下しない 投稿日:2007年03月18日(日) 18時51分52秒
CT検査により、肺癌(がん)の診断率と治療率は増大するが、進行性腫瘍の患者数や、それによる死亡数には減少がみられないとする研究が、米国医師会誌「JAMA」3月7日号に掲載された。この知見は、ヘリカル(らせん)CTによるスクリーニングで肺癌による死亡の80%を予防できると示した国際早期肺癌アクションプロジェクト(I-ELCAP)の研究結果に反するものである。
CT検査の有効性はすでに十分に裏付けられているとの主張もある中、今回の研究を実施した米メモリアル・スローン・ケタリング癌センター(ニューヨーク)のColin B. Begg氏は、現在実施されている米国立癌研究所(NCI)による大規模無作為化試験が2009年に終了するまでは、CTを広く使用するべきではないとの考えを示している。米国肺協会(ALA)のNorman Edelman博士も、CT検査の効果に関するさらに深い研究が必要だと認めている。
米国では、肺癌は依然として癌による死亡原因の第1位で、進行した段階で発見されることが多いため、治療にも限界がある。1期の肺癌の5年生存率は約70%だが、4期ではわずか5%。肺癌が1期で診断されることは残念ながらまれである。
103投稿者:CT検査で肺癌(がん)の死亡率は低下しない 投稿日:2007年03月18日(日) 18時52分19秒
今回の研究でBegg氏らは、1998年以降、毎年CTによる肺癌検診を受けている健康な喫煙者および元喫煙者計3,246人を対象とした過去の3研究について再検討した。CT検査を受けた人は、肺癌と診断される確率が3倍で、肺癌の外科手術を受ける確率は10倍であっが、進行癌となり死亡するリスクの減少は認められなかったという。
この結果は、過去の研究結果に矛盾すると指摘されている。しかしBegg氏によると、今回の研究と過去の研究では、結果は完全に一致しているという。解釈の仕方が異なるためで、例えば、過去の研究では肺癌と診断された後の患者の生存期間に注目しているが、今回の研究では実際の死亡数を比較しており、検診を受けた患者全体の死亡率を、同年齢で同じ喫煙歴をもつ人の予想死亡率と比較した結果、全く差が認められなかったという。Begg氏は、外科手術自体にリスクがあることを指摘し、今回の結果は初期癌に対する手術の妥当性についても疑問を投げかけるものだと述べている。
http://health.nikkei.co.jp/hsn/news.cfm?i=20070316hj001hj
104投稿者:瑠卯香 投稿日:2007年03月30日(金) 21時47分30秒
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http://deai000.ero2.biz/da/da0063/
105投稿者:癌患者の声 投稿日:2007年04月01日(日) 19時44分02秒
癌になればわかります 2007/ 3/31 22:10 [ No.33 / 39 ]
投稿者 : butyayo110
愛知県がんセンターに入院した時に 当然全てのがん患者がいます
話やどんな治療をしたか話します
抗がん剤、放射線治療、切除、の後の再発です
癌にならないと判らないと思います
所詮他人事です がん患者は命がかかるんですよ
しかも、自分の体で体験します
肺癌の初期は痛くもかゆ有りません 気付かないのも当然です
そして、自分の体で実験するしかないのです死を覚悟でですよ
本音を言えば癌にも成っていない奴が偉そうな事を言うなですよ
癌の苦しみを知らない奴に何がわかる
ろくに調べもしないでふざけるなと思います
暴言をお許し下さい
でも、それが、がん患者の本音だと思います。
106投稿者:癌患者の声 投稿日:2007年04月21日(土) 13時23分39秒
婦人科系癌後遺症 2007/ 4/18 22:48 [ No.2 / 7 ]
投稿者 : yanyan2410
子宮ガンの手術してから10年経ちました。しかし未だに放射線の障害に悩まされています。術後4年目に膀胱膣瘻で3度の手術、その2年後に膀胱破裂、
そしてそのまた2年後の今春に再び膀胱破裂を起こしました。
その間にイレウスでも救急車のお世話になりました。
今回2度目の膀胱破裂で摘出を覚悟しましたが、なんとか持ちこたえてくれたようでヤレヤレです。しかし、次はいつまた破裂するかわかりません。
107投稿者:癌患者の声 投稿日:2007年04月21日(土) 18時37分11秒
Re: 婦人科系癌後遺症について 2007/ 4/21 10:18 [ No.5 / 7 ]
私は7年前に子宮癌で手術、放射線治療をしました。退院後すぐから尿管狭窄による腎盂炎で緊急入院を繰り返し、腸閉塞も何回もやってます。
左右の尿管にカテーテルを入れていたのですが、右尿管の狭窄がひどくなってカテが入らなくなり2年前に右腎臓、尿管共に摘出しました。
今年になってから左尿管の狭窄もひどくなり、水腎症で体調最悪です。
カテの流れが悪くなり緊急で交換ばかりで、予約日に交換したことがありません。
夜間救急で早く交換してもらいたいのに、やんやんさんじゃないけど検査を先にやるんですよね。泌尿器の医師を早くよんでくれればいいのにと、毎回思います。
ガンの再発はないけど後遺症も大変です。
旅行にも行けなくなるなんて思いもしませんでした。
108投稿者:同意得ずに抗がん剤の臨床試験 投稿日:2007年07月29日(日) 12時03分36秒
<患者同意書>48人から得ずに抗がん剤の臨床試験 神戸
7月27日12時49分配信 毎日新聞
神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)の外科医長ら医師2人が、乳がん患者48人に対し、同意書を得ずに、通常とは異なる方法で抗がん剤を使う臨床試験を行っていたことが分かった。重い副作用などの事故はないというが、厚生労働省の倫理規定に反しており、市は医師を処分する方針。
市によると、外科医長と元医長(既に退職)の2人は04年2月、乳がん患者の手術前に4種類の抗がん剤を投与する「術前化学療法」で、標準的方法とは順番を変えて投与し効果を見る臨床試験を開始。05年10月までの間に医長は30人、元医長は19人に実施した。
厚労省の指針で、臨床試験に際しては患者に危険性などを説明し、文書で同意を得る必要がある。2人は病院の管理部長会に提出した実施計画書でも、患者から文書で同意を得ると説明していたが、元医長が患者1人から同意書を得ていただけだった。
今年6月に市が関係書類の情報公開請求を受け、同意書がないことが発覚。内部調査に対し、医長は「患者に口頭で説明したが、文書での説明は時間がかかるので省略した。同意書を取るべきだった」と不備を認めているという。同病院は今後、他の医師の臨床試験でも同様の事例がないか調べる。
菊池晴彦院長は「指導監督の不行き届きで手続きが不適切であったことについて心からおわびします。再発防止を徹底して信頼回復に努力したい」とのコメントを出した。【内田幸一】最終更新:7月27日12時49分
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/277.html
109投稿者:PET検診は無意味だ 投稿日:2007年10月01日(月) 00時26分19秒
PETは楽に全身の癌を見つけられる、それも一度にってんで、今、流行しているらしい。
検診を商売にしている病院なんかではさっそく取り入れて癌検診に使い、それ目当てに受診する人も多くなっているとのことです。中には「PET検診と温泉ツアーなどをセットにした旅行企画も売り出されている」とか。
しかし、このPET検診は無意味だという研究報告が出たそうです。
PET検診、がんの85%見落とし…がんセンター調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060303-00000005-yom-soci
国立がんセンターで「設置された「がん予防・検診研究センター」では、2004年2月から1年間に、約3000人が超音波、CT、血液などの検査に加えPET検査を受け、150人にがんが見つかった」のですが、問題はこの150人のうち超音波、CT、内視鏡などPET以外の検査で見つかりPETでは見つからなかったものが85%もあったのだそうです。
つまりPETだけでは85%もの癌患者を見逃すということになります。
これほどの確率で見逃していては、その検診は無意味どころか有害でさえあります。もちろんスクリーニングには絶対に使ってはいけない。
ニュースのデータをちょっと引用。
>がんの種類別では、大腸がんが見つかった32人のうち、PETでもがんと判定された人は4人(13%)。胃がんでは22人中1人(4%)だった。
>PETによる発見率が比較的高いとされる肺がんでも28人中6人(21%)、甲状腺がんで11人中4人(36%)にとどまった。
http://blog.hashimoto-clinic.jp/200603/article_2.html
110投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時30分45秒
第一幼稚園(〒485-0029小牧市中央六丁目101番地) http://www.komaki-aic.ed.jp/youchien/
Red Robin Kindergarten(Australia) http://www.redrobin.com.au/
南立誠幼稚園(〒514-0003津市桜橋2丁目39) http://www.res-edu.ed.jp/y-minamirissei/
Gray Elementary School(Canada) http://www.geocities.com/Athens/Styx/1630/
小ヶ倉幼稚園(〒850-0961長崎市小ヶ倉町1丁目570番地の1) ttp://park.zero.ad.jp/~zbf27618/
小中台幼稚園のホームページ(〒263-0043千葉市稲毛区小仲台8-20-1) http://www.ans.co.jp/k/konakadai/
Mary Kindergarten(Thai) http://www.marykind.th.edu/
mmmmm minkee(Australia) http://forums.nappiesaustralia.com.au/viewtopic.php?id=3185
十三愛光会愛光保育園(〒532-0023大阪市淀川区十三東1丁目13-29) http://www3.ocn.ne.jp/~aikou-n/
中台幼稚園(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/
中台幼稚園・保育内容(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/main_4_0.html
中台幼稚園・一日の活動内容(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/main_4_5.html
中台幼稚園・募集要項(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) http://www.kidslink.jp/nakadai/main_12_0.html
少林寺小学校(堺市堺区少林寺町東4丁1−1) http://www.sakai.ed.jp/shorinji-e/
穴切校舎(〒400-0034甲府市宝2丁目8-19) http://www.anagiri-e.kofu-ymn.ed.jp/
九条幼稚園(〒550-0027大阪市西区九条2-19-18) http://www.ocec.ne.jp/yochien/kindergarden/kujo/index.html
西幼稚園(〒589−0021大阪狭山市今熊1丁目50番地) http://nishi-es.osakasayama.ed.jp/kindergarten/nishiyoutien.htm
四番町保育園(郵便番号102−0081 千代田区四番町11番地) http://hothot.city.chiyoda.tokyo.jp/yonbantyou-hoikuen.htm
黒東っ子の合言葉(〒939-0634下新川郡入善町小摺戸402) http://www.tym.ed.jp/sc6/gaiyou/aikotoba2.JPG
111投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時31分47秒
中間グレイ灰色イエロー黄色中間中間中間中間中間中間中間地球 http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/76/0000243776/31/imgdf644215zik0zj.jpeg
Middle gray yellow middle middle middle middle middle the earth http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/76/0000243776/31/imgdf644215zik0zj.jpeg
112投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時32分16秒
コテタン処理スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/842/1149669217/888
(↓1024byteちょうど)
acugc,gwdlisdl.K.V.Yacabc,.S.Yug.S.Ybe.Sac.Sacgw.S.Yac.S.T.Kab.Yacc,is.Vgwug.K.S.Tacbebe.Yug.Vacgw.K
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113投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時32分39秒
コテタンを処理してしまうスレッド
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/nika/1184901242/9
(↓1024byteちょうど)
ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン
ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン
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ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン
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114投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時34分17秒
コテタン処理スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/842/1149669217/889
(↓1024byteちょうど)
Rldlugis.Kisabudisuguggwdlababugud.T.Tudug.K.Sabisab.Kbeabacdl.Yc,.Sc,.Kac.Vgwc,acbeud.Tdldl.Vgw.V.Y
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115投稿者:匿名 投稿日:2007年10月27日(土) 21時34分37秒
第一◆◆◆(〒485-0029小牧市中央六丁目101番地) http://www.komaki-aic.ed.jp/youchien/
Red ***** ************(Australia) http://www.redrobin.com.au/
南◆◆◆◆◆(〒514-0003津市桜橋2丁目39) http://www.res-edu.ed.jp/y-minamirissei/
Gray *****************(Canada) http://www.geocities.com/Athens/Styx/1630/
小◆◆◆◆◆(〒850-0961長崎市小ヶ倉町1丁目570番地の1) ttp://park.zero.ad.jp/~zbf27618/
小◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(〒263-0043千葉市稲毛区小仲台8-20-1) http://www.ans.co.jp/k/konakadai/
M*** ************(Thai) http://www.marykind.th.edu/
mmmmm m*****(Australia) http://forums.nappiesaustralia.com.au/viewtopic.php?id=3185
十三◆◆◆◆◆◆◆◆(〒532-0023大阪市淀川区十三東1丁目13-29) http://www3.ocn.ne.jp/~aikou-n/
中◆◆◆◆(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/
中◆◆◆◆◆◆◆◆◆(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) http://www.kidslink.jp/nakadai/main_4_0.html
中◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/main_4_5.html
中◆◆◆◆◆◆◆◆◆(〒274−0824船橋市前原東4−16−11) ttp://www.kidslink.jp/nakadai/main_12_0.html
少◆◆◆◆◆(堺市堺区少林寺町東4丁1−1) http://www.sakai.ed.jp/shorinji-e/
穴◆◆◆(〒400-0034甲府市宝2丁目8-19) http://www.anagiri-e.kofu-ymn.ed.jp/
九◆◆◆◆(〒550-0027大阪市西区九条2-19-18) http://www.ocec.ne.jp/yochien/kindergarden/kujo/index.html
西◆◆◆(〒589−0021大阪狭山市今熊1丁目50番地) http://nishi-es.osakasayama.ed.jp/kindergarten/nishiyoutien.htm
四◆◆◆◆◆(郵便番号102−0081 千代田区四番町11番地) http://hothot.city.chiyoda.tokyo.jp/yonbantyou-hoikuen.htm
黒◆◆◆◆◆◆◆(〒939-0634下新川郡入善町小摺戸402) http://www.tym.ed.jp/sc6/gaiyou/aikotoba2.JPG
116投稿者:七菜 投稿日:2007年11月11日(日) 06時36分12秒
<a href=http://813ps2vk.ginzamoonlight.com/09/%3Eホーム</a>
117投稿者:夫佐 投稿日:2007年11月11日(日) 06時36分13秒
<a href=http://ys44pbry.ginzamoonlight.com/04/%3Eホーム</a>
118投稿者:佐絵 投稿日:2007年11月11日(日) 06時36分15秒
<a href=http://jbr73yjw.ginzamoonlight.com/11/%3Eホーム</a>
119投稿者:眠々 投稿日:2007年11月11日(日) 06時36分15秒
<a href=http://nbq1gn8l.ginzamoonlight.com/13/%3Eホーム</a>
120投稿者:突然メ-ルを送り失礼しました。 投稿日:2007年11月18日(日) 17時05分27秒
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121投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月02日(日) 20時06分18秒
がんの2%、CTが原因 医療被ばくで米チーム(東京新聞)
2007年11月30日 10時33分
【ワシントン29日共同】放射線を利用するCTスキャンの使用頻度が米国で急増、将来のがん患者のうち約2%をこれらのCT検査による被ばくが引き起こす恐れがあると、米コロンビア大の研究チームが米医学誌に29日発表した。
CT検査の3分の1は医学的に不要との統計もあるとして、不必要な使用を避けるよう警告している。
チームによると、米国の医療現場でCTスキャンの使用回数は1980年の約300万回から2006年には約6200万回へと急増。断層画像を取得するのに何度もエックス線を照射するため、撮影1回当たり15−30ミリシーベルトを被ばく。一連の検査でこれを2、3回繰り返し、計30−90ミリシーベルト被ばくするという。
チームは「CT検査の利益とリスクを比較することが大切だが、不要不急の検査や、放射線の影響を受けやすい子どもへの使用は控えるべきだ」としている。
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/458.html
122投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月05日(水) 23時22分06秒
『LANCET』掲載論文と日本の現状
発表当時、日本の主要紙でも報道されて話題になった英国医学誌LANCETに掲載されたオックスフォード大疫学チームの論文は、日本の原爆被爆者の統計的癌罹患率データを基に組立てられた、国際放射線防護委員会(ICRP)のLNT(Linear Non-Threshold)モデル(1986年に全面的見直しが行われている。)に基いて放射線による発癌リスクの計算を行ったもので、日本を含めた15ヶ国の医療被曝による発癌実数を予測している。それによれば、日本を除く各国の発癌増加数は、0.5%から1.8%で、日本が3.2%と突出して高いという結論になっている。
近年は、さらにCT検査が増加し、この試算を敷衍すれば4.5%(実数11000件)になる。
日本では、この論文に対してベネフィットを強調する反発が噴出したが、利害関係の無い物理学関係者を始め、広域疫学統計としての閾値の無い線形モデルの妥当性は国際的に認められてきており、公益的疫学不在の日本医学会特有の、個体特質のみに視点を偏向させる体質が、今日も野放図な医療被曝を無反省に増大させ続ける一因となっている。
〈日本医学放射線学会でも、(日本は放射線科医の立場が弱く、主治医に頼まれると断りきれないという言い訳と共に)医師が安心のため安易にCT検査を依頼し、本当は適応でない検査が多く行われている事実が指摘されているが、ここでは、異様な程のCT普及率と、それに必然的に伴う減価償却利益については敢えて触れない。〉
この国は、HIV感染者数と共に、癌罹患率が未だに増加し続けている唯一の先進国である事の意味を重大に受け止めなければならない。
123投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月05日(水) 23時22分50秒
『LANCET』掲載論文と日本の現状
発表当時、日本の主要紙でも報道されて話題になった英国医学誌LANCETに掲載されたオックスフォード大疫学チームの論文は、日本の原爆被爆者の統計的癌罹患率データを基に組立てられた、国際放射線防護委員会(ICRP)のLNT(Linear Non-Threshold)モデル(1986年に全面的見直しが行われている。)に基いて放射線による発癌リスクの計算を行ったもので、日本を含めた15ヶ国の医療被曝による発癌実数を予測している。それによれば、日本を除く各国の発癌増加数は、0.5%から1.8%で、日本が3.2%と突出して高いという結論になっている。
近年は、さらにCT検査が増加し、この試算を敷衍すれば4.5%(実数11000件)になる。
日本では、この論文に対してベネフィットを強調する反発が噴出したが、利害関係の無い物理学関係者を始め、広域疫学統計としての閾値の無い線形モデルの妥当性は国際的に認められてきており、公益的疫学不在の日本医学会特有の、個体特質のみに視点を偏向させる体質が、今日も野放図な医療被曝を無反省に増大させ続ける一因となっている。
〈日本医学放射線学会でも、(日本は放射線科医の立場が弱く、主治医に頼まれると断りきれないという言い訳と共に)医師が安心のため安易にCT検査を依頼し、本当は適応でない検査が多く行われている事実が指摘されているが、ここでは、異様な程のCT普及率と、それに必然的に伴う減価償却利益については敢えて触れない。〉
この国は、HIV感染者数と共に、癌罹患率が未だに増加し続けている唯一の先進国である事の意味を重大に受け止めなければならない。
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/462.html
124投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月05日(水) 23時23分22秒
対論 医療被曝におけるリスクとベネフィット
医療での放射線被曝に無自覚なニッポン 久保田誠
被曝のリスク、判断主体は患者である 中島和人
(2007年3月25日発行 『SENKI』 1241号3面から)
http://www.bund.org/opinion/20070325-1.htm
医療による放射線被曝 (検査別の被曝線量、他) 東海大学病院 放射線技術室
http://trhome.med.u-tokai.ac.jp/contents/hibaku_ippan/hibaku_top.htm
医療被曝 富山県立中央病院
http://www.tch.pref.toyama.jp/service/service33/hibaku.htm#gaiyou
他
http://a-natsuko.com/newpage41.html
125投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月05日(水) 23時24分06秒
CT使用頻度増大と放射線被曝の影響
CTの使用頻度が日本は異常に多いというLancet( 2004 Jan 31;363(9406):345-51.)の報告は日本で一時話題になったが、諸外国もやはりCT使用回数増加が顕著となっているらしい。日本で問題が先行していたこととなる。
単純フィルム写真に比べてCTは放射線量がかなり多く、populationレベルではその増加が著しいという事実がある。だが、日常臨床で感じることは CTやMRIなどの画像診断崇拝というのが患者にも医者たちにもあり、「頭が痛いからCTとってくれ、子供が元気がないからCT・・・」
などという事態も生じ、裁判所でも「CTをとっていたら助かってたであろう」という妄想が一人歩きする事態をまねている。かくして、医者もCTをとらなかったら訴えられ敗訴し・・・という恐怖感とともに・・・CT使用が増大していく・・・
前置きが長かったが、放射線被曝の有害性に関しては数字で説明することが必要であったので以下のNEJMの報告は有益であろう・・・興味ある方は、原文を手に入れてみてくだされ
Computed Tomography ― An Increasing Source of Radiation Exposure
NEJM Vol. 357:2277-2284 Nov. 29, 2007 No. 22
http://content.nejm.org/cgi/content/full/357/22/2277
レントゲン検査からの典型的な臓器放射線量
歯科レントゲン 脳:0.005 (mGy or mSv)
胸部レントゲン(PA) 肺:0.01
胸部レントゲン(側面) 肺 0.15
マンモグラフィー(検診) 胸部 3
成人腹部CT 胃 10
注腸 腸 15
乳幼児腹部CT 20
http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/29/42/a0007242_1416159.jpg
126投稿者:がんの2%、CTが原因 投稿日:2007年12月05日(水) 23時24分45秒
子供は若年ほど癌になる時間を有するため(固形癌のlatency period)、細胞分裂の比率が高く放射線感受性が元来高いので、年齢が増加するとともに癌リスクが減少する。
National Academy of Science(2005)からリスク推定したもの
ref. Health risks from exposure to low levels of ionizing radiation ― BEIR VII. Washington, DC: National Academies Press, 2005.
