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ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 21 日 10:37:21: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 20 日 23:25:11)

ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』


Stravinsky- Petrushka (Bolshoi Ballet Russe Film)- Segment from Return of the Firebird


PETROUCHKA - Igor Stravinsky - Ballets russes - Opéra de Paris 1976 [v2]



Stravinsky - Petrushka, Boulez / New York Philharmonic 1975
Pierre Boulez / New York Philharmonic
8 September, 1975. Belrin


ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団 1991年3月


ARCHIVIO IEM Stravinsky's Petrushka (London Symphony Orchestra / Valery Gergiev)


_____


『ペトルーシュカ』 (露語:Петрушка, 仏語:Pétrouchka)は、ストラヴィンスキーが、1911年にバレエ・リュスのために作曲したバレエ音楽。


おがくずの体を持つわら人形の物語で、主人公のパペットは命を吹き込まれて恋を知る。


ペトルーシュカ(ピョートルの愛称)は、いわばロシア版のピノキオであり、悲劇的なことに、正真正銘の人間ではないにもかかわらず真の情熱を感じており、そのために(決して実現しないにもかかわらず)人間に憧れている。ペトルーシュカは時おり引き攣ったようにぎこちなく動き、人形の体の中に閉じ込められた苦しみの感情を伝えている。「ペトルウシュカ」とも表記される。


作品


ディアギレフのバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために、1910年から1911年にかけて冬に作曲され、1911年6月13日にパリのシャトレ座で初演された。公演はおおむね成功したが、少なからぬ聴衆は、ドライで痛烈で、時にグロテスクでさえあるこの音楽に面喰らった。ある評論家は、本稽古の後でディアギレフに詰め寄って、「招待されてこんなものを聴かされるとはね」と言ったところ、ディアギレフはすぐさま「御愁傷様」と言い返した。1913年にディアギレフとロシア・バレエ団がウィーンを訪れた際、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、当初『ペトルーシュカ』を上演することを渋って、この楽曲を「いかがわしい音楽」(“schmutzige Musik”)と呼んだ。


音楽は、ハ長調と嬰ヘ長調を組み合わせた、いわゆる「ペトルーシュカ和音」が特徴的であり、複調性によってタイトルロールの登場を予告する。



作曲の経緯


『ペトルーシュカ』作曲の経緯は『自伝』ほかに書かれていてよく知られる。それによれば、『火の鳥』の次の作品として、ストラヴィンスキーは後に『春の祭典』として知られることになる作品を予定していたが、作曲の難航が予測されたため、その前にピアノと管弦楽による一種のコンツェルトシュテュックのような曲を書きはじめた。最初に思いついたのはピアノの悪魔的なアルペッジォと管弦楽の反撃による騒音であり、ストラヴィンスキーはこの曲の題を『ペトルーシュカ』と名づけた[1][2]。この初期の版は1910年の8月から作曲された[3]。


当時、ストラヴィンスキーは夫人が妊娠中であったためにブルターニュのラ・ボールに滞在していた。9月にスリマが生まれた後はスイスのヴォー州クラランスに移った[4]。『春の祭典』の進行具合を知るために10月にディアギレフがスイスを訪れたとき、ストラヴィンスキーは「ペトルーシュカの叫び」(後の第2場)と「ロシアの踊り」の2曲を弾いて聞かせた。ディアギレフは驚いたが、すぐに新しい曲を気に入り、この曲を翌年のバレエ・リュスのためのバレエ曲とするように説得した[2]。ディアギレフはすぐにサンクト・ペテルブルクのアレクサンドル・ベノワに台本を依頼する手紙を書いた。当時ベノワは『火の鳥』と同時に公演された『シェヘラザード』に関してディアギレフと喧嘩になり、二度とディアギレフの元では働かないと宣言していたが、子供の頃からの人形劇のファンであったため、その魅力的な申し出を断ることはできなかった[5]。

ベノワとストラヴィンスキーは共同で話を作っていった。ベノワの貢献は非常に大きく、『ペトルーシュカ』の楽譜にはベノワの名前が共著者として上がっている。タラスキンによれば、謝肉祭と人形達の劇という二重構造を考えたのはベノワであり、またペトルーシュカ・バレリーナ・ムーア人という3人組を考えたのもベノワであって、これはベノワが子供のころに観たコンメディア・デッラルテのピエロ(ペドロリーノ)・コロンビーナ・アルレッキーノが元になっている。本来ロシアのペトルーシュカはピエロではなくむしろプルチネッラに由来する部分が大きかったが、この変更によってペトルーシュカは哀れなピエロに変化した。また、魔術師もベノワの考えによる[6]。ストラヴィンスキー本人の証言ではベノワの役割が過小評価されているが、これはずっと後の1929年に、演奏会形式で『ペトルーシュカ』を演奏したときにベノワに著作料を払わずに済むようにストラヴィンスキーが裁判を起こしたことと関係する(結果は敗訴)[7]。


1911年2月にストラヴィンスキーはニコチン中毒で倒れ、大幅に作曲の予定がくるった。「仮装した人々」から後の部分は4月になってバレエ・リュスが公演中のローマで作曲された。初演の数週間前になってようやく完成した[5][8]。


初演


『ペトルーシュカ』のバレエは1911年6月26日にパリのシャトレ座で初演された。この時のスタッフと配役は以下の通り[9]。

振付:ミハイル・フォーキン
美術・衣装:アレクサンドル・ベノワ
指揮:ピエール・モントゥー


ペトルーシュカ:ヴァーツラフ・ニジンスキー
バレリーナ:タマーラ・カルサヴィナ
ムーア人:アレクサンドル・オルロフ
魔術師:エンリコ・チェケッティ



楽器編成


1911年版


4管編成と大きい編成だが、ティンパニが単純に書かれ、トランペットも少し活躍が少なく、地味な印象がある。
フルート4(ピッコロ2持ち替え)、オーボエ4(コーラングレ1持ち替え)、クラリネット4(バス・クラリネット1持ち替え)、ファゴット4(コントラファゴット1持ち替え)、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ2、ピアノ、チェレスタ、大太鼓、シンバル、グロッケンシュピール、小太鼓、タンブリン、トライアングル、木琴、タムタム、弦五部、および舞台袖の小太鼓とタンブリン



