(回答先: Re: 中共は「反日」が「国是」 投稿者 anone 日時 2002 年 2 月 24 日 08:57:16)
4つほどのアップ内容に対するレスとして書いたものですが、いちばん下になるここにアップしました。
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実質的な対米宣戦布告であった「対米覚書」を指定刻限までの手渡せなかった責任を負うべきキャリア外交官2名が戦後“独立”後に外務事務次官になったことを「外務省問題」の根源だと書いたもののなかで述べたように、当時の米国政権が日本に「真珠湾奇襲攻撃」をやらせたことをもって、日本人が米国を非難するのは“筋違い”であり、そのような謀略に引っかかった日本そのものの問題こそを追求すべきだと考えている。
そして、米国人は、「真珠湾奇襲攻撃」で多数の米国人将兵が死んだことで、米国そのものの問題を追求すればいいと思っている。
「南京大虐殺」についても、“日中戦争”全体についても、同じように考えている。そして、日中戦争については、それが侵略的戦争であり多大の迷惑をかけたことを日本は政府見解として表明している。
私見を簡単に書くと、「満州国」樹立は、日本主導で行われ、実権を日本が握っていたとはいえ、日本は満州族の民族自決を援助したと主張できると考えている。
しかし、宣戦布告もなしで、華北から華中へとずるずると戦線を拡大し、植民まで行った(だから通州事件も起きた)「日中戦争」は、日本の非であり愚かな政策だと考えている。
このような戦争の過程で起きたのが「南京大虐殺」であり、対中国戦争を誤りと認めている日本政府であれば、民間ベース及び中国政府の主張で生じている論争に誠意をもって対応すべきである。
「南京大虐殺問題」について政府間でそれなりの合意が見られたとしても、民間ベースでは論争が続くだろう。しかし、政府間の対立と民間ベースでの対立は性格が異なるものである。
歴史を考えれば、ほとんどの共同体や国家が、それぞれの利益を追求して他の共同体や国家に戦いを仕掛けた。そして、虐殺されたり収奪されたり支配されたりした共同体や国家は、それを行った共同体や国家を憎悪した。ある場合は、その復讐を共同体の“永遠の目標”にさえした。憎悪する立場の人たちは、「旧約聖書」を読めばわかるように、相手の非道さ残虐性をとてつもなく強調して伝承しがちなものである。
そのような誇張を是正する政府レベルの対応は必要だが、心情の問題であり、誇張もある程度はやむを得ないと考えている。
しかし、誇張を税制する対応を政府が誠意をもって行わず、民間ベースの“水掛け論”に任せていれば、お互いが自己の考えを頑なに主張し続けるだけであり、消し去ることも回復もできない問題を問題として認めながら、これからどうしていくのかという将来への方向性を合意することはできない。
「大東亜戦争」末期の“ソ連参戦問題”について、日本では日ソ中立条約を突然破棄して満州に侵攻したソ連軍の非を主張し、その後に起き今なお続いている残留孤児問題まで発生させた満州での混乱や「シベリア抑留」からソ連を憎悪する根拠ともなっている。
しかし、日ソ中立条約は当時いつでも一方的に破棄できる状態にあり、独ソ戦を終了したソ連軍は、連合国首脳会談による要請を受けて5月以降極東に部隊を配備し続けていた。当然、このようなソ連軍の動きは、関東軍も察知していた。このまま戦争状態が続けば、ソ連が対日参戦に撃って出ることは簡単に予測できたのである。
さらに、ドイツが対ソ戦初期に攻勢を仕掛け占領地域を拡大していたとき、日本軍は、日中平和条約を締結していたソ連を叩くチャンス到来と考え、「関東軍特殊大演習」という対ソ戦準備を行った。これは、独ソ戦が膠着状態に陥ったり、ノモンハン事件でソ連軍の脅威を実感していたことから回避されることになっただけである。
満州の混乱や「シベリア抑留」という問題も、関東軍司令部の対応のまずさに一因があった。関東軍は、軍幹部など“重要”家族の非難を優先させて、居留民保護という最大の役割を中途半端に行った。「シベリア抑留」も、ソ連軍と関東軍の“ボス交”で決定されたのである。
戦争だからこそ起きやすい悲劇や災厄の問題は、お互いが自国内部に保有している資料や“生き証人”の証言を公表し、できるだけ多くの事実経過がわかるようにしなければならない。
そして、それに基づき、それぞれが自国の問題としてきちんと評価し、その後、当事者両国が将来に大きなしこりを残さないという身構えで論議し合うべきである。
もしも、当事者の一方の国がそのような姿勢を見せないとしても、日本は敢然とそのような対応をすべきだと考えている。
政府の声として出てこないとしても、見ている人はちゃんと見ており、それによって様々な思いを抱くものである。
韓国人の「反日意識」に、同じ民族で同じように日本に併合されていた歴史を有する北朝鮮との国交正常化すらまじめに取り組まない日本に対する不信感もあることを忘れてはならない。
これまでの日本がそれなりに大きな顔をしてこれたのは、「経済大国」であり「米国の保護国」であったが故である。それらが失われていった日本が、どのような立場になるか考えてもいい時期になっていると思っている。
※ 故江藤淳氏が「大東亜戦争」に対して論理的必然性と歴史的正当性を主張している内容については、結論は異なるとは言え、論議のベースになり得ると考えている。