CTスキャンと癌リスクに関連する大規模奈疫学研究は存在しないが、一つの研究( Nature. 2004 Sep 23;431(7007):391 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?cmd=retrieve&db=pubmed&list_uids=15385978&dopt=AbstractPlus )が始まったばかりである。数年結果が出ないが、CTスキャンの放射線による癌リスク推定は可能(AJR 2001; 176:289-296 http://www.ajronline.org/cgi/content/abstract/176/2/289?ijkey=98b174de5b06e076293cbddf8652dbd8eb0a3429&keytype2=tf_ipsecsha )である。それは臓器への用量と核爆弾生存者の研究からの癌発生データ、死亡率データから推測するものである。
単回の一般的なCT(頭部・腹部)推定リスク
http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/29/42/a0007242_14325163.jpg
上図の個別リスク推定は小さいが、CTのリスクはその使用回数の急激な増加により公衆衛生的問題となり得るだろう。
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/461.html
127投稿者:術前検査で悪性術後検査で良性簡単に誤診 投稿日:2008年01月02日(水) 22時55分48秒
診断とは確率です。確率ですから高い確率のことも低いこともある。でも100%の確率は現実世界には存在しません。
高い確率で癌だと診断しても、結果的に良性腫瘍であるケースは、低い確率ですが、必ず生じます。
それを簡単に『誤診』と言って良いものかどうか。
---医療報道を斬る から転載---------------------------------
http://plaza.rakuten.co.jp/tinyant/diary/200801010001/
2008.01.01
簡単に賠償と言わないで
どんな症例でも、いつでも正しい診断が出来なければならないのだろうか。医学には限界があり、その限界故に誤診した場合にも、責任は医療者側にあるのだろうか。誤診によって発生した被害は、誰が保障すべきなのだろう。医療者側だというのであれば、そのリスクを含んだ医療費が必要になるだろう。もちろん今のままでは破綻する。高額の医療費が必要だ。診断が結果的に誤りだったからと言って、簡単に賠償を申し出るようであれば、その場は丸く収まるだろうが、医療の将来に暗い影を落とすことになるだろう。
がんと誤診 乳房切除 ミス認め賠償検討 社会保険田川病院
福岡県田川市の社会保険田川病院(吉村恭幸院長、348床)が7月、同市内の30代女性の左胸にできた良性腫瘍(しゆよう)を乳がんと誤診し、手術で乳房の一部を切除していたことが30日、分かった。手術後に摘出した腫瘍を病理検査して、初めて良性と判明したという。同病院は「良性なのにデータ上はがんであることを示す、極めて珍しい症例で、事前の診断は順当だった」としつつも、結果的に誤診を認め、女性側に賠償金を支払う意向を示している。
128投稿者:術前検査で悪性術後検査で良性_簡単に誤診 投稿日:2008年01月02日(水) 22時59分23秒
前立腺の TUR 標本。ある病理医が腺癌という診断を下した。それに応じた泌尿器科医は、前立腺全摘術ならびに除睾術を施行した。しかし、手術切除材料には、ごく一部にいわゆるラテント癌を認めたのみだった。最初の病理標本にも確かに腺癌が確認されたのだが、それは TUR で採取された多数のフラグメントのうちのほんの少数に限られていたのだ。
悲劇は、病理医がラテント癌である可能性が高い旨を書き落としていた点と臨床医が真に手術適応のある癌であるのか否かの確認を怠った点に集約されよう。厳密な意味で誤診とはいえないだろうが、大いなる誤解の代表例である。
病理診断を信じないがゆえのすれ違いも経験される。これもまた泌尿器科の事例でたいへん申し訳ないのだが、尿の細胞診断が年余にわたって class V(移行上皮癌)と診断され続けた症例があった。当然、尿路系の画像診断および内視鏡診断が繰り返されたのだが、腫瘍性病変が見当たらないため、フォローアップされたのだ。病理側からも、精査が繰り返し要望されていた。尿中への剥離細胞には低浸透圧による二次変性が生じやすく、非腫瘍例でもしばしば核の異型化を認めることがあるので、担当医の判断はおそらくこうした経験的事実に寄りかかったものであったのだろう。ところが、再来院した患者の前立腺に、進行した移行上皮癌(尿道周囲の導管由来)が発見されたのだ。たいへんまれな事例ではあるが、とても印象深い経験であった。
乳腺外来から迅速診断に提出された新婚6ヶ月、妊娠3ヶ月の若い女性の「乳腺腫瘤」に対して、浸潤癌の診断が下された。妊娠合併乳癌として、即入院の手続きがとられた。著者がパラフィン切片の標本を見たのは、連休をはさんだ数日後だった。
129投稿者:術前検査で悪性術後検査で良性_簡単に誤診 投稿日:2008年01月02日(水) 23時00分04秒
実は、この腫瘍は皮膚付属器(汗腺)由来の良性腫瘍だったのだ。著者が主治医に電話連絡した時点では、すでに人工流産術が施行され、乳房切除術の準備が万端整っていた。この若き女性の乳腺が保存されたのは当然である。半年後には、この夫婦に新たな生命がもたらされたと聞いて、とてもうれしく感じたことは、昨日のことのように思い出せる。この場合、病理診断を信じ過ぎたがゆえの「事故」だったのである。
あとで外科医に尋ねたところ、”乳腺腫瘍にしてはずいぶんと浅い位置の病変だった”との言。その一言があれば、迅速診断の時点での正しい判断が可能であったかもしれないのだが−−。
病理診断名は、どんな経験深い病理医であっても、臨床診断に大きく左右されるものである。画像や検査の情報がないと最終診断に至りえないのはよくある状況である。あらかじめ臨床医から情報を得られれば、凍結切片による免疫組織化学染色や電子顕微鏡検索、さらには遺伝子解析など、小回りのきいた検討も可能である。十分な臨床情報なしに診断を下す怖さを知らない病理医はいないであろう。病理検査の申込用紙にほとんど何も書かずに提出する臨床医にときに遭遇する。彼らは、病理診断を他の臨床検査と同等にしか考えていないのではないかと思わざるをえない。とても悲しく、ひどく危険な誤解である。
130投稿者:術前検査で悪性術後検査で良性_簡単に誤診 投稿日:2008年01月02日(水) 23時00分35秒
いっぽう、独善的な病理診断にお目にかかる機会もあろう。膵臓や気管支に多少の単核球浸潤があっても、「慢性膵炎」や「慢性気管支炎」といった診断基準の定着した診断名をそう軽々しく用いるべきではないのは当然である。”慢性炎症があるのは事実だ”と言い張る病理医にめぐり合った臨床医は、互いに十分な議論を戦わせてほしいものだ。
決定的な誤診や誤解は、病理診断医と臨床医の話し合いによって、その多くが防げるのである。病理側からみれば、病理所見が臨床的判断とまったく合わないときが、分岐点となる。検体の取り違えを見抜く極意(本誌 165 巻 11 号、p. 828)もこの一点にある。確かに、臨床医がまったく考えていない診断を「ビシッ」と下せたときの爽快感は、病理診断の醍醐味といえるのではあるが−−。
いっぽう、臨床医も、思ってもみない診断名が返ってきた場合、何か変だと感じて、病理医への問い合わせや再評価依頼を申し出てほしい。状況が許せば、再検査をする慎重さもほしいものである。
診断の困難な症例もあるし、臨床医、病理医双方の技量も一定ではない。一定の確率で誤診は必ず起こる。医療を受ける場合、医療とはそのようなものだと思って欲しい。
http://www.asyura2.com/07/iryo01/msg/237.html
131投稿者:ピロリ菌の発がん性をマウスで確認 投稿日:2008年01月10日(木) 01時15分55秒
北海道大学遺伝子病制御研究所の畠山昌則教授らの研究チームは8日、ヘリコバクター・ピロリ菌に発がんを促す作用があることを動物実験で突き止めたと発表した。遺伝子操作で生まれつき体中にピロリ菌を持つようにしたマウスでは胃がんや小腸がんなどがみられた。ピロリ菌が、がんの“黒幕”であることを直接的に示した成果としている。
同日付の米科学アカデミー紀要電子版に掲載された。
[2008年1月9日/日経産業新聞]
http://health.nikkei.co.jp/news/top/index.cfm?i=2008010807207h1
132投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
133投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
134投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
135投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
136投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
137投稿者:d 投稿日:2008年02月14日(木) 06時12分05秒
癌にはニオイがあるんだってね
http://www.geocities.jp/lighton_line/
138投稿者:CT検査を受ける必要なし 投稿日:2008年03月07日(金) 23時19分48秒
米コロンビア大のデービッド・ブレンナー医師らが「3分の1のCTスキャンは医学的に不要なもの。このままだと今後20〜30年間に、がん患者を300万人余計に増やすことになる」と警告している。
現在、米国で1年間に行われるCTスキャンを使用した診察は6200万件。1980年の300万件から大幅に増えている。
「CTスキャナーの普及で、われわれは1980年の2倍の放射線を浴びるようになった。腹痛や慢性的な頭痛を訴える患者を緊急治療室に入れ、自動的にCTスキャンを行うのは正しい行為とは思えない」とブレンナー医師。
成人より10倍も放射線の影響が大きいといわれる子供でも、毎年、500万人がCTスキャンを受けている。麻酔をかける必要がなく、数秒間で画像が得られるからだという。
フィリップスや東芝製など放射線照射量が少ないスキャナーもある。だが、ブレンナー医師と共同で調査したコロンビア大のエリック・ホール医師は「医師たちは1,2度のCTスキャンによる放射線照射量が、広島と長崎に落とされた原爆の爆心地から1.6〜3.2Km離れたところでの放射線量とあまり変わらないことを忘れている。
1回のCTスキャンによる放射線照射量は1000〜1万ミリレムだが、1.6〜3.2Km離れたところにいた被爆者の浴びた量は3000mremだ」と指摘、安易なCTスキャンの使用を戒めている。
(がん患者300万人増…過度なCTスキャン使用を医師が警告)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/107327/
139投稿者:CT検査を受ける必要なし 投稿日:2008年03月07日(金) 23時21分40秒
CTとは、コンピュータ断層撮影(Computed Tomography)のことであり、放射線などを利用して物体を走査しコンピュータを用いて処理することで、物体の内部画像を構成する技術・機器のことです。
「断層撮影」の名の通り、本来は物体の断面画像を得る技術です。ですが、これらの検査技術は単に断面画像として用いられるのみでなく、画像処理技術向上によって3次元グラフィックスとして表示されることも多くなってきました。
CTは撮影時間が短く、ほとんど苦痛なく検査ができ、なおかつ多くの情報を得ることができることから、超音波検査と並び、最もよく用いられる画像検査の一つです。スクリーニングや精査目的の検査として良く用いられています。
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/569.html
140投稿者:削除跡 投稿日:時空の歪
141投稿者:777 投稿日:2009年03月21日(土) 19時05分29秒
がんの治療「痛み完全にとれた」1割 慶大、患者調査
がんによる強い痛みを感じた患者のうち、治療で完全に痛みがとれたのは約1割にとどまることが、慶応大教授らの研究班が実施した患者調査で分かった。痛みを感じても治療を受けなかった患者も2割弱いた。2007年6月に閣議決定したがん対策推進基本計画は痛みを取り除く「緩和ケア」の充実を重点課題の1つに掲げているが、医療現場の取り組みが進んでいない実態が浮き彫りになった。
調査は08年6―7月、慶大の高木安雄教授らの研究班が実施。69のがん患者団体を通じて調査票を配布し、1634人が回答した。(07:00)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090216AT1G1401115022009.html
142投稿者:「抗癌剤は毒薬」です。 投稿日:2009年04月29日(水) 23時42分39秒
先日、少々ビックリすることがありました。
同時にチョッとガッカリしました。
それは、「抗癌剤は毒薬」という認識が、
医者には常識ですが、
あまり「一般的には知られていない」という、
事実を知ったことです。
当ブログでも再三「抗癌剤は毒薬」だということを、書いてきたつもりですが、
実際には、ストレートに「毒薬」という記述はしていなかったようです。
現在、「抗癌剤治療と免疫治療のイイとこ取りをして、ガンと付き合っていこう。」
すなわち、「抗癌剤治療と免疫治療の融合を図った治療」についての
書籍を出版しようとしているのですが、
その出版社の人と話しをしているとき、
『「抗癌剤は毒薬」と言い切ってしまっていいのか?』と質問されました。
教養の溢れる方から言われたので、チョッと驚きました。
同時に凄く心配になりました。
余り深くものを考えないで「ガン治療は医者にお任せ」にしている方々は、
抗癌剤に対しどのような認識を持っているのでしょうか。
143投稿者:「抗癌剤は毒薬」です。 投稿日:2009年04月29日(水) 23時43分44秒
「抗癌剤は毒薬というのは、誇張して言っているのではないか。」
「毒薬のような一面も持っている。」とでも思われているのではないでしょうか。
そうではありません。
一部「劇薬」指定の抗癌剤もありますが、
多くの抗癌剤は、正真正銘の毒薬なのです。
下に抗癌剤の内容を説明した添付文書の一部拡大を付けます。
→ の部分にしっかりと「毒薬」の文字が見えます。
これは、薬事法に従って記載されるものです。
製薬メーカーとしては、自ら「毒薬」などと汚名は付けたくはないのですが、
薬事法による指導で、添付書類および製品の外箱に必ず、
「毒」の文字を入れることが義務付けられています。
抗癌剤治療とは、その毒薬を使って治療を行うものです。
おのずとどのような治療であるかお判りになるかと思われます。
欧米で現在も使われているニトロゲンマスタードなどは、
人間を効率よく殺害する目的で作られた毒ガス兵器から応用されたものです。
一方外科医のメスも同じです。
メス一本あれば、
手術台の上で無防備で横たわる患者さんを殺すことなどいとも容易いことです。
144投稿者:「抗癌剤は毒薬」です。 投稿日:2009年04月29日(水) 23時44分50秒
かつて日本外科学会では、
再発確率を減らすために、QOLは無視して、
できるだけ広範囲にガンの周囲を切除しようとする
拡大郭清派の外科医と、
手術後の患者さんのQOLの向上を考え、
可能な限り、小範囲の切除に留めようという、
縮小手術派の外科医に分かれていました。
今でも、論争はありますが、
概ね縮小手術派の意見の方が優勢であるように思います。
抗癌剤治療においては、拡大郭清派ならぬ、
大量抗癌剤投与派が隆盛を極めているようですが・・・・
どのような治療を行なうかは、患者さんが決めることですが、
外科の、「拡大郭清 Vs.縮小手術」 の時の論争と同様に、
145投稿者:「抗癌剤は毒薬」です。 投稿日:2009年04月29日(水) 23時45分08秒
患者さんは蚊帳の外に置かれています。
否、抗癌剤治療の世界では、
外科学会のような議論すら行なわれていません。
標準的抗癌剤治療を見直して、
「患者さんに優しい治療で長生きしてもらおう」
などという考えは、
「エビデンスが無い。」の一言で、
完全に抹殺されています。
抗癌剤治療を受ける時は、
どうぞ主治医にご自身の考えをぶつけて下さい。
http://umezawa.blog44.fc2.com/blog-entry-36.html
146投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時55分13秒
抗癌剤治療は有効に効いても長生きできない!?
???と思われることでしょう。
しかし、これが真実なのです。
そもそも、1995年までは、すなわち僅か10年前まで、例えば肺ガン等では、いわゆる標準的な抗癌剤治療を受けた患者群と、無治療で経過を診た患者群とで、どちらのグループがどれだけ長生き出来るかを観察した時、両グループの間で、全く差が出ませんでした。
それが1995年になり、はじめて、抗癌剤治療を受けた患者群の方が無治療のグループより1.5ヶ月長生きできるというデータが出て来ました。(生存期間の延長)
現在では、抗癌剤やその使い方の進歩により、肺ガンでも3〜4ヶ月程度にまでその延命効果は延長されています。
大腸ガンでは1992年にはじめて抗癌剤治療の延命効果が証明されました。
胃ガンでは、1995年頃です。
いずれも無治療と比較して、数ヶ月の延命というものです。
これから抗癌剤治療を受けようという患者さんで、こんなにお寒い治療効果に満足して、その治療を受けたいと考える方はいないのではないでしょうか。
147投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時55分43秒
しかも、ご承知のとおり、抗癌剤治療は決して楽な治療ではありません・・・
副作用を防止する薬剤の進歩、その使い方の工夫には目を見張るものがあり、以前よりは、その副作用対策は比較にならないほど進んでいます。
しかし、標準的な抗癌剤治療を受けて全く苦痛を感じない患者さんはほとんどおりません・・・・
何故、このようなお粗末な治療効果しか出ていないのでしょうか?
それを、説明するためには、抗癌剤治療において、治療効果の表す指標である"奏効率"という数字について説明しなければなりません。
奏効率とは、文字通り「効」を「奏」する「率」すなわち、効果を発現する確率を意味します。
そして、この数字は、長い間、抗癌剤治療における、唯一絶対的な治療効果の、判定指標とされてきました。
(日本では現在でも奏効率至上主義的な抗癌剤治療専門医は少なくありません)
患者さんが一番望んでいるはずの"生存期間の延長"よりもむしろ重要視されてきました。
その奏効率を最重要視している施設や、腫瘍内科医と呼ばれる抗癌剤治療専門医も日本にはいまだに沢山おられます。
148投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時56分08秒
それは「腫瘍(ガンのカタマリ)の縮小なしに、癌治療なし」という旧態然たる、化石の様な古い頭をお持ちのエライ先生方がまだ現役で頑張っておられる結果だと思われます。
具体的に、その奏効率とは、次のように定義されております。
ガンが、明らかに身体の何処かに存在していることが確認されている患者さんに、ある抗ガン治療を行なって、「その存在しているガンが、レントゲン写真や、CT、超音波検査などの画像診断上の面積で1/2以下の大きさに縮小し、その縮小状態が4週間以上継続すること。」
(病変部の面積で計算しますから、長さだと約30%の縮小でよいことになります。
0.7 x 0.7 = 0.49 でほぼ50%です。)
この条件が満たされた時、PR(Partial Responseパーシャル レスポンス)(部分寛解)と判定されます。
もし「存在していたガンが、画像診断上完全に見えなくなり、その状態が4週間以上継続」した場合、CR(Complete Responseコンプリート レスポンス)(完全寛解)と判定します。
「治療が"奏効"した。」とは、治療前に存在していたガンのカタマリがPRまたはCRの状態になることです。
149投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時56分35秒
そのPRとCRの患者さんの合計数を、治療を行なった患者さん総数で割った数字を奏効率と言います。
奏効率 = CR + PR / 治療患者総数 X 100 % と表します。
ここで勘違いをしないで頂きたいのですが、画像上、ガンが"消えた"CR(完全寛解)と言っても、一般的には、それはガンが"無くなった""治った"のとは、全く意味が違います。
ただ、機械の目では、見えなくなったというだけです。
たった一個のガン細胞は、一回分裂し2個になり、次に4個になり、その次は8個になり、16個になり、32個になり、64個になりという様に細胞分裂を繰り返し、およそそれが30回繰り返されると約10億個にまで増大します。
そうなるとそのガンの塊・シコリは、大きさが1立方センチメートル(1cm四方)の大きさになると考えられています。
一方、現在の画像診断では、どんなに精度の高い機械を使っても、その百分の一の大きさになったら、もはや検出することは出来なくなります。
ここで考えてみて下さい。
10億個の百分の一は幾つでしょうか?
実に一千万個です。「機械の目で見えなくなった」と言うだけの話で、ガン細胞は、何と一千万個以上身体の中に残っているのです。
150投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時57分11秒
奏効率と生存期間の関係
上に示した表は、切除不能の進行胃ガンに対し、様々な治療を行った時の、奏効率とMST(生存期間中央値)(概ねの平均生存期間)を表したものです。
ここで疑問は出てこないでしょうか?
この表を見て頂いても、"奏効率"と"MST"とは全く比例していません。すなわち奏効率が34%でも10%でもMSTは7.7ヶ月で変わりないのです。
何故このような、一見矛盾したことが起こるのでしょうか。
その理由は幾つかあります。
一つは、「4週間以上継続」と言うのが「ミソ」であり、「4週間過ぎたら、何時、患者さんが、死んでしまっても、関係なし」なのです。
すなわち「4週間の間はガンは小さくなっていたけれど、抗癌剤で痛めつけられた患者さんの身体の中で、治療後急激にガンが成長し、患者さんは一週間で死んでしまった。」と言うこともあるのです。
それでも「奏効した」と判定されます。
従って、患者さんの「寿命と奏効」とは関係無い数字なのです。
以下の2枚の表にその皮肉を簡単にまとめました。
151投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時57分40秒
ねじれ現象
奏効率が高いのに、生存期間の延長が得られない、という皮肉なねじれ現象とも言うべき結果は、ガンを宿した人間が必死にガンと戦おうという免疫機能を抗癌剤が破壊してしまうことが、最大の原因と考えられます。
免疫力だけでガンが縮小するなどと言うことは殆どありません。
しかし、ガンの増大を阻止しようと言う"けなげな"免疫力は確実に、存在しているのです。
その証拠については、いずれ詳しく書きますが、簡単に説明すると、
図Aの様に"標準的な抗癌剤治療"で使われる、大量の抗癌剤は、ガン細胞も沢山殺してくれる一方、同時にガンを抱えた"ご主人様"の肉体も蝕んでしまいます。
従って大量に抗癌剤を使い続けることは不可能です。
ご主人様の体力に限界が来るか、あるいは、抗癌剤にガン細胞を殺す効果が無くなるかいずれかの理由で、その抗癌剤が使えなくなった時、抗癌剤を使うまでは、必死にガンの発育阻止のために"けなげに"働いていた免疫力までも、その大量の抗癌剤で殺されてしまっているので、抗癌剤が止まった時のガンの増大スピードは、それまでとは比較にならないほど速くなってしまうためであろうと考えられます。
152投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時58分04秒
もう一点は「奏効しなかった」患者さん、すなわち、使われた抗癌剤がガン細胞を殺せなかった患者さんでは、いたずらに大切な身体だけが抗癌剤により、大きくダメージを受け、寿命を縮めてしまうこともあるからです。
抗癌剤の毒薬としての作用の部分だけをもろに受けてしまい、全身状態を悪化させ、ガンの増大を少しでも食い止めていた、免疫力まで奪われて、結果として、ガンの増大を速め、寿命を縮めてしまう可能性があります。
当然、抗癌剤治療をした患者さんの中には、薬が本当によく効いて、すなわち「奏効」して長生き出来る患者さんも存在します。
しかし、今述べた様に、逆に抗癌剤治療で寿命を縮めてしまう患者さんも存在するので、患者さんの「生存期間」を「平均すると、何も治療をしない患者さんと、その寿命はさほど変わらない。」ということになってしまうのです。
一方、図Bのように、「使う抗癌剤の量を少なくした場合」ガンに対抗する免疫力を削ぐことはなく、そのけなげな免疫力もガンに対し僅かでも抵抗し、少量の抗癌剤と強調して、ガンに対抗してくれるものと思われます。
もし、その抗癌剤がその患者さんのガンに対し効果を示さない場合でも、ガンを宿した身体にダメージを与えなければ、すぐ次の抗癌剤に切り替えることも出来ます。
ところが、日本では、「そのような治療にはエビデンス(臨床研究に基づく実証の報告)がないからダメだ。」と抗癌剤治療の専門医は仰ります・・・・
153投稿者:777 投稿日:2009年04月29日(水) 23時59分09秒
書きたいことは、まだまだ山ほどあります。
ゆっくりと書き進めてゆきます。
以上 文責 梅澤 充
http://umezawa.blog44.fc2.com/blog-entry-3.html
154投稿者:777 投稿日:2009年07月28日(火) 21時52分56秒
☆★がんと宣告されたら
「がん」とは、悪性腫瘍の総称で、塊を作り腫瘍血管構造のあるものを「癌」、塊を作らないものを「がん」とよぶ。
治るがん(精巣腫瘍、絨毛癌、悪性リンパ腫、急性白血病)なら標準治療を受けましょう、進行していてもかなりの確率で治ります。不勉強な医者の中には、副作用が怖くて、へんてこな薬を使うことがあるので要注意、治癒率が低下します。
それ以外の癌なら、転移があるのか否かを確認します。転移がなければ、半年から一年間様子をみます。転移する(能力のある)癌は、癌発生後早期に転移していて、しばらく様子をみると、大きくなり転移巣がみえてきます。「転移しないうちに手術しましょう」と誘う医者は、基礎腫瘍学すら知らない、バカな専門医です。様子をみて転移が現われなかったら、転移しない癌です。その場合、その後も転移することはありません。万が一、癌の塊による症状がでれば、そこだけ治してもらえばよい。
転移があれば、寿命です。残された時間を有意義にすごされるのがベストです。手術は無駄、転移巣を切除するなど愚の骨頂。点滴による抗癌剤治療を受けても、最も抗癌剤が効く「小細胞性肺癌や大腸癌」で延命効果は、最長 2〜3ヶ月。癌はやさしい病気です、たくさん時間を残してくれます。痛むことはめったにありませんが、もし痛めばそれを取ることは簡単です。「死」とは熟睡すること、邪悪なものではありません。生を謳歌してください。
藁をもつかむ患者から、詐欺まがい から悪質な詐欺まで、あの手この手で治療に誘導されます。そこは、リテラシ―を発揮するしかありません。それができない方は、死ぬまで苦しみ、大枚を巻き上げられ、周囲の悲しみを助長する。また、自分だけが特別と錯覚した自己顕示欲の強い輩は、闘病記を出版したり、発信して、被害者を多くする。
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/51344498.html
155投稿者:博峰 投稿日:2009年07月30日(木) 18時54分33秒 ID:LA5k6qJr
こちらに詳細が掲載されています。
http://www.amezor.to/cgi-bin/i.cgi?dir=beauty&rxdir=life&log=beauty090619212327
(荒らしを除く)
156投稿者:777 投稿日:2009年08月02日(日) 13時25分00秒
○2005年7月8日、日刊ゲンダイ「現場から報告・医療過誤」辰野哲郎氏の連載C「大学病院ぐるみで隠蔽工作」より。
・・・・・術後、患者には「腹部に異常が見つかったので緊急に手術をした」と説明され、ミスは伏せられた。
大学病院は教授を頂点として、助教授、講師、助手のタテの秩序が徹底し、外部を寄せ付けない。秘密が外部に漏れようものなら、誰が漏らしたかが徹底的に調べられる。
上役にものを申す医者は干され、関連病院に飛ばされる。大学の医局に戻るにも教授の意向で決まる。論文だって見てもらえない。人事権を握られているから、上役の指示には逆らえない。「告発」などしようものなら、この世界では生きていけないのだ。
ある大学の医局から一昨年、民間病院に出向の形で移った外科医から聞いた話だ。医局では月に1度、勉強会の名目で集まることになっていた。教授は出席に厳しく、何回出席するかで人事を決めるなどとうわさされている人物だ。
午後、病院から自動車を運転して大学に向かったが、途中で自分が手術をした患者の容体が急変したとの連絡が入った。
高速道路を降りて、電話で指示をした後、しばらく車を止めて考えた。「戻るべきか・・・」
だが、彼は勉強会へ向かった。患者は一命を取り留めたものの、病院は大変な騒ぎだったという。
患者第一のはずの医師が、自分の出世のためにヒエラルキー社会に従うしかないのが現実だ。しかし、このことは大学病院に限らない。多くの病院では、院長や各診療科の責任者を頂点とした階級社会ができあがっている。
看護師や薬剤師、放射線技師が自由に発言できる雰囲気はないから、チーム医療も根付かない。古い体質や隠蔽体質が患者を見殺しにし、失敗は繰り返される。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/jikokaifuku/kotoba36.htm
157投稿者:唯物論者が、医師になってはいけない 投稿日:2009年08月02日(日) 16時02分17秒 ID:LA5k6qJr
いのち の尊さがわからない、
人間=宇宙のゴミ論、ロボット論だからね
158投稿者:Yahoo掲示板より 投稿日:2009年11月23日(月) 20時39分48秒
Re: 末期癌です。助けて下さい。 2009/11/22 22:20 [ No.39 / 40 ]
投稿者 : yfhxw371
はじめまして。
信用していただかなくてもいいのですが・・・、裏話を。
癌治療の専門医ほど、自分の身内が癌になったときに頼るのは、鍼灸、漢方薬、サプリメント、食事の見直しです。患者に施す治療は第一選択ではありません。
これは、以前、私の妻が癌を患った時に、妻を通わせていた針治療院にDrが治療に来ていたことがあります。
また、以前の仕事柄、本当に質のいいサプリメントも幾つか知っていますが、それらの信用できる営業さん達からと、一部のDrからの情報なので、間違いはないと思います。
金銭的な話になりますが、通常の癌治療で、現在は月に7〜8万円、交通費を含めると、月10万円程かかる人もいるそうです。
実は、質のいいサプリ、漢方も月に7〜8万円が妥当なせんだと思います。
鍼灸治療を含めて、月に10万円といったところでしょうか。
ただ、病院の治療と合わせると、月に20万円ほどになるのがつらいところです。
私の場合、両方を出来る経済力が無かったため、手術以外は病院の治療を捨てました。
妻が患って丸7年ですが、今は、病気の前よりも元気です。
あと、抗がん剤や放射線の治療を続けた方々は、例外なく地獄の苦しみの中、筋弛緩剤の投与を受けて、最期を迎えています。
先日も、私の友人の妻が、それで最期を迎えました。39歳でした・・・。
159投稿者:777 投稿日:2009年11月23日(月) 20時41分45秒
155と157は荒らしなので悪しからず.