1947年版


オーケストラを3管編成に縮小した改訂版。新古典主義に転じてからの編曲であるため、1911年版に比べてドライな印象を与えるがカラフルに聞こえる。
フルート3(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット3(バスクラリネット1持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、ハープ1、ピアノ、チェレスタ、バスドラム、シンバル、スネアドラム、タンブリン、トライアングル、木琴、タムタム、弦五部
当初はピアノ協奏曲として着想されたため、とりわけ前半部分でピアノの活躍が目立っており、「ロシアの踊り」は特に有名である。

演奏会やバレエの伴奏は予算の関係や華やかさもあって3管編成版が良く取り上げられる。初演の時と同じように今日でも劇的なインパクトは新鮮さを失わず、聴衆にとっては非常に刺激的でわくわくさせられる作品である。




場面構成
以下の4場に分けられる。


第1部:謝肉祭の市 Fête populaire de semaine grasse
導入 - 群集 Début - Les foules
人形使いの見世物小屋 La baraque du charlatan
ロシアの踊り Danse russe


第2部:ペトルーシュカの部屋
ペトルーシュカの部屋 Chez Pétrouchka


第3部:ムーア人の部屋 Chez le Maure
ムーア人の部屋 Chez le Maure
バレリーナの踊り Danse de la Ballerine
ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り) Valse: La Ballerine et le Maure


第4部:謝肉祭の市(夕景) Fête populaire de semaine grasse (vers le soir)


乳母の踊り Danse de nournous
熊を連れた農夫の踊り Danse du paysan et de l'ours
行商人と二人のジプシー娘 Un marchand fêtard avec deux tziganes
馭者と馬丁たちの踊り Danse des cochers et des palefreniers
仮装した人々 Les déguisés
格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩) La rixe: Le Maure et Pétrouchka
終景:ペトルーシュカの死 ― Fin : La mort de Pétrouchka -
警官と人形使い ― La police et le chartatan
ペトルーシュカの亡霊 Apparition du double de Pétrouchka


補足


この作品は不気味な静寂で終結することから、「仮装した人々」から「格闘」に入るところで終了する演奏会用エンディングも用意されているが、演奏会形式でも「ペトルーシュカの亡霊」まで演奏されることも多い。


各場面は場面転換の雑音を打ち消すためにけたたましい太鼓連打で転換する。これに関しても、演奏会では第2部の冒頭の太鼓連打がカットされるなどの変更がある。
47年版スコアにおいてはパフォーマンス用のフィナーレが最後に追加されており、華々しく終わることも出来るようになっている。



あらすじ


第1場


1830年代のサンクト・ペテルブルク海軍広場。謝肉祭後半(Широкая масленица)の市場によって舞台が始まる[12]。

オーケストレーションと頻繁なリズムの変更は、祭日の喧騒とざわめきを描写している。手回しオルガン奏者と踊り子が群衆を楽しませている。ドラムは老魔術師のお出ましを告げ、魔術師が観衆に魔法をかける。突然に幕が開いて小劇場が現われ、魔術師が動かない、命のない3つのパペット――ペトルーシュカ、バレリーナ、荒くれ者のムーア人)――を取り出す。魔術師は横笛を吹いて魔法をかける。命を与えられたパペットたちは、小さな舞台から飛び出して、ぎょっとしている市場の通行人の中で踊り出す。今や生きた人形たちは、激しいロシア舞曲を踊る。


第2場


ペトルーシュカの部屋《1911年、アレクサンドル・ベノワ画》
ペトルーシュカの部屋になる。一面暗い色をした壁は、黒い星印や半月、老魔術師の肖像が飾られている。ペトルーシュカは、自分の小部屋に音を立ててぶつかり、魔術師に蹴飛ばされて暗い部屋の中に入る。


ペトルーシュカは見世物小屋の幕の陰で気の滅入るような生活を送りながら、バレリーナ人形に思いを寄せている。むっつりとした表情の魔術師の肖像画が、ぼんやりと浮き上がって見える。まるで、ペトルーシュカはただの人形で、人間と同じでないのだから、従順で謙抑であるべきだとでも言いたげに。だがペトルーシュカは腹を立て、魔術師のにらみ顔に拳を食らわす。

ペトルーシュカは人形だが、人間的な感情があり、老魔術師に対しては囚人のような気持ちを、美人のバレリーナには恋心を抱いている。ペトルーシュカは自分の小部屋から逃げ出そうとするが果たせない。

バレリーナが入って来る。ペトルーシュカは思いを告げようとするが、バレリーナはペトルーシュカの哀れっぽい口説き文句をはねつける。ペトルーシュカは魔術師につれなく扱われると、バレリーナはムーア人といちゃつき始め、哀れなペトルーシュカの感じやすい心を打ちのめす。


第3場


派手に飾り立てられたムーア人の部屋。一瞥するだにムーア人が快適な暮らしを送っていると容易に察せられる。ムーア人は寝そべるためのソファを持ち、そこでココナッツを玩んでいる。ムーア人の部屋ははるかに広々としており、明るい色調は愉快で豪奢な気分を盛り立てる。主な色使いは赤、緑、青で、ウサギやヤシ林、異国の花々が壁を飾り、床は赤い。ムーア人は、ペトルーシュカと違って、贅沢三昧の部屋で楽しくヴァカンスを過ごしている。


すると、ムーア人のスマートな見た目に惹かれたバレリーナが登場し、魔術師によってムーア人の部屋の中に入れられる。バレリーナが小粋なふしを奏でると、ムーア人が踊り出す。


ペトルーシュカは、とうとう小部屋を破り抜け、ムーア人の部屋に向かって行く。魔術師はペトルーシュカに、バレリーナの誘惑を邪魔させる。ペトルーシュカはムーア人に体当たりするが、自分が小柄で弱いことを思い知らされるだけだった。ムーア人はペトルーシュカを打ち負かしただけでは満足せずに、ペトルーシュカを追い廻し、ペトルーシュカは命からがらその部屋から逃げ出して行く。


