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(回答先: すべては我が侭である 投稿者 金十字架 日時 2012 年 11 月 16 日 03:19:41)
何もかも言葉で言いくるめるなんて事は出来はしない
あなたの心を何者かが
何かしらの観念をもって抑えつけるような真似を試みたとしても
そんなことは叶わないとあなたは知っておくべきだろう
心はゲームのルールには従わない
あなたが感情的にそこに反応してしまわない限り
どんなルールもあなたへは適用外である
そこでのあなたは常にそうしたゲームに不参加の意思を示すか
継続に同意するのかだけが問われている
自分の静けさをあなたのものにして置くには
常に意識的に自分の心の状態がどうあるかに
気付くクセさえつければ良いのである
それをやめて惰性に遵って思考に振り回されてしまえば
あなたはまた同じ堂々巡りの場所に引きずり戻される
思考は単に手放せば良い
しがみつかないと宣言すれば良い
後は勝手に消えて行く
しかしあなたの持つ観念が変わらない限り
それらはいつでも又現れる事となる
それが修行と云えるものだろう
如何だろうか
意識的な心の視点から世界を見渡せば
あなたは常に何からも自由である
そしてそこにあるあなたの本当の姿をして
本当のあなたの意思といえるものをそこに浮かび上がらせるのである
あなたはゲームに参加している時には衝動的な感情に支配されやすくなる
あらゆる感情の出所はあなたの思考にあるのだから
あなたは不本意にもそこに参加せざるを得ないというのだろうが
そうした意見もがあなたの受け容れた考え方に根ざすのである
あなたが今のいる環境から離れずとも
あなたの観念を変える事であなたはまったく別の世界に居る様に
新たな価値観を胸にあなたは新たなスタートを切る事が出来る
その思考を齎す価値観とはすべて
あなたが受け容れて来た観念に基づいて構成されているだけのものだから
例えばひとつの観念を受け入れればそれに似た観念はさらに引き寄せられる
根の観念はそれ自身に正当性を与える新たに受け入れられる観念によって
よりあなたの中で強力になる
そしてそれが信念となれば
あなたはどんどんそうした考えに自身を支配させる様になる
だから不本意にも他者の意見に従わざるを得ないといった
とんでもない考えに自身を容易に合わせてしまえるのである
そしてやがてはその観念の存在を脅かすように思える他の観念に対して
無視できなくなり排除しようとさえするかも知れない
善悪の概念とはそのように時を経る毎にあなた方の中に成立して行った
そこではじまったのがこのゲームである
あなたが何か罪を犯せばあなたはそこに謝罪する
そしてあなたが侵害されればあなたは相手に謝罪を求める
もしそれが守られなければどうなるか
そうなればあなた方は他者を嫌悪してもいいと云う訳である
そしてペナルティがある訳だ
それが法でありルールである
組織的なものとは単にそれを遵守する事で利益が生まれる
だからそれが絶対的な決まりとされている
その絶対的とも言える権限の中にあらゆる事が蠢いている
そこに支配されていくのだ
そこでのあなたは常に善良であらねばならないとだけ教えられる
それを守る立場であるあなたは
自身をとても魅力的な存在として見出す他なくなるかも知れない
自身にその必要性を感じれば感じる程
あなたは自身の行為の全てを
他者に評価される為に崇高に気高く保たねばならないとするかも知れない
そして視界に入るあらゆるものが
そのような視点から眺められる事となる
そして善に当て嵌まらないものとして
そこに見出された悪行はすべて排除すべきとされる
何故そこに至ったのかと云う経緯には全く触れられる事もなくなる
果たしてそれで世の中が善行で満ちた世の中に変わって行く事になるとは
誰が考えられると言うのだろうか
しかしそれはそうした観念を受け容れた我々全ての有り様ではないのか
今と云う時を眺めて「悪が蔓延している」と
感じざるを得ないと云う結論に至る事程バカらしくなる事はない
しかしそのようにして全体が全体を悪化させているだけなのだ
誰か一人の政治リーダーの責任でもない
他国の脅威が其処に在るからでもない
それは後からこじつけた正当性という名の言い訳である
しかしそこで最も大きな問題として挙げられるのは
そうしていく中にあなたが不自然に生命の喜びの本質を
覆い隠して行くハメになってしまうと云うことだ
そしてあなたは外に向けられるべき自然の力の本質を
