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雪の遺書
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/582.html
投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 14 日 04:11:10: 3bF/xW6Ehzs4I
 

雪の遺書

 十勝管内中札内村中札内川上流の十の沢で昭和40年3月14日未明、 日高山脈縦走中の北大山岳部の登山隊6名が雪崩に巻き込まれ、 全員が死亡した。

初期捜索は困難をきわめ、 雪解けをまって再開始された捜索によって、 全員の遺体が発見され、澤田君の胸ポケットの中からは、 ポリエチレンの袋に収められ、地図の裏に書かれた遺書が見つかった。

奇跡的に即死をまぬがれた澤田君が雪崩の雪の下で記したものだ。

 彼等は必ずしも危険な所で雪洞をつくって露営していたわけではない。

その後の調査によるとこの雪崩は、走行約3km、デブリの長さ1Km、 幅30-100m、量約40万トンの日本国内の雪崩としては最大級に属するものと推定された。
 
 この遭難に関しては、遺稿集『雪の遺書』や、現地の救助隊の吉田勇治氏 の『鎮魂歌 ああ、十の沢』(平成11年)などの書物が出版されているが、 ここでは、北大山岳部々報第10号の遭難報告をもとにした。

 登山計画

   リーダー        澤田義一(農4)
   アシスタント・リーダー 中川昭三(文3)
   メンバー        橋本甲午(農4)、 田中康子(教養2)、
                松井作頼(教養1)、坂井丈寛(教養1)

   日 時 昭和40年3月11日―3月24日最終下山日(行動9日、停滞5日)
   コース 札内川―カムイエクウチカウシ山―カムイ岳―幌尻岳―トッタベツ川


            遺 書    澤田義一(リーダー)

 三月十四日(?)の深夜ニ時頃、(後で時計を見て逆算した) 突然ナダレが雪洞をおそい、 皆寝ているままにして埋めてしまった。最初、雪洞の斜面がなだれたのかと思ったが、 後ですき間を少しずつ広げてみた結果、入り口よりデブリがなだれこんできたものだった。

 皆は最初の一しゅんで死んだようだったが、私は、幸いにして口のまわりに 間隔があったのを次第に広げて、ついにナタで横穴をニメートル近く掘って 脱出しようとしたが、 外はデブリで埋まっているためか、一向に明るくならずついに死を覚悟する。 ただ今十四日十三時十分、しかし何とか外に出たいものだが、根気負けしてしまった。 一休みしてから考えよう。

 お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かしてもらうだけです。きっと、何かに 生まれ変わってくるはずです。その時お母さんお父さんを見守っているはずです。

 土田のおばさんすいません。心配が本当になってしまいました。でもゆるしてくださいね。田中さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君ごめんなさい。とりかえしのつかぬ失敗 をしてしまって。

 皆さんのお母さんごめんなさい。ついにやってきたのです。きっと天から皆さんを見守っているつもりです。せめてできることはその位です。早く、安らかに眠りたいものです。 どうせ死ぬなら、僕ひとりだけです。

 十四日十三時二十分。尾崎さん別にいいんです。

 内藤さんアマゾンはどうでした。佐藤君、牧野内君、友達として心のふれあう君達だった。 佐藤君には五千円借金しています。

 海内さんだって、波多江さんだって小泉君だって死んでいるじゃないか。 ちっともさみしくないはずだ。

 杉山さんご指導ありがとうございました。

 ルームの皆さんさようなら。松田君、庵谷君すいませんが、後始末をお願いします。

 広瀬先生すいません。上山さんお先に行きます。 鈴木、清水、裏、山下、田中、井上、林頑張れ。

 何がなくなっても命だけあれば沢山だ。死を目の前にしてそう感ずる。 親より早く死ぬのは最大の情けない気持ちだ。 松井君は一人子、橋本君は男一人、僕も男一人で、 親のなげき悲しむ様子が手にとるようにわかる。

 三月十四・十五・十六・十七と寝たり掘ったりする。 日付は時計の針でのみ計算する。ナタが手に入った。 懐中電灯が二ヶ、スペアの電池が一ヶ、非常食が二人分。 掘っても掘っても明るさが出てこないので、がっくりしている。