第4場(終幕)


再び市場の場面、行き交う人々。オーケストラは巨大なアコーディオンと化し、色とりどりの舞曲を導き出す。中でも最も有名なのは、ロシア民謡「ピーテル街道に沿って (Вдоль по Питерской)」に基づく最初の舞曲、《乳母たちの舞曲》である。そして熊と熊使い、遊び人の商人とジプシー娘たち、馭者と馬丁たち、そして仮装した人々が交互に現われる。


お祭り騒ぎが頂点に達し(かなり時間が経ってから)、人形劇場から叫び声が上がる。突然ペトルーシュカが、刃物を手にしたムーア人に追い立てられて、舞台を走りぬける。ムーア人がペトルーシュカに追いついて斬殺すると、人だかりが凍りつく(ここでムーア人は、人の心の苦しみに無常で冷淡な世間の暗喩となる)。


市場の警官は老魔術師を尋問し、ペトルーシュカの遺体のおがくずを振って取り出し、ペトルーシュカがただのパペットであるとみんなを納得させ、平静を取り戻してはどうかともちかける。


夜の帳が降りて群集も掻き消え、魔術師はぐにゃぐにゃしたペトルーシュカのむくろを担ぎながら去ろうとすると、ペトルーシュカの死霊が人形劇場の屋根の上に現われ、ペトルーシュカの雄叫びは、いまや怒りに満ちた抗議となる。ただ独り取り残された老魔術師は、ペトルーシュカの亡霊を目の当たりにして、恐れをなす。魔術師は慌てて逃げ出し、わが身の不安を感じて怯えた表情を浮かべる。場内は静まり返り、聴衆に謎を残したまま閉幕となる。


引用曲


『ペトルーシュカ』は民謡その他からの引用が非常に多いことで知られる。タラスキンは15曲をあげている[13]。その多くはロシア民謡だが、ほかにヨーゼフ・ランナーのワルツが2曲と、サラ・ベルナールの足について歌ったエミール・スペンサーの「彼女の足は木製」(La jambe en bois)が含まれる。最後の曲は著作権が切れておらず、『ペトルーシュカ』の演奏のたびに著作料をスペンサーに払うはめになった[14]。


編曲


ストラヴィンスキーによる4手ピアノ用のピアノ・リダクションが存在する。

1921年にアルトゥール・ルービンシュタインの依頼により、ストラヴィンスキーは「ロシアの踊り」を含むピアノ曲《ペトルーシュカからの3楽章》に編曲した。このピアノ編曲は極めて演奏困難なことで知られ、非常に癖のあるテクニックを多用することで有名。コンクールでもしばしばとりあげられる。

1932年に「ロシアの踊り」がヴァイオリンとピアノ用に編曲された(サミュエル・ドゥシュキンと共同で編曲)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペトルーシュカ
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-14305] koaQ7Jey 2020年1月21日 10:44:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1181] 報告
ストラヴィンスキー好き 2013 JAN 30 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/


中学の頃からラジオで聴いたある甘いメロディーが気に入っており、あるとき母に歌ってこれ何?と聞きました。「火の鳥かしら・・・」ということで、すぐ新宿のコタニへ行き、「火の鳥を下さい」と言いました。ストラヴィンスキーの名前も知らなかったのです。そこで店員さんが出してきたのがこれ(写真)です。後に知ったのですが、僕の気に入っていたそのメロディーはケテルビーの「ペルシャの市場にて」でした。でもドレミーレドシ・・・は火の鳥の「ホロヴォード(王女たちのロンド)」に確かに似ている。それにしても、母はストラヴィンスキーなんか知らなかったはずなのに、なんで火の鳥の名前がでてきたんだろう・・・。

その時は大変でした。このレコードを大事に抱きかかえるようにして新宿から家に帰り、わくわくして針を落としました。すると、甘いメロディーどころか、低音で弦楽器がゴワゴワと妙な音をたて、バイオリンがヒューヒューと人魂の飛ぶみたいな不気味な騒音を出すではないですか。「なんじゃこりゃ」といきなり仰天。その後も奇天烈な音がさく裂しまくり、今か今かと待っていた「あのメロディー」はついに登場しないまま僕のレコードは決然と終わっていったのでした。この失望感といったらありません。大枚2000円の小遣いが藻屑と消えた瞬間でした。これが何をかくそう僕のストラヴィンスキー初体験なのです。

Stravinsky "The Firebird" (Original 1910 Version) - Ernest Ansermet (1968)



母に文句はいっさい言いませんでした。きっと名曲に違いない。持ち前の前向き思考でそう信じ、そのレコードを何度もかけてみました。そして、このエルネスト・アンセルメの最後の録音は結局僕の人生の宝物になってしまったのです。「組曲より全曲版がいいよ」と教えてくれたコタニの店員さん。少年はドレミーレドシ・・・だけ買えればいいんだけどなあと意味がぜんぜん分かってなかったんですが、そう、まさに全曲版だったからなのです。高校に入って、小遣いはたいて1万2千円もした大型スコアを買うほど火の鳥に魅せられてしまったのは。ちなみにケテルビーはつまらない曲と後にわかり、いまだに持ってもいません。母の圧勝でした。
                                    「春の祭典」との出会いはブログに書きました。それがあったのも、まずわかりやすい「火の鳥」で耳がトレーニングされていたからです。そして残るはもちろん「ペトルーシュカ」です(右の写真)。


Stravinsky - Petrushka, Boulez / New York Philharmonic 1975



このレコード、曲の出だしの5秒?で好きになりました。一目(一聴)惚れ最短記録です。わー、ストラヴィンスキーってマジすっげえ、チョーめっちゃカッコイーじゃん!今どきなら大声でこういう歓声をあげたことでしょう。

火の鳥とも春の祭典とも違うこの乾いた色気とゾクゾク感。宝石箱をぶちまけたような、まばゆいばかりにキラキラする光彩に頭がふらつきました。クラシックの魔の道に引きずりこまれた瞬間でした。この一撃があまりに強烈だったために、当時の僕はモーツァルトやベートーベンを聴いても退屈で仕方なく、王道に入るのにずいぶん時間を要することになってしまったのです。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/01/30/ストラヴィンスキー好き/
2. 中川隆[-14304] koaQ7Jey 2020年1月21日 10:49:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1180] 報告