自身の内側にずっと向けて隠し溜め込んで
それを育てる事になりかねない
ジキルとハイド氏のように
善悪の概念とは言い換えればそれはゲームに必要なルールだ
あなた方の定番のドラマすべてにそれはつきものだ
あなたが同意してそれを楽しんでいるうちはその制約から抜け出る事は出来ない
何故ならそれはゲームの終わりを意味するのだから
しかしゲームから抜け出たとしてもこの世界は何も終わらない
むしろそれどころか今それは待望の始まりを予感させるものでしかない
そこでのあなたはゲームの遊び方を変える事だって出来るだろう
あなたが抱いてきた
常識やルール
法律や宗教といった何らかの概念及び観念は
そこに単に継続させるだけの義務感をあなた方に抱かせてきた
そこでは単に進化の流れを妨げ
古いままの何かを継続させる必要性だけを感じさせる
武道や職人技の様にそうした中にも
より新しく洗練されていくのが筋というものだが
保守的なものはすべてそのように謳われて来た事に反し
殆どは単に世俗化しただけに過ぎない
あなた自身にとって最も不自然なこととは
自身の進化を否定する事である
良いものに古きも新しきも実はなく
あなたが心を発揮させる状態に在る時それは
時を越えて良いものは「常に生まれ続けている」と云う事を知るだけだ
何事も何かに比較してその真価を発揮するといものではなく
良いものとは常にその生命の本質に響くものである
あなたが目先の展開に慌ただしく押し流されて
何かに追われているような心の状態にある時
あなたは真価を発揮出来ていない
そうしている時全てに於いてあなたは上手く行かないという体験をするだろう
何故ならその心の状態が体験しうる世界としての
あなたの周囲の状況を完璧につくり出すからである
あなたが始終動物や物や世の中の人をどのように感じているかもまた
すべて余す所なく正確に周囲に状況として反映される
そこで得られる体験に依って
あなたは増々その自身の受け容れている考えについて
的を得たものとして確信することとなる
しかし結実するものは全て
それはあなたの中にあるものがつくり出した事にすぎない
だからそれを楽しめるかどうか
あなたが何を利用して何になりたいか
どのような体験をしたいか
すべて自由なのである
何も間違った事は起きていない
あなたが苦しいと感じていれば苦しい状況を確信する為の体験が設定される
そうしてあなたと云う存在を知るのである
時間に追われる慌ただしさも
現状の心の状態がそのまま反映されたものである
時間の概念と云うものを利用して
あなた方は囚われ続けていると感じる事も出来るし
それを便利に扱う事も不便に思う事も同時に出来ている
すべてはあなた方が事細かに設定した観念に沿って
あなた方はあなた方の現実と云うものを体験している
だからすべてはあなたが決めればいいだけだ
あなたはただそこに意味を与えるだけの存在だ
そしてその意味を受けとっている
あなたが何ものからも限定されない存在であれば
単にあなたはすべてに与える事が出る
そしてあなたはそこから全てを得る
つまりそこに居るのは誰あろう
他ならぬあなたなのだ
刹那的な感情(不安や怖れ)に
あなたが自己の心の状態を合わせていれば
あなたはそこから抜け出す事は出来ない
だから夢を見よ
夢が現実を生む
あなたがどんな時にもゆとり在る心の状態でよいのだと自分に言い聞かせれば
あなたはそのような平穏な心の状態に即座に移行する事が出来る
周囲の環境はいつでもあなたの感情の状態に合わせて変化して行く
その事を十分理解していれば
あなたは自分に有利な心の状態を維持しようとしつづけるだろう
観自在の心とは実に有り難いものだと言える様になるだろう
そしてその心で居ればあなたは無駄な解釈を全て捨てる事が出来るだろう
此処で取り扱ってる知識(と呼べるものかどうかはさて置き)とは
それを使って人を揶揄したり批判したり
論争を繰り返すことができない仕組みである
この知識を利用するものは他者を軽んじたりする事は叶わぬ事を知るだろう
もしそれをしようものならその知識はその者から離れてしまうからだ
そして違ったものが引き寄せられて来る事になる
すべては「有」の中に存在する
そこに対比するかに見える「無」や「死」と云う概念を利用したとしても
そこに何かが生み出されているのである
あなたの感情を何かで押し殺しても
そこに新たな何かが絶えず産まれることになる
あなたの肉体の中で自我が薬物で殺されても
絶えずそこには新たな自我が発生するように
それはまったくあなたでありながらも以前のあなたではないのである
