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(回答先: 黒田日銀総裁、タブー破る緩和アイデア 黒田日銀、「想定内」でも市場は反応する 投稿者 eco 日時 2013 年 3 月 27 日 11:20:07)
インフレ目標政策は万能特効薬か?
ニュージーランド、カナダ、英国、スウェーデンの経験
2013年4月5日(金) 上田 晃三
日本銀行は本年1月、消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率2%を物価安定の目標とするインフレ目標政策を導入した。これは、アナウンスメント効果を通じて、円安の進展など金融市場に一定の影響を与えたとみられるが、その運営の実際については、依然知られていないことが多いと思われる。
そこで本稿では、インフレ目標政策を比較的早い段階から導入している主要4カ国(ニュージーランド、カナダ、英国、スウェーデン)の例をとって、主にその導入からリーマン・ショックまでの約20年の歴史を振り返り、その政策運営の変貌を概観する(図表1)。
【図表1】4カ国におけるインフレ目標政策の枠組み(2012年3月時点)
ニュージーランド カナダ 英国 スウェーデン
導入時期 1988年4月 1991年2月 1992年10月 1993年1月
目標値・幅 1〜3% 中心値を2%1〜3%のレンジ 2% 2%
±1%を許容
物価指数 CPI総合 CPI総合 CPI総合 CPI総合
達成期間 中期 (18〜24カ月) 妥当な時間 (通常2年以内)
目標を達成できない場合 原因・予測・対処法を書面で説明
総裁罷免の可能性 明文化されていない 1〜3%の範囲を超えたら財務大臣に原因と対処法を公開書簡で提出 明文化されていない
これら4カ国の中銀は、CPI(消費者物価指数)総合の前年比を2%程度に安定化することを目標としている。政策効果が出るまでのラグ(遅れ)、実体経済にもたらす影響を考慮に入れて、4中銀は物価安定の達成期間をやや長めに設定し、足許の物価を無理に安定化するのではなく、先行きの物価を緩やかに安定化することをめざした運営をしている。
4中銀によるインフレ目標政策の運営はこの25年間、足許の物価安定に向けての厳格な運営から、中期的な物価と実体経済の安定をめざす運営へと大きく変貌した。背景には、インフレ目標政策導入以降徐々にインフレ率が低下し、インフレ期待や長期金利が低位に安定するようになってきたことなどがある。
高インフレ率下で導入されたインフレ目標政策
ニュージーランド、カナダ、英国、スウェーデンの4カ国は、1980年代、慢性的な高インフレ・高金利に苦しんでいた。86〜90年のインフレ率(前年比)は、ニュージーランドでは9.5%に達していたほか、他の3カ国でも4.5〜6.2%であった(図表2)。86〜90年の長期金利(10年物)は、4カ国とも10%以上であった。
【図表2】4カ国におけるCPI総合インフレ率(%)
ニュージーランド カナダ 英国 スウェーデン
1986〜90年 9.5 4.5 6.1 6.2
1991〜95年 2.1 2.3 3.8 4.2
1996〜00年 1.5 1.7 1.6 0.5
2001〜07年 2.6 2.3 1.7 1.6
(注)前年比の期間平均。英国は1989年から。(資料)各国中銀ホームページ
インフレ目標政策は、そのような環境の90年前後、インフレ期待を安定化し、インフレ率の低下を達成するために導入された。しかしインフレ目標政策導入によって、即座にインフレ期待が安定化し、長期国債に付されるリスク・プレミアムが低下したわけではない。むしろ、インフレ目標政策導入直後においては、4カ国の政府がGDP対比でみて2〜7%の財政赤字を抱えていたことや、英国では中銀の法的独立性が担保されていなかったこともあって、インフレ目標政策の枠組みに対する信認は高くなかった。
インフレ期待はインフレ目標政策導入後も高止まりし、91〜95年の各国の長期金利は、わずかに低下したものの依然として8〜10%の高水準にあった。政財界などからは、急速なインフレ率の低下、すなわちディスインフレの過程で景気が悪化するとの懸念から中銀への批判が起こっていたほか、市場では、インフレ目標政策は達成できないとの疑念が広がっていた。
1995年、英誌『エコノミスト』は、「目標を導入しても政府が望んだほどインフレ期待は下落しておらず、市場は目標が達成できないと予想している」「政府は目標を緩めて経済成長を達成しようという誘惑に駆られている。この誘惑は、多くの先進国の成長が急に緩やかになり、経済が過熱するリスクが低下した今、ますます大きくなっている」と論じている 。96年、ニュージーランド連邦準備銀行のブラッシュ総裁(当時)は、「この数週間、連銀の廃止を要求する記事が多い」と語っている。
