現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 単なる「通貨移転」ではなく、通貨が移転している間に人々のマインドが変わります 投稿者 せいがく 日時 2002 年 11 月 16 日 07:56:23)
せいがくさん、こんばんわ。
>まず,モデルに使った「100人の経済」は日本経済を考えるための縮図ですから、潜在
>的な成長性/労働生産性は極めて高いという前提です。
就業者人口の増加はなしで、労働生産性が極めて高いことで潜在的な成長性が高い経済社会と受け止めます。
先に結論を言うと、この条件は、輸出の増加・貯蓄の取り崩し(投資・赤字財政支出)の増加が持続的になければ、デフレを招き失業者の増加と不況という現在的経済状況につながるものです。
>上記の議論で見逃されているのは、次の点ではないでしょうか。 これまで貯蓄に
>回っていた部分が(屋根裏の10人のものも、経済サークルに残った90人のものも)が消
>費に回り始めます。低迷していた100人からなる経済はこの貯蓄部分が滞留し、投資
>(=総需要の一部)に回らなかったのが問題でした。まず、これにより経済が拡大方向
>に向くことは異論ないと思います。そして、肝心なのは、このことにより、消費者も
>供給者も「マインド」が変わってくることです。経済の停滞が終わり、これから景気
>が良くなるのだ、と感じ始め、消費を拡大し、投資を拡大し始めます。
貯蓄が投資に回り経済が拡大方向に動けば、屋根裏の10人のうち何人かもしくは全員が供給活動に入ります。
マインドが変わって、貯蓄を取り崩しながら消費に励むことにも同意します。
それでも、貯蓄を取り崩し終わったところで“繁栄”は終わります。
その間に進んだ生産性の上昇で財的豊かさは高まりますが、貨幣的側面から見れば、元の100人の“停滞した社会”に戻ります。
輸出の拡大や通貨的富の流入という外部要因がなければ、“拡大的繁栄”は持続できません。
財的豊かさの実現はできても、「閉鎖経済社会」での貨幣的繁栄はありません。
>このモデルには銀行部門が明示的には示されていませんでしたが、もしこれを導入す
>るとしたら、経済の拡大とマインドの好転を反映し、信用創造プロセスが働き始める
>はずです。
>これにより生産も消費も増加する好循環に入って行きます。マインドと人々の経済見
>通しの好転が決定的に重要ではないでしょうか。サプライサイドが刺激されれば、潜
>在供給能力は十分なのですから、産出量が高まるのは当然です。利益は高まっている
>のですから、賃金も増えると想定され、人々の購買力は高まっています。
既述に投資の拡大という要素がありますから銀行部門を度外視したことにはなりませんが、「信用創造」を考慮することには意義があります。
「信用創造」により、100しかない貯蓄で300といった貸し出しができますから、投資=需要が拡大します。
しかし、100人でも1億人でもいいのですが、供給力は生産性の上昇がない限りそれがアッパーリミットになります。
完全雇用が実現した後であれば、生産性を上昇させても、給与を引き上げなければデフレに陥るだけです。
大事なことは、このケースでは「信用創造」で需要が膨らんでいるわけですから、金利5%だとしても、元の貯蓄(100)に対しては15%の金利を支払うことになります。
その債務が履行できなくなれば、バブル崩壊になります。
貯蓄が取り崩されていくという設定ですから、バブル崩壊は銀行崩壊に直結することになります。
銀行家が、獲得した利息を消費に回すか、債務履行できない企業に利息分を追い貸しし続ければなんとか一定水準で経済は動きます。
>潜在的な供給余力がある限り、経済環境が変われば、すべてが好転し、供給余力が開
>花するはずだということです。
経済環境をどう変えるか重要です。
供給余力があっても、財的豊かさは実現できても通貨的豊かさが実現できるとは限りません。
利潤追求とは通貨的豊かさの追求ですから、財的豊かさが実現できる経済条件でもデフレ不況になるという視点が重要です。
>屋根裏部屋の10人というのは、普通に言えば「失業者」ですが、別の見方をすれば
>「供給力の高まりを恩恵とした、何もしなくても食べて行ける貴族階級」と見ること
>もできます(労働階級である90人と貴族階級である10人の所得再配分さえうまく行け
>ば)。この10人に「育児と介護」をしてもらうのも「これまでになかった新たな行政
>サービス」に従事してもらうのも良いアイデアですが、本質的な意味は、供給側技術
>進歩による特権的立場の創出なのだと言えます。
10人が貴族になったからと言って、経済の繁栄が実現できるわけではありません。
それがあるとしたら、開放経済社会で、そうすることで輸出などを通じて流入する通貨的富が増加したときだけです。
閉鎖経済社会における生産性上昇の本質は、100人でやっていたことが90人でできるようになったということです。
だったら、100人がこれまでの90%の労働時間で同じ賃金を得るという変更でもいいのではないでしょうか?