160投稿者:胸部レントゲン検診は乳ガンリスクを高める 投稿日:2009年12月09日(水) 20時39分16秒
30歳以下の胸部レントゲン検査は一部の女性の乳がんリスクを高める=オランダ 【大紀元日本12月8日】
オランダのフローニンゲン大学メディカルセンターのウェイデ博士(Marijke Jansen-van der Weide)ら研究チームは、12月1日北米放射線学会(RSNA)の年次総会で、30歳以下の胸部レントゲン検査(以下、マンモグラフィ検診)が、家族性乳がんあるいは遺伝的素因を持つ女性の乳がん発症リスクを増加させるとの研究結果を発表した。研究者らはこれらの高リスクの女性に対しMRIによる代替検診を勧めている。
この研究では乳がんリスクに関する47の研究のうち6つを選び、合計9420人を対象としたデータから放射線被曝によって誘発された乳がんの発症リスクを算出した。
その結果、家族性乳がんや遺伝的素因を持つ高リスクの女性の中で、マンモグラフィ検診を受けた女性の乳がん発症リスクが、受けていない女性の1・5倍になることがわかった。
さらに、20歳以前にマンモグラフィ検診を受けた女性、あるいは5回以上受けた女性は同じ高リスクで、受けていない女性に比べ2.5倍になることも研究で明らかとなった。
一般的にマンモグラフィ検診による乳がんの早期発見は、生存率の向上に大きく貢献しており、特に高リスクの女性にとって乳がん検診は不可欠といえる。しかし、若い女性、特に30歳以下の女性は、マンモグラフィ検診を慎重に捉え、MRIなどによる代替検診も検討すべきであると、ウェイデ博士は指摘する。
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d45049.html
161投稿者:胸部レントゲン検診は乳ガンリスクを高める 投稿日:2010年01月03日(日) 10時40分28秒
● ガンを発生させる根本原因は、体細胞の持続的ストレスによるもので、「ガンの種→イニシエーター」 そして「ガンの肥料→プロモーター」の二つの条件が揃わないとガンにならない。
筆者は若い頃、石綿やロックウールの運搬に携わった。石綿が吹き付けられた建物の解体も数多く参加した。理屈から言えば、とっくに中皮腫肺ガンになっているべきだが、まだ死んでいない。それは、石綿がイニシエーターとして作用していたとしても、それを育てるプロモーションがなかったからだと確信している。
肺ガンプロモーターの最大の要因は喫煙である。筆者は16歳から喫煙し、20歳で完全にやめた。それは、アレルギー体質で激しい喘息発作に見舞われたからだが、おかげでガンの種を蒔いたが育たなかった。また痛風による過剰尿酸もガン抑制に作用しているとの報告もある。
乳ガン・肺ガンの最大のイニシエーターは、文部省によって強制されてきた集団結核レントゲン検診である。筆者らの学童だった50年近い前は、レントゲンの危険に対する認識も甘く、その線量は一回あたり実に1レム(100ミリシーベルト)という驚くべきもので、それも失敗すると何度でも撮影しなおしていた。このとき傷つけられた遺伝子が、30〜40年の潜伏期間を経て、ホルモン異常などのプロモーターを得てガンとして発症するのである。
162投稿者:胸部レントゲン検診は乳ガンリスクを高める 投稿日:2010年01月03日(日) 10時40分45秒
このレントゲン強制検診が実施されたころ、すでに広島原爆被害の統計調査が報告され、被曝線量と発ガンの有意な因果関係が明らかになっていて、被曝リスクの極めて高い幼児・学童に対するレントゲン検診が、将来必ずガン多発をもたらすことが明確に指摘されていた。
それにもかかわらず強行された理由は、当時の厚生官僚や国立大医学部教授、そして医師会幹部が、ほとんど関東軍731部隊出身者によって独占されていた事情がある。彼らは人体実験など屁とも思わず、産業の利益のために民衆を犠牲にすることを厭わなかった。「ガン患者が増えれば医療産業が儲かる」という思惑が根底にあったのだ。
このため、一部放射線被曝研究者の反対を押し切って、学童レントゲン集団強制検診が法的義務として実行された。
それを行った事業主体は何だったか? その名は日本レントゲン検診協会(コロコロ名前を変えるから注意) これこそ、前身はミドリ十字社であり日本ブラッドバンクであり、すなわち内藤良一731部隊長が戦後創設した企業体の現業部門であった。ここが厚生省の役人たちの主要な天下り先となっていたわけで、子供たちの健康を犠牲にし、将来、医療産業に貢献させる目的で意図的にガン患者を作り出す発想も頷けるわけだ。
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/195.html
163投稿者:CTスキャン 投稿日:2010年01月03日(日) 10時42分53秒
CTスキャンの被爆量、想定より多かった 数十年後にがん発症リスク
【12月18日 AFP】CTスキャンを受ける際に浴びた放射線が原因で数十年後にがんを発症する可能性があるとする2つの論文が、14日の米内科学会誌「アーカイブス・オブ・インターナル・メディシン(Archives of Internal Medicine)」に掲載された。
CTスキャンは、X線を照射し、検査対象の臓器や組織の3D画像をモニターに映し出す。
米サンフランシスコ(San Francisco)の4病院が行った研究は、現在の検査で通常照射される放射線量は、中央値でさえ、想定されていた値の4倍であることがわかったとしている。CTによる1枚の冠動脈造影図の被爆量は、胸部レントゲン写真309枚に匹敵するという。
同研究は、冠状動脈をCTスキャンした270人のうち、40歳の女性1人がCTスキャンが原因でがんを発症したとしている。
もう1つの研究は、2007年に米国で行われた7200万回のCTスキャンが原因で、今後2万9000人ががん発症する可能性があると指摘した。このデータには、すでに腫瘍(しゅよう)があった患者や終末医療の一環でCTスキャンを受けた患者は含まれていない。
研究者らは、放射線の照射に起因するがんは、照射治療の20〜30年後に発症することがわかったと述べ、「医療用CTスキャンの放射線量はこれまで認識されていたよりはるかに多く、防ぐことができるがんを年間数万例も生んでいる。照射量に関する規定を見直すべきだ」としている。(c)AFP
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/210.html
164投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時44分18秒
いい加減、デタラメ、悪質な現代医療の実態
抗ガン剤で殺される 第8章 医薬品添付文書とは
●添付文コピー拒否なら病院を脱出せよ
まず、医者か「抗ガン剤治療」をすすめたら「その抗ガン剤の『医薬品添付文書』コピーを下さい」と、必ず医者に要求しよう。「それは、チョット……」と出さなかったら、その場で席を蹴って、病院を脱出すること。あなたは、あるいはあなたの家族は、その病院に、殺される可能性が大だ。
さらに、厚労省が全国医療機関に定期的に発信している「副作用情報」コピーも要求しよう。
この二点を、患者に手渡す医師、病院は、それなりに信頼できる。
抗ガン剤治療を、承諾するか、しないか………それは、「医薬品添付文書」「副作用情報」を穴の開くほど、熟読熟知してから決定すること。とりわけ「禁忌」「重大副作用」などは、徹底的に読み込むことだ。
その副作用に、あなたは慄然とし、背筋か震え、手はわななきとても抗ガン剤治療を受ける気は、失せるはずだ。
白亜の殺人工場
●医者は『添付文書』すら読まない
つぎに、ドクターに、その「有効率」を質問してみるとよい。
はたして、スラスラ答えられる医師が、どれだけいることか………恐らく、ほとんど全ての医師が絶句し、青ざめ、困惑、動揺して立ち尽くすであろう。
何しろ、抗ガン剤に限らず、大半の医者たちが、「添付文書」すら読んでいないのだ。「あんなものめんどくさくて読んでいられないよ」これがほとんどの医者のホンネだ。あなたは信じられるか?肌に粟を吹く現実ではないか。言うまでもなく「添付文書」には、製薬メーカーが所有する情報、つまり「効能」から「重大副作用」「回避方法」などが、克明に記載されている。
よって、最高裁判例でも、医療過誤において、医者の過失有無を判定する基準として「添付文書」を用いるーと定めているのだ。
つまり、「添付文書」こそが、医療事故を回避する、最重要の指針なのだ。それを、読まない医者かほとんど……というから暗然とする。
165投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時44分50秒
●殺人ダンプが暴走するがごとし
これは、プレーキやアクセルの位置すら知らないで、ダンプカーを運転するに等しい。人を跳ね殺して「アッ……これがアクセルか。なーんだ」と学習しているのだ。
無免許どころかブレーキもアクセルも知らない暴走ダンプか、全国の公道を信号無視で左側通行も何も無視で走り回っている。それが、現代の医療現場の実態なのだ。
死人(犠牲者)が統出して、当然なのだ。かくして、病人を救うべき病院は、アウシュビッツのガス室さながらの。殺人工場と化す。阿鼻叫喚、死屍累々………屍体の山か築かれる。
「添付文書」は、その医薬品の使用マニュアルである。「手引き」もなくて、よくもまあ患者に処方できるな……と、膝が震える。血の気か引く。
●営業社員が手渡す『説明書』
聞けば、製薬メーカーの営業社員は、「添付文書」に変わる「説明書」や「パンフ類」を医者に手渡すという。そこには「効能」「適応症例」「用法」などは、書かれていても、肝心の「重大副作用」「回避」方法、などはほとんど書かれていない。
それをチラチラ見ながら、大半の医師は、猛毒抗ガン剤を患者に投与する。その「重大副作用」など、ほとんど知りもしないのだから、気楽なものだ。
彼ら医師や看護婦たちに、罪の意識などカケラもない。抗ガン剤の慄然とする猛毒性など、初めからほとんど知らないのだから、罪の意識など持ちようかない。それどころか、大半の医師、病院関係者たちは、誠意と良心をもって日夜、奮闘している。自らの行為か、ほとんど殺人行為である、と認識している病院関係者が、果たしてどれだけいるだろうか。
暴走ダンプさらに殺人工場……とまで言われたら医者は、怒りで青ざめるだろう。なら、あなたらに問いたい。これまで投与してきた抗ガン剤の「医薬品添付文書」を、あなたは、すべて克明に読み、理解してきたか?その「注意」「警告」にしたがって投与してきたか?「イエス」と胸を張って、答えられるドクターは、どれだけいるか。恐らく、皆無ではないか?252〜254ページ
166投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時45分40秒
医者が添付文書なんか読まないワケ
医者の実態は陰謀に動かされた盲従殺人ラジコン
ラジコンは自分で考えて動かないように
子供の頃から徹底的に狂育されている
医師はその数多くの受験ならぬ、
盲従ロボット審査をクリアしてきた
選ばれた盲従収奪殺人ロボット
ガンで死んだら110番 愛する人は“殺された” 171
「新・知ってはいけない」から
「新・知ってはいけない」船瀬俊介著
悪魔の指針(医師への指針)
167投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時46分24秒
●「治療法」を数えない大学医学部
「大学医学部では病気の 『治療』 は教えない」
これは安保徹教授(新潟大学大学院) の驚愕証言。いったい何を教えるのか?。
「『病名』 『薬品』 などを覚えるだけで精一杯。医薬品だけで何百とあるからネ……」 (同教授)
こうして、「治療法」を習わない医者″が大量生産されていく。
かれらはどうやって患者を治療するのだろう?。
「そこには、チャンと 『治療ガイドライン(指針)』があるから」
それは何でしょう?。「製薬会社に覚えのめでたい教授たちが作るわけサ‥…」と安保教授はニヤリ。
「それに従って投薬したり、治療してれば、医療裁判などになったときでも、『指針』通りにやった治療法だから……と言い逃れになる」
●600種類もの治療ガイドライン
それは「疾患ごとに学会や厚労省研究班などが作成する」という。2000年以降に作成された 「指針」だけでも約600種類。
ある医師の証言………。「毎年、分厚い『診療指針集』が出る。
医者は、みんなそれをひっくり返して 治療ガイド″にしている。学会のおえらいさんが製薬会社と一緒に作った『指針』だから患者がクスリ漬けになるのも当然ですよ」
恐ろしい現代医療の暗部が見えてきた。医師国家試験も同じく。「正しい」治療法を回答した医学生は、国家試験に落第する憂き目をみる。
168投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時47分01秒
●1億〜3億円の寄付金というエサ
その恐るべき現代医療の闇が、白日の下にさらされた。
「高血圧、糖尿病、メタボ……指針作成医 9割に寄付金」「国公立大、製薬企業から」。これは 『読売新聞』(08/3/30) のスクープ記事。「48大学のデータを基に、ガンなど主要な病気の 『指針』 40種類について、作成に関わった医師に『寄付金』の受領状況を調べた。結果、87%、240人が治療薬を製造、販売する企業から教官または所属講座あての寄付金を受領していた」
メタボ診断「指針」を作成した阪大の松沢名誉教授らに3億円以上(表)。さらに、1億〜2億円″寄付金″がゾロゾロ。
表に出ない供与″はどれくらいになるだろう。
『読売』 も「診療基準、信頼性は?」「過剰投与を招く」と指摘。
現代医療の治療ガイドライン (指針) は、実質、製薬企業が作成しているという驚愕事実。巨額寄付金(ワイロ)をもらった教授連は、もはや製薬資本の走狗。その上には地球規模の石油化学メジャーが君臨している。
★これで安心!
「病院は九割の病気は治せず悪化させている」。
良心的医師の告白。「どうか病院に来ないでください」。具合が悪いときは病院に行かない。
「食うな」「動くな」「寝てろ」。これが正しい。野生動物をみなさい。
動物は人間よりもある意味で賢い。地球上で人間だけは騙されてこのありさま。人類という滑稽な生き物、殺戮収奪、騙しの社会の実態。
メタボの暴走 花伝社 60〜
第2章「基準」を引き下げ健康人を“病人”に
黒幕たち 学会ボスに製薬会社が巨額献金
169投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時47分24秒
●肥満学会ドンに二千億円売上の謝礼?
なぜ、こんなデタラメが堂々とまかりとおるのか?
『インサイダー』(編集人=高野孟、四二〇号)は、その黒幕を名指しで告発している。デタラメなメタボ基準を作った張本人が明らかにされた!
「……一言でいえば、厚労省・医学界・製薬会社の癒着である。日本版メタボの基準を作った張本人は、日本肥満学会と日本動脈硬化学会を牛耳ってきた松澤佑次である。彼が二〇〇三年度まで教授を務めた大阪大学医学部・第二内科(現在の大学院医学研究科分子制御内科学)に対する奨学寄付金を調べると、二〇〇〇年度から〇五年度まで六年間で、八億三八〇八万円で、そのほとんどが製薬会社の寄付金だった。
ずば抜けて多いのは三共(現在の第一三共)の一億一六〇〇万円。この会社は日本で最大シェアを持つコレステロール低下薬(メパロチン)の製造・販売で年間二〇〇〇億円を売り上げている」
ナルホド……その癒着ぶりは、みえみえだ。
●「A級戦犯リスト」に学会代表ズラリ
同様に他のメタボ診断基準のハードルを引き下げて治療ガイドラインを作成したのも、各臨床学会である。糖尿病は日本糖尿病学会であり、高血圧は日本高血圧学会、高尿酸血症・痛風は日本痛風・核酸代謝学会である。
「メタボリック・シンドローム診断基準検討委員会」なる組織がある (表2−−@)。
なんと委員長の座に、○○○○氏の名前が……。このホームページでは伏せ字とする
委員二二人、オブザーバー一人、全員が臨床××学会の代表だ。これは、ある意味メタボの陰謀″ の加盟者リスト。言い換えると 「A級戦犯リスト」 で
もある。
これだけ矛盾と欠陥に満ちた診断基準を通したのだから、彼らに医学者を名乗る資格はない。
170投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時47分57秒
医療マフィア ー 大黒幕は、世界の製薬メジャーであった……
●おぞましい癒着と腐敗の連鎖
「……臨床学会が診断基準を下げて厳しくすれば、病人と判定される人が増えて、製薬会社が儲かる。厚労省はそれチェックすべき立場にあるが、実際には、製薬会社が金を出して研究をさせ、学会に新基準を作らせた」。『インサイダー』誌は告発する。
真の大黒幕は、製薬資本であった……ということだ。それは世界的製薬メジャー。学会も厚労省も、その手先ということになる。
「新基準に基づいて、製薬会社が (新薬の)申請をすれば、それを医療保険適用医薬品として認可するだけである。製薬会社の業界団体である日本製薬団体連合会の代々の理事長は、厚労省キャリアの天下りポストである」
「医薬品審議委員への寄付 − 上限『一社で年三〇〇万円』厚労省指針」 (『東京新聞』 2007/12/5)
呆れるニュースに目が点になった。「厚労省は医薬品や医療機器の承認審査や安全性など検討する審議会委員が審議や議決に参加する条件として、企業から受ける寄付金や報酬の上限を『一社当たり年三〇〇万円』とする方針を固めた」という。
唖然として言葉もない。厚労省は薬品や医療機器の許認可にかかわる医師・教授などは「企業から一社当たり三〇〇万円までワイロ″をもらってもかまわない」と言うのだ。
ピタ一円でも審査対象の当該企業から金品を受け取っていたいたら許認可審議に参加できない。それが一般社会の常識だ。わたしは、この厚労省の 改善″策に、日本の底無し医療腐敗の深淵を見た思いがする。
見るのも聞くものおぞましい癒着腐敗の連鎖構造である。
171投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時48分13秒
●政・官・業・情・学……の構造犯罪だ
「タミフル問題では、厚労省で医薬品の認可を担当していた元課長が製薬会社に天下っていたことが表沙汰になったように、企業との直接の癒着もはなはだしい。チェックなどできるわけがない」 (高野孟『インサイダー』前出)
むろんデタラメ法案を通した厚労族の政治屋たちの存在も忘れてはならない。これに情報産業のマスメディアも荷担した。政府のメタボ・キャンペーンをこぞって流した。だから、国民もこれを政府による善意″ の健康キャンペーンと受けとめてきた。まさか、このような企みが潜んでいたとは、夢にも思うまい。こうなるとメタボの陰謀″は政・官・業・情・学の癒着した構造犯罪である。かれらの真の正体は 医療マフィア″なのだ。
大櫛教授の『メタボの罠』に共感した読者のブログの一文。「……圧力を受けたのか、自ら尻尾をフッタのかは、わかりませんが、NHKがこの動きのお先棒をつとめています。そういえば『ためしてガッテン』という番組で、さかんに広報活動をくりひろげていましたっけ」
「またもや、日本の政治家・官僚・大企業・学会が放つ腐敗臭を嗅いだ思いです。清流で鼻の穴を洗いたいですね……」。
172投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時48分34秒
●子どもにまでメタボ診断基準とは!
厚労省も年間四〇〇億円という巨費を握っている。それは「科学研究補助金」という名目。
この莫大なエサ″を自分たちの陰謀″に協力する研究者たちにバラまく。甘いエサに群がる研究者もまた「官僚が机上で措く健康運動に沿った研究を競って補助金をもらおうとする」。
さらに「メディアにとっては製薬会社は重要スポンサーであり、また厚労省は取材であるから、こうしたデタラメを暴くどころか、おかしなところに目をつぶってキャンペーンを盛り上げる」「図に乗った厚労省は、二〇〇七年二月、大人を犠牲者″にするだけでは気がすまなくなって、六歳から一五歳の子どものメタボについても診断基準をまとめる方針を明らかにした。
こうして、大人だけでなく子どもまでもが製薬会社の餌食にされようとしている」(高野孟『インサイダー』前出)。
どこまで、続く、ぬかるみぞ……。
メタボの暴走 船瀬俊介著
莫大な寄付金をもらう教授と製薬会社が治療マニュアルを作って
あとは莫大な利益を出すためにロボット医師たちが、それだけ読んで盲従するだけ
さらに薬害のミドリ十字の三人の社長が厚生省から天下っていたように
製薬会社と厚労省と医者は協力して莫大な利益を得る仲間同士というカラクリ
盲従国民は、その薬漬けで殺して財産を収奪する絶好の獲物というワケ
目次 1頁 2頁 3頁 4頁 5頁 6頁 7頁 8頁 9頁 10頁 11頁 12頁 13頁 14頁 15頁 16頁 17頁 18頁 19頁 20頁 21頁 22頁 23頁 24頁 25頁 26頁 27頁
抗ガン剤は猛烈な発ガン剤である決定的な証拠があった
細胞分裂説に重大な疑惑!ガンはガン細胞から生まれていない!
173投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時49分18秒
10ページ
動画で見る真実のガン治療 現代医療という恐るべき大量殺人ビジネスの実態
今も暴走する有害医学狂育の惨劇 殺戮盲従ロボットを大量生産した文部省凶育が元凶
報道できなかったマスコミのタブー大量殺人医療の戦慄実態が遂に毎日新聞で報道された!
患者よ、がんと闘うな、近藤誠医師の証言「ガン治療で年間25万人殺害されている」
日本では箝口令、隠蔽されたアメリカ議会での戦慄のデヴィタ証言「抗ガン剤はガンを何倍も増やす増ガン剤である!
ガン病棟という殺戮モルモット工場の壮絶な絶叫、阿鼻叫喚地獄の実態!
驚愕の抗ガン剤の正体!抗癌剤は猛毒殺人毒ガス兵器だった!
地獄行の新幹線!悪魔の殺人収奪医療に殺害された筑紫哲也さんのダイイング・メッセージ
抗ガン剤の添付文書を徹底検証する DNAはズタズタ、全身の臓器はボロボロに… 農薬パラコートのように人間を枯死させる
いい加減、デタラメ、悪質な現代医療の実態!医者は『添付文書』すら読まない!病院という白亜の殺人工場
悪魔達の毒殺収奪マニュアルの実態!医者が夢の治療薬ならぬ、夢の収奪薬、増ガン剤を使いたがるホンネ
抗ガン剤実験で奇形児が発生している!添付文書で警告!抗がん剤を使うと奇形児が発生の警告
現実は添付文書をはるかに上回る戦慄 添付文書にも盲点があった!