このような背景のもと4中銀は、インフレ目標政策の枠組みに対する信認を確立してインフレ期待を安定化させるため、足元の物価安定に向けた厳格な政策運営を試みた。94年、カナダ中央銀行のティーセン総裁(当時)は「私たちはインフレ率を目標レンジ内に抑え、物価安定を達成するというコミットメントを維持することにより、信認を獲得し続けなければならない」と述べた 。
またスウェーデン中央銀行では、1994〜95年の間に継続して利上げを実施している。これに関しバックストローム総裁(当時)は、「スウェーデン中銀が長い目でインフレ率を目標レンジ内に抑えることができるとは、国民は単純に信じていなかった。それは高い国債金利、為替安、急速な賃金の上昇などによって明らかだった。従って金融政策は、物価安定目標は真剣なものであるということを示すことに集中しなければならなかった。政策金利は、1994年夏から1995年まで数回引き上げられた」と論じている 。
こうした政策運営が政府の意向で修正させられた場面もあった。イングランド銀行のジョージ総裁(当時)は、物価安定を実現するために緊縮的な政策が必要であることをクラーク財務相に対して繰り返し助言していた。しかし、97年以前の英国の金融政策は財務大臣によって決められていたため、総裁の助言にも関わらず、緩和的な政策がしばしば実施されていた。例えば、95年5月には、総裁が利上げを助言したにも関わらず、財務大臣は金利を据え置いた。96年6月には、総裁は反対したが、財務大臣は利下げを決定した。
4カ国のインフレ目標政策の変貌
1990年代後半になるとディスインフレが進み、インフレ期待や長期金利も低位に安定するなど、インフレ目標政策の枠組みに対する信認が次第に確立されてきた。1996〜2000年のインフレ率(前年比)は、スウェーデンにおいては0.5%、その他3カ国においては1.5〜1.7%にまで低下した(前掲図表2)。インフレ期待も低下し、1996〜2000年の長期金利は6%台にまで低下した。
インフレ目標政策の枠組みに対する信認が確立されてきたことによって、4中銀は徐々に、足許のインフレ率が目標から乖離するようなことはあっても、足許より中期的な物価を重視し、実体経済など物価以外の動向にも明示的に配慮する姿勢を鮮明にするようになった。
例えば、ニュージーランド準備銀行のシャービン副総裁(当時)は1999年、「今日、インフレ期待は物価安定の目標と整合的な水準により、良くかじ取りされているので、インフレ率を短期的に目標範囲の端や外にもたらすような出来事に対して、積極的に反応する必要性が薄れている」と論じている 。スウェーデン中銀のバックストローム総裁も同年、「(目標にすぐに戻そうとすると実体経済に大きなコストをもたらす)場合には、物価安定の達成期間に目をつむり、インフレ率が目標に向かって緩やかに戻るようにする根拠があるかもしれない」と論じている 。足元のインフレ率が目標範囲の上限を大きく上回り、景気が悪化していた2001年3月にニュージーランド中銀が決定した利下げは、中期的な物価と実体経済の安定を目指した政策の具体例と考えられる。
2000年代に入ると、一般物価が安定する中で住宅価格などの資産価格が大きく変動した。そのため4中銀は、資産価格が物価や実体経済に与える影響にも配慮することが長期的な物価と実体経済の安定につながるとし、物価安定の達成期間を長めにすることが必要であるとの姿勢を示すようになった。2006年1月、スウェーデン中銀は利上げを実施したが、4月にイングベス総裁(当時)は「今年初めの金利決定の背景には、(住宅に関わる)リスクが、利上げを数カ月遅らせないことの理由の1つとして考えられたことがある」と言及している。5月には金融政策ストラテジーが発表され、資産価格や他の金融変数を考慮に入れると明記された。
割れるインフレ目標政策の効果に関する評価
ディスインフレが進み、インフレ期待や長期金利が低位に安定するようになったことについては、インフレ目標政策の導入によってインフレ率が低下した、つまりインフレ目標政策が成功した、と解釈できそうである。インフレ目標政策導入直後、4中銀が物価安定に向けて厳格な政策運営を試みてきたことが、景気悪化という代償を払いつつも、インフレ目標政策の枠組みに対する信認の確立に寄与した可能性がある 。
しかし、この解釈には有力な反論がある。なぜならインフレ目標政策の導入がインフレ率を低下させたのか、それとも高いインフレ率がインフレ目標政策の導入を招いたのかを、データから統計的に識別するのは難しいからである。さらに統計分析の結果について比較するにあたり、一国のインフレ目標政策導入の前後のデータを分析するのか、あるいはインフレ目標政策の導入・非導入国のデータから差異を検出するように分析するのか、という分析手法にも影響される。こうした事情から、インフレ期待・インフレ率・インフレ率予測の不確実性などへのインフレ目標政策の影響を分析した実証研究は多いものの、その対象国、分析手法に応じて結論は様々である。