2012年10月 9日
ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」 名盤


ストラヴィンスキーの三大バレエの第一作「火の鳥」に続く第二作は「ペトルーシュカ」です。彼は気分転換のためにピアノ協奏曲(正確には”ピアノ協奏曲風の管弦楽曲”)を書いていたときに、頭にある幻影が浮かびました。それは、『糸を解かれて自由になったあやつり人形が、悪魔的なアルペジオを響かせると、オーケストラが激怒して、脅かすようなトランペットのファンファーレがやり返し、ひどい騒ぎが頂点に達したときに、哀れなあやつり人形が崩れるように倒れて騒ぎが終わる』というものでした。

ロシアバレエ団のディアギレフは、その話を聞いて気に入り、ストラヴィンスキーにそれをバレエ音楽にするように依頼します。そこでストラヴィンスキーは、例のピアノ協奏曲を途中からバレエ曲に書き替えました。そのため、この曲にはピアノの独奏があちらこちらに登場して、とても重要な役割を果たします。

”ペトルーシュカ”というのはロシア文学に出てくるペーターの縮小名で、他の国では”ピエロ”に当たります。いわゆる、お人好しで間抜けな悲喜劇的人物ですね。

このバレエに登場する主要な人物は、人形のペトルーシュカ、ムーア人、踊り子と、見世物小屋の老手品師です。


―主なあらすじ―

第1場(謝肉祭の市) サンクトペテルブルクの広場を群衆が行き交います。見世物小屋の前では太鼓が鳴り響き、小屋の老手品師が笛を吹くと、ペトルーシュカ、ムーア人、踊り子の3つの人形が現れて、ぎこちない動きでロシア舞曲を踊り始めます。


第2場(ペトルーシュカの部屋) 劇中劇になり、ペトルーシュカは見世物師に蹴飛ばされて部屋に放り込まれます。そこへ現れた踊り子にペトルーシュカは思いを寄せますが、踊り子は全く相手にしてくれません。


第3場(ムーア人の部屋) 色黒のムーア人がグロテスクな踊りをおどっています。そこへ踊り子が現れて二人は仲良くワルツを踊ります。それを見たペトルーシュカは怒ってムーア人につかみかかりますが、逆に部屋から追い出されてしまいます。


第4場(謝肉祭の市の夕方) 広場の雑踏にペトルーシュカが飛び出してきますが、それを追いかけてきたムーア人に切り殺されてしまいます。見世物師は、ざわつく群衆に向ってペトルーシュカが人形であることを説明しますが、その時突如、見世物小屋の屋根の上にペトルーシュカの幽霊が現れて終わります。

前作「火の鳥」の場合、オリジナルの1910年版は、途中にやや緩慢な部分が見られ、バレエ公演では良いとしても、コンサート曲としては少々長く感じられます。その為に簡略化した1919年版が存在しますが、今度は短くし過ぎた感が有りました。

その点、「ペトルーシュカ」には無駄な部分が全く無く、最初から最後まで飽きさせません。オリジナルの1911年版は4管編成で大規模なので、コンサート用に演奏のしやすい3管編成に書き替えられたのが1947年版です。1947年版には終曲にコーダが付け加えられましたが、それ以外には両者の構成や長さにはほとんど違いは無く、むしろ演奏そのものによる違いの方が大きいと思います。

それにしても「ペトルーシュカ」は素晴らしい作品です。「春の祭典」が最高傑作とはいえども、この曲の魅力はそれに優るとも劣りません。打楽器や管楽器が大いに活躍したり、リズムの面白さが際立ちますが、随所に出てくるメルヘンチックな旋律の魅惑的なことや、漂う詩情が何とも言えません。

恋をしても実らず、哀しい思いをする主人公のペトルーシュカは自分の青春時代と重なり合います。僕もしばしば恋に破れたピエロになったからです。
恋をする者は詩人になり、やがてピエロになる (ハルくん作)
それでは僕の愛聴盤をご紹介します。


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1969年録音/SONY盤) 
自分でも劇音楽を作曲するバーンスタインらしい、テンポの緩急とメリハリがよく効いた解りやすい演奏です。多少ドタバタした印象も有りますが、聴いていて楽しいことではこの上ありません。アンサンブルの緻密さはそれほどでは無いのですが、各管楽器の独奏に非常に味わいがあるのは流石に名人揃いのNYPです。1947年版による演奏です。


ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィル(1969年録音/DECCA盤) 
30代でショルティと並ぶDECCAの看板スターになったメータの当時の演奏には確かに魅力を感じます。アメリカ西海岸の楽団とインド出身のマエストロのコンビのせいか、音楽も響きもとても温かく、クールさやドライさを少しも感じません。心の優しいペトルーシュカを想わせるような演奏です。反面。グロテスクさは弱い気がします。アンサンブルもクリーヴランドOのような完璧さは無くとも非常によくコントロールされていて申し分ありません。1947年版による演奏です。

ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル(1971年録音/Sony盤) 
現在は「春の祭典」のCDにカップリングされていますが、LP盤時代に愛聴したせいか、写真のジャケットに愛着が有ります。よく言われるように、ややアバウトなアンサンブルのバーンスタイン時代のNYPとは段違いの完璧さを持っています。

バーンスタイン、メータの温かい音楽とは異なり、とてもクールな印象ですが、面白くないわけでは全く無く、この曲の持つ美しさを十全に引き出しています。極めて高い次元の演奏として風格さえ漂わせます。出来栄えとしては1969年のクリーヴランドとの「春の祭典」以上に優れていると思います。これは1911年版による演奏です。

コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1977年録音/Philips盤) 
つくづくコンセルトへボウは優れたオケだと思います。むろん古典派、ロマン派の音楽には定評が有りますが、近代曲を演奏しても実に素晴らしいです。機能的に上手いだけでなく、厚く美しい響きにはしっとりとした潤いが有ります。デイヴィスの指揮は音楽性に溢れたもので、器用なだけの若手指揮者とはまるで違った貫禄と風格を感じます。何度でも聴きかえしたくなる音であり演奏です。1947年版による演奏です。