174投稿者:777 投稿日:2010年01月03日(日) 10時50分02秒
慌てだした医療業界 大量殺人がバレはじめた! 超等級の医療裁判が待っている!
病院には殺人罠が仕掛けられていた!医学部は収奪経営学部 、医師は患者を騙す俳優
日本のガン治療は世界の非常識な実態!日本は抗ガン剤20倍、手術17倍「いじくり回せば寿命を縮める」は世界の常識
疑惑の医師達の実態はマッチポンプだった! ガン治療名医のカラクリもともとガンでなければ再発しないというシカケ
写真と映像でじっくり見る、戦慄!製薬会社、動物実験棟の実態!
形式主義社会の悲劇!形で治療して本質で殺害!殺され代2000万円超の大絶望
病院と葬儀屋の黒いつながり 末期ガン患者の死体予定リストが回っている!死体は葬儀屋に高値で売られていた!
闇に葬られた告発論文!80%のガン患者を殺害していた大学病院「こんな、本当のことを患者が知ったら、どんな騒ぎになるか、君はわからんのか!!」
悪魔達の毒殺収奪作戦!早期発見、早期殺害ビジネスの殺人罠
恐ろしすぎて報道できない驚愕の大量殺人医療の真実…日本人の死因の第一位は殺人事件の被害者だった!
戦争時代を超えた!大量殺戮社会!二人に一人は医療に殺害される戦慄の殺戮収奪社会
現代医療ではなく殺人欺療 ガンマフィアたちの毒殺収奪計画
見えない殺戮の時代へ 人間社会の裏側はどの産業でも残酷なもの
繰り返されてきたまともな医者からの警告 まともな医者は病院で殺されることを警告してきた
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/214.html
175投稿者:詳細は、 投稿日:2010年01月04日(月) 18時20分45秒 ID:LA5k6qJr
宗教板にて
176投稿者:777 投稿日:2010年01月04日(月) 20時02分02秒
175は荒らしなので悪しからず
177投稿者:大切なこと 投稿日:2010年01月06日(水) 02時53分14秒
=南無認定宗教12=
神仏のお1人がこんな事をおっしゃいました。
「救世主が現れるか否かを論ずるのではなく、救世主が必要ならば現れやすいように、あるいは、活動しやすいように、それぞれが行動することが大事である。
誰かに救ってもらうよりも、救ってあげたい、そうした心を持つ人達が増えなければ、どんな救世主も神人も、人を救うことなどできないのである。
救世主が誰であるかを議論するよりも、真の救いを人類にもたらすために自分達が行動しているのかどうか、が問題なのである。
人に過去世からの霊的なカルマがある限り、それを乗り越える努力をなくして、人類が救われることはないのである。
救世主が奇跡を起こして世界中の貧乏人にお金を与えたり、病気を治したとしても、実は、人類は救われてはいないのである。なぜなら、霊的なカルマが消えていないからである。
各人がこの世に生まれてやらねばならないテーマや乗り越えるべき壁があるのならば、それはお金持ちになったり、健康になったりしても、解決しない問題なのである。
http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/shu05.htm
178投稿者:777 投稿日:2010年01月06日(水) 20時36分04秒
175と177は異常性格者の荒らしなので悪しからず
179投稿者:お知らせ 投稿日:2010年01月07日(木) 23時29分19秒
初詣でお済みですか??
=一覧 寺院 神社=
鎌倉
建長寺 円覚寺 寿福寺
浄智寺 浄妙寺 東慶寺
円応寺 杉本寺 瑞泉寺
長谷寺 高徳院 名月院
光明寺 安国論寺 大船観音寺
報国寺 極楽寺
鶴岡八幡宮 鎌倉宮
その他
最乗寺 遊行寺 龍口寺
称名寺 総持寺 川崎大師 延命院
江島神社 箱根神社
伊勢山皇大神宮
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/hiro-tsutsui/kanagawa/ichiran.html
180投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時49分09秒
50代になるまで生きて来て、私くらい波乱万丈な人生を送って来た人はいないのでは?と思っています。そんな私がインターネットが出来るようになり、ブログまで開設できるようになるなんて、これは「天の思し召し」・・・そんな気持ちです。
ブログで綴ってみたい事、それはがんで亡くなった母のこと、父のこと、姉のこと・・・・。3人は本当にがんだったのか・・・・ずっと疑問を抱いたまま、生きてきました。そして担当医師への強烈な不信感。でもそんな体験をしたから分かった事は、警察に相談しても警察は「民事には介入できない」の一点ばりってこと。家族の死に疑問を持っても病院で死んだら解明は無理ということです。
母が52歳で亡くなり、今年でまる30年、今日まで母は医者に殺されたのでは・・・・とずっと思い続けています。
母と同じ病室(8人部屋でした)の人たちは「がんの患者さんには見えないね」と亡くなる直前まで言ってましたが、母は2人部屋に移されました。そしてあっと言う間に亡くなりました。同室の末期がんの患者さんよりもずっと早くに・・・・。死亡診断書には病名は乳がん死なのに「心臓停止」の4文字だけでした。
あの時、そう・・・・・仕事が終わるといつも母の病室に行っていた私ですが、その日は、たまたま知人の病気見舞いに他病院へ行き、ちょっと3時間ぐらい母のそばを離れました。そして帰ってきたら面会謝絶になっているのです。医師からは病室には入れませんと言われ、医師や看護婦だけがバタバタしていて、その日は病室に入ることが出来ませんでした。その後2〜3日間は意識不明で、そのまま母は亡くなりました。
亡くなる直前に「この病院おかしいから病院変わろうか」と話していた矢先の突然の死・・・・・でした。
次回のブログでは、母がどのようにして乳がんと診断され、手術をして、そこの病院で亡くなることになったのか、書き綴りたいと思います。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-1.html
181投稿者:波乱万丈過ぎる人生その1 投稿日:2010年01月17日(日) 16時49分40秒
今日はブログを始めてから2回目のブログになります。毎日書き続ければよいのでしょうが、なかなか思うようになりません。でも、これからも続けていきたいと思っています。
前回のブログを誰かに読んで頂けたか分かりませんが、誰にも読んでもらえなくても自分史のような気持ちで書き続けたいと思います。マイペースで・・・。
母が亡くなってから今年の4月で30年が経ちました。
その母が52歳で亡くなる5年程前、母は胸にさわるとコリコリとするものがあると言い出しました。当時小さな漁師町に住んでいましたが、母は町の名医さんと言われていた先生のところへ行って見てもらうことにしました。
お医者さんが言うには、「何も心配するものではない。子供を生んだ人なら年を取ったら誰でもなるもの」と言ったそうです。母は安心して一年くらいそのまま放置しておりました。
ところが一年くらいすると、血がまじったような液が出るようになり、再度病院に行くと先生は「何ともないと思うけれど、そんなに心配なら一度大きな病院に行って検査してみなさい」と言いました。
母は早速、大病院で検査を受けました。結果は「乳がん」とのこと。すぐに手術をすることになりました。術後、担当した男性医師は母の切除した部分を皿のような容器に入れて父に見せたそうです。
そして、こう言ったそうです。「まだ乳がんとまでは言えませんが、いずれ乳がんになりますから切除しておきました。きれいに取っておきましたので絶対再発はありません。僕が保証します」と・・・・。ただ、心臓側の方の手術だったのであまり長生きは出来ないかもしれません。あと10年位の寿命と思って大切にしてあげてください、とも言ったそうです。
182投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時50分17秒
その後、3週間くらいの入院で退院し、放射線をかけるのに3週間くらい通院しました。ただ母は何故かコリコリしたものがまだ、わき腹などに2〜3個あるとしきりに言っておりました。でも担当医があれだけ自信満々に再発は絶対にありませんと言っていたので何故か私たちも安心してしまい、そのことを深く気に留めませんでした。(当時は私もまだ若く、20代だったので乳がんという病気を深く理解していませんでした)
手術は今の手術と違い、肩の下あたりから胸、わき腹近くまで、それこそ「ごっそり」と、あばら骨が見える位えぐるように切除したそうです。父は相当驚いたようです。後々までそのことを言っておりました。「あんなに取るものか」と・・・・。
でも、今になって考えてみると、たとえ乳がんでなくても、健康な女性でもあれだけ体を切られ放射線をかけられたら、それだけで寿命は短くなるのでは?と考えたりしています。冷静に考えて見るとですが・・・・。でもその当時は無我夢中で医師の言われるままでした。
少し話しが逸れました。
母は手術をしてから3年半は普通通りに生活しておりましたが、3年半経ったころから咳きが出るようになり、かなり激しい咳きになってきたので、また手術した病院で診察を受けたところ、当時の担当医は転勤していないとのことで、新しく女医が担当になりました。40代前後のように見えました。その横には助手の男性医師がついておりました。
診察の結果は肺に水が溜まっているとのことで、すぐに水を抜きましょうと言う事でした。やれやれと思っていたところ、夜遅い11時頃、突然病院から電話がかかって来ました。「お母さんが危篤なのですぐ来て欲しい」というものでした。
183投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時50分55秒
青天の霹靂のような驚きでした。急いで病院に駆けつけて見ると、母が肺の水を抜くときに助手の医師が誤って水を抜き過ぎたということで、それが原因で母がベットでテレビを見ていたら急に意識が薄れて様子がおかしくなってしまったとのこと。同じ病室の人達がそれに気づいて大騒ぎになり、病院があわてて私たちに電話をかけて来た、ということでした。
その後、少し経ってから女医から検査の結果ですということで父に話しがありました。母は肺にがんが転移しているとのことでした。私たちはショックを受けましたが、乳がんから肺がん転移というのは理解できました。あんなに咳きこんでいたし、やっぱり転移だったのかと・・・・。
しかし、です。その後の母はぐんぐんと良くなってきました。まるで健康そのもの、以前の母の姿でした。同じ病室の人達は「がんの患者さんには見えないね」と言いました。それで、再入院してから3ヶ月経った頃に私は女医さんに「いつ退院できますか?もうこんなに元気です」と廊下で聞いたところ、不機嫌そうな顔をして「退院なんてできません。来年のお正月にはもう自宅に帰れないと思ってください。」と言われました。
あの冷たい言葉や顔はいまでも忘れられません。その頃からです。女医に対する不信感が生まれたのは・・・。父に相談してみました。「一つの病院だけでなく他の病院でもみてもらったらどうか」と・・・。父も何だか変だと思いはじめていたようでした。でも病院を変わるということは今の病院を信用していないということにもなるので、すぐに結論を出せずに躊躇しているうちに、母の顔が急に変わってきました。
184投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時51分23秒
病院には仕事が終わると毎日のように、母を見舞っていましたが、ある日、びっくりして思わず「どうしたの?母さんの顔変だよ」と病室で叫んでしまいました。そのくらい急激に母の人相が変わってしまったのです。風船のようにふくらんでいるというか、腫れているというか、そんな感じでした。
でも、どの病院にも長く入院していて、なんでも知ってる物知り屋さんがいるものです。同じ病室の方が「それは薬の副作用だよ」と教えてくれました。母はそれから薬を飲まないようになりました。そして顔が腫れだした頃と前後して8人部屋の病室から2人部屋に移されました。末期がんの人と一緒の部屋でした。カーテンで仕切られていて個室のようなものでした。
あとは、前回書いた通りです。再入院してからわずか6ヶ月後の死でした。私が母の病室から知人の病気見舞いに行ってた3時間弱くらいの空白の時間の間に、母は意識不明になり、3日後くらいには亡くなってしまいました。私が病室を出るとき、母は「頭が少し痛い」と言って、肩こりなどのときに使うキンカンを首に塗っていました。私が「ちょっと行って来るね」と言うと「気をつけてね」と言ったのが母との最後の会話でした。
次に母と面会したときには、意識もなく、喉にはとても太い管のようなものが挿入されておりました。とても太いものでよく喉に入るものだと思えるくらいの太いものでした。そして堅そうな管でした。とても正視できないくらい痛々しい姿でした。3日間くらい意識不明だった母は亡くなる直前一瞬、意識が戻ったように目をあけました。
「母さん、分かる?」と言ったら、一瞬うなずいた様にも見えました。私は安心して、その晩は自宅に帰ることになりました。その時も母が死ぬなんて全く考えてもいませんでした。姉がそのまま、付き添うことになり、私や父は自宅に着きました。しかし、家に着いた途端に姉から電話が入りました。「母さんが今、死んだ」と・・・・。
185投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時52分03秒
悲しむ暇もなく、私たちはまたすぐに、病院に向かいました。病室で悲しんでいると、女医が入ってきました。チラッとこちらを見ただけですぐ出ていきましたが、そのときに女医はニヤッと笑ったように見えました。私の見間違いだったのでのしょうか・・・・。
母は本当に癌だったのでしょうか・・・。癌は痛みがひどいと聞きました。でも母にはそんな表情は全くありませんでした。
あの時は、癌の知識もなかったので、肺に水が溜まったと聞いては、肺に癌が転移したんだと信じ込んでしまいましたが、今なら分かるのです。肺に水が溜まったからと言って肺がんとは限らないんだってことが・・・。
今でも思うのです。田舎の名医さんが言った「何も心配するものではない。子供を生んだ人なら誰でもなるものだ」って言ったことが真実だったのではないかと・・・。
もし、あのまま放置していたら母は今も元気に生きていたのではと思うのです。
病院で不審な死に方をして、警察に通報しても、相談しても、民事には介入できないとは、どういうことを意味しているのでしょうか?(少なくても姉や父が亡くなった7年前まではそう言われました)
次回のブログでは2002年の6月にホスピスの病院で安楽死された姉の納得のいかないことを書きたいと思います。
昨今、早期発見が叫ばれておりますが、姉は早期発見の上に超がつく、超早期発見でしたが、姉が両方の胸を切除され、挙句の果てにホスピスの病院で安楽死されました。母の時と同じ経過をたどり、癌の痛みも全くありませんでした。本当に癌だったのでしょうか?その事について詳しく書きたいと思います。
これは、天の意志のように思います。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-2.html
186投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時52分37秒
前回は乳がんで52歳で亡くなった母のことを書きましたが、今日はたった1人の大切な女姉妹だった姉の乳がん死のことを書きます。(その前に1つ訂正があります。母が術後、3年半後に肺に水が溜まり再入院して6ヵ月後に亡くなったと書きましたが、5ヵ月後の誤りでした。前年の11月に再入院して、翌年の4月に亡くなったので、正確には再入院して5ヶ月後の死でした。)
母が亡くなって23年後、今度は姉がガンで亡くなりました。病名も同じものでした。亡くなった歳も同じでした。でも私にとっては納得できない奇妙な死でした。そのことを書き綴りたいと思います。
姉が52歳で亡くなる10年前、姉が42歳のときでした。
当時、姉はまだ独身で会社勤めをしていた頃でした。会社の健康診断を受けたときに担当の人から、
「レントゲンを撮った際、胸にかすかに白いものが映りました。見逃す程度のものでしたが、一度検査を受けてみてはどうですか?何ともないと思いますが・・・。」
と言われました。
姉は母のことを思い出し、すぐに大病院に行き検査を受けました。が、「何も心配するものではありません」と言われたそうです。しかし、当時はガンと言われたら2〜3件の病院で見てもらい、どの病院でも異常なしと言われたら安心できるという風潮がありましたので、姉は今度はがんセンターで検査を受けて見ました。が、やはり同じことを言われたそうです。そして、こうも言ったそうです「今は、医学が進んでいます。あちこちの病院に行って検査しなくても大丈夫ですよ」と・・・。
187投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時53分05秒
それで姉は安心したのですが、そんな時、職場の人から「そんなに心配なら乳腺の専門病院があるから、そこに行って見たら?その先生はテレビや新聞にも出ている有名な人で、乳腺の専門の先生」と教えられました。
たまたま、その病院は姉の住んで居るマンションと同じ区域で自転車でも15分くらいのところにありました。姉はその病院にも行ったそうです。ところが答えは同じものでした。「何も心配するものではない」と・・・。ただ、その先生は「お母さんが乳がんで亡くなったのなら、半年に一度くらいは検査にいらっしゃい」と言ったそうです。
姉は半年に一度通い続けました。そして何事もなく3年半が経ったころ、ちょっと気がゆるんだのか10ヶ月くらい通っていなかったときに、胸に異変を感じ、すぐに病院に行ったそうです。(どのような異変だったのかは私にはよく分かりませんでしたが、姉はそのような言い方をしていました)
病院に行くと、医者は急に悪性に変わりましたから右胸を切除しましょうと言ったそうです。そして、それから1ヶ月半後くらいに全摘出手術を受けました。姉のがんにはホルモン療法が良いという事で、抗がん剤も放射線もしませんでした。(放射線の設備のない病院でした)
ただ、その手術は院長ではなく、ほかの医師が執刀したそうです。姉はその有名な院長が執刀してくれるもの思っていたのでがっかりしたようです。そしてこんなことも言ってました。当日は3人の患者が同じ手術室で手術を受け、目を覚ましたら3人とも風邪をひいていて、「私たちが意識のないのを良いことにどんな手術をしていたんだろうと・・・」と3人で話しあったそうです。
でも、奇妙なことに麻酔から目を覚ますと、姉の背中には傷があったそうです。姉はそのことがとても気になってたようで、たびたび私に話しをしていました。「あれは、何の傷だったのだろう」と・・・。気になるほどの大きな傷が背中にあったようです。
188投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時53分43秒
そして、最初の手術から1年半経った頃に、今度は左の胸に原発がんが見つかりましたということで、左の方も全摘出することになりました。そのとき、院長は「お母さんもガンだったから仕方ないね」と言ったそうです。
姉は細身の体をしてましたが、母に似て胸がとても大きかったので、そのことを思うとどんな気持ちで手術を受けたのだろうと、思い出すと悲しくなります。
こうして姉は超早期発見から5年足らずの間に、両方の胸を全摘出することになってしまいました。治療はやはりホルモン療法だけで良いとのことで、両方とも抗がん剤も放射線もしませんでした。そして、最初の手術(H9年1月)から5年6ヵ月後のH14年6月30日にホスピスの病院で安楽死しました。安楽死の注射をしてから5日後の死でした。
しかし、私はとんでもないことに気づきました。とんでもないことに・・・・。姉は本当にガンだったのか・・・。
次回はなぜ、姉がホスピスに入れられることになったのか・・・・、なぜ安楽死させられたのか、詳しく書きたいと思います。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-3.html
189投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時54分15秒
さて、前回は姉が「超早期発見がん」だったと言うのに、ホスピスの病院で安楽死したことを記事にしました。そして、その安楽死に不信感を抱いたまま、私はこの七年間を生きて来ました。 本当は裁判を起こしたいのですが、裁判はお金のない人には無理なことです。でも、このまま何も語らずに、この世を去ることは出来ない、正義のためにも人々に語らなくては・・・・、そんな使命感でブログを始めることを決意したのです。
たとえ、誰も見てくれなくても、書き記したことはずっと残ることでしょう。このサイトが消滅することになったとしても・・・・。書いたことは消えない。
姉の死。 これは母の死での抱いた不信感に更に残酷さが加わります。
姉は両方の胸を切除してから、救急車でその病院に運ばれることになるまでの2年間、あまりこまめに病院に行かなくなっていたようです。
分かりやすく書けば、両方の胸を切除してから1年半くらい経った頃に、2人で自転車でスーパーに買い物に行ったときに、姉が「何だか最近、背中が少し痛いんだから・・・・」と言ったことがありましたが、そんなに深刻な感じではありませんでしたので、私はそんなに気にかけませでした。。
それが確か10月か11月頃だったと記憶してます。その後、雪のシーズンに入り、しばらく姉の所に行きませんでした。6ヶ月くらい経って、翌年の4月のはじめに電話をした時、姉は少し不機嫌な様子で「今、背中がすごく痛いので、また後で電話して」と言われました。
姉は晩婚でしたが、義兄(姉のだんな様)が単身赴任していました。それが定年退職で帰って来る事になり、姉は背中が痛いにもかかわらず気丈に、引越しの後片付け等で忙しく動き回っていたようです。
190投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時54分49秒
姉が背中に激痛が走り倒れることになったその日、平成13年4月、引越しの後片付けの後の、その
日の翌朝に、顔を洗って歯を磨いているときに、足元から沈み込むように倒れたそうです。とても奇妙な感覚だったと言っておりました。
しかし、倒れた瞬間にものすごい激痛で起き上がることが出来なくなり、救急車で手術した病院に運ばれました。
院長は姉の姿を見て怒鳴ったそうです。「なんで病院にずっと来なかったの!」と・・・・。
しかし、どうすることも出来なかったようで、まずホスピスの病院に連絡をとったようです。姉はびっくりして「なんでホスピスなのか」と聞いたところ、院長は「僕の友人がそこで医師をやっている。ちゃんとやってくれるから安心して」と言ったそうです。
そうして、姉は何故かホスピスの病院に運ばれることになってしまいました。
そこで処置をしてもらい、1日か2日後に姉は「がんセンター」に運ばれることになりました。
そこで3週間くらい入院をして、放射線を「最大」かけたそうです。最大とは「もう、これ以上かけられない」というところまで放射線をかけた、ということです。
放射線は姉には初めての経験でした。
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191投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時55分22秒
さて、今日も前回書いた姉の「がん死」の続きを書こうと思いますが、最近芸能界でも有名人の「がん死」がたて続きに報じられていて胸が痛んでいるところです。
つい、ブログを書く気が滅入ります。根気を出して書き綴ろうと思います。
前回は姉が背中の激痛で倒れ、「がんセンター」に運ばれたあと、放射線を最大にかけて治療したところまで書きました。
その後ですが、姉は3週間ほど「がんセンター」に入院しました。そして歩けるようにもなりました。ベッドで寝ていると放射線の担当医のN先生が姉に「寝てばかりいたらダメだよ。うんと歩く練習しなさい」とハッパをかけておりました。
感じの良い先生でした。テレビや新聞にも良く出ている有名な先生です。ただ、私はその先生のアドバイスに違和感を感じました。あんなにひどい激痛だったのだから背骨がやられた、ということは私にも分かりました。
背骨というのはとても怖いところです。それなのに「どんどん歩く練習しないとダメだよ」とは・・・。
「がんセンター」での診断は背中にがんが転移しているとの事でした。だから私は「安静にしてなくてはいけない」という考えでおりましたので、「どんどん歩く練習しないとダメだよ」との指導にびっくりし、うまく言えませんが、その言葉に違和感を覚えたのです。
192投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時55分49秒
私は心のどこかに、姉は本当にがんなのだろうか?と疑いの気持ちも持っておりました。母のことがあったからでしょう。
でも当時、乳がんは40歳以上の未婚の女性が罹りやすいと言われておりましたので、姉はそこにぴったりと当てはまりました。やはり姉は本当に乳がんなのかも知れない、と言う絶望的な気持ちにもなっておりました。
私は姉に聞きました。背骨に転移していると医師に言われたときに、「レントゲンを見せてもらって確認したの?」って・・・。
姉は「背中のところに確かに白いものが写っていた、確認した」と言いました。
私は胸が押しつぶれそうなくらいのショックでした。「やっぱりがんだったのか・・・・。」と。
そして姉は3週間くらいの入院で歩けるようになり、元気も出てきた頃に、「がんセンター」からまたホスピスに戻ることになりました。私の父は「なんできちんと治るまでがんセンターで治療してくれないのか」と、がっかりしていました。私も本当にそう思いました。
ですが、ホスピスの担当医から戻るようにという指示でしたので、私たちは素直に従うしか、どうすることも出来ませんでした。
「がんセンター」のN先生は退院するときに、姉に「きれいに治しておいたからね。他にはどこにもがんの転移はなく、内臓もきれいだったからね」と言ったそうです。