 生は10%ぐらいだろう。十七日朝八時。

 お母さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、 先に行ってしまうなんて。

 今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。 後一週間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、 二十五日ごろ騒ぎだして、捜索隊がここにつくのは早くて二十九日。 そしてここが見つかるかどうかも疑問だ。 十三日にここであった山スキー部のパーティが、 一緒に来てくれれば分かり易いのだが、 あの時あいさつしておけばよかった。 向こうのパーティも知らん振りしていってしまった。
     
(注:このとき会った山スキー部パーティの 正確な情報、捜索協力は捜索活動の決定的役割を果した。)

 佳江、珠代へ。先に死んでしまってごめんよ。 お母さん、お父さんはこれからお年寄りになっていくんだから 二人仲よくして、お兄ちゃんの分もよく面倒みてあげて下さい。

 昌子姉へ、お母さんお父さんのことよろしく。

 お母さん今死んでしまうなんて残念だ。切角背広も作ったのにもうだめだ。
http://www.geocities.jp/kyyamamoto2/dcyukinoisyo1.html
 

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コメント
1. 2021年11月11日 14:44:39 : N6zpS5ezAw : Uy9UNkFvUTlYZm8=[44] 報告
【ゆっくり】北海道の大学生が雪崩に巻き込まれた事故・・・日高山脈雪崩遭難事故
2021/11/06




1965年(昭和40年)3月14日に北海道にある大学山岳部6名が日高山脈札内川上流の十の沢付近で大規模な雪崩に遭い遭難した事件についてストーリー仕立てで解説します


▲△▽▼


沢田義一さん『雪の遺書』に見る北海道大学メンバーの雪崩事故。
2021年7月31日
https://matome.eternalcollegest.com/post-2147981305957012601#:~:text=%E6%9C%AD%E5%86%85%E5%B7%9D%E5%8D%81%E3%81%AE%E6%B2%A2%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%83%A8%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AF%E3%80%811965%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C40%E5%B9%B4%EF%BC%893%E6%9C%8814%E6%97%A5%E3%81%AB%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%83%A8%EF%BC%88%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%BE%A9%E4%B8%80%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%EF%BC%896%E5%90%8D%E3%81%8C%E6%97%A5%E9%AB%98%E5%B1%B1%E8%84%88%E6%9C%AD%E5%86%85%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B5%81%E3%81%AE%E5%8D%81%E3%81%AE%E6%B2%A2%E4%BB%98%E8%BF%91%E3%81%A7%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E3%81%AA%E9%9B%AA%E5%B4%A9%E3%81%AB%E9%81%AD%E3%81%84%E9%81%AD%E9%9B%A3%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%82,%E5%8F%82%E5%8A%A0%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC6%E5%90%8D%E5%85%A8%E5%93%A1%E3%81%8C%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

沢田義一さん『雪の遺書』に見る北海道大学メンバーの雪崩事故についてまとめました。雪崩が起こった後も生き残って遺書を書いた沢田義一さんの記録です。この予測できない巨大雪崩は、避けられない山岳遭難であったとされています。

◆1965年 北海道大学6名が雪崩で死亡

パーティーは1965年3月11日に入山した。3月13日には札内川より十の沢左岸の尾根に到達したようである(遺品のカメラに記録されていた写真より推定)。現地は13日昼頃から無風大雪となり14日未明まで続いた。14日未明、露営中に大規模な雪崩に遭遇する。
NAVER Japan Account


札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件は、1965年(昭和40年)3月14日に北海道大学山岳部(沢田義一リーダー)6名が日高山脈札内川上流の十の沢付近で大規模な雪崩に遭い遭難した事件。参加パーティー6名全員が死亡した。


札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件 – Wikipedia

◆1965年3月11日から入山

登山口の途中にある「日高山岳センター」
1965年3月11日から24日までの14日間(行動9日、停滞5日)に渡る春山登山計画として立案された。北海道大学山岳部では登山計画についてよく検討したうえで登山本部に届出。