リッカルド・シャイー指揮クリーヴランド管(1993年録音/DECCA盤) 
クリーヴランド管は優秀ですし、リズムの切れの良い、非常にスタイリッシュな演奏です。但し「春の祭典」でも感じたことですが、どうもオケの音が明るく健康的に過ぎて、この曲のグロテスクな面が感じられません。楽しいばかりでは無く、暗く哀しい部分にもっと注目しなければいけない曲だと思うのです。まとまりの良い演奏ではありますが、特に強く惹かれるということはありません。1947年版による演奏です。

ロバート・クラフト指揮フィルハーモニア管(1997年録音/NAXOS盤) 
ロバート・クラフトはストラヴィンスキーと親交が深かったので、作曲者の意図を最も理解した指揮者でしょう。この演奏は演出の過剰さを少しも感じさせない、どっしりと構えたオーソドックスなものです。従って若手指揮者のような派手さは有りません。良くも悪くも、ある種の緩さを感じさせます。神経質な演奏が苦手の人には奨められることでしょう。と言っても、昔のモントゥー時代のような大雑把な演奏ではありません。1947年版による演奏です。


ということで、この名曲をどの演奏も楽しめますが、厳選するとブーレーズ/NYP盤とCデイヴィス/コンセルトへボウ盤が双璧です。


コメント

ハルくんさん、こんばんは。 「ペトルーシュカ」は「春の祭典」に比べ、どこかメルヘンチックですよね。 この曲も なかなか魅力的な作品だと思います。 この曲も C・ディヴィスが "永遠のスタンダード "と呼ぶべき名演奏をしていますね。 残念ながら 廃盤らしいので 再発売してもらいたいものです。 私自身は 「ハルサイ」とカップリングされている スヴェトラーノフの かなり個性的な(笑)演奏を聴いていますが 何故かロシアのオケでの演奏のCDが少ないので このCDは貴重だと思います。
投稿: ヨシツグカ | 2012年10月10日 (水) 21時19分

ヨシツグカさん、こんばんは。
壮大な大地を想わせる「春祭」に対して都会的な「ペトルーシュカ」ですが、どちらも大好きです。
Cディヴィスは現在のCDだと「春祭」に組み合わされていますね。最高の組み合わせです。
ブーレーズ/NYPも大好きなのですが。
スヴェトラーノフも興味ありますが、やはりゲルギエフの指揮で、サンクトペテルブルクのキーロフ管の演奏が聴きたいものです。録音してくれないかなぁ。
投稿: ハルくん | 2012年10月10日 (水) 22時49分

私が大学生時代ですから、たいへんな大昔。
テレビで森下愛子さんの踊り子、清水哲太郎さんのペトルーシュカによるバレエ上演のNHKの放送を見て、深い感銘を受けたことが、今も忘れられません。指揮は井上道義さんだったはず。
考えてみたらバレエ公演としての「ペトルーシュカ」の映像は、お目にかかったことがありません。
捜さなくては・・・。
投稿: オペラファン | 2012年10月11日 (木) 00時19分

ハルくんさん、こんにちは
いつもながら、楽曲についての詳しい説明がなされていて、感心致します。
さて、ペトルーシュカの録音は、あまり多くは持っていないのですが、それらを聴いてみて、一番ピッタリ来るというか、存在感を覚えるのが、アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団のもので、1957年録音です。明瞭で透明感のある録音になっており、過度にならない程度のメリハリと少しクールさのある演奏と相俟って、独特の音空間になっています。あぁ、これがアンセルメの音だなぁと、懐かしさも覚えます。

ところで、バーンスタイン/NPOの「春の祭典」の(中古)LPが届きました。1958年、バーンスタインがNPOの首席指揮者に就任した年の録音ですね。吹っ切れた中で、大事なところが聴こえて来る、この指揮者の良いところが現れたいい演奏だと思います。
投稿: HABABI | 2012年10月11日 (木) 13時19分

オペラファンさん、こんばんは。
実は僕もペトルーシュカの舞台も映像作品も観たことが有りません。そこでDVDを探してみましたが、これがまた少ないのです。一応ボリショイバレエの比較的新しい作品がありましたので現在取り寄せ中です。観てみて良かったらご紹介したいと思っています。
投稿: ハルくん | 2012年10月11日 (木) 22時10分

HABABIさん、こんばんは。
お褒めのお言葉をありがとうございます。自分でも勉強のつもりで調べ直して書いてはいます。

アンセルメのストラヴィンスキーも昔は結構人気が有りましたね。改めて聴いてみたい気がします。ありがとうございます。

バーンスタインの晩年には遅く粘リ過ぎる演奏も多くみられましたが、1960年前後の演奏は若々しくアクティブで良いですよね。大雑把な面もありましたが、音楽をわしづかみにする大胆さが大いに魅力でした。この「春祭」も中々に良い演奏ですよね。
投稿: ハルくん | 2012年10月11日 (木) 22時19分


タイトルの話とそれてしまうかもしれませんが、私のペトルーシュカの曲との出会いは、ピアノリサイタルででした。リズムが強烈で、とても難曲そうで、エキサイティングでドキドキしながら聴いていたことを覚えています。紹介していただいたオーケストラ版を是非聴いてみたいと思いました。
投稿: オンディーヌ | 2012年10月17日 (水) 16時34分

オンディーヌさん、こんにちは。

「ペトルーシュカ」のピアノ版は、ずっと以前にマウリツィオ・ポリーニというピアニストの演奏を録音して聴いていました。この曲は元々がピアノ曲ですから、違和感なく楽しめますね。今回の記事では、あえて触れませんでしたが、そのうちにピアノ版の記事も書きたいと思っています。

この曲はかなりの難曲らしいので、お聴きになられたピアニストの技術は相当優れていたのではないでしょうか。

オーケストラ版でもピアノは活躍しますが、大オーケストラで聴く楽しみは格別ですよ。
是非お聴きになられてみてください。ご感想を楽しみにしています。
投稿: ハルくん | 2012年10月17日 (水) 18時59分