「がんセンター」を退院する日に、同室だった人たちがエレベーターまで見送ってくれました。その時、病院内のことでは物知りで有名?なHさんという「がん患者さん」が姉に言いました。
「あなたはちゃんと元気に退院できて良かったわね。あなたと同じ症状で入院した人は、今は全身に転移して寝たっきりになっちゃたよ。あなたはちゃんと歩いて退院できて本当に良かったわね。」と。
193投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時56分18秒
でもエレベーターのドアが閉まるとき、Hさんは不思議そうな表情をしていました。その顔を私は今もよく覚えています。
そして、姉はまたホスピスに戻りました。ただ、入院は短くて一週間くらいだったでしょうか・・・。その辺のことは何故か私には明確な記憶がありません。ただ、入院はとても短かった、ということは憶えています。
姉はホスピスで、乳腺クリニックの主治医の友人だという男性医師が姉の担当医になりました。N医師と言いました。内科・副部長という肩書きの医師でした。
ホスピスに移ってすぐに、姉はこの担当医から「治験」を勧められました。なんでも姉が言うには「骨が丈夫になる治験」だと言っておりました。
私は「治験はやるものではない、ろくな事にはならない」と聞いたことがありましたので、「やめた方がいいよ」と反対しました。ましてや放射線をあんなにかけて体が衰弱しているのだからと、とても胸騒ぎがして強く反対しました。
でも、姉は「骨が丈夫になるなら」と治験をすることに決めてしまったのです。その担当医のN医師と2人だけで決めてしまったのです。義兄(姉の夫)には電話で「治験をすることにしたから」と姉から電話があっただけ、と後に義兄から聞きました。
治験同意書にはこう書かれていました。
「治験課題名:CGP 42446 注射剤の乳癌骨転移患者を対象とした二重盲検群間比較試験」
と・・・・。
194投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時56分54秒
姉はこの治験を確か6月か7月ころから始めたようでした。(がんセンターを退院してから割りとすぐでした)そして翌年の6月30日に安楽死することになったのです。「がんセンター」を退院してから一年後くらいの出来事でした。
今日のブログではもう少し書きたかったのですが、詳しく書くとかなり長くなりそうなので、この続きは次回に書きたいと思います。
姉は本当に「がん」だったのか?疑念を抱く決定的なことが分かりました。姉が安楽死の注射をすることになる3日くらい前のことでした。
そのことなどを書きたいと思います。
* 姉が亡くなってから暫くして、ある人からこんなことを聞きました。「治験とは大変重大なことで、患者と医師の2人でコソコソ話しをして決めることではない。家族が何度も何度も話し合って決めるもの。それ程、治験とは怖いもの」と・・・・。
私の胸騒ぎは的中した訳です。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-7.html
195投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時57分32秒
前回のブログ投稿から10日も経ってしまいました。姉のがん死の記録を書き続けることはエネルギーを使います。とても疲れてしまい、翌日にすぐまたブログを書くということが出来ません。
姉の死は私にとって人生最大の悲しみでした。(母や父の時もとても悲しかったのですが、姉の時の悲しみは格別のものがありました。)
きっと、心の片隅でとても姉の事を心の支えにしていたのでしょう。
母を亡くした後、姉と私は女同士、仲良くして生きて来ました。よくお互いの家を行き来してました。ショッピングもよく一緒に行きました。独身の長かった姉にはよく色んな物も買ってもらいました。私にも子供にも・・・。
父のところへ遊びに行くときも、二人でよく待ち合わせをして一緒に行ったものです。
私には息子が一人いるだけなので、子供のいない姉と老後は女同士でいろいろと支え合えればと、思っておりました。姉を頼りにしておりました。お友達なんかいなくても平気、姉さえ居れば。そんな思いでした。
そんな大切な姉が突然、目の前から消えた。そんな感じでした。今月の30日で丸7年が経つというのに、未だに死を受け入れられない、そんな気持ちです。
そんな訳で、姉のがん死を書き綴るということは、精神的にとても苦しく、エネルギーを使います。
ついついブログが伸ばし伸ばしになってしまいます。
でも、このまま何も語らずにいる事は、もっと苦しい。どうしても医者が許せないのです。どしても誰かに知って貰いたいのです。だから、書き続けます。頑張って・・・。
196投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時58分06秒
前置きが長くなりましたが、姉の安楽死の続きを書きたと思います。
乳癌で両方の胸を切除してから、2年後に姉は背中の激痛に倒れました。がんセンターで放射線治療をして3週間で歩けるようになり、またホスピスの病院に戻りました。ホスピスでは数日間の入院で退院しましたが、治験のために月一度の通院が決まりました。
(ただ、月一度だったのか二度だったのか、その辺の詳しいことは聞かなかったので、詳しくは分かりません。一度だったように思いますので、ここでは一度と書いておきます。)
姉は月に一度、ホスピスに通院していました。その年は2001年でした。8月のお盆には私の家にも立ち寄れるくらいに元気になりました。ただ、その時はまだ杖をついていました。が、9月に自宅に遊びに来た時には杖もとれていて、地下鉄とバスを乗り継ぎ、40分くらいかけて私の家に遊びに来れるまでになっていました。
写真も撮りました。私の家のソファーに座って笑って写っている姉。亡くなる9ヶ月前の写真・・。
姉は元気になっているもの、とばかり思っていました。
ところがそんな時、今度は父が大変な事になってしまったのです。2001年の9月に姉が我が家に遊びに来て、そのまま父のところにも遊びに二人で行きました。
父はいつものように元気そうでした。それなのに、その一ヵ月後に父は倒れました。なんでも冷たいトマトを食べていたら突然胸が痛いと言い出し、救急車で運ばれたというのです。10月でした。
私と姉は病院に行きました。主治医の先生の話しでは「胃がん」だという事でした。
すぐ手術をしたほうが良いというのです。
急な話でしたが、父は81歳でしたので、私は「もし進行しているようでしたら手術はしないで下さい」と医師に言うのが精一杯でした。。医師は「分かりました」と確かに私にそう言いました。
しかし、医師は義母(父の再婚相手)から手術OKの承諾を得たようでした。
197投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時58分38秒
何故なら、私たち娘にはなんの断りもなく、何と81歳の老人に対して、胃を全摘出してしまったのです。それだけではありません。がんの転移もないのに、脾臓も全摘出、胆のうも全摘出してしまったのです。
理由はこう説明もらいました。「お父さんはもう年なので、もし、数年後に脾臓や胆のうに転移したら今度はもう手術が出来ないので、こちらの方も取っておきました」と言うものでした。
私は驚きました。でも、何も言えませんでした。もう手術は済んでしまった事だったので・・・。それに、このまま元気になれるのなら・・・とも思いました。
お話が少し逸れてしまいました。父のことは後で詳しく書くことにします。姉の話に戻したいと思います。
姉は治験をやりながらも元気でした。いつもの元気だった頃の姉に戻っているよう見えました。
一度、姉に付き添って病院まで行き、どのように治験をしているのか見た事がありました。
病院の待合室があり、向かい合わせに病院窓口があり、待合室の横におトイレがありました。そのおトイレの後ろ側に一畳半くらいの個室が一つあり、そこで姉は診察台のようなベッドに寝かされて一人、治験の注射をされていました。
点滴注射の時のような形式でしたが、思わず私は叫んでしまいました。「治験って血液の中に入れてるの?」って。姉は「そうだよ」と言うだけ。
人の通らないような場所で陰気な部屋でした。私はやはり胸騒ぎがしたのです。この治験に・・・・。ですが当の本人は何も感じてないらしく、私が何か言うと「考えすぎだ」と言って笑うだけなのです。いつだって・・・・。
198投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 16時59分34秒
父は3週間程して、2001年の11月には退院しました。その時も姉は父のところに心配して来ていました。12月の雪の季節に入っても姉は時々バスで父のところには来ていました。ただ、姉もまだ完全な健康体ではないので、父のことは私にまかせていました。父がスイカを食べたいと言えば、私があちこちのスーパーを探し回るとか、そんな雑用は私にまかせていました。
そして2002年の新年を迎えました。父も元気でした。姉も回復に向かっているものとばかり思っていました。いつもの元気な頃と変わらないように見えました。私には・・・・。
姉は昔から口が堅いと言うか、余計なことを話さない人でした。今、思うことは「もっと、もっと妹の私には病状を詳しく話して欲しかった」と言う事です。その事がただただ心残りです。
姉の異変を知ったのは、翌年2002年の2月だったでしょうか・・・。3月に入った頃だったでしょうか・・・。突然、義兄から電話をもらいました。姉が夜中に突然「息ができない」と言い出し、救急車で運ばれた、との知らせ。
びっくりしました。「息ができない」こんな恐ろしい言葉はありません。とにかく急いで翌日、姉が入院したホスピスの病院に向かいました。姉はいつもの姉に見えました。
もしかしたら癌が肺に転移したのかも知れない、と私は思ったりもしましたが、姉は「大丈夫だからそんなに騒いで病院に来なくていいよ、毎日来なくていいから。」と少し不機嫌に言いました。
その時は10日間くらいの入院でした。私は毎日病院に行かなかったので、姉にどんな治療をしたのかと聞くと、姉は「肺の処置をした」とだけ言いました。肺にがんが転移したものではない、というものでした。それじゃ何のための処置なのだろうと私は急に不安になりました。
一体、姉の病状はどうなっているのだろう。
199投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時00分15秒
回復したように見えてたけれど、もしかすると、何だか大変なことになっているのでは?と、とてもあせった気持ちになりました。心臓がバクバクして夜も眠れなくなりました。
一度、主治医に話しを聞かなくてと私は決意して、病院に電話を入れました。私が主治医に会って話しがしたいと申し入れたのは、その時が始めてでした。
10日くらい待たされたでしょうか・・2週間くらい待たされたでしょうか・・・、とにかく主治医に面会するのがとても長く感じたのをよく憶えています。
やっと、主治医と面会してお話しが聞けました。(姉が亡くなる3ヶ月前くらいでした)物静かにお話しをする、やさしそうに見える先生でした。最初にレントゲンを見せてくれました。レントゲンを見ても私には分からなかったのですが、一緒に付き添ってくれた義母は若い頃に少しだけ看護婦をしていたことがある人でした。
レントゲンを見るなり、「あらー、骨がスカスカ・・・・」と言いました。
でも、私は義母の言葉をその時はあまり気にしませんでした。何故なら主治医が姉の癌の事でどんな事を話すのか、そちらの方が気になって仕方がなかったのです。胸騒ぎが止まりませんでした。
主治医はこう言いました。「昨年の12月頃から、肝臓に転移らしきものが見えるようになりました。」と・・・。そして「このままでは、お姉さんはあと1年半くらいの命だと思います」と、このような事を言いました。
私はショックと言うより怒りがこみ上げてきてしまい、思わずこう言ってしまいました。「あと、1年半くらい?それってどういう事ですか?何で姉が死ななくてはならなうんですか?」と・・。
主治医は私の剣幕に動揺した様子でした。
そのあとの事は、殆んど記憶にありません。どうやって自宅に帰ったのかも今は思い出すことができません。ただ、その夜から私は眠ることが出来なくなりました。
200投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時01分25秒
「大変なことになった」、「何とかしなくては」、ただそれだけを考える毎日になりました。それまでにも本屋さんに立ち寄っては癌に関する本を購入して、癌には何が効くのかといろいろ調べていましたが、そんなある日、こんな本を書店で見つけました。
「行列ができる名医」という本でした。そのなかで免疫療法で成果を出している病院が目に止まりました。「ガン細胞が消えた2」八木田旭邦著 などの本を出版している先生です。
早速、電話をして見ました。この先生は東京の病院で開業している先生でしたが、仙台にもあり、仙台にも週に一度来られるということで、札幌からは仙台の方が近いのでこちらに予約をして4月23日に訪ねることになりました。
ですが、仙台の方にいる先生もこの八木田先生と同じ治療方針ということなので、「八木田先生でなくても同じですよ」と言われ、面談が一日でも早い方がいいと思い、仙台の方の先生に相談に行くことになりました。
「レントゲン写真を持ってきてください」と言われ、主治医に申し入れたところ、レントゲン写真と主治医からの手紙を渡され、それを持って私は仙台まででかけました。仙台の先生は主治医の先生の手紙をジーッと読んでおりました。
しかし、その先生とお話しをしてがっかりしました。うまく言えませんが、わざわざ訪ねてくるほどのことではなかった、と思えるような内容でした。とにかくがっくりしたことで旅の疲れがどっと出まして、札幌まで帰ってくるのがとても辛かった。
ただ、仙台の先生が言った言葉で「なんであの病院に入院したの?あそこホスピスでしょう」と言った先生の言葉だけが今も耳にこびリついています。
札幌に着いてまっすぐ姉のところへ行き、報告すると姉はそこの病院の薬を飲んでみたいと言うのです。私は気が進みませんでしたが、姉は確か15万円くらい送金して、3週間分くらいの薬を送ってもらったようです。
201投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時02分09秒
しかし、それから3週間ぐらいして女医から「入院してちゃんと今後の治療法を考えましょう」と言われ、姉は2002年5月20日、最後の入院をすることになりました。そして40日後に亡くなりました。
最初に担当したN村医師は4月にどこかの個人病院の副院長として栄転していったと聞きました。代わりに40代前後の女性医師が姉の担当になりました。D医師と言いました。
どこか、面影が母の主治医だった女医と似ているなぁと思い、姉に「似てると思わない?」と言うと、姉も笑って軽く頷いておりました。
姉がこの入院から40日で安楽死するなんて、私も姉も考えていませんでした。姉は身辺整理など全くしていませんでした。亡くなる2年半くらい前には東京まで2〜3回通って、シリコンの人口のおっぱいを300万円もかけて作りに行ってました。私も一緒に東京まで付いていきました。
栄転して行ったN村医師のことを、ある人が「それはご褒美をもらったんだよ」と言いました。それはどういう意味なのでしょう。
また、私と面談したときに、あと1年半くらいの命と言っていたのに、その3ヶ月後に安楽死とはどう理解すればよいのでしょう。
ただ、姉の安楽死の宣告の3日前に、私はあることに気づきました。そのことを姉に伝え、「病院変えたら」と言いました。
それまで姉は私のいう事に耳を貸しませんでしたが、その時、姉は始めて私のいう事に真剣に耳を傾け始めた、その矢先の安楽死宣告でした。
それでは、それがどんな事に気づいたのかということは、次回に書きたいと思います。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-8.html
202投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時02分39秒
昨日、18日に姉の夢を見ました。最近は姉の夢を見ていなかったので、目が覚めたときは嬉しかった。姉は明るく笑っていました。
そして今日は、久しぶりに母と父、そして26年間行方の分からない弟の夢を見ました。3人が一緒に夢に出てきたのは初めてでした。
特に26年間も行方が分からない弟の夢は見たことがなく、一年前の8月12日に夢を見たのが初めてでした。お盆の入りの前日でした。26年間という長い歳月のなかでの初めての弟の夢だったので、その時は非常に驚きました。
その弟が今日の夢のなかで、父と母と一緒に出て来たのです。二度目です。不思議な気持ちがしました。何故に見たのでしょう。私がブログを書くようになったからでしょうか・・・・。
弟はもうこの世にはいないと思っています。弟のことは後で詳しく書き綴ろうと思います。
生きていれば今年53歳になっていた筈です。
私ほど、波乱万丈な人生を生きて来た人はいない、と自負しております。
私ほど、犯罪被害を受けた人もいないだろうと思っています。
私が知っていること、見たこと、体験したことなどを一冊の本にまとめて出版でもしたら日本中は震撼するかも知れません。
それ程、壮絶な人生でした。
父は公務員でした。母は専業主婦でした。母は手先が器用で洋裁、和裁、編み物、文化刺繍、色んなお料理等々何でも出来ました。主婦なのに人望もありました。
私が高校生になった時には、セーラー服も手作りで作ってくれました。
203投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時03分04秒
そんな母に似て、姉も器用でした。小学生の高学年の頃にはレース編みなどもスイスイと編んでいました。今でも忘れられないのは、イチゴの実と葉を編みこんだテーブルクロスを編み上げた時でした。本当にびっくりしたものです。素晴らしく見事なものでした。
大きさも2メートルくらいありました。私はどうやって編むのだろうと姉に教わったことがありましたが、せいぜい10センチ四方の大きさのものを編むのがやっとだったのをよく憶えています。
誰にも教わった訳ではなく、本を見ただけで出来てしまうのです。子供心に姉はすごいなぁと思ったものでした。なんとなく頭が上がりませんでした。
書道も上手でした。中学生の頃に、書道は教頭先生に姉も私も教わりましたが、その先生に「君は姉さんとは全然違うねぇ」と言われたものです。(弟ですら私よりずっと上手でした。そのくらい私は下手なのです)
母方の曾お祖父さんやお祖父さんは漁師だったので、海の幸も豊富に食べました。今ならぜいたく品のあわび、うに、厚みが7〜8ミリはあったような手作りのスルメ等々、日常茶飯事のように食べていました。本当に子供の頃は恵まれていた方だと思います。
姉は母に似て、肌が真っ白で若いころからとても綺麗でした。また、母に似て胸もとても大きかったです。(小学生の頃はその事をとても悩んでいたそうです)私はそんな二人に全然似ませんでした。
子供の頃は幸せだった、そんな私たち家族がこんな恐ろしい人生を送ることになるなんて・・・・。
いつ、どこで、どのようにして人生が狂いだしたのか・・・・。考えて見ました。
204投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時03分44秒
それは今まで生きて来て、長い道のりを振り返ったとき、「あの時から・・・・」かなぁと思えるターニングポイントに気づきました。
それは、これから徐徐に書き綴ろうと思っています。
今日は姉の安楽死宣告の時の状況などを詳しく書こうと思いましたが、次回にすることにします。なるべく時間を空けずに早目にブログを書こうと思います。
今、投稿しようとしたら出来ませんでした。もう一度やってみます。また、邪魔(圧力)が入ったかなぁ。私の背後にはものすごい権力を持った黒幕が監視している見たいなので・・・・。
もう一回、投稿してみましょう。成功すれば良いのですが・・・・。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-9.html
205投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時04分15秒
明日、6月30日は姉の本命日。もう7年も経つなんて・・・。今も姉のことを思い出すと胸が苦しくなります。
2001年の5月にがんセンターでの3週間の放射線治療後、そこを退院するときに放射線医から
「どこも転移はなく、内臓もきれいだからね。」
と言われました。それから1年と2ヶ月後にはホスピスで安楽死とは・・・・。
姉はいつもの元気な頃の姉に戻っているとばかり思っていました。そのように見えていました。バスと地下鉄を乗り継いで、以前のように遊びに来ていたのですから・・・。
2001年の12月にも父のことを心配していて、訪ねたりしていました。そして父の、もしもの事なども考えて姉は喪服をオーダーメードで新調しておりました。2002年の1月ごろのことです。まさか、そのわずか数ヵ月後に自分が死ぬなんて、姉はまったく考えていなかったと思います。
そんな姉が翌年2002年の3月ごろに、夜寝ていて突然「息ができない」と言って、救急車で運ばれることになった、との義兄からの電話は本当にびっくりしてしまいました。
10日くらいホスピスで手当て(処置)を受けて退院しましたが、その時になって私は始めて「何か、とんでもない事が姉の身に起きている」と気づいたのです。そして主治医に初めて面談を申し込みました。その結果のことは前回の「その7」で書いた通りです。
主治医との面談日は2002年の3月27日、夕方4時ころでした。(連絡のFAXが入り、その時の用紙は今も手元にあるので正確に分かるのです)
206投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時04分35秒
その時、肝臓に転移が見られるようになったので、お姉さんはあと1年半くらいと思ってください、と言われたのです。
その頃から(2002年の3月ごろから)、姉のマンションに行くと、姉は体がだるいと言っていつも居間のソファーに寝ているようになりました。洋服には着替えて寝ているのです。
私は具合が悪いのなら、ちゃんと布団に寝たら?と言っても、「この方が楽で良いの」と言って最後の入院をする前日まで、そのようにしていました。
私は午前中の11時頃に訪ねて行き、夕方5時半ころには姉のマンションを出る、という毎日を送っていました。
姉は独身時代が長くて、49才くらいまで働いていたので、ショッピングが趣味でした。体が弱ってきてデパートに行けなくなると、今度は入院する直前まで通販で洋服や化粧品などを買っていて、それを私に見せるので、「こんな時にまで買い物しなくても・・・」と、私はあきれてしまい、思わず二人で笑ってしまったことを、なつかしく思い出します。
まさか、その1ヶ月と10日後に安楽死とは・・・・。
話しが少し逸れましたので、戻します。主治医からの面談のあと、私は姉に問い詰めるように尋ねました。「治験」はまだやっているのかと・・・。姉は「まだ、やってる」と言いました。
私は腹が立って、姉を怒鳴りつけました。「こんなに悪くなっているのに、何が治験なの・・・」と。そして、「すぐ止めるように主治医に言いなさい」と言いました。
姉は何故か素直に「じゃ、今度病院に行ったら言ってみる」と言いました。それからまもなく姉に聞いたら「止める事になった」と言いました。
私は姉に聞きました。「先生は何と言っていた?」と。姉が言うには「そうだね。どんどん悪くなってるしね」と言われたと言っておりました。
207投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時05分05秒
私はとても悔しく思いました。が、このままでは大変なことになると思い、本屋さんでいろいろ調べて、免疫療法に辿り着いたのです。2002年の4月23日の事でした。
それが前回に書いた通りです。
しかし、それから間もなく、栄転した主治医のN村男性医師からD女医の担当に代わり、5月20日に「今後の治療を決めましょう」と言うようなことで、2002年5月20日に入院をすることになったのです。それも死ぬことになるために・・・・。
「一寸先は闇」とはこの事をいうのでしょうね。今になって考えて見ると・・・・。本当に不意打ちの安楽死宣告でした。後で詳しく書きますが・・・・。
私は姉が入院した翌日くらいに、主治医となった女医と面談したい、と病院に電話しました。ところがなんと、電話で応対した看護婦が「個人情報保護法により、何も話せない」の一点張りなのです。
とても腹が立ちましたが、私は尚もしつこく面談を要求ました。そして言いました。「姉に聞いて見てください。妹に何も話さないでという訳がありません。私は姉の了解も得て、仙台の病院にも免疫療法のことで相談に行っているのだ」と・・・・。
そばに女医は居たようでした。なにやら相談しているみたいで、やっと面談を了解したのです。
子供もなく、夫婦二人だけの姉のことを心配しているのに、実の妹に対して、こんな応対ってあるでしょうか。いくら姉が秘密主義というか、誰にも知られたくないと言っていたとしてもです。命に関わることなのに・・・・。
208投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時05分35秒
やっと、面談日が決まり、姉と義兄、そして私の3人が女医と面談することになりました。6月3日でした。その時の女医の話では、姉は一度も抗がん剤をしていないので劇的に効果があるかも知れないとか、今は体力が弱っているので、もう少し体力がついたら抗がん剤をやりましょう、とかそんな話しをしました。
早速、姉は髪が抜けたりするからと、私に頭を隠したりするバンダナを買って来て、と私に言いました。近くにダイエーがあったので、私は買いに行ったりして準備を手伝ったりしていました。
しかし、一向に何もする気配がなく、ただ一日中点滴ばかりでした。でも私も姉も体力がまだまだ十分ではないから、抗がん剤が出来ないんだ・・・・と、楽観的に過ごしていました。