インフレ目標政策以外にも、インフレ率低下の達成には以下の要因が寄与したとみられる。第1は、金融政策の透明性の向上である。4中銀は、定期刊行物やスピーチなどを通して、物価安定の意義、政策判断の根拠等を丁寧に説明した。イングランド銀行のキング総裁(当時)らは、1996年、「透明性はそれ自身、または中銀の独立性や公式な中銀の契約と組み合わせることによって、中銀がインフレ・バイアスと戦う上での助けとなる」と論じている。
第2は、政府の財政再建が進んだことである。財政収支は、1996〜07年平均でみて英国以外の3カ国において黒字となっているほか、英国においても、86〜95年と比べてGDP(国内総生産)比2%以上も財政収支が改善している。第3は、中銀の法的独立性の強化である。英国では97年に政策金利決定権を財務大臣から英国中銀に移すことが発表されているのがその一例だ。そして第4は、インフレを引き起こす外からのショックが小さかったことや、グローバル化の進展など、経済・産業構造が変化したことである。しかし、グレート・モデレーションといわれる経済・物価が安定した時代は、リーマン・ショック前までの話であった。
リーマン・ショック後のインフレ目標政策
「最近の金融危機はインフレ目標政策に深刻な疑問を投げかけた」。イングランド銀行のキング総裁は、2012年、スピーチでこう述べた。また、リーマン・ショックは「短期的にインフレ目標政策を達成することと、長期的に金融危機のリスクを軽減することの間にはトレードオフがあることを意識させた」とも語っている。
とはいえ、英国を含む4中銀におけるインフレ目標政策の枠組みは大きくは変わっていない。政策運営面では、これまでと同様、もしくはいっそう柔軟に実行されている。英国では、CPI前年比が+1〜3%の範囲を超えたとき、中銀が財務大臣に原因と対処法を公開書簡で提出することになっている。金融危機の2009年以降、CPI前年比が+3%を上回り公開書簡が提出され続けている一方、イングランド銀行が経済を回復するために金融緩和を続けているのは、柔軟な政策運営の証左であろう。
4カ国はインフレ目標政策の信任を獲得
以上みてきたように、ニュージーランド、カナダ、英国、スウェーデンの中銀は、試行錯誤を繰り返しながらインフレ期待を安定化させ、インフレ目標政策への信認を獲得してきた。すなわち、4中銀はインフレ目標政策導入当初、インフレ期待の安定を重視する観点から、足元の物価安定に向けて厳格な運営を試みていた。だがその後にインフレ率が低下すると、徐々に、中期的な物価と実体経済の安定を目指す運営に変貌していった。結局のところ、インフレ目標政策を採用していない主要国の政策運営方法と収斂してきたといえる。
こうしてみると、日本銀行によるインフレ目標政策の導入が、これまでの政策と実際面でどのような差異をもたらすのかは不確かである。インフレ目標政策の導入が万能特効薬のように即座にインフレ率やインフレ期待を2%にするわけではない。仮にインフレ率2%の安定化を達成したとしても、それが必ずしも経済を活性化するわけではないし、むしろ実体経済や金融面での安定性を阻害する可能性すらある。
これら4中銀の経験が示唆するように、日銀がインフレ目標政策に対する信認を確立し、インフレ期待を安定させるためには、適時・適切な政策を運営し、市場との対話を改善していくという、日銀自身による地道な取組みが必須である。中銀を取り巻く環境として、それを担保するような財政政策の実行など、政府・民間におけるサポートも重要となってくるだろう。
上田 晃三(うえだ・こうぞう)
早稲田大学政治経済学術院准教授
1997年、東京大学物理学部卒業、99年同修士。2004年、英オックスフォード大学経済学修士、2006年同博士号取得(DPhill)。専門はマクロ経済学、応用ゲーム理論。1999年日本銀行入行、調査統計局、金融研究所などを経て2013年4月から現職。
「気鋭の論点」
経済学の最新知識を分かりやすく解説するコラムです。執筆者は、研究の一線で活躍する気鋭の若手経済学者たち。それぞれのテーマの中には一見難しい理論に見えるものもありますが、私たちの仕事や暮らしを考える上で役立つ身近なテーマもたくさんあります。意外なところに経済学が生かされていることも分かるはずです。
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013年4月5日 藤田勉 [シティグループ証券株式会社取締役副会長],翁邦雄 [京都大学公共政策大学院教授]
通貨供給はマネーストックやインフレに直結しない!