作曲家と親交のあったモントゥの演奏はやはり外せません。この曲の原点だと思います。
投稿: k | 2014年9月11日 (木) 19時10分

Kさん
モントゥー/パリ音楽院盤は昔LPで聴いて微温湯的な印象を受けました。20世紀後半に台頭を現してきた新世代の指揮者達と比べると時代の違いを感じます。もっともそこがまた魅力だと言えばそうなのでしょうけれど。
投稿: ハルくん | 2014年9月11日 (木) 22時23分

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-81ad.html

3. 中川隆[-14294] koaQ7Jey 2020年1月21日 15:40:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1164] 報告
ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」2014 FEB 5 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/02/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽「ペトルーシュカ/


日露戦争終結(1905年9月5日)
ロシア第1次革命終結(1907年6月19日)
火の鳥(1910年6月25日、パリで初演)
ペトルーシュカ(1911年6月13日、パリで初演)
春の祭典(1913年5月29日、パリで初演)
第1次世界大戦勃発(1914年6月28日、サラエボ)


世界はロシアが大きく突き動かしていました。日露戦争敗戦により南下政策を断念して汎スラブ主義へ舵を切ったロシアの矛先がバルカンへ向かいます。それが汎ゲルマンのドイツや、やはりバルカン侵略をもくろむオーストリア・ハンガリー帝国との対立を生んで第1次世界大戦の引き金となったのは言うまでもありません。そんな激動の中で、当のロシアのバレエ団であるバレエ・リュスが夏季にパリ公演を行うために作曲依頼してできたのが上記の「ストラヴィンスキー3大バレエ」です。そしてこの3曲がその後の音楽史を大きく突き動かすことにもなったのです。

バレエ・リュス(1909−1929年)はマリンスキー劇場、ボリショイ劇場の夏季休暇中の海外引っ越し公演だけを主催する団体でロシアでの活動はありません。人類初の世界大戦勃発直前という緊迫した時勢なのに、ベル・エポックのパリにはそんな需要があったというのには驚きます。花のパリは伊達ではない。フランス人の異国好きもうかがえ、現在はそれがさらに東の日本のアニメに来ているという歴史的脈絡も透けて見えますね。バレエ・リュスはセルゲイ・ディアギレフ(1872−1929、左)というロシア人の辣腕プロモーターの求心力でのみ成り立っていた「ツアー劇団」で彼の死とともに消えました。フォーキン、ニジンスキー、バランシンという伝説的ダンサーが舞い、ピカソ、ルオー、ブラック、ユトリロ、キリコ、マティス、ミロというキラ星のような画家が舞台や衣装を飾るという豪華さです。音楽はドビッシー、ラヴェル、サティ、プロコフィエフ、ファリャ、レスピーギ、グラズノフ、F・シュミットなどが担当し、ここに無名の若手ストラヴィンスキーも名を連ね、委嘱されてできたのが3大バレエです。ちなみにココ・シャネルも活躍した一人です。ディアギレフ自身もリムスキー・コルサコフに弟子入りして作曲家をめざしたのですが挫折して経営の道に入りました。彼に作曲の才能がなかったことを後世の我々は感謝しなくてはなりません。

「火の鳥」は19世紀ロシアのロマン主義を色濃く残した音楽で、革新的な音も聞こえますが大半がリムスキー・コルサコフの引力圏内に留まっています。それが1年後のペトルーシュカになるとドビッシーに近接し、オーケストレーションは「夜想曲」、管弦楽のための映像の「イベリア」など、ピアノは前奏曲第1、2集を思わせる書法を感じさせます。しかしそれでもメロディーに依存した音楽という性格は火の鳥をひきずっていて、リズムより和声と旋法で新奇さを出す方向性には19世紀の残像があります。

それがさらに1年後の「春の祭典」になると音楽の主要言語としてのメロディーはほぼ姿を消して無機的なイディオムと化し、それに代わってリズムとクラスター化した不協和音による新しい音楽言語によって前作までとは別世界の音楽へと進化します。ドビッシーがペトルーシュカに好意的で「パルシファル以来の作品」とまで持ち上げていながら、春の祭典にいたると一転して「非音楽的な手段によって音楽を作ろうとしている」と批判したのはその2曲の間に横たわる断層の大きさを物語ります。

昨日59歳になった僕が、41年前、18歳だった1973年に初めて買ったペトルーシュカのLPはピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団(右)でした。ブーレーズ盤は74年発売だからまだ出ていなかったのです。その時点でアンセルメの火の鳥、ブーレーズの春の祭典をすでに持っていて、この曲も何かで耳にはしていたと思いますがその2曲ほど魅かれていなかったかもしれません。人形とはいえペトルーシュカが殺される残酷なストーリー、耳をつんざくトランペット、無機的なドラム、あからさまな複調なんかがあまりピンとこなかったと記憶しています。

この曲の神髄に触れるにはやはり翌年にこれ(左)の洗礼を浴びる必要がありました。待ちに待ったブーレーズ盤。わくわくしながらこれに針を落とすといきなり光のシャワーのように部屋にあふれ出た「謝肉祭の市場」!直撃のKOパンチを食らい、一気にこの曲のとりこになるしかありませんでした。つやつやと磨き抜かれた完璧なピッチの音が見事な音響バランスと透明感で鳴る。広い音場にドーンと響く締まりある低音、虹の色が見えるような木管、金管の倍音。確信をこめた縁取りで躍動するリズム。祭典がクリーヴランドOだったのに対しこちらはニューヨーク・フィルで、禁欲的な凝縮感は一歩譲る感じがあるものの、これも歴史的名盤であることは間違いないでしょう。これを聴いて以来ペトルーシュカというとまずこれが頭に浮かんでしまい、以後は常にこれと比べて聴くという運命に陥ることになりました。