そんなある日、姉がトイレに行くときは、いつも廊下に出て見送ってただけの私がその日、姉の横に並ぶようにしてトイレまで付き添いました。
その時、びっくりしてしまいました。それは、私と姉は身長がほぼ同じくらいでした。ところが、並んでると私が姉を見下ろしているのです。びっくりしました。
「身長がかなり低くなってない?」と聞くと、「6〜7センチは縮んだと思う」と姉が言うのです。
入院する前は、そんなに縮んだようには見えませんでした。気が付きませんでした。今思うと、治験を止めたから・・・・急に縮んだのではないかと思うのです。
ですが、その時はよく分かりませんでした。
私と姉は、じきに抗がん剤をする、と思っていながらも、何もしない女医にだんだんと不安感も出てきました。うまく表現出来ませんが、「何か変だ」というような胸騒ぎ・・・、そんな思いでした。
209投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時06分02秒
姉も安楽死の宣告の一週間くらい前だったでしょうか・・・、こんなことを言い出しました。
「もし、私が死んだら、それは私の寿命だから・・・」と。そして私にこうも言いました。「お前が私のために、いろいろと手を尽くしてくれるけれども、寿命がないと、どんな良い薬を見つけてくれても死ぬんだよ」と・・・。
私はそんな姉に「寿命なんて決まってはいない。良い薬が見つかれば病気は治るもの」と言い返したりしていました。
あれは、姉が安楽死の宣告を受ける、確か3日くらい前、もしくは4日くらい前でした。病院からの帰り、また本屋さんに立ち寄りました。いつもはガンに関するものばかりを読んで、購入したりしてましたが、その日、ある一冊の本が目に止まりました。それは「骨粗しょう症」という題名の本でした。
その本を読んで戦慄しました。それは姉の症状が「骨粗しょう症の圧迫骨折」の症状と同じだったからです。一番驚いたのは、骨粗しょう症が進行すると、内臓にもさまざまな症状が出ると詳しく書かれていたことです。
背骨の変形が高度に進むと肺が圧迫され、呼吸困難になったりすると・・・。姉が息が出来ないと救急車で運ばれたのは、そのためではなかったのか・・・。
その他にも、背骨が曲がるので、身長が縮んだり、背中が丸くなりおばあさんのようになると・・・。
姉はまさにそうでした。最後の方は後ろ姿はおばあさんのように背中が丸くなっていました。
また、姉はホルモン療法という治療方法だったので、40代半ばで生理を止められたので、骨粗しょう症になる条件は揃っていた訳です。
210投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時06分54秒
姉はこんな事も言っていました。背中の激痛で倒れる少し前に、少し太ってきたので、ダイエットをしたと・・・・。
これらのことを考えたとき、これは背中にガンが転移した症状ではなく、骨粗しょう症の圧迫骨折の症状ではないか。
この本には、このようにも書かれていました。
「患者さん本人は痛みがあるから、安静にしているつもりでも、一日じゅう寝ていると筋肉の力は、一日1・5〜3%低下してゆくといわれます。3週間も寝込んだら、筋力は相当低下してしまうということです。骨と筋肉は常に一体となっています。骨が細れば、筋肉も細ってしまう事を覚えておいてください」と・・・・。
また、このようにも書いています。
「2週間もすると、立ったり、歩いたり出来るようになり、約3週間ほどで通常の生活に戻ることができます。」と・・・・。
私は思い出したのです。がんセンターの放射線医が、姉がベッドで寝ていると、「だまって寝てたらダメだよ。どんどん歩く練習しなさい」とハッパをかけていた事を・・・。そして歩けるようになり3週間でがんセンターを退院させられたことを・・・。
あの指導は骨粗しょう症の圧迫骨折の患者さんにする指導ではないかと・・・・。
しかし、がんセンターでもホスピスの病院でも「骨粗しょう症」の専門の治療ということはしませんでした。とにかく、背骨にガンが転移したと・・・。治験をしませんかと、ただそれだけでした。
でも、姉はガンが背骨に転移してると言われたと言ってました。レントゲンには確かに白いものが背骨に写っているのを見たとも言ってました。だからガンが背骨に転移したと信じていました。
果たしてその白いものとは、本当にガンの転移によるものなのでしょうか・・・。私は調べたいと思うのですが、どうしてよいのか分かりません。とても無念な思いで悶々とした日々を送って来ました。
でも、あきらめてはいないのです。真実が知りたいと・・・。ガン患者には見えなかったのですから・・・・。
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211投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時08分27秒
姉が最後の入院となったのは2002年5月20日。
安楽死の宣告をされたのが6月25日。
安楽死の開始は6月26日
亡くなったのが6月30日未明の午前1時22分。
5月20日に最後の入院をしたときに、私は姉の担当医になった女医と6月の始めに、はじめて面談しました。
姉と義兄と私の3人で面談しました。その事は、前々回に書いた通りです。
その時の女医の話も前々回に書きました。姉が一度も抗がん剤をしていないので、劇的に効くかも知れないというお話し・・・。
ただ、今は体力が落ちているので、もう少し体力がついてからしましょうとのこと・・等々。
それから姉は、点滴を毎日やっていました。じきに抗がん剤をやると信じていました。でも、いつまでたっても抗がん剤をする気配がありませんでした。
そう、6月24日までそのような状態でした。
翌日の6月25日は再度、女医と治療について話し合う予定になっていました。
ところがその日、6月25日、いつものように姉の病室に行くと、姉の姿がありません。空きベットになっているのです。びっくりしていると、同室の人が病室が変わったことを教えてくれました。
なんと、今までの病室から、2つ3つ離れた病室に移っていたのです。何のために病室が変わったのかと姉に聞いたら、トイレが近い方が良いでしょうと言われ、病室を移されたそうです。
212投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時08分55秒
確かに、トイレは近くでした。病室の正面でした。病室は8人部屋で、前と同じでした。
しかし、私が非常に驚いたのは、病室が変わったことより、姉がたった一晩で人相が変わってしまったことです。
前の日までなんともなかったのに、目の白目の部分が黄色くなっているのです。黄色というより茶色に近い黄色でした。その表情を見て私は心底、恐怖心がわきました。姉の顔がとても怖かった。そのくらい、人相が変わっていました。
今考えて、とても不思議でなりません。病室が変わった、たったの一晩で急に病状が変化するとは・・・。急激に悪化するとは・・・。
心臓がドキドキしながら姉に「どうしたの、その目!」と聞きました。
姉は、「夕べ、すごく苦しかった」と言いました。
たった一晩でこんなに表情が変わるものなのでしょうか・・・。いくら肝臓にガンの転移があるとしても・・・。
そして25日の夕方、5時半ころでしたでしょうか・・・、義兄と私だけが女医と面談することになりました。
女医はこのような事を言いました。(詳細には憶えていませんが・・・)
「もう、抗がん剤も無理なので、安楽死をお勧めします。それしか方法がありません。」
このようなお話でした。
私にとっては、全くの不意打ちの安楽死宣告でした。すごく動揺してしまいました。
女医に罵声を浴びせてしまいました。
213投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時09分21秒
しかし、この事により、姉はさらにむごい仕打ちをされたようでしたが、ここでは今、書くことをやめます。とてもショッキングなことなので、ブログを読んだ人が衝撃を受けたら困ります。でも、いつかは明らかにします。今日はやめておきます。(でも、このあと、書くかも知れません)
話しを戻します。私はショックを受けながらも、義兄と姉の病室に戻りました。そして安楽死のことを話しました。
姉は、前の晩、新しく変わった病室でよほど苦しい思いをしたみたいで、こう言いました。
「私は苦しんで死にたくないので、安楽死を選択すると・・・」
そして、姉はある事を口走りました。遺言のようなものでした。たぶん気になっていたことがひとつあったのでしょう。
不意打ちの安楽死宣告で不意の遺言を、メモ帳に走り書きしました。
私はバックに小さなメモ帳とボールペンが入っていました。姉は引き出しにいつも印鑑を入れていたようです。そこで、不意の遺言状のようなものが出来上がりました。(あまり役には立ちませんでしたが・・・)
そして、夕方の6時頃でした。姉は私にもう帰っていいよ、と言いました。義兄にも言いました。義兄は私より先に帰りました。私は、姉のそばにずっといたかったのですが、姉にそう言われると帰らない訳には行きませんでした。後ろ髪を引かれる思いで帰りましたが、自宅に帰る気がしなくて父のところに泊まりました。
214投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時09分50秒
姉は死の準備、死の身支度を誰にも見られたくなかったのでしょう。私にも・・・伴侶である義兄にも・・・。自然死ではないのですから・・・。これから死なされるのですから・・・。誰にもその瞬間を見られたくなかったのだと思います。姉らしくもありました。だから、私は姉に言われるままに帰ったのです。
義母は父が心配するので、なにも言わないようにと言いました。亡くなってから報告することにしました。父も大きな手術をして8ヶ月足らずでしたので・・・。なんと不幸な一族なのでしょう、私たちは・・・。そのとき、心底そう思いました。
翌日、6月26日、私は重い気分で恐る恐る病院に行きました。自宅から病院まで一時間以上かかるので、いつも病院には10時頃に着きました。
その日も、そのくらいに着きました。
姉は個室に入っていました。しかし、また、ここでも私は背筋が凍るような恐怖を覚えました。
姉は意識がない状態で、静かに寝ているものと思い病室に入ったのですが、なんと、姉は体をエビのように曲げて、本当にエビのように体を曲げて、うわごとのように「訴えてやる!訴えてやる!」と叫んでいるのです。くやしそうに・・・。
私はとっさに、何かリンチのようなめに遭ったな!と直感しました。それは、前日に、突然、女医に不意打ちの安楽死宣告をされたとき、騙し打ちのように感じたので、言ってはいけないことを言ってしまったからです。
「姉は本当はガンではなかったのでしょう。母もガンではなかったと思っている。」
このような事を言ってしまったのです。
215投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時10分18秒
図星だったのではないでしょうか・・・。
だから、腹いせに、なんの罪もない姉にリンチのようなことをしたのでしょう。ベットの下のゴミ箱には無造作に綿棒が捨てられていました。長さが15センチもある綿棒です。鼻か耳にでも入れられたのでしょうか・・・。
姉がうわ言のように「訴えてやる」と叫んでいるので、私はうわ言だと思ったけれど、とっさに「私が仇をうってやる」と叫びました。すると、なんと姉は私の言葉が聞こえているかのように、それっきり叫ぶのをやめて、コンコンと眠りはじめたのです。まるで聞こえたかのようでした。もしかすると、私の声が聞こえていたのかも知れません。
その時、いつも女医に金魚の糞のように付き添っているF橋という苗字の看護婦が入ってきました。冷たい顔で私を睨みつけるようにしながら、こんどは40センチの長さの細い管のようなものを姉の喉に
乱暴に入れて ゴシゴシと、これまた乱暴に痰でも取るようなしぐさをしています。私を睨みつけながら
・・・。そしてその管を抜いたとき、管の先端に血がついていました。(管とは吸引カテーテルのことです)
私は、「これ以上、余計な事を言ったら、お姉さんはこんな目に遭うよ」という事だな、と感じました。今度はちがう看護婦が入って来ました。
私はその看護婦さんにこう言いました。「昨日は感情的になって、先生に大変失礼な事を言ってしまいました。誤っておいてください」と・・・。
少しして、女医が機嫌の良い顔をして入ってきました。
そして4日後に姉は絶命しました。
216投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時11分05秒
6月30日の深夜の1時22分でした。姉の病室には15センチもある綿棒や姉の喉に突っ込んでいた管の未使用品が無造作に置かれていたので、私は今もそれを持っています。
「こんなものが、なんのために使われたのだろう」と思っているからです。
私は、今でも姉が病院で使っていた歯ブラシや姉の爪、髪の毛、血液のついた下着などをそのままにして持っています。
これは、警察に姉の事で相談の電話をしたところ、警察は民事には介入出来ないから、、あくまで僕個人の意見として聞いてください、と言われ、爪とか髪の毛に痕跡が残ることを教えられたのです。
それで、今も持っているのです。
私はこのホスピスの病院が出来たとき、ガンの痛みから患者を救うための病院、なんと素晴らしい病院なのだろう、とずうっと思っていました。姉があんな死に方をするまで・・・。
今は、その考えが一変しました。
なぜ、姉は安楽死させられたのでしょう。それもなぜ、あんなに女医は急いだのか・・・・。
姉が亡くなってから、いろいろ気づいたことがあります。もう取り返しのつかないことですが・・・。
なんで、もっと早くに気づかなかったのだろうと、後悔ばかりしています。
でも、まったく気づかないままでいるよりは良かったのでしょうか・・・。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-12.html
217投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時12分13秒
2002年6月25日、不意打ちの安楽死宣告。
その3日くらい前の6月22日か23日だったと思います。本屋さんで「骨粗しょう症」という本を偶然に手にしました。
当時、私も姉も「骨粗しょう症」という病気を、詳しくは知りませんでした。今なら、よく耳にしますが・・・。
あの日、本屋さんで立ち読みをしていて、その内容に衝撃を受けました。
姉の症状が、とてもよく似ていたからです。そのことは、前々回の「波乱万丈過ぎる人生 その10」で詳しく書いたとおりです。
私は早速、この本「骨粗しょう症」という本を購入しました。そして翌日、姉にこの本を見せました。
そして言いました。
「骨粗しょう症と同じ症状じゃないの。これは背骨にガンが転移したではなく、骨粗しょう症の圧迫骨折だったのではないの?」と・・・。
姉は本をジーッと読んだ後、「本当だ。まさに、そのものだ」と、私に言い、呆然とした表情をしていました。
今までに何度か、「病院変えたら?」とか、「治験は胸騒ぎがするからやめたら?」とか、姉に忠告してきましたが、その都度姉は、
「考え過ぎだ」とか「お前は変なことを言うね。医者がそんな変なことする筈がない」と言いました。あげくには、「お前は医者でもないのに、何が分かるの」と不機嫌になったりしていました。
私も確かに、「直感」と言いますか、「虫の知らせ」のような感覚で姉に話しをしていたので、姉にそのように言われれば、もうそれ以上強くは言えませんでした。
218投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時12分42秒
私もそんなに自信があった訳ではないのですから・・・。姉は本当にガンかも知れない、とも思っていたのですから・・。
姉は長女特有のおっとりしている面と、とても気丈な強い一面を併せ持っていた女性でした。私は姉には頭が上がりませんでした。だから、強くは言えなかったのだと思います。
本を読み終えた姉に、私は「病院を変えたら?」と言ってみました。そして、「すぐに義兄にも電話をかけて相談して!」と言いました。
姉は素直に「そうする」と言いました。
私はその日、安心して自宅に帰りましたが、また途中で別の本屋さんに立ち寄り、「骨粗しょう症」の本を探しました。昨日の本とは違う本を見つけ、また購入しました。どの本も同じようなことが書かれていました。全部で4冊買ったことになります。今も本棚にあります。
やっと姉が私の言う事を聞いてくれた、と本を読みながら安心しつつも、内心は不安の方が大きくなりました。
「こんな状態で、ホスピスの病院から他の病院へ転院できるだろうか」、「受け入れてくれる病院はあるだろうか」 と・・。
そんなとき、当時テレビで肝臓がんの権威と言われていた医者が、私の住む区域の病院にいたことを思い出し、電話を入れてみましたが、姉の状態を話したら、申し訳なさそうに断られてしまいました。
219投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時13分07秒
私は何となく、ホスピスからの転院は絶望的な気がしました。
この本に巡り会うのが遅すぎたのです。
あれは6月23日だったでしょうか・・・24日だったでしょうか・・・、姉に「病院を転院したいことを義兄に
話したの?」と聞くと、頷いていました。
しかし、そのことを相談する間もなく、病室を変えられ、一晩でものすごく苦しませ、翌日の安楽死宣告でした。
姉があっさりと安楽死に同意したのは、前の晩、よほどの苦しみを与えられたからではないかと、私は後になってから思いました。誰も知ってる人がいない病室に移されての、たった一晩の苦しみでの・・・安楽死宣告。
姉が個室に移って間もなく、私が洗面所で洗い物をしているときに、前の病室で1ヶ月間一緒だったOさんという人が、私に話しかけて来ました。
「お姉さんの姿が見えないけれど?・・・・」
私は事情を話しました。非常に驚いて、涙ぐんで、こう言いました。
「入院してきたときには、肝臓に転移していると言ってたけれど、黄疸の表情もなく、きれいな顔をしていたのに・・・。」
「肝臓ガンは、肝臓にだけに抗がん剤を当てて、治療することも出来るようになったのに、なぜ何も治療してあげないのだろうと不思議に思っていた」とも言いました。
220投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時13分47秒
私はこう言いました。
「最初から、姉を死なせよう、死なせようとしている様にしか見えなかった。これは殺人だよ。絶対に訴えてやるの」と言うと、Oさんは大きくうなずいていました。
私は「早く、ここの病院を変えた方がいいですよ」と言うと、頷きながら、「私はガンではないの。C型肝炎なの」と言ってました。お元気そうでしたが、今もお元気でしょうか・・・・。
二人で話しをしていたら、同室だった年配の人が私たちを、睨みつけていたので、あわてて離れました。
それからすぐに、姉は亡くなり、しかも深夜の1時ころだったので、Oさんとは会うこともなく、私たちは病院を去りました。
母のときは、霊安室に運ばれ、しばらく安置されましたが、姉はすぐに裏口から葬儀屋に運ばれてしまいました。ホスピスの病院には霊安室はないのでしょうか・・・・。
姉が安楽死の宣告を受けたあの日、6月25日の夕方、とっさに遺言のようなものを私のメモ帳に書いたことを、前々回に書きましたが、今、そのメモ帳の姉の自筆をしみじみと見ながら思うのです。
姉は顔に似合わず、力強い字を書きます。女性でこれだけ力強い字を書く人はそんなにいないと思うほどです。
この力強い字を見るたびに思うのです。この数時間後に安楽死しなければならないような字でしょうか・・・。
いつもの元気だったころの字よりも、さらに、力強い字なのです。誰が見たって疑問に思うことでしょう。
221投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時14分14秒
私は今になって、しみじみと思うのです。病院を変えようと姉が真剣に思うようになったので、あわてて、不意打ちの安楽死宣告をしたのではないかと・・・・。
火葬場で姉を担当した人が驚いていました。
火葬が終わり、姉の骨が出てきたときに、普通はかなり強い火で焼くので、骨格がくずれて出てくるそうですが、姉は原型のままで、出てきたのです。それを見て主人は驚いていましたが、火葬場の人も驚いたのです。
「女性でこんなの見たことない。よほど骨が丈夫な方だったんですね」
と何度も言うのです。何か不自然さを感じたのでしょう。
私はそのときに、姉が治験をしていたのを、思い出しました。
きっと、体を支えるために、骨を異常に強くする必要があったのではないかと・・・。そのための治験だったのではないか。
治験をやめたから、急に身長が6〜7センチも縮み、背中もおばあさんのように曲がってしまった。
骨粗しょう症の症状があからさまになってしまった・・・。
私はそう考えました。
やはり、姉は「骨粗しょう症の圧迫骨折」だった・・・。
「骨粗しょう症の圧迫骨折」で安楽死をしなければならなかった・・・・。
ということになると思うのです。
222投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時14分52秒
私は姉が本当に背骨にガンが転移していたのか、どうしても調べたいと、今も思っています。違うのではないか、と思うのです。
また、両方の胸を切除する必要があったのでしょうか・・・。あんなに超早期発見で・・・。定期的に病院に通っていたにも拘わらず・・・・。何か変です。納得出来ないのです。調べてみたいのです。
それに、亡くなる3ヶ月前に、ホスピスでの最初の主治医だった男性医師のN先生にも聞きたいのです。
「お姉さんは肝臓にも転移が見られるようになりました。あと、一年半くらいの命と思って下さい」と言ったのに、何故、その3ヶ月後に安楽死させられたのでしょう。
今回、姉がこのような納得できない死に方をしましたが、そのことで分かったことは、警察に助けを求めても、民事になるので警察が手出し出来ないという現実。
遺族な不審を持っても、個人で弁護士を頼み、たくさんのお金を用意して、長い間、民事で闘わなくてはならないこと。
それでも、医療裁判は患者側が負けることが多いとのこと。
遺族はどうしたら、良いのでしょうか・・・・。
父は姉の亡き後、半年くらいでなくなりました。大手術をして1年と3ヶ月後でした。
滅茶苦茶な手術をされたものだと、つくづく思いました。なんだか、病院は狂っていると思っています。
(もちろん、素晴らしいお医者さまもたくさんいらっしゃると思います。でも、私たち患者側は、どうしたらそんなお医者さんを知ることが出来るのでしょう。姉はテレビや新聞によく出てくる有名な先生ということで、受診して、こんな酷い目にあいました。)
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223投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時15分39秒
姉は背骨にガンが転移したのではなく、骨粗しょう症の圧迫骨折だったのではないか・・・と再三書きましたが、正確には
「骨粗しょう症が原因の腰椎圧迫骨折」
だったのではないか?という事を書きたかったのです。
グーグルで、この名称で検索して見ると、たくさんの説明が詳しく載っています。そのなかで、腰椎を骨折した経験のある方の説明が、とても分かりやすくて、納得できたので引用したいと思います。
* * * * * * * *
{引用} 骨のお勉強 以下は私が入院中に先生や看護婦さんから学んだことです。(ここでは骨の図も丁寧に載っていますが、掲載の仕方が分からないので省きます)
まず、人間の脊椎は、「頚椎」、「胸椎」、「腰椎」、「仙骨」、「尾骨」 の5つに分けることが出来ます。
● 「頚椎」 全部で7椎
(上から第1頚椎、第2頚椎・・・・と数えます)
● 「胸椎」 全部で12椎
● 「腰椎」 全部で5椎
● 「仙骨」 5個の仙椎の癒合したもの
● 「尾骨」 4〜5個の尾椎の癒合したもの
これらは身体の支柱の役目をしていて脊髄を保護しているものです。だいたい成人の骨で32〜35個くらいから成り立っています。
224投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時16分12秒
今回骨折した「腰椎」はその名の通り、腰のあたりの背骨ですが、思ったよりかなり上の方でした。
第2腰椎はおへそのちょっと上くらいにあるそうです。実際に「腰」と思っているウエストのあたり、というか骨盤のあたりは、ちょうど第4腰椎と第5腰椎の間くらいなんだそうです。
では、次に圧迫骨折した腰椎をお見せします。
ということで、この方は、自分のレントゲン写真を基に図を描いています。(ここでも省きます)
そして、説明はこう続いています。
不幸中の幸いだったのは、後側の脊髄の部分が異常なしだったことです。もし、脊髄もやられてしまっていたら・・・・と思うと、とても怖いです。
圧迫骨折とは、必要以上に強い力が加わって、その圧力で骨が折れるものです。
だいたい第11・第12胸椎、第1腰椎・第2腰椎に多く見られるもののようです。
背骨の場合は、ちょうどゆで卵や紙のあき箱のようなものを、ぐしゃっとつぶしたような骨折だそうで、潰れたまま治らないそうです。(私はこの説明が非常に気になりました)
ただ、それ以上潰れたりしないように、今の状態を維持して、そーっと固めるのが治療法のようです。ギブスなどをして、私は骨が元の形に戻るのかと思っていたので、ちょっとショックでした。
* * * * * * * *
と、このように書かれていました。
225投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時16分59秒
姉は元には戻らない、そんな骨折だったのではないか・・・。
それは、今後いろいろと面倒なことになると最初の主治医は考えた・・・。
そして、ホスピスに送り込んだ・・・。
医者が、姉を死なせよう、死なせようとしているように私には見えた。それはこのことが原因だったからではなかったのか・・・・。
ガンは人工的に作ることが出来る・・・・。