リーマンショック後の世界の常識が通用しない日本
翁邦雄・京都大学公共政策大学院教授×藤田勉・シティグループ証券副会長対談[前編]
円安に振れて株価上昇も顕著になったことからアベノミクスが賞賛されがちだが、積極的な金融緩和でデフレを退治するというリフレ政策は本当に有効なのか?新刊『金融緩和はなぜ過大評価されるのか』を上梓したシティグループ証券副会長の藤田勉さんと、『金融政策のフロンティア:国際的潮流と非伝統的政策』などの著書がある現京都大学公共政策大学院教授で、日本銀行を代表するエコノミストだった翁邦雄さんが、リフレ論を一刀両断する。
米国は日本で言われるほど極端な緩和に踏み切っていない
藤田 金融政策に関して、専門家の議論は大きく3つに分かれていると思います。
まず、リフレ政策に懐疑的な人たちが唱える、「マネタリーベース(市中に出回る通貨と日銀当座預金残高の合計値)、マネーストック(金融機関の預金残高の合計値)とも日本銀行(以下、日銀)はコントロールできない」という説です。これに対し、逆に「どちらもコントロール可能だ」と反論するリフレ派と、その中間として「マネタリーベースはコントロールできるが、マネーストックは不可能だ」という意見です。
いずれの派も独自の哲学に基づいて持論を主張しており、まるで宗教同士の対立のようです。議論は平行線をたどったままで、結局は情緒論に帰着しがちなように感じます。
翁 なるほど、情緒論ですか。
藤田 特に浜田宏一先生の著書『アメリカは日本経済の復活を知っている』を読んでいると、つくづくそう感じます。
翁邦雄(おきな・くにお)京都大学公共政策大学院教授。1974年東京大学経済学部卒業。同年、日本銀行入行。シカゴ大学Ph.D.(Economics)取得。日本銀行金融研究所長を経て、2009年4月より現職。専門は金融論、金融政策論、中央銀行論、マクロ経済学、国際金融論。『期待と投機の経済分析ーー「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、1985年)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社、2011年)など著書多数。近著に『金融政策のフロンティアー国際的潮流と非伝統的政策』(日本評論社、2013年)。
翁 かなり売れているらしいですね。
藤田 翁先生がこれまで書かれた論文や著書を拝読したところ、「基本的に、マネタリーベース、マネーストックともコントロールできない」というお考えではないかと思っています。この認識は適切でしょうか?
翁 率直に申し上げると、正しくないですね(笑)。
なぜなら、「マネタリーベースをコントロールできない」というのは、あくまで金利がついている局面での話です。金利がゼロになった後は、日銀当座預金の残高を増やしてマネタリーベースを拡大できますし、現にこれまでにもそういった政策が打たれてきました。ただし、広義のマネーストックについては、日銀がコントロールするのは難しいと考えています。
藤田 なるほど。それでは、3つのうちの中間的なご意見ということですね。
ところで、かつて翁先生と熾烈なマネーサプライ(マネーストックの旧称)論争を繰り広げた岩田規久男先生が日銀副総裁に就任されましたが……。
翁 岩田さんが唱えていたのは、「超過準備を増やしても、金利はゼロにはならない」という説です。私は、「金融調節上、それは不可能だ。超過準備を供給してマネタリーベースを増やせば、金利はゼロまで低下してしまう」と説明しました。裏返せば、「金利をゼロにしてよければ、超過準備を増やして、ある程度、マネタリーベースはコントロールできる」ということになります。2001年に実際に量的緩和を実施してみたら、案の定、金利はすぐゼロまで落ちたわけです。
藤田勉(ふじた・つとむ)