Stravinsky, Petrushka, SIDE 1, Pierre Boulez,cond



3管編成の1947年版と4管編成の1911年版がありますが、火の鳥ほど決定的な差はありません。オリジナルの11年版をお薦めしますが、演奏さえ良ければあまりこだわる必要はないと思います。バレエ音楽なのでストーリーがあり、それなりに有名ですが僕はあんまり興味も知識もありません。ネットで調べられればいくらも出てきますので悪しからず。今回、本稿を書くために35種類あるペトルーシュカから好きだったものを片端から聴きました。そして、今は3大バレエのうちでこのピアノ付ラプソディのような音楽が一番楽しめるかもしれないなと気がつきました。

若いころのクリストフ・フォン・ドホナーニがハンブルグ国立管弦楽団に稽古をつけてる録画がありました。これは面白い(ドイツ語ですが)。ストラヴィンスキーのスコアがよくわかります。初めての方も、指揮者がただ棒を振っているのではないことが分かりますよ。本番の全曲が続くのでぜひ全部お聴きください(1911年版ではなくコンサートバージョンですが)。79年当時はこの曲にドイツのオケがあまり慣れてない感じがするのが興味深いです。


Stravinsky Petrushka - Phil. Hamburg, Dohnanyi (1979)



ドホナーニはハンガリーの高名な作曲家兼ピアニスト兼教師であるエルンスト・フォン・ドホナーニの息子です。指揮者としては当たり前のことをしていますが彼なりの頭の切れ、記憶力、運動神経を感じますね。

しかしながら、この演奏は筋肉質で決して悪くはありませんが、ブーレーズほどの図抜けた煌めきはありません。このレベルの人であっても上には上があるということです。ブーレーズの耳の良さは常人の域でなく、練習は一切の妥協や手抜きなしでオケとは緊張関係に終始したそうです。来日してN響とトリスタンを練習した時には一触即発だったと伝えられます。そうでなければあんな音は出ないと思います。

僕のCD棚は7000枚ぐらいが作曲家別に整理されていて、作曲家は出身国別に分類されています。ドイツ人、ロシア人、チェコ人、フランス人…というように。出身国だからヘンデルはドイツ区画に在ります。決してそう意識したわけではないのですが、そのルールに一つだけ例外があって、ストラヴィンスキーはロシアではなくフランス区画の、ラヴェル、ドビッシーの下に位置していることを ”発見” しました。なんと、僕の潜在意識下ではフランス音楽だったわけです。

3大バレエの内で今の僕がフランス音楽的感性がいいなと思うのは断然ペトルーシュカです。冒頭にドビッシーの影響が濃いと書きましたが、ペトルーシュカの部屋、乳母の踊りのオーケストレーションのソノリティなどとてもフランス的であって、後者の木管の書法がラヴェルに影響してダフニスとクロエ(1912年6月8日、パリで初演)の「夜明け」になったのではと想像してしまうほどです。火の鳥では個々の音に旋律、和声として機能的な意味がありましたが、ここではそれを喪失してもはやコラージュの素材、部品という存在になっており、総体としてタペストリーになっているという性質の音に変容しているのです。

そういう音楽はワーグナーのトリスタン、パルシファルに発した書法をドビッシーが牧神午後への前奏曲にて試行し、夜想曲、海、遊戯へと至りますが、他人の手で顕著に記譜された例こそがこのペトルーシュカであり、フランスではフローラン・シュミット、オリヴィエ・メシアン、イタリアでオットリーノ・レスピーギ、アメリカでアーロン・コープランドに伝わっていきます。興味深いことにストラヴィンスキー自身は次作の春の祭典に一見コラージュ手法と見える楽譜を書きますが、それはタペストリーというよりは「和音とリズム」を複合単位としたクラスター手法において連続する和音の各音を別楽器に非連続的に分散した結果としてのコラージュという、上記の脈絡とは違った方向に進化しています。この方向の帰結に「三楽章の交響曲」、「結婚」という傑作が現れるのです。

3大バレエの中でも特にペトルーシュカという作品が音楽史に残したDNAがいかに独特で偉大なものであることがおわかりいただけるでしょうか。フランス系の大指揮者クリュイタンス、ミュンシュ、パレー、マルティノンに録音があるのかどうかよく知りませんがモントゥー、アンセルメ、ブーレーズがフランス的感性、知性にあふれる解釈を残してくれたのが幸いです。特に今回の聴きなおしでは初演者ピエール・モントゥーの3種類の演奏が印象に残りました。ファースト・チョイスとしては冒頭のボストンSO盤がオケの性能が高く録音も優秀でお薦めです。

ピエール・モントゥー / パリ音楽院管弦楽団
Pierre Monteux, Paris Conservatoire Orchestra



初演のときオケがこう鳴ったのではと想像させる音が聴けます。タペストリーでのフランス風木管の華奢でエッジのある音色は、作曲者がこれをイメージしたと思える色彩にあふれています。ロシア人によるロシア的な楽想の音楽なのにパリでフランス人によって演奏されることを予定していた音楽史上でも異色の作品が3部作であり、これらをロシアの無骨なオケでやるのはお門違いということもわかります。


ピエール・モントゥー / フランス国立管弦楽団


オケの勘違いミスもご愛嬌のライブ録音。「ペトルーシュカの亡霊」のホルンはよれよれでトランペットのソロも危なっかしく、春の祭典なら真っ先にボツの演奏なのですが、そういうことが許せてしまうのがペトルーシュカです。この曲が現代音楽であった息吹を感じることができるという意味でこれは時々じっくりと聴いています。



アンタール・ドラティ / ミネアポリス交響楽団



知的興奮をそそる名演です。並録の春の祭典を同曲の稿で絶賛しましたが、同じ路線の快速で音響の重心の高いハイドン的なストラヴィンスキーです。因習的な解釈は歯牙にもかけていませんが、なるほどそうも解釈できるのかと感服する説得力があり、ドラティの眼力の凄さに圧倒される思いです。オケは心服して自信を持ってついて行っている感じがスピーカーからうかがえます。こんな指揮者は絶えて久しいですね。


コリン・デイヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

デイヴィスの同オケによる3部作はスタンダードとしてどなたにでもお薦めできる名演奏です。とにかくオケの技術、音色、ホール音響の3拍子が最高水準でそろっている上に指揮者の解釈もきわめて穏当で模範的であり、非難する部分が全く見当たりません。ブーレーズが冷たくて肌に合わない方でもこれは人肌を感じることができるでしょう。サー・コリンの最高傑作と思います。