万一事故が起きた場合でも北大内に留守本部を設置し、OB等がすぐ出動できる動態をとっていた。

沢田義一 – リーダー。農学部4年
中川昭三 – アシスタントリーダー。文学部4年
橋本甲午 – 農学部4年
松井作頼 – 教養部1年
坂井文寛 – 教養部1年
田中康子 – 教養部2年

北札内―札内川―十の沢左岸の尾根―国境稜線―カムイエクウチカウシ岳―神威岳(カムイ岳)―幌尻岳―トツタベツ川―八千代下山



カムイエクウチカウシ山 から幌尻岳を縦走する9日間の冬山登山です。登り始めて2日目、カムイ山に向かう札内川上流の十の沢で猛吹雪に遭ってビバークしました。雪崩に遭わないよう、安全な場所を選んで雪洞を彫りました。しかし、幅100メートル、長さ3キロ、40万トンにおよぶ大雪崩が襲ったのです。
47年前、雪崩跡から見つかった「雪の遺書」 めい展・じゃあなる/ウェブリブログ

◆1965年6月より再捜索

6月1日よりパトロールが行われ、6月13日13時10分ついに沢田義一の遺体を発見するに至った。遺体は直径2m深さ1mの雪洞状の穴に、右手を下にして斜めうつ伏せの状態であった。右のポケットより「処置・遺書」と書かれている地図を発見した。
札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件 – Wikipedia
地図の裏には2,000字を超える遺書が書いてあり(雪の遺書)、沢田リーダーは雪崩のデブリのなかで4日間生存していたことが明らかになった。6月16日テントが発見され、沢田リーダー以外の5名全員の遺体が発見された。


札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件 – Wikipedia


澤田さんが書いた遺書のコピー
雪の遺書
澤田義一(リーダー)

三月十四日(?)の深夜ニ時頃、突然ナダレが雪洞をおそい、皆寝ているままにして埋めてしまった。
皆は最初の一しゅんで死んだようだったが、私は、幸いにして口のまわりに間隔があったのを次第に広げて、ついにナタで横穴をニメートル近く掘って脱出しようとしたが、外はデブリで埋まっているためか、一向に明るくならずついに死を覚悟する。

お母さん、お父さんごめんなさい。一足先に行かしてもらうだけです。きっと、何かに生まれ変わってくるはずです。その時お母さんお父さんを見守っているはずです。



生は10%ぐらいだろう。十七日朝八時。
お母さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、先に行ってしまうなんて。
今は比較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。後一週間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、二十五日ごろ騒ぎだして、捜索隊がここにつくのは早くて二十九日。そしてここが見つかるかどうかも疑問だ。十三日にここであった山スキー部のパーティが、一緒に来てくれれば分かり易いのだが、あの時あいさつしておけばよかった。向こうのパーティも知らん振りしていってしまった。

昌子姉へ、お母さんお父さんのことよろしく。
お母さん今死んでしまうなんて残念だ。切角背広も作ったのにもうだめだ。
(「北の山脈」17号・1975年3月掲載  ネット「雪の遺書」から)

お父さんの詠んだ歌
「 義 一 」 澤田己之助
就職のきまりしときの喜びは いまもなおわがまなかいにあり
(昭和40年3月)
妻ときて悲しみあらたなり あたらしき背広の服を子の部屋にみて
(昭和40年3月)
おん身いま日高山なみ深き谷に 焼かるる夜をわれは眠れず
(昭和40年6月)
北のはて日高の谷の山旅に わらじも足に馴れて下りぬ
(昭和40年8月)
子の死してすでに十年を過ぎにしを 憶いつつ生く老いらくの身は
(昭和50年3月)
「北の山脈」17号(昭和50年3月15日)より

◆登山家の遺書として雑誌に掲載

blog-imgs-24-origin.fc2.com
文藝春秋2002年1月号の特集記事「遺書魂の記録」(1)

blog-imgs-24-origin.fc2.com
文藝春秋2002年1月号の特集記事「遺書魂の記録」(2)

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