放射線を最大にかけた。もうこれ以上かけれない、というところまでかけた。
そのために、姉の体は相当に衰弱していた筈・・・・。なぜ治験をしなくてはならなかったのか・・・。
なぜ、火葬場の人が驚くほど、姉の骨を強度にしなければならなかったのか・・・・。
そのわりには、身長が6〜7センチも縮んでいた・・・。
姉と私が、病院を変えようと真剣に考えはじめたら、不意打ちの安楽死宣告・・・・。
なぜ、肝臓に転移が見られるので、あと1年半くらいの命、と言っておきながら、その3ヵ月後に安楽死させられたのか・・・・。
そして、肝臓に転移しても何も治療せず、治験 (骨を強くする) だけを続けたのか・・・。
その1年半とは、治験で体の骨を支えさせ、その間に本当の肝臓がんにしてしまう。乳癌からの肝臓転移で死亡・・・。
誰も疑わない・・・。
226投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時17分50秒
こんなストーリーだったのではないか・・・。
私が見抜くとは、夢にも思わずに・・・・。
他の病院に転院されては困る理由があった・・・。
そういえば、姉は安楽死宣告を受ける数日前に、看護婦さんに腰が痛いと訴えていた・・・。
そういえば、がんセンターで放射線を最大に浴びて、その後退院してから、私の自宅に立ち寄ったときに、姉の髪の毛が異常に薄くなっていて、非常に驚いたのを思い出した・・・。
黒髪で毛髪が多かった姉が、あの時は頂の部分は皮膚が丸見えなくらいに薄くなっていた。やっぱり重症の骨粗しょう症だったのだ・・・。
姉は安楽死宣告された当日(6月25日)まで、自分の足で歩いてトイレに行っていた・・・。
何故、そんなに急いで安楽死させたのか・・・・。(6月26日朝から、それはもう始めていた)
姉は最初から乳ガンではなかったのではないか・・・・。
ずっと、そう思っています
姉は殺されたのではないでしょうか・・・・。
どうやったら、この疑問を解くことが出来るのでしょう・・・・。
このまま、私たち遺族は泣き寝入りしなくてはならないのでしょうか・・・・。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-16.html
227投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時18分32秒
日本社会はどれだけ恐ろしい組織社会になっていることか・・・・。個人が組織犯罪の標的になったらもう終わり。救われないと言われています。私がそうです。一族がそうです。
でも、何故?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の書いていることは実体験であり、それなりの証拠も揃えております。作り話、被害妄想等ではありません。(録音テープ、写真、ビデオカメラ撮影、目撃、書面等々あります。)
だから、命を狙われたのかも知れません。今だって狙われていると思って、いつも警戒はしています。(それにしても、警察がこんなに役に立たないところだとは夢にも思いませんでした。むしろ、恐ろしいのです)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は父のことを書くつもりです。ただ、その前に私が若い頃に「急性肝炎」になった経験を、今日はどうしても書き綴りたいと思いまして、先にその事を書かせて貰います。(もしブログが長くなり、父のことを書けなかったときは次回にしたいと思います。)
〜*〜*〜*〜*〜*〜
もう忘れかけていた遠い記憶です。
私は現在57歳です。年が明けたらすぐに58歳になります。その私が28歳のとき・・・、30年前のことになります。
ちょうど、母の一周忌を済ませた直後のことでした。
何だか体がだるくなり、最初は風邪かなぁ、仕事の疲れかなぁと思っていました。
228投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時20分55秒
姉がたったの一晩であのようになったのは、点滴に何か恐ろしい薬品を入れて苦しませ、姉から安楽死の承諾を早く取りたかったから・・・・ではないか、と思えてならないのです。
病院を転院すると言い出す前に、急ぐ必要があった・・・・。
姉は現に、やっと病院を変えることに前向きになっていたのですから・・・。その直後の不意打ちの安楽死宣告だったのですから・・・。
病院を変えられたら、困ることが病院にはあった・・・・。
だから、急いで死なせるために、わざわざ病室を変えた。
今まで1ヶ月間一緒にいた病室では、それが出来なかった・・・。
不自然さが気づかれてしまうから・・・・。
何度思い出しても、恐ろしい。姉が可哀想でなりません。
こんなことが平然と行われている現実。
「本当にみんなに知ってもらいたい」 です。
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229投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時21分56秒
今日は父親の納得できない 「ガン死」 について書きます。
私の父親は81歳までは健康に生きることが出来ました。父は年齢より、いつも10歳以上若く見られていました。
足腰も丈夫で、歯も入れ歯ではなく、自分の歯で堅いものもバリバリと噛んで食べていました。
そんな元気な父でしたが、晩年の父親はよくこんなことを私に言っていました。
「俺の曾爺さんは94歳まで生きたそうだ。俺もその年まで生きられるかなぁ」・・・と。
父は94歳まで生きられたら、母の33回忌をやりたいといつも言っていました。
私は父だったら、94歳まで生きられるのでは?と思っていました。
ところが、姉が背中の激痛で倒れ、ガンセンターに運ばれた2001年の4月から半年ほど経った、その年の10月に突然の体の異変で、救急車で病院に運ばれることになったのです。(その一ヶ月前に私は姉と父親のところへ遊びに行ってましたが、その時はいつもと変わらない元気な父でしたので、急激な異変に、ただただ驚いたものでした。)
なんでも、義母(父の再婚相手)が言うには、冷たいトマトを食べていた時に急に胸が痛い、苦しいと訴えたそうです。義母はすぐに救急車を呼び、父のマンションの目の前にある、駅前の民間総合病院に運ばれました。その病院は、最近はドクターヘリも導入した大きな民間病院です。
私と姉は電話連絡を受け、病院に駆けつけました。主治医は「お父さんは胃がんのようです」と言いました。
230投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時22分21秒
そして胃カメラを挿入して検査をすることになりました。挿入のときに強い麻酔をかけられたみたいで、父は一時的に記憶が薄れたような、ひどい症状になっていたのを今も憶えております。痛々しかった・・・。
私は検査の結果、もしガンが進行しているようなら、もう父は年なので手術はしないで欲しいと言いました。
「分かりました。」
と医者は確かに私にそう言いました。
私は本などを読んで知っていたのです。80歳を過ぎたら手術はしてはいけない、ということを・・・・。それで私は先生にそのように言ったのです。
ところが、なんとです。
父は胃を全摘されてしまいました。それだけではなく、脾臓も全摘、胆のうも全摘されてしまったのです。
そしてこう言いました。
「お父さんはもう年なので、これから5年くらいして、脾臓や胆のうに転移しても手術は出来ないので、ついでに取っておきました」・・・・と。
脾臓にも胆のうにも転移がないのに、摘出したというのです。
231投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時22分51秒
私は何にも言う事が出来ませんでした。ただ、これで長生きができるのなら、と思うしかありませんでした。
父は3週間くらいで退院しました。退院後は元気に見えました。
父が退院して少し経ってから、義母が言っておりました。
社会保険庁からはがきが届き、父親の手術に際し、200万ちょっとの報酬が病院側に支払われたみたいだと・・・・・。
何か、腑に落ちません。
81歳にもなる高齢者にこんな無茶苦茶な手術をして、たったの1年と2ヶ月で死なせてしまうとは・・・・。
もっと腑に落ちないのは、亡くなる一ヶ月位前の、2002年12月に父は手術をしたときの病院に2度目の入院をしました。
私は体が衰弱して入院したように見えました。
見えましたとはどういうことか、と思われるかも知れません。実は私は2ヶ月間くらい父のマンションには行っていなかったのです。行けなかったのです。義母がマンションに来るな!と言うのです。
義母は姉が亡くなってから、態度が変わりました。
232投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時24分21秒
母の死、姉の死、父の死、まるで殺されたような死に方です。体をズタズタにされ、病気を治してくれた訳でもない。
それでいて治療費は高額。30年前に母が5ヶ月間入院して亡くなったあのときは、一ヶ月の治療費は44万円から46万円でした。父は病院の窓口に支払いに行ってましたが、私も一緒についていきましたのでよく記憶しています。(当時、公務員指定の病院、そんな病院でした)
母は抗がん剤は一度もやっていませんでした。飲み薬だけだったように記憶しています。そのわりにはずいぶんと高額な治療費だったなぁと、いまになって、しみじみ思います。(いくら、後日かかった治療費の5万円以上は戻って来たとしても、です。)
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233投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時34分10秒
今日は父の「納得出来ないガン死」の続きを書こうと思います。
私は書きたいことがたくさんあり過ぎて、時々話が逸れてしまうことがあります。順序を考慮しながら書き続けようと思っています。
父のこと・・・・、思い出すと本当に心残りです。娘がすぐそばに住んでいながら、どうにもならなかったこと・・・・。救えなかったこと・・・。狂っているこの世の中・・・・。
姉が背中の激痛で倒れたのが、2001年の4月。その6ヵ月後の2001年10月に父は胃がんと診断され、胃を全摘、ついでに脾臓全摘、胆のう全摘されました。詳しいことは前回に書いた通りです。
その後、父は元気になりました。元気になっているものと思っていました。
父の大手術から8ヶ月後の2002年6月に姉が亡くなりましたので、姉の遺品整理などで忙しく、父のところへ訪ねて行けるようになったのは7月に入ってからでした。(父が亡くなる半年くらい前)
ある日、あれは8月の末だったと思います。
父のところへ訪ねて行くと、義母と父がもめています。どうしたのかと聞いて見ると、なんと、義母が父を療養を兼ねた病院に入院させようとしていたのです。
父は絶対に入院はしない、と言って義母と言い合っていたのです。私も父が嫌がっているのだから止めて欲しいと言いました。
ところが義母は、「もう予約済みで、明日の朝には病院の担当者が迎えに来ることになっているから、取り止めは出来ない」の一点張りです。
234投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時34分34秒
私にとっては、寝耳に水の話しでしたが、急なことでもありました。明日の朝に迎えが来ることになっているのならと、一応、父を納得させることにしました。
「一ヶ月くらい療養して見れば?私が毎日病院に行ってあげるから・・・。点滴なども打ってもらって体力をつけて帰ってくればいいよ」と。
父はしぶしぶ納得しました。
その病院は父が手術をした病院と同じ系列の療養施設を兼ねた病院でした。
翌朝、父は義母と迎えの車で病院に向かいました。私が乗れるスペースはないということで、紙に書かれた住所のメモを渡され、翌日その病院に向かいました。
私の家から、バスで30分。それから地下鉄に乗り換え15分くらいです。その地下鉄を降りたら、病院の迎えのバスに乗り、山の方へ向かって15分か20分くらいのところに、その病院はありました。
大きな病院でした。父は6人部屋でした。となりのベットの人は認知症のような人でした。身内の人は見ませんでした。
私は父のところへ、毎日のように訪ねて行きました。くだものやお菓子などを持って行くと、おいしそうに食べていました。
しかし、義母はまったく見舞いに来ませんでした。私が帰る時、父はいつもエレベーターまで見送ってくれました。
235投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時35分00秒
「こんな遠い病院にいつまでも入院させておくのは、大変」と私は考え、父に提案をしました。
義母が父の面倒を見るのが嫌なら、私の家に来て、少し療養すればよい、と勧めました。
父は喜んでOKしました。
ところが、看護婦の詰め所でそのことを相談しても、「義母がダメと言ってるので無理」だと言うのです。いくら娘でもダメだと言うのです。
義母は全く病院には来ません。私も毎日病院に来るのは大変です。父も困っていました。マンションに帰りたいのです。
私は何となく、このまま入院させておいたら父は認知症にでもなってしまうのではないか、と心配でした。
そんな時、父の担当になったソーシャルワーカーさんに相談して見る事にしました。若い方で感じの良い人でした。
その方も看護婦さんと同じ答えでしたが、3泊4日とか4泊5日という方法で、私の家に泊まって来ることなら大丈夫ですよ、ということでした。
私は、ひとまず自宅に父を連れ帰り、そして今後のことを義母と話し合えばよい、と考えました。
主人の車で迎えに来てもらおう、といろいろ準備をはじめました。父も勿論納得です。いつも私の家には遊びに来ていて、気心が知れています。
236投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時35分37秒
ところが、準備も整い病院に向かうと、いつもの病室に父がいません。聞いて見ると、義母が荷物をまとめて、タクシーで父を連れ帰ったと言うのです。
驚いていると、ソーシャルワーカーさんがこう言いました。
「一週間に一度、主治医がお父さんのマンションに診察に行くことになりましたので、心配しなくていいですよ」と。
私は一週間に一度、医者が往診に来てくれるのなら、これは安心と、心底思いました。ただ、主治医が誰なのか聞きませんでした。気が付かなかったです。
後に、父が再度、手術をした病院に入院することになった、2002年の12月になってはじめて知りました。
私が住んで居る町内にある、クリニックの医者が主治医だったということを・・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
義母は、姉が亡くなってから本当に態度が変わりました。私が父のところへ訪ねて行くのを露骨に嫌がるようになりました。
今までも、父のところへ訪ねていくときは、私も姉も必ず電話をして「これから行くから・・・」と連絡してから訪ねていました。
237投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時36分02秒
父が療養病院を退院して間もないある日に、また電話をして訪ねようとすると、「今、お父さんは寝ている」と言われることがたびたびありました。
でも、訪ねて行ったりしてましたが、ある日こう言われました。
「あんたはうるさいんだ。来るな!」と。
義母はいつもニコニコしていて、人と喧嘩などするような人ではありませんでした。人当たりが柔らかいと言いますか、社交家で地区の老人会で知らぬ人はいない、と言われるほどの人でした。
随分と変貌してしまいました。
ですが、私も確かに少しうるさいところがあるのかも知れません。少しそっとしておこうと決めました。
10月11月と父のところへ訪ねて行きませんでした。
でも、11月に入ってからなんだか心配で友人に相談しました。友人は「お父さんのところへ行ってあげなくちゃ」と言ってくれました。
でも、なんだか行きにくいのです。思案した結果、私は母の弟にあたる叔父さんに電話をしました。父のところへきて欲しいと・・・。
母が亡き後は、めっきり親戚とはご無沙汰でしたが、何人かは電話のし易い親戚はいました。
238投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時36分36秒
けれど、その叔父さんも当時は心臓発作で救急車で運ばれたりしていました。交通の不便なところに住んでおり、タクシーでなければ往復の出来ないところに住んでいました。電話をするのは気が引けました。
でも電話をすると、自分は行けないが、転勤で札幌に来ていた長男を向かわせるということでした。私とはいとこになります。
そのいとこから、何十年ぶりかで電話を貰い、いとこが父のところへ「明日電話をしてから訪ねる」と、私に連絡をくれました。
ところが、その当日、義母は救急車を呼び、父を入院させてしまったのです。病院は父のマンションの玄関から病院口まで1〜2分のところなのに・・・です。
いとこは予想外の出来事で、父には会わずじまいでした。
私は病院から電話が来るまで、何も知りませんでした。医者が、
「娘さんなのに、何も知らなかったんですか?」
と言いました。私はびっくりしました。救急車で運ばれたとはどういうことなのだろうと・・・。主治医が一週間に一度往診に来ていたはず・・・・。
連絡を受けた私は、すぐに病院に駆けつけました。
父は少し衰弱したみたいでしたが、いつもの父に見えました。なんで救急車で運ばれたのか分かりませんでした。
往診に来ていた筈なのに、これはどういうことなのか、と義母に聞きました。なんと義母はこう言いました。
「お父さんが嫌だというので、断った」と。
そして、医者が父の往診に来たのはたった一度だけだったと・・・。
こんなショックな話しはありませんでした。もし、分かっていたら、何が何でも父のところへ訪ねて行ってただろうに・・・・。
239投稿者:波乱万丈過ぎる人生 投稿日:2010年01月17日(日) 17時37分10秒
父がかわいそうでした。私は、父の妹がまだ存命だったので、叔母さんにも父のところへ来て欲しいと電話を入れました。叔母さん夫婦はすぐに来てくれました。
父も嬉しそうでした。
しかし、間もなく主治医から父を他の病院に移すと言われました。私は父のマンションが目の前にあり、何かと便利なので病院を移さないで欲しいと何度もお願いしましたが、医者は、
「うちは重篤な患者さんしか診れない」の一点張りでした。
そして、12月25日のクリスマスの日に、父は病院を移されました。なんだかとても悲しかったのを憶えています。
そして、それから3週間後に父は亡くなりました。
http://yukidaruma1952.blog40.fc2.com/blog-entry-27.html
240投稿者:課題 投稿日:2010年01月17日(日) 18時44分31秒
真実を教えない一部の仏教は偽宗教〜新シリーズ・本日の法則訓〜
=五欲は宇宙のエネルギー=
意味は次のとおりです。「性の欲望というものは、もともときわめて御し難い、それ故欲望からくる諸々の悪を防ぐには、初めからその欲望を一切否定し、認めないとするほうが、策としては手っ取り早いし、教えにも一応の筋は立つ。それ故に一般の仏教では禁欲の旗を掲げているのだ。しかし、現に生身の人間が住むこの世で、そういう教えが本当に成り立つだろうか。もしも性の欲が一切いらぬ、というなら子孫は絶え、この世から人間というものが消えうせることになろう」
真言密教では、次のように欲をとらえています。
「この世の中で欲望を捨てることほど大きな罪はない」
「もし、欲が邪魔になるなら、もっと大きな欲で制すればよい」
「例えば、御仏と同じ一切衆生を済度するという大欲が我々に持てれば、
目先の小欲は制することができる、欲の浄化とはそういうことだ」
「将来、大欲があったお陰で今日の自分がある、と言えるようになれる」
弘法大師いわく、
「夫れ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。
真如外に非ず。身を捨てて何んか求めん。
迷悟我に在れば、発心すれば即ち至る。
明暗、他に非(あら)ざれば、信修すれば、忽ちに証す。
http://www.kurusonzan.or.jp/ShingonMikkyo.htm
241投稿者:777 投稿日:2010年01月17日(日) 20時08分11秒
>>240は精神異常者の荒らしなので悪しからず.
242投稿者:↓↑ 投稿日:2010年01月17日(日) 20時34分18秒
落書き禁止
243投稿者:777 投稿日:2010年03月14日(日) 20時46分07秒
がん治療費、年133万円=患者7割「負担大きい」−NPO調査(時事通信)
がん患者が治療などに支払った金額の平均が年間約132万9000円に上ることが、NPO法人「日本医療政策機構」(東京)の患者アンケートで分かった。世帯年収は200万〜300万円の人が最も多く、全体の7割が「負担が大きい」と感じていた。
アンケートは昨年11〜12月、複数のがん患者団体を通じて行い、患者や家族1618人から回答を得た。
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/441.html
244投稿者:777 投稿日:2010年03月26日(金) 10時49分24秒
アトピー薬使用後にがん 米国の子ども、5年で46人
2010年3月21日 19時47分
【ワシントン共同】日本でも販売されているアステラス製薬の「プロトピック」(一般名・タクロリムス水和物)など2種類のアトピー性皮膚炎治療薬を使った米国の子どもが、2004年1月〜09年1月の5年間に計46人、白血病や皮膚がんなどを発症し、このうち4人が死亡したと米食品医薬品局(FDA)に報告されていることが21日分かった。
適応対象外の子どもに使ったり、長期間使い続けたりするなど、使用法が守られていないケースが多いという。因果関係は明確ではないが、発がんと関連する恐れがあるとして、FDAは近く専門家会議を開き、薬の添付文書改訂を検討する。
もう一つの薬はノバルティス社(スイス)の「エリデル」(日本未発売)。いずれも塗り薬で免疫抑制作用がある。
FDAによると、0〜16歳でプロトピックを使った15人、エリデルを使った27人、両方を使った4人の計46人が皮膚がんやリンパ腫、白血病を発症した。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/254.html
245投稿者:777 投稿日:2010年04月01日(木) 19時45分34秒
医療統計データのデタラメぶり
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/259.html
国やWHO等の出す医療データに限らず、統計データというのはほとんどが都合のいいように捏造されたデタラメばかりのようです!
まず目的があって、それに合うように都合のいい部分だけのデータを集め、それをより強く印象付けるために、誇張したり捏造もする、といったのがほぼ全てに共通することといえます。
二酸化炭素による地球温暖化煽りや、こないだの新型インフル煽り等を見ても、そのへんよくわかると思いますw
とにかく、常識的に考えてあまりに異常と思えるような煽りは、必ずや裏があって、情報操作・嘘・デッチアゲが含まれてるというのはまず間違いなく、そうすることによって大儲けを企んでる連中が必ず居るということなのです!
そういったデタラメぶりを暴露してる本も出てるようですが、
たとえば、http://ameblo.jp/3life/entry-10474654953.htmlに書かれてる記事(元サイトはhttp://hon.hp2.jp/tou.html)から一つ紹介しておくと(言葉等はわかりやすいように一部書き換えてますが内容は変えてません)、
246投稿者:777 投稿日:2010年04月01日(木) 19時46分11秒
ある大学病院では22年間に治療した
すい臓ガン患者716人の5年生存率″を20%と発表している・・・
ところが、この生存率″数値には、仰天するゴマカシがあったのだ。
近藤医師によれば、実際に5年生存した患者は5人しかいなかったのだ。
5を716で割ると0.007。
つまり5年生存率″は、わずか0.7%にすぎない。
これを20%に膨らまし、デッチアゲル裏技には戦慄する。
そのカラクリは・・・
●分母減らし ーすい臓の体部、尾部にできたガンを除外する。
これらは治りにくいからだ。五年生存するのは難しいガン患者を外す。
そして465人に絞る。
さらにガンを切除できた通常タイプのすい臓ガン患者202人にさらに限定。
こうして分母がどんどん縮んでいく。とんでもないペテンだ。
●非ガン死−抗ガン剤副作用で肺炎などで死んでも
ガンで死んだのではない≠ニして統計から除外する。
同様に「術死」「在院死」「重複ガン」「再切除」……なども「分母」からドンドン除外していく。
さらに「分母」は果てしなく縮んでいく・・・
●相対「生存率」1現実の生死にもとづいた生存率″が「絶対生存率″」だ。
しかし三〇代、七〇代の「絶対生存率″」が共に50%だとすると、
高齢者はガンで死ななくても死亡する確率が高い。
そこで「生命表」で修正″したものが「相対生存率″」だ。
そこで高齢者は割増≠ツまりゲタをはかせて修正″する・・・
247投稿者:777 投稿日:2010年04月01日(木) 19時46分45秒
こういうのを見ていくと、喫煙と肺癌死亡率の関係とかのカラクリも見えてきそうw
たとえば、ここに出てるように、他のがんの場合でも、抗がん剤を使うことによって肺炎(さらには肺がんに)などの副作用が起こりやすいようだし、あるいは他の部位のがんが転移するのも、おそらく肺が一番多いんじゃないかと思われ(全身を巡ってきた血液はすべて、ガス交換をするためにいったん肺に戻り、肺には血管やリンパ節がいっぱい集まってるのでそれらの流れにのって他の部位にできた癌も肺に転移しやすい)、元々の部位のがんは切除等によって一旦治ったようになって新たに肺がんで死亡したことになってしまうとかいったように、肺がん死亡率の急増なんてのにはそういうのをかなり入れてるんじゃないか?