シティグループ証券株式会社取締役副会長。一橋大学大学院博士過程修了、経営法博士。北京大学日本研究センター特約研究員、慶応義塾大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員などを兼務。2006〜2010年日経アナリストランキング日本株ストラテジスト部門5年連続1位。『はじめてのグローバル金融市場論』(毎日新聞社、2009年)、『グローバル通貨投資のすべて』(東洋経済新報社、2012年)など著書多数。近著に『金融緩和はなぜ過大評価されるのか』(小社刊、2013年)。
藤田 リフレ派を中心に、「FRB(米連邦準備制度理事会)は大胆な金融緩和を実施しているのに、日銀は消極的だ」という指摘もよく耳にしますが、米国系企業に属する私としては非常に意外に感じる見方で、明らかに間違っていると思います。
釈迦に説法ながら、米国では、共和党を中心に金融緩和に対して批判の声が強まっています。当初、共和党の政権下において満場一致で選ばれたベン・バーナンキFRB議長ですが、2010年に再選された際には上院で100票中30票という歴代最高数の反対が出て、そのうちの18票は共和党が投じたものでした。バーナンキがもともと共和党員にもかかわらず、です。そして現に、米国のマネタリーベースの対GDP比は、日銀の半分程度にとどまっています。批判の声に配慮し、巷で言われているほど極端な緩和に踏み切っていないのが米国の実態です。
翁 準備預金を増やすことで通貨の供給量を増やすことを目的に緩和を行っているのがFRBのスタンスだと誤解されがちですが、QE2(米国の量的緩和第2弾。2010年11月〜2011年6月実施)以降、彼らは一貫して長期金利を下げる手段として長期債を買ってきました。
また、2012年の12月12日に新たにオープン・エンドの資産購入プログラム導入に踏み切った際に、記者会見の席でバーナンキ議長は「誤解のないように確認しておくが……」と前置きしたうえで、「中央銀行のバランスシート(貸借対照表)の大きさと、インフレ期待はまったく関係がない」と断言し、このプログラムがインフレ期待に影響しないことを強調しています。しかし、日本では、リフレ派の願望を投影するかたちで米国の金融政策が捉えられているように思えます。
藤田 まったく同感です。おっしゃるとおりで、これからインフレ率を高めることはないとFRBは言い切っています。日本のようにマネタリーベースを増やすという方針は、少なくともFRBやECB(欧州中央銀行)は打ち出していません。
翁 米国で、インフレ期待が高まってきているのでは、と言われていますが、資産購入プログラム導入後、足元まではむしろインフレ期待は少し下がってきています。FRBが現実にやっていることと、リフレ派の願望との間に大きなギャップが生じているので、どこかで精算すべきでしょう。
藤田 単純に通貨の供給を増やしても、その分だけマネーストックが増えたりインフレ率が高まったりするわけではない、というのがリーマンショック後の世界の常識ですからね。
金丸元首相の三重野元総裁批判でバブル崩壊後の利下げが遅れた
翁 そもそも、日銀だけが金融政策のメカニズムについて特殊な考え方をしている、という捉え方が間違っているんですよ。先程のバーナンキ発言は、日銀総裁時代の白川方明さんの発言とほぼ同じなのですから。リフレ派の人たちは、もっと客観的に国際的な議論を見たほうがいいです。
藤田 これまでの日銀の歩みを批判する人たちの間では、「1972〜73年の金融緩和と、1990年以降の金融引き締めは、致命的な政策ミスだ」と指摘する声がよく聞かれます。まず、前者はスミソニアン協定(固定相場制の終焉)の直後で、かつ、田中角栄が総理になって日本列島改造論が席巻していましたし、金融緩和が遅れたのは日銀だけのせいではないようにも思えますが、どのようにお考えですか?