追加いたします(16年1月13日〜)

マウリツィオ・ポリーニ(p)
アルトゥール・ルービンシュタインの委嘱で書かれたピアノ版(ペトルーシュカより3章)です。

第1楽章:第1場より「ロシアの踊り」
第2楽章:第2場より「ペトルーシュカの部屋」
第3楽章:第3場より「謝肉祭」

大学のころこれが出て、凄いピアニストが出てきたといささかびっくりしたものです。以来ポリーニというとこれとショパンのエチュードとブーレーズのソナタというイメージが定着しました。






ルドルフ・アルベルト / セント・ソリ管弦楽団

大変素晴らしい。聴くたびに興奮を禁じ得ない。このオケはパリ音楽院O、コンセールラムルーO等の楽員による録音用臨時編成らしいが技術は問題なく上級である。ピアノはイヴォンヌ・ロリオでこれもうまく、木管がこれほど細部までカラフルな音色をふりまく録音もそうはない。メシアンの「異国の鳥たち」の初演を指揮したアルベルトはフランクフルト生まれのドイツ人で指揮ぶりは明晰でリズムのエッジも立っているのがペトルーシュカにまことにふさわしい。録音がこれまた明晰で透明。楽器の質感、色彩感いっぱいにクリアに再現され、オーケストラピットを間近で覗き込みながら聴くような心ときめく音楽。i-tunesにあるのでお薦めしたい。


Yvonne Loriod, piano
Rudolf Alberth / Orchestre des Cento Soli







Hachiro
5/20/2014 | 10:03 AM Permalink

いつも楽しませていただいています。私は引退者でジョージ・セルの来日公演(1970)を大学新入学のときに聴きに行った年齢です。

そのようなわけで東様の「春の祭典」の記事のところの、ブーレーズ&クリーブランド管弦楽団(1969)、この何百回と聴いた演奏にトランペットのミスがある? これは全く気がつきませんでした。今聞いてみてなるほど練習番号37番の前のソソドドがソソララになっていました、ここはホルンのグリッサンドばかりに気が向いてしまっていました。楽しい発見をしましたありがとうございました。



東 賢太郎
5/20/2014 | 1:58 PM Permalink

Hachiro様、こちらこそコメントありがとうございます。練習番号37番の前、そのとおりです。ずっとこれが気になっていてつい書いてしまいましたが、よくお気づきになられましたね。これは正確には二調のピッコロトランペットなので全音上げて読みます。ブーレーズほどの聴覚の持ち主がどうしてこれを放置したのか非常に不思議ですが、この演奏には一発取り的な勢いで押した部分もあって、この箇所はそうだったかもしれませんね。僕は70年に高校に入ったので先輩でいらっしゃいますがセルを聴かれたのはうらやましいです。この祭典を何百回も聴かれたというのは敬意を表します。そういう方がたくさんおられるのだろうとは思っておりましたがとても親近感を覚えます。気が向かれたらまたコメントや感想をいただければ光栄に存じます。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/02/05/ストラヴィンスキー-バレエ音楽「ペトルーシュカ/
4. 2023年2月03日 20:14:11 : EkLZD15jVs : TW11R2FxYmtrdUE=[3374] 報告

バレリーナ芸人YouTuberがバレエ界のイジメを告白 裁判沙汰にもなっていた


2023/02/03(金) 17:31:22.55ID:Mdv6M3B49
2023年2月3日 16:03

1月30日、バレリーナ芸人の「松浦景子の【けっけちゃんねる】」(登録者数25万人)がバレエ界で受けたというイジメを告白しました。


憧れのダンサーから攻撃され裁判沙汰に

「けっけ」こと松浦景子は吉本興業所属のバレリーナ芸人で、YouTubeやテレビへの出演のほか、オンラインバレエレッスン講師などさまざまな分野で活動しています。

今回の動画にはバレエダンサーYouTuberの「ヤマカイTV」(同68万人)が登場。ヤマカイはアメリカで活動するプロバレエダンサーでバレエの普及を目的にYouTuberとしても活動しています。また、スペイン人バレエダンサーのネレアと交際しており、国際カップルとしての一面も持っています。

動画は「今だから言える過去にあったヤバい話」としてけっかが「吉本のブラックリストに(バレエダンサーが)1人載ったんですよ」と紹介。けっけを「攻撃してきた」というそのダンサーは、けっけが昔から憧れていた人なのだとか。具体的にどういった攻撃を受けたのかけっかは明言しなかったものの、吉本は激怒したらしく、なんと裁判沙汰にまで発展。しかし、裁判をするとその人の名前を傷つけてしまため、当時「申し訳ない」と感じたというけっけは訴えを取り下げたとのだとか。


表では優しい人もグループLINEでは悪口
けっけは、バレエの先生同士のグループLINEで悪口を書かれていたこともあると打ち明けます。知り合いからグループLINEの内容を教えてもらったというけっけ。悪口を書いていたメンバーは、表では「応援してるよ」と優しく接してくれていたそうで、当時「『は?』と感じていた」と振り返ります。

こうした経験が影響してか、けっけは「バレエを広めたい」という気持ちが薄れてしまったといいます。ヤマカイも、なぜ性格の悪い大人が裏でグチグチ言うバレエを広めないといけないのかと同調します。そして、悪影響を受けるのは子供だと指摘。けっけは「子どもたちは何も悪くない」「楽しいなって思う入り口がきれいだったらいい」と語っています。

コメント欄には

昔私も昔バレエやってたので、うっわバレエ業界の嫌なところが全部出たなって思ってた…
けっけちゃん、お若いのに偉い!せっかく才能があるのだから、つまらない集団や話題なんかに惑わされるのは時間の無駄だしもったいない!そのお歳にして達観しているのは素晴らしい どんなことにも真摯に向き合っている姿が素敵 たくさんの人が応援しているから大丈夫
といった声が寄せられています。

h ttps://yutura.net/news/archives/89395
h ttps://youtu.be/tR_AhzECnGg

h ttps://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1675413082/

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