つまりそういうのから来た肺がんも、タバコが原因とされてしまってるんじゃないんかな?ww
さらには、近年のこの肺がん死亡率急増を喫煙に結び付けてることに関してもう一つ、データごまかしのとんでもないカラクリも発見しており、そっちについても近々また書くつもりです。
ついでに、医療データ等の捏造が表ざたになった例をいくつか挙げておくと、
●立てた仮説に合うように架空データ作って論文〜山形大医学部
http://medical-today.seesaa.net/article/20588683.html
・・・リンパ節にがんが転移する恐れがある患者が、大動脈周囲のリンパ節を切除すると、膵臓(すいぞう)の機能に障害を与える可能性が高いという内容。
調査委によると、女性医師が、患者のカルテからデータを収集する手法をとろうとしたところ、教授は「事前に立てた仮説に従って計画的に研究を進めたという手法の方が、論文の価値は高い」と指摘し、研究対象とした患者82人のうち81人分については架空の手術前データを作成させ、計画的にデータをとっていたように装った。
また、研究を行う際に必要な医学部倫理委員会の承認を得ていなかったが、「承認を得た」との記述を論文に挿入させた。
248投稿者:777 投稿日:2010年04月01日(木) 19時47分29秒
●乳がん治療論文に関するデータ捏造〜自衛隊中央病院
http://medical-today.seesaa.net/article/24949273.html
・・・乳がんの放射線治療に関する論文を、データを捏造して米国の専門誌「サージェリー」に投稿し、掲載されていたと発表した・・・
その中で、局所浸潤性乳がんの患部へ局所的な放射線照射をした後、最小限の病巣を切除する「乳房温存療法」を施して、12例の手術でいずれもがん細胞が死滅するなどの効果を上げたかのように記載した。しかし、実際は12例のうち5例は手術自体をしておらず、残る7例は、がん細胞根絶のために一般的に行われる、全乳房への放射線照射を術後に施していながら、その事実を書いていなかった・・・
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/259.html
249投稿者:yasuo 投稿日:2010年04月26日(月) 10時41分27秒
失礼します。
「幸せブログ」 をあなたに――
元気・勇気ヤル気がわいてきます。
ご笑覧ください。
http://black.ap.teacup.com/yasuo/
250投稿者:777 投稿日:2010年05月14日(金) 22時52分06秒
私は勤務医時代に数百人の癌患者を抗癌剤や放射線治療で死に追い遣ってきました。もちろん、専門医として「治療マニュアル」に準じて適正に治療し、当時意図的に殺戮を企てたのではありません。
3大標準療法(手術、抗癌剤、放射線)が、BSC(ベスト・サポーティヴ・ケア)や養生中心の自助療法より劣るばかりか、養生もなにもしない患者よりも短命になるとは、つい最近まで知りませでした。
当時は抗癌剤投与後数か月だけでも癌が縮小した症例をモルモットのように集めて論文にしていました。
すぐ後には必ず患者様は亡くなられますので、たとえ遺族に「ありがとうございました。」とお礼をいわれても、偽りの業績がいくら増えても、いつも達成感のない罪悪感と無力感に苛まれていました。
数年前に開業してからは手術適応がある初期の癌患者においても、標準的な3大療法は行わない決意をしました。
養生や代替療法で、すべての皆様が快方に向かっていったわけではありませんが、抗癌剤を投与するより、患者の皆様は明らかに生活の質を落とさず、生き生きとした笑顔で長生きしていることを、癌から生還された患者様に教わりました。
癌拠点病院に3大療法の旨味だけ吸い取られた挙句に、「もうここでの治療はない」と放り出された末期癌患者でも、自助療法に気付かれた後癌が縮小を始め、何年も以前より元気に生活されている方も何人かおられます。
癌の浸潤による血管や気導、消化管の狭窄や脳幹などの重要な臓器が圧迫され、あきれめきれない一刻を争う緊急時には、難度の高い手術に望みを託す場合もあるでしょう。
しかし最近ではレントゲン技術の進歩と供に、無症状で取らなくても増大しそうにない微小な腫瘍まで取ってしまうケースが多く、「私の腕で○例の患者を救った。」などと難解な技術や症例を誇示したり、「癌はすべて取りきったので、これからは何を食べてもいい。」という不勉強な医者がまだ存在するようです。
251投稿者:777 投稿日:2010年05月14日(金) 22時53分01秒
医療はマスターベーションのような学問やサイエンスどまりでは意味がありません。「科学的に議論しろ」という頭のよさそうなサイエンティストぶった医者は、毎日患者に触れたり、顔色をうかがい肌や五感(六感)で病態を察知したりすることはまずありません。
機械の部品交換のように、目や画像で確認できる病巣だけをターゲットにした末端治療だけでは、いずれまたどこからか癌は再発をしてきます。
先の御投稿のように、「この治療で治る見込みがあるのか」「なにもしない場合に比べて、余命(サバイバル・タイム)延長など、この治療は有効性が認められているのか」「重篤な副作用や致死に対してどう対処するのか。」を対等な立場で、治療前に医師に問いただすことが大切です。
「夢の新薬」を待たれている患者様のお気持ちはすこし分かりますが、厚労省もFDAの如く新薬をスピード認可することには慎重になっていただきたいと思います。逆に有害な薬の認可をどんどん取り消していくことが数十兆円の医療費削減につながると思います。
癌治療後1か月以内に死亡した症例は死因にかかわらず、すべて報告し公表する制度にすれば、医療サイドを処罰するまでもなく、自らの戒めになって確実に不要な治療は減っていくでしょう。「○○癌の病院ランキング」などという虚偽の症例数を競うランキングがガラガラと崩れ落ちるかもしれません。
医者などの治療家はあくまで、患者に生きる活力・エネルギーを与えたり、患者の自然治癒力を上手く引き出すためだけに存在しえます。
「自分が治してやった」と言う傲慢な医者は論外です。
いくつになっても「自分はまだまだ」だと治療を探求し続け、既存の医療を捨てる勇気をもって改革していける意識が治療家には必要だと思います。
誰もが病気の宿命と養生や自己治療ができることに目覚めることによって、われわれ医師たちが廃業してしまう未来を楽しみにしております。
http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/7ca2162cd95f0b9ebaa600f965c73b9e
252投稿者:777 投稿日:2010年05月14日(金) 22時58分29秒
西洋医学は対処療法です。胃が悪ければ胃を対処療法で治療します。
肝臓が悪ければ肝臓を直そうとします。
心臓が悪ければ心臓を一時止めても手術したりします。
なんという野蛮な治療をするのでしょうか。
しかし、科学という、物質を細分化して解明しようとする学問から派生している西欧医学では仕方のないことなのでしょう。
ご存知のように胃や肝臓や心臓は臓器自体が働いているわけではありません。自立神経という神経系統が、眠っている間も人間の意識にかかわらず、これらの臓器を死ぬまで休みなく動かし続けます。
つまり五臓六腑、筋肉、脂肪、人間の肉体すべては神経系統が生かしているといってもいいのです。
その神経系統をつかさどっているのが人間の「こころ」です。
つまり究極を言えば、肉体の病気は心と呼ばれているものでコントロール出来るものなのです。
私は「がん」というものは、人間の肉体にはつきものだと思っています。私もそろそろ還暦ですが、いままで何度もがん細胞が体内に出来ていると思っています。
いや、いまでもあるのかもしれません。
しかし、ほとんどは人間の免疫系がおさえているのだと思います。
検査での早期発見で見つかったとしても、そのままにして置くつもりです。
253投稿者:777 投稿日:2010年05月14日(金) 22時59分35秒
15年程前ですが、叔母が、がんになりました。
身寄りがなかったので私が病院へ行きました。
腎臓がんを宣告され、即刻腎臓1つを摘出するというのです。
私は反対し、生意気にも泌尿器医だった副院長に「あなた方に癌がなおせるのですか?」と聞いたら、副院長は顔を真っ赤にして怒っていました。婦長さんが驚いて私の顔をみていました。
肺、肝臓、リンパに転移しているので、手術が成功しても、
長くて6ヶ月、早くて2ヶ月の命だというのです。
彼らは、製薬メーカーの言われるままに患者を抗癌剤ずけにします。
癌細胞を殺してしまうほどの強烈なものが、正常な細胞を壊さないわけがありません。
がん細胞に効果があったというデータが欲しいだけで、患者がそれで死んでも平気です。癌患者は言われるままに抗癌剤ずけにされ、半年、1年で死んで行きます。
病院はそれらのデーターを見せ、自信を持って「あと半年」「あと2ヶ月」と宣告しているのです。
それらのデーターは、抗癌剤という猛毒を用いた場合の人間の耐えうる期間と言う事でしかありません。
254投稿者:777 投稿日:2010年05月14日(金) 23時00分57秒
医者も看護婦もそれに気ずかないわけがないと思います。
いつの日かこれらの事が世に知られたとき、あの時代は仕方がなかったのだ、とも弁解するつもりなのでしょうか。
60代中頃だった叔母は手術を受けたいと言うので「抗癌剤」を使わないという条件で承諾しました。
その後、肝臓も半分取られました。
それでも私は絶対に抗癌剤は使わせませんでした。
大病院に行きずらくなった叔母は町医者へ行っていました。
しかし、文句もいいませんでした。なぜなら、自分と一緒に入院した自分より軽い人達も、皆、死んでしまっていたからでした。
その後、7年程生存して最後はがんセンターに入りました。
そこの先生が、全身が癌だらけなのになぜ生きているのか。それもまったく痛みを訴えないと、驚いていました。
私が「それは、抗癌剤をつかっていないからですよ。」と言ったら、
イヤな顔をしていました。
叔母は最後は老衰のようにやすらかに逝きました。
2回の大手術をしてなかったら、まだ生きれたのではないかと思っています。
http://blog.livedoor.jp/sorasoranaka/archives/1357835.html
255投稿者:平田陽三平田病院 投稿日:2010年08月12日(木) 15時39分47秒
最近になって日本の医学界でも癌組織体の根源細胞である癌尾幹細胞の存在が注目されはじめました。がんの幹細胞に関する研究が進展すれば、将来の癌治療に重大な転機を齎すものと期待されます。小生はがんの幹細胞に対処する治療概念、すなわち、今までにない全く新しい治療概念を記載した論文17篇を国際的な医学雑誌に発表しています。それらの論文資料にご関心のある方には個人的に無料で郵送致しますので、郵送できる宛先をお知らせ下さい。
E-mail: hphirata@mb.inforyoma.or.jp
256投稿者:イッコク 投稿日:2010年09月06日(月) 17時11分17秒
まさか二十歳の子に筆下ろしされるとわねww
初めてのオマソンチョはプルプルでヌメヌメで最高!!
ハメハメしまくって28万ゲットとか、信じられんわ!!
http://opiece.com/opaiko/
257投稿者:肉ソン 投稿日:2010年09月06日(月) 17時21分38秒
仕事なんかする必要ないじゃないか!
俺のうぶな方形チ○ポが30万でお買い上げだぞ(*・д・)
しかしマソンコってあんなにヌメヌメするのか。もう俺は無敵だ。(゜ε゜)
http://tometomes.net/renkin/
258投稿者:テリンヌ 投稿日:2010年09月11日(土) 17時50分40秒
みんなヌメヌメが好きなのよ(笑)
259投稿者:中絶薬 投稿日:2010年09月16日(木) 12時30分32秒
◆RU486
経口中絶薬RU486 対象は、妊娠後49日以内の人のみ。妊娠を維持する黄体ホルモンの分泌を抑制する作用を持ち、服用により自然流産と同じような経過をもたらし、その後ミソプロストル剤(子宮収縮剤)を併用することにより92%の確率で人工流産中絶が可能とされています。
中絶薬:http://www.yahoo-seiryokuzai.com/view/407.html
中絶薬:http://www.yahoo-seiryokuzai.com/hininn/default.html
避妊薬:http://www.yahoo-seiryokuzai.com/hininn/default.html
避妊薬:http://www.yahoo-seiryokuzai.com/hininn/23.html
260投稿者:レビトラ販売 投稿日:2010年09月16日(木) 12時30分56秒
◆levitra
レビトラ levitra100mg30錠は、これまでED(勃起不全)治療薬市場を独占してきたバイアグラ(米ファイザー社)に強力なライバルが出現した。ドイツ生まれの「レビトラ」である。欧州では今年3月の発売開始以来、爆発的なヒットとなり、レビトラ 購入は盛んです。ED治療薬として、ドイツ バイエル社と英国グラクソ スミスクライン社によって共同開発され米国では2003年から販売されています。
レビトラ 販売:http://www.akanpo.com/product/96.html
レビトラ 通販:http://www.akanpo.com/product/96.html
レビトラ 錠:http://www.akanpo.com/product/96.html
levitra 薬:http://www.akanpo.com/product/96.html
261投稿者:ゾウ印 投稿日:2010年10月26日(火) 11時37分47秒
変~~態って言ってたからション弁ぶっかけたら、パクッてくわえてきたぞ!!!
ホント若いのにたいしたもんだよ!!
ttp://quitblue.com/soap/
262投稿者:乱ボー 投稿日:2010年10月26日(火) 11時47分46秒
お風呂一緒に入るとガッツリ距離縮まんよ!!
ベット行った頃にはすでにカップル気分だもん!!
ttp://sersai.com/sntk/ajkrvll/
まっ彼女できた事ねぇけどな(爆笑)
263投稿者:お小遣いサイト 投稿日:2010年10月29日(金) 20時26分11秒
『チョリッチ』携帯1つで即日お金が貰えるサイト
http://ww36.com/r0Fg680cn
264投稿者:777 投稿日:2010年12月24日(金) 10時47分54秒
薬は毒です。皆さん薬を飲んではいけません。 by 薬学部教授
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/317.html
私が薬学部で、専門科目の講義を受け始めたときのことです。各科目の教授、助教授が自分の講義の最初の時間に自己紹介の後、言った言葉です。
(薬は毒です。皆さん(一生)薬を飲んではいけません。)このせりふを口にしたのは一人や二人ではありません。来る先生、来る先生このせりふを言うので、またか、と思っていました。
だが待てよ。とすると教授連やその学生、その家族は薬を飲まずに、赤の他人には薬を飲ませて、その利益で自分たちは食べていくことになるのか。おかしな世界だな、と思いましたが、当時の自分の頭ではそこより先には進みませんでした。薬を何錠か飲めば病気は良くなるのだろう、くらいの認識しかありませんでした。病気というものを知らなかったからです。
働き出して初めて、感染症以外の病気を治癒に導く薬や、これといった治療法というものは存在しないという現実を知りました。現在流通している薬というのはさしあたり病気をうやむやにして、臭いものにふたをするものでしかありません。
265投稿者:777 投稿日:2010年12月24日(金) 10時48分10秒
何かの症状を解決したくて飲み始めた最初の一錠が蟻地獄のはじまりで、最後には薬の山になります。薬を飲んで修正をかけられた体は服用以前の状態に体を戻そうとするので、さらに修正するため薬はだんだん増えていきます。初期にゆっくり休養をとり、整体や運動で体のゆがみを取り、食物に注意をしていれば、薬なしで健康を維持できた人は多いと思います。多くの人は仕事が忙しく自分に無理をさせるため、薬を飲んでごまかしながら働き、最後に体をダメにしています。
そうやって健康保険制度、医療従事者、患者、製薬会社を眺めてみると巨大な錬金術に見えてきます。健康保険財政危機が叫ばれていますが、本当はお金も医療スタッフの人数も、使用薬も今の10分の一くらいしか必要ないんじゃないかと思います。
学生時代受けた三つの注意
1 薬を飲んではいけない。
2 レントゲンを受けてはいけない
3 歯を抜いてはいけない、歯の神経も取ってはいけない。
266投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時23分17秒
ガンは治るガンは治せる―生命の自然治癒力 [単行本]
著者−安保徹・奇剞ャ・船瀬俊介
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%AF%E6%B2%BB%E3%82%8B%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%AF%E6%B2%BB%E3%81%9B%E3%82%8B%E2%80%95%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B2%BB%E7%99%92%E5%8A%9B-%E5%AE%89%E4%BF%9D-%E5%BE%B9/dp/476340489X
267投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時24分15秒
●告発論文を破り捨てた医学部長
今、日本でガン難民が六〇〜七〇万人もいるといわれています。
かれらはガン検診を受け、ガンと診断され、それからいくつもの病院をさまよい歩いているのです。そして、厚労省の発表では、毎年、約三二万人ものガン患者がガンで*Sくなっているそうです。今や、日本人の死亡率のトップはガンです。
しかし、これら公式発表に、すでに嘘があります。じつはガンで亡くなった≠ニされる患者さんたちの約八割は、ガンで死んでいない。八割の方たちは、病院の抗ガン剤などのガン治療で殺された″のです。
かつてある国立大学医学部で死亡した<Kン患者のカルテを精査したところ、八〇%は、ガンでなく、抗ガン剤、放射線などのガン治療の副作用で亡くなっていたという。この驚愕の真実を、ある若い医師が、博士論文にして医学部の学長に提出したところ、目の前で破り捨てられたという。この光景にこそ、日本のガン治療の悪魔的現実があります。
268投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時25分03秒
●「大きなウソは絶対ばれない」
あのヒットラーは、次のように言っています。「小さなウソはすぐばれる」、しかし「大きなウソは絶対ばれない」と。さらに、こうも言っています。「ウソも、百回言えば、本当になる」。
年間、毎年二五万人がガン治療≠フ名のもとで、殺されています。あなたは自分の耳を疑うでしょう。あまりに壮大な惨劇には、感覚的にひとびとは理解できないのです。しかし、その現実を直視してください。あなたを、そして、愛する人を虐殺≠フ手から守るために。
一〇年で二五〇万人、戦後六〇年で一〇〇〇万人を超える人々が、ガン治療の名のもとに殺されたのです。ガン戦争の犠牲者は、太平洋戦争の犠牲者の四倍にたっするでしょう。
思い出すあのひと、そして、かの方……。ガンでなくなったのではなく、ガン治療≠ナ殺されたのです。これが、日本で今も行われているガン治療の戦慄の実態なのです。
純朴な大衆にとって、かれらの想像を超えた壮大なウソは、あまりに巨大すぎて、とてもウソとは信じられないのです。
具体的な殺人治療はガンの三大療法≠ナす。
@抗ガン剤、A放射線、B手術……の目もくらむ嘘、落とし穴を、これから明らかにしましょう。P-141
269投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時26分13秒
●「抗ガン剤はガンを治せない」 (厚労省)
わたしは『抗ガン剤で殺される』(花伝社)の取材で、厚労省の抗ガン剤担当の専門技官を直撃しました。「抗ガン剤は、ガンを治すのですか?」と問うわたしの質問に、若い技官は、淡々と答えました。
「……抗ガン剤が、ガンを治せないのは周知の事実です」
驚愕するとは、このこと。驚いて、さらに聞く。
「抗ガン剤は、毒物だそうですが……」
「ハイ。大変な毒物です」、
さらに「抗ガン剤は強い発ガン物質である」ことなどアッサリと認めた。そして、ガン細胞は、抗ガン剤を投与して四週間に一〇人に一人くらい縮めば効いた≠ニ判断して薬事審議会はクスリに認可する、という。
ところが、すぐにガン細胞遺伝子は、自らを変化させ、抗ガン剤の毒性に耐性を獲得し無力化する。「そうです。耐性を獲得します」と認めた。
また「抗ガン剤の正体は猛烈な発ガン物質」で、ガン患者に授与すると「他の部分に新たなガンを発生させる」増ガン剤≠ナあることも認めた。
つまり、厚労省の専門技官は、抗ガン剤が
@「猛毒物質」A「ガンは治せない」B「強い発ガン物質」C「ガンは再増殖する」…
などなど、すべて「そのとおり」と認めたのです。
270投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時27分20秒
●「いくら使っても効かない」 (医療課長)
抗ガン剤の担当責任者、厚労省保健局の医療課長は、公の席で「皆さんは、ご存じないでしょうが、抗ガン剤はいくら使っても効かないんです」と層愕発言をしている。さらに「効かないクスリなんですから、保険に適用するのは、おかしい」と主張。
厚労省の幹部が平然と「抗ガン剤は猛毒物質」であり「いくら使っても効かない」と公言していることに驚かれたでしょう。猛毒物を衰弱したガン患者に授与する。患者は、その毒作用でアッという間もなく死んでしまう。「そういう方もおられますね……」と厚労省。
これはまさに毒殺=Bそれでも医者は、遺族に「抗ガン剤の毒(副作用)で死にました」とは、絶対に言わない。そう言えば医者が殺した≠アとがばれてしまう。
これは重大なる医療過誤事件。刑法二一一条、業務上重過失致死罪となります。「五年以下の懲役・禁固・五〇万円以下の罰金」という刑罰が課せられます。
だから医者は 「患者さんの体力がもたなかった」などと言い逃れするのです。p-143
271投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時28分01秒
アメリカ政府の敗北宣言──ガン三大療法≠ヘ無力だ
●反抗ガン剤遺伝子ADGで耐性を獲得
「抗ガン剤は、ガンを治せない!」
ショッキングな事実を最初に公表したのは米国立ガン研究所(NCI)デヴュタ所長です。一九八五年、アメリカ下院議会で、「抗ガン剤による化学療法は無力だ」と衝撃証言を行いました。
「……なぜなら、一部、抗ガン剤でガンが縮小する例もあるが、ガン細胞はたちまち自らの遺伝子を変化させ、抗ガン剤の毒性を無力化してしまう。これは、ちょうど、害虫が遺伝子変化によって農薬に耐性を獲得するのと同じ」。一〇人に一〜二人ていどの腫瘍縮小も、遺伝子変化で、すぐに無力化してしまいます。
この遺伝子は反抗ガン剤遺伝子(アンチドラッグ・ジーン‥ADG)と命名されました。
NCIは、世界最高レベルのガン研究機関。その所長が「抗ガン剤は無力」と議会証言したのです。しかし、このビッグニュースは。日本ではいっさい報道されませんでした。
その理由は、マスコミもガンマフィア≠フ一員だから。スポンサーが困るほんとうのこと≠ヘ「報道できない」のです。
まさに、知らぬは国民、患者ばかりなりです。
272投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時29分11秒
●「三大療法≠ヘ無効」 (OTAリポート)
さらにNCIは一九八八年、衝撃リポートを発表。
「抗ガン剤は、強い発ガン物質であり、投与すると、他の臓器に新たなガンをつくってしまう」。
アメリカの最高機関が、抗ガン剤が増加ガン剤≠ナあることも認めました。
そもそも、ガン患者に強烈発ガン物質を授与すること自体が信じがたいブラックジョーク。このニュースも、日本国内では完壁に握りつぶされました。
日本のガン利権が、患者に本当のこと≠ェ知られないように、必死で圧力をかけたのでしょう。「日本に報道の自由はない」。このことを胸に刻んでください。
さらに、アメリカ政府は一九九〇年、これまで推奨してきた「ガンの三大療法≠ェ無効であった」と断定する衝撃リポートを発表。それがOTA報告です。
OTAはアメリカ政府調査機関です。同機関は、詳細実験によって抗ガン剤の有効性≠全面否定しました。p-151
273投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時30分43秒
先日、海外ニュースで、世界最大の製薬メーカー、ファイザー社が、一万人のリストラを行った……と報じられていました。
本書でも触れた、あの抗ガン剤プラトシン≠フ輸入元です。理由は医薬品の販売不振。わたしは「抗ガン剤の売れ行きで落ちている」と、直感しました。「抗ガン剤で殺される……!」。わたしたちの小さな呼びかけ、告発が、かすかだけれど、着実に、時代を、世界を動かしているようです。
アメリカ医学界も急激に三大療法≠ゥら代替療法にナダレを打っています。まさに九〇年のOTAリポートが、大転換点となったのです。
アメリカ政府の代替療法への予算は、一九九〇年以降の一〇年間で、三〇〇万ドルから二億ドルへと、六七倍にも激増。
すでに六対四で、ガン治療の現場でも代替療法が優位に立っています。そのためアメリカでのガン死者は年々約三〇〇〇人ずつ減り始めています。
殺人療法の三大療法≠ゥら解放され始めているのだから、とうぜんです。毒≠打たなけりや、長生きするのもあたりまえです。
274投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時32分06秒
● 二〇〇七年二月二日、「抗ガン剤イレッサ′果ナシ」という報道が流れました。
わたしはイレッサ≠「悪魔の抗ガン剤」と呼んできました。二〇〇二年、国内で承認されましたが、販売直後から副作用とみられる間質性肺炎が続出、判明しただけで六〇七人が犠牲となりました。
ガンを治す≠スめに打った薬剤で悶絶死するのはあまりに悲しい。肺ガンの特効薬≠ニ鳴り物で認可されたのに、患者は重大副作用でバタバタ殺され≠トいきました。輸入販売元はアストラゼネカ社(大阪市)。同社は重大副作用死が続発しているのに、黙殺。販売パンフレットには「夢のような薬」と誇大広告を続けました。
二〇〇五年六月二四日、ついに遺族たちが、同社を薬事法で訴えました。「過大広告・宣伝のため死亡者が続出した」と東京地検等に告発状を提出したのです。
そして告発されたアストラゼネカ社は延命効果≠ェないという事実の公表に追い込まれました。
アストラゼネカ社は「東洋人には延命効果が示唆された」と日本での販売を勝ち取りましたが、それは真赤な嘘でした。従来品よりも劣っていたのです。
275投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時33分12秒
●「……アストラゼネカ社は、〇三年九月以降、抗ガン剤治療歴のある肺ガン患者四九〇人を無作為に半数に分け、それぞれをイレッサ≠ニドセタキシル=i従来品)で治療した。
イレッサ≠ナ治療された患者の『一年生存率』は四八%で、ドセタキシル≠フ五四%を下回った。患者の半数が死亡するまでの期間もイレッサ≠ヘ一二カ月でドセタキシル≠フ一四カ月に満たなかった」(『毎日新聞』二〇〇七年二月二日)
この人体実験<fータには暗澹とします。まさに、二つの抗ガン剤は五十歩百歩。「一年生存率」が約五割ということは、これら抗ガン剤治療≠フ実験台とされた約五〇〇人の患者さんの半数は亡くなった(殺された)ことを意味します。
本書で述べたように、肺ガン治療のベスト方法として「何もしないこと」(二二%)を選択したカナダと比較して欲しい。
同国では肺ガン治療に「抗ガン剤を用いる」は、わずか五%。
日本の二〇分の二延命効果を上げるのは「何もしないこと」という常識≠ェ日本の医療現場では判っていない。というより「何もしなかったら儲からない」がホンネでしょう。
それでも、今回「悪魔の抗ガン剤」が実質、使用中止に追い込まれたのは、脱抗ガン剤に向けての一つのステップです。
276投稿者:777 投稿日:2010年12月25日(土) 20時34分37秒
●現代アメリカで「もっとも影響力を持つ二五人」に選ばれたアンドリュー・ワイル博士。
彼は著書『自発的治癒』(邦訳『癒す心、治る力』上野圭一訳 角川文庫)で、こう述べています。
「人には、治る力がそなわっている。その治癒力を活性化させることで、絶望的な病から奇跡的な生還した人は少なくない」。
この本は、いまや『医学の革命書』と絶賛され、全米ベストセラーとなっています。ワイル博士のHP(ホームページ)には、月に最大三〇〇万件ものアクセスがあります。訳者の上野氏は、「医療革命は、大学以外でもすさまじい勢いで進行している」といいます。
ワイル博士は「ガンの自然退縮」についても述べています。
「……大きな腫瘍組織が、数時間、数日のうちに消えてしまうほどの激しさをみせることもある」
生命は奇跡と神秘の可能性を秘めています。
一方、博士は、抗ガン剤の化学療法と放射線治療について──
「未熟かつ粗雑な方法であり、いずれは時代遅れになる治療法である」
と断じています。博士こそは、安保先生、奇先生……そして、わたしとの同志です。
この温かく、希望に満ちたネットワークを広く広く……拡げていきたい。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/382.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/386.html