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RE:解脱について
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/348.html
投稿者 ボケ仙人 日時 2003 年 2 月 20 日 16:43:24:

ちょっとタイミングが遅れてしまい、また長文となってしもうたが許してくれい。
仏教のことはよう知らんが、解脱とは何の意味かさっぱり分らんて。煩悩、宿業の束縛から脱することと説明されとるようじゃが意味不明じゃわな。
仏教にもいい言葉、教えが沢山あるように思うが、概して人を混乱に陥れるものが多いわな。古代の文盲の多い時代に、自国語どころか梵語、漢語などと訳の判らん外国語で人を煙に巻いて識者ぶってた輩が多かったでなぁ。未だ、それをやっとるおたんこ者集団も多いがのう。諦念、悟りとか空即是色、色即是空などもあるのう。
まず、煩悩は排除すべき対象となる意識ではないわな。人は煩悩があるから努力するものぞ。煩悩があらゆる向上心の原点であり、それゆえ生ける活力となる。むろん、間違えば犯罪も誘導するわけじゃがな。宿業も離れようとしても離れられんわなぁ。離れられんから宿業と呼ばれるんじゃろ。離れられんものや排除しちゃいかんものと格闘してもどうしょうもないわな。それこそ、脳みそがどうかしとると言われるわな。
それをしたり顔して修行とぬかして、滝に打たれたり、山に篭ったりするもんだから余計おかしくなるわな。狐つきやら、たぬき、竜神さんなどなどのう。彼らは超能力のような印を人に与えるでな、皆、すっかり騙されるわな。まあ中には素晴らしい方もおいでじゃが、それは、元々天才のなせる業。それにもう時代が違うわなぁ。
また、蝶がさなぎから変るように脱皮する一瞬があるとか、超えるべき一線が存在するように考えておるんじゃろうか?そう言う幼稚な考えに囚われておってはいかんのう。解脱とか悟りがあるとしても、それは言ってみればらっきょの皮むきみたいなことじゃろうて。
確かに、釈迦は35才の時、菩提樹の下で21日間の座禅によって大悟成道を得たとか、達磨大師が石の上で云々とかあるがの。
しかし、あれも無から有を生じたわけでなく、0から100まで一気にポテンシャルが上がったわけでもないぞ。師匠がおり、その教えやその前駆的宗教があり、長い助走期間の上で、すでに思想的には九分九厘出来上がっていて、思惟完結の最後の一瞬を伝説的に表現されているのじゃとワシは思うとる。ニュートンのリンゴのようにな。
まぁ、実際は誰が書いたか判らんが、華厳教には「善財童子(釈迦の若年時の名)は、ふだらく山で観自在菩薩の講話を聞き学んだ」と記されておるぞ。29歳で出家する以前から深く思索しておったようじゃし、そして、当時のバラモン教と対峙しとるわな。
らっきょの皮むきとは、永遠につながる階段とも表現できるが、どこかで区切りがつけらられるものでなく、比較すれば相対感覚でしか評価できんようなものと言う意味じゃ。
そして、それを得ようとするならば、解脱、宿業を追いまわしても得られんぞ。
(解脱の)皮むきをするならば、自己の霊性を高めるより他に方法はないぞ。まず、あるがままの自分を受け入れて一歩一歩向上の努力を行う。すると、神道で言うところの「身魂相応の原理」により、霊性が高まるにつれ煩悩、欲望に対する自己意識が変化する。同時に反比例するように宿業、因縁の不徳の山が低くなり、やがて、自分の周りが変ったことに気付くじゃろ。自分が変れば、自然と周りが変る。不思議じゃが、一切の因が自分であったことに気付くぞ。コツコツとやるんじゃ。そして霊性が高まった分、幸せがやってくる仕組みじゃし、病気とも縁が遠くなる。癌になるにはなる理由が己にあるんじゃ。
霊性を高めるには、徳積み!徳積みじゃ!徳積みより手だては無いぞ。徳積みの本旨とは「他者の幸せのために誠意を尽くすこと」にあるから、現代ではいろんな意味で難しいが、コツコツとな、実行せんとな。徳積みが幸せの根元じゃ。徳積みは自己だけでなく、子々孫々へ続く幸せの財産ともなる。風が吹くと桶屋が…みたいに思うかしれんが、昔の日本人にすれば当ったり前のことを何を語っとると言われるぞ。今更ながら先人たちは凡夫と言えど偉大じゃったのう。徳積みは愛と言い換えてもいいかも知れんが、愛と言う表現はワシは好かんがのう。
そうして、先達がそうじゃったように学びの前駆として宗教を学べよ。宗教に対する考え方もでたらめじゃわな。宗教とは本来、人々が調和し栄えていく道を指し示すものであり、人間のあらゆる行為の指針じゃぞ。その意味で、今、一般に言う宗教とは単に宗教的仮説に過ぎんわな。仏教全般は釈迦の仮説じゃて。キリスト教はイエスの仮説。真言宗は釈迦をベースとした空海の仮説とも言えようか。ワシの言うことはワシの仮説じゃが、ワシだって師匠がおり、前駆的宗教があり、様々な体験と実証の上に立っとるぞ。
そして、仮説というからには、経典があり、しかもそれを実証する法がないとあかんわな。
じゃから、経典や実証する法の無い宗教的仮説は、仮説にもならんことは明々白々じゃぞ。しかし、そうしたものや明らかに宗教として目指す方向(調和と弥栄)が違うものに引っかかる者も多いわな。それは自業自得じゃ。気付いたらやり直せばいいことじゃがな。
それらを思うと、昨今の有様は不徳を一生懸命に積んどるようなもんじゃわい。そりゃ日本が沈むのは当たり前だわなぁ。
不況じゃ、金融不安じゃ。あいつが悪い。こいつのせいじゃとわめくが、見とる方向が逆じゃわな。医学、教育みんな逆となっとる。近年の混沌は政治、経済じゃないぞ。全部人々の心に因があるぞ。
見よ!金や経済より大事なモノがあろうて。われわれは、金や権力を得るために生を受けたのではない。自分の霊性を高めるためにこの世に出でた。とは言え、霊性が高まれば自然と物質豊かとなる仕組み。テポドンや地震、イラクやイシヤ、はてまた惑星Xじゃ宇宙人などと心配する暇があったら、徳積みをした方が的確だわな。
このサイトへの投稿者の多くも、イシヤに反発しながらも実はやつらに染まった心根で反論しとる者が多いわな。イシヤは物質主義の反映であり、反面教師じゃ。現代の混沌は我々の進むべき道を指し示しとるぞ。気付きの時代じゃ。しかし、それも今の世相ではなかなかじゃから、痛い目せんと分らんかも知れんのう。
以上を示す方程式。以前も示したが、これが分れば、多くの事がわかるはずじゃし、聡明なる読者は簡単にわかるじゃろて。(語彙として整わないので、イメージとして把握してほしいのう)
徳の高さ=霊性の向上=霊層階の向上=天国界への接近=体質強化(健康増進)=幸せの向上=光の高質化=フォトンの増大化=高周波数化=質量の軽量化=波動の高まり=愛の増大化(深化)。などとリンクするわけじゃが、これが宗教と科学の統一理論じゃと自己満足しとるがの。ここに、それ「神は光なり」、また神道で言うところの「人は神の御魂の分れなり」という言葉を重ねれば、いろいろと見えてこよう。

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