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せいがくさんの( http://www.asyura.com/2002/dispute3/msg/800.html )へのレスです。
せいがくさん、こんにちは。
>おっしゃる通りデフレの深刻化、財政負担の増大(増税)が問題となることは間違いな
>いと思います。そのデメリットと供給側が効率化されてゆくメリットの比較考量の問
>題だと思います。また、輸出拡大抜きで利益を産むには、内需が拡大するしかありま
>せん。どうすれば、人々が消費を拡大するか、という問題でもあります。私見では、
>老後、疾病、住宅、教育の4つが公的にしっかり整備されれば、人々が過剰に貯蓄に
>走ることなく、消費性向も高まるのではないかと思います。そういう政策が必要なの
>ではないでしょうか。
「老後、疾病、住宅、教育の4つ」に加えて、長期安定的な就業維持の見通しが不可欠です。
それらによって、所得が増加するとともに消費性向を高めて経済が再生できると確信しています。(再生できなければ、国民は財や用役に満足しきっているということになります)
「せいがくモデルの検討]
『100人から成り立っている経済がありました。それぞれが生産者であり消費者です。ある時、10人少なくても同じだけの生産量が確保できることに気づくものが出てきました。その者が提案しました。「100人だと競争が激し過ぎて誰も儲からない。競争するのは90人くらいで十分だ。くじびきで10人ほどを隔離し、屋根裏部屋にずっとこもってもらうことにしよう。」そこで10人だけを隔離し、経済活動を営んで見ると、前と同じ生産量が得られただけでなく、製品価格の上昇により、90人の所得も大幅に増えました。産み出された付加価値の総額は100人で担った経済よりも90人で担った経済の方が上回りました。隔離された10人は貯蓄を取り崩しつつ、他の皆から寄付を受けながら細々と生活をしました。このため、この10人は仕事と収入があった時の半分程度しか消費をしておらず、全体の消費が落ち込むのではないか、と懸念されていましたが、将来の明るい展望に気をよくした他の90人が、この消費減を補って余りあるほどの消費を行ったのです。前より金持ちになった90人は、さらに消費意欲がかきたてられ、同時に生産者としての総意工夫や新規投資にも意欲的となり、翌年には生産量を増やしただけでなく、製品価格も上げる事ができ、デフレから完全に脱却しました。人手すら足りなくなりはじめ、隔離した10人から3人か4人くらい経済の世界に引き戻さなければならないな、と感じられるようになりました。』
『この物語のエッセンスは、次のようなことです。即ち、失業者の消費が減るためこれが投資マインドを萎えさせるのは分かる。しかし、同時に供給サイドで改善した部分もあるのだからそのメリットがデメリットを上回らないとは予断できない。勝ち組みと負け組が混在したままでは自律回復は不可能。負け組の処遇は別途考える必要はあるが、勝ち組(の消費者と供給者)のエンジンを全開がどうしても必要。』
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● 設定モデルが閉鎖経済社会の場合
「前と同じ生産量が得られただけでなく、製品価格の上昇により、90人の所得も大幅に増えました」という説明部分ですが、生産量は同じでいいとしても、製品価格の上昇と所得の増加は何を源泉として生じたものでしょうか?
● 設定モデルが開放経済社会の場合
“人数は少なくなっても、前よりも多い生産量が実現され、国内向けの製品価格は10%ほど下がったが、増えた分の生産量が10%安くなったことで輸出できるようになった。そして、輸出での売上分を屋根裏部屋にいる人にも配分した”という想定であれば、みんながハッピーになるという結論もありえます。
元の供給コスト:1000円
元の財価格:100円
元の財数量:10個
(売上(GDP):1000円)
《生産量10%アップの場合》
新供給コスト:900円
新財価格:90円
新財数量:11個
国内販売:10個
輸出:1個
(売上:990円)
《生産量20%アップの場合》
新供給コスト:900円
新財価格:90円
新財数量:12個
国内販売:10個
輸出:2個
(売上:1080円)
生産量が10%アップしそれを輸出できるならば少し悪化した程度で済み、生産量が20%アップしそれを輸出できるならハッピーになれます。
180円分は、輸入した財に向けられれば、供給不足は生じません。