翁 いや、後手に回ったのは確かでしょうね。その当時の事情としては、藤田さんが挙げられたこと以外にも、郵貯問題がありました。
当時は規制金利時代で、公定歩合を下げる際は銀行預金と同時に郵便貯金の金利も下げてくれないと、郵貯への資金シフトが起きてしまう可能性がありました。大蔵(現財務省)を通じて郵政(現総務)省と折衝しなければ、公定歩合を引き下げられなかったわけです。郵政省は貯金金利の利下げに反対で、ようやく郵政省の同意を得たころには、むしろ公定歩合を引き上げるべき局面を迎えていました。ただ行きがかり上、そこで引き下げてしまったんですね。その時点で踏みとどまるべきだった、と思います。
藤田 なるほど。そのような背景もあったわけですか。
写真・住友一俊
翁 もうひとつ、小宮隆太郎先生が指摘されていたように、当時はマネーサプライ(現マネーストック)の伸びが著しく、インフレは顕在化していないものの、過剰流動性が懸念されるべき状況でした。しかし高度成長期には高い伸びが普通だったので、当時の日銀はそのことにあまり危機感を抱いていなかったようです。結果的には、日銀はもっと早く公定歩合を引き上げるべきだったし、マネーサプライの伸びも注視すべきだった、という総括になるでしょう。
藤田 一方の1990年以降の金融引き締めに関しては、どのように捉えていますか? 私の専門である株式市場から見た場合、1989年の12月29日に日経平均が史上最高値をつけた地点がバブル経済のピークですが、その前日に三重野康日銀総裁(当時)が「公定歩合を引き上げる」と言い出して橋本龍太郎大蔵大臣(当時)と一悶着ありました。
1990年に入って株価が39%も下落し、同年8月にはイラクのクウェート侵攻で原油価格が急騰しましたが、それでも日銀は1991年まで利上げを続けていきました。その翌年の2月に、金丸信自民党総裁(当時)が「総裁のクビを切ってでも利下げをさせろ!」と政治的圧力を強めて、ようやく金融政策を転換したわけですが、やはりこれは遅すぎた対応だったのでしょうか?
翁 当時の社会的な雰囲気としては、ある時点までは「高騰している地価を、どうにかして下げてほしい」という声がとても強かったと思います。今から考えれば、とんでもないことですがね。
地価が下がりすぎると大きな金融システム不安が生じることが明確に理解されていれば、むしろ大胆な緩和をしたほうがよいと判断されたはずです。緩和テンポが遅かったとは思いませんが、金融危機という大津波を警戒していなかった分、普通の緩和しかできなかったということです。ただ、地価のピークは株価よりも1年半ぐらい遅行しましたから、当時の社会的雰囲気の中では、金融システム問題がわかっていたとしてもリアルタイムで大胆な緩和の判断を下すのはかなり難しかったでしょう。
それから金丸さんの政治的圧力については、「実は下げたいと思っていたのに、金丸さんに公の場で言われてしまい(政治に屈したとみられるため)、下げにくくなって困った」と三重野さんは回想録に書いていましたね。
(後編に続く)
次回は4月12日更新予定です。
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日銀の金融緩和意欲は通貨の供給量で判断できる!
★今月の指標⇒マネタリーベース
為替レートは通貨の供給量で決まる!
「マネタリーベース」とは、早い話が「世の中にあるお金の量」です。銀行の信用創造機能によって、これが何倍に膨らんでいるかを見るのが「マネーストック」ですが、会計上のマネーストックがいくらになろうが、実際に世の中に流通している量が、マネタリーベースなのです。
通貨の供給量を調整するのが日銀であり、金融緩和を実際に実行しているかどうかを確認できる代表的な指標です。
これまで「デフレから脱却できないのは、日銀がお金を増やさないからだ」と、言われてきました。
それはおおむね正しくて、日米の通貨供給量の差を見ればその理由がわかります。
通貨供給量が増えない金融緩和は効果なし!
為替レートは、相対的なマネタリーベースの増やし方で決まってきます。リーマンショック前の08年8月には、日本のマネタリーベースは89兆円、米国は0・9兆ドルと近い水準にありました。しかし、リーマンショック後は米国がマネタリーベースを一気に日本の3倍に増やしています。これでは円が高くなって当然。貿易立国の日本にとって、このような行きすぎた円高は国際競争力を低下させ、企業収益を減少させます。
昨年2月14日、日銀の「バレンタイン緩和」で一気に円安、株高が進んだのに、その効果が長続きしなかったのは、実際にマネタリーベースを増やしていなかったからです。昨年2月、3月のデータを見ると、金融緩和とは逆に供給量が減っているのがわかります。
日銀総裁が変わる、4月以降のマネタリーベースに注目です。
通貨供給量の比にはソロスも注目している
「円を刷れば円安になる」という法則がいつの時代も正しいわけではないが、通貨の供給量と為替レートにはある程度の相関関係がある。これを提唱したのは、かのジョージ・ソロスで、日米のマネタリーベース比をチャートにしたものを、「ソロス・チャート」と呼び、機関投資家などの専門家も注目している。
◎Profile
永濱利廣(ながはまとしひろ)
第一生命経済研究所経済調査部主席エコノミスト 1971年栃木県生まれ。専門は経済統計、マクロ経済分析。著書に『経済指標はこう読む』など多数。
http://diamond.jp/articles/-/34291
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