(回答先: ↑は変だと思いませんか? 投稿者 熊五郎 日時 2002 年 3 月 14 日 19:44:14)
熊五郎さん、初めまして。
「変だと思いませんか?」と言われても、私が書いている内容と熊五郎さんが書かれている内容がスリ合っていないように思われるので、レスに少し困っています。
たぶん、金融行政そのものに対する認識の差があるんではないかと思います。
まず、現在の日本の銀行そして過剰債務上場企業は、「国家管理」に置かれています。
そして、政府とりわけ旧大蔵省=金融庁は、「金融システムの安定化」や「破綻銀行の市場からの退出」などを旗印にしながらも、実態は「銀行の選別」を通じた「銀行の集約化=金融寡占」を図っています。
現在の「デフレ不況」の発端である「バブルの形成」は、欲にくらんで借りた人たちがの責任がすべてというわけではなく、欲にくらんで不動産や株式への投資を煽って貸し込んでいった銀行やそのような経済状況を放置し続けた大蔵省と日銀にも大きな責任があります。
7千億円近くの税金投入を余儀なくされた「住専」問題(姑息にも大手銀行は早めに逃げを打ち、農林系に融資を行わせることまでした)にしろ、公的資金の注入を受けた後に債権放棄を行うなどをしても、それに関わった大手銀行の経営者や官僚は、なんら刑事責任を問われていません。
その一方で、いくつかの小銀行の経営者は、破産した企業に追加融資までしたということで背任罪に問われています。
破産した青木建設に代表されるように、大手銀行は、間をおいて風当たりを弱めたとはいえ公的資金で債権放棄を行っただけでなく、追加融資も行ってきました。
しかし、金融庁“公認”であれば、背任罪には問われないのです。
これは一例で、破産するかもしれない企業にも、破産されたら困るということで追加融資が行われているのです。
過剰債務上場企業のどこをいつ破産させるかも、国家が管理しているのです。
「自由主義経済」というスローガンは、今の日本経済の実態とはまったくそぐわない空念仏でしかありません。
>金融のプロでない預金者が安心確実で一目瞭然の資料無しで銀行を選ばなくてはなら
>ない。不安を感じるのは当然だ。しかし自宅から近いとか金利が高いからという理由
>だけで銀行を選ぶことが多かった時代こそ不自然であったと考えるほうが自然ではな
>いのか?
私にとっての銀行は、経済取引の決済に利用するためだけのものですから、自宅や会社に近くて預金が確実に保護されるのであれば、預金利子は0%でいいというものです。
さらに言えば、経済活動の成果の一部(あるときは全部以上)を奪うことで経済主体を疲弊させ、経済活動全体を困難に陥れる「利息の取得」を禁止すべきだと思っています。
急に「近代銀行制度」をなくすわけには行かないようですから、国有の「決済専門銀行」と従来的な「商業銀行」に分化すべきだと主張しています。
「決済専門銀行」は預金が全額保護されますが、利子は付きませんし、必要であれば口座維持料を徴収するかもしれません。
「決済専門銀行」は、郵便貯金と国有化する旧商業銀行を合体・再編して創設すればと考えています。
>ペイオフは銀行にとっても預金流出のプレッシャーを感じることになるだろう。
>特定の企業に偏って貸付が行われていたり、杜撰な融資審査をしていてはいずれ不良
>債権は増加し、信用を落とし預金流出を招いてしまうのだ。
>預金の保護金額に上限を設けることで信用が落ちて資金不足になってから銀行が高利
>で預金を集める事態を防ぐ効果と、銀行存続の存否を一部預金者に委ねる効果が期待
>できる。
銀行の財務状況に関する公表データが信憑のないものだという疑念を抱いています。
金融庁の“ご指導”で債権の分類が行われているのですから、その結果が公表されたらからといって、財務実態を現しているとは言えないです。
オリジナルでも書いたように、金融庁が、「この銀行は存続させたいから良い財務状況にしたい」と判断すれば“いい銀行”と見られる財務内容が公表され、「この銀行は破綻させるかどこかに合併させた方がいい」と判断すれば“危ない銀行”と見られる財務内容が公表されることになるです。
“危ない銀行”に指定されたら、否応なく預金が流出してしまうことになります。
金融庁に銀行の生死が委ねられているということが問題なのです。