さて本当のあなたとは一体何ものであるのか
あなたの意識とは一体何処から何処迄を指すと言うのか
何があなたという存在を限定するのか
感覚的な理解力をあなたに取り戻すには
意識的にあなたの心の状態とはどう在るかを見つめ
そして基本的なあなたの状態とは何かを知るように努力する事だ
それがプラクティスでありトレーニングである
あなたが何かを換えたいと願った時
こうした機会に実践して探ればいい
そしてあらゆる評価の対象としてのものから
あなた自身が一度遠ざかってみることだ
そこでのあなたは何も評価しない
そしてまたあなた自身をも評価しない
そして何からもあなたは評価されようとしないと決める事
何故ならそのような必要性がないからだ
あなたは全てに於いて常に最高の評価だけがふさわしいからだ
何かを行動に移す前に単にそのように心に思うだけでいい
自己査定&他者評価ゲームにはもう参加しないと誓えばいい
あなたは普段以上に巧く何でもこなせる様になっている事に気付くだろう
そこでのあなたは常に心が穏やかである筈だ
限定された能力的存在としてあなたが自身を観ている時
他者に対しても同じ視線が注がれる事を忘れないように
だから一度感覚的な理解を推し進める為に
あなた基本の状態を知るのが大事なのである
あなたにとって基本的な行動と言えるものとは
どのようなあなたの心の状態から繰り出されるものなのか
そうしたものを自身の中に探るのである
あなたを含め全体的な存在としてすべてのものを
その心で再評価してみることだ
秋は色づいた木々が賑やかな情景を生み出している
一枚の葉を手にとって間近でみてもそれほどの魅力はないが
路に汚れた落ち葉であっても遠目からその吹きだまりに目をやれば
それらはなんともあいまって豊かな自然の美しさとしての感動を
あなたの心に生み出すではないか
人もまた同じであるとは言えまいか
つぶさにどれに善し悪しだと捉える<限定して評価する>事など
あまり意味がないように思える
勿論こだわる事は何も悪い事ではないが
それに比較して軽んじる事は間違いである
そこに何も違ったものはない
人はその善悪の概念に基づく道徳観といったものを
利用する立場の中で互いに
始終人の評価を気にするようになってしまう訳だが
そこで相手の非を責め立てるべきだと感じるのは何故だろうか
元々人とは互いを嫌悪したい存在なのだろうか
そのように生まれながらにそのような心として生まれているのだろうか
そうではないだろう
ルールに基づいた中にゲームは進行するのであって
ルールに同意するもの同士がゲームと云うものを楽しんでいるに過ぎない
あなたもまた相手の非を責めなければ心が晴れないままであるとするなら
あなたもゲームに参加する者としてきちんとルールに則った行動をすべきだ
心の価値に目覚めたあなたは
不要な名誉など欲しがる事もないだろうが
あなたがもし不名誉な事に巻き込まれてしまったのなら
それを見事晴らすのがあなたの本分である
あなたはそのようにルールに則って世界を楽しんでいるのだから
だがそれはけしてあなたが相手を嫌悪するが故の行為ではなく
「相手を嫌悪する対象としてのレッテルを貼ったままでは居たくないが為」
つまりあなたが相手を嫌いではいたくないが為に
相手に謝罪を求める筈である
そしてまたそれはあなた自身との闘いでもあり
その勝利は相手とあなた自身を愛す結果に繋がる筈である
だから相手に態度を改めて貰いたいと考える筈なのである
しかしそれが今や多くの者に完全に取り違えられている可能性がある
だから私は此処にこうしてタイプを走らせているのである
あなたはルールのない世界からそれら世界を何も評価査定せず
ただ観察すればあなたにとってよい結果は齎される筈である
そしてそのあなたをして世界を新たに築き上げる柱となる
何者をも赦さず嫌悪し続ける為に
法やルールと云うものがあるとするのなら
それは完全に誤ったものとしてある
そのようなものは悪しき循環を生み出す為のシステムでしかないと言えるだろう
何が本当に求められているものだと言えるのだろうか
秩序というものは堅固に絶壁の如くして高く聳え築く必要はない筈だろう
まさにそうした観念的な恐怖や脅威と云った
はっきりしない曖昧なままの存在からの情報の流れを寸断し
自身を低評価し同様に相手をも見下すと云った事を止め
そうした暗がりの社会に依存する事から身を引く事だけが
ひとりひとりに求められている事なのである
それには自身のあやふやな態度との決別しかない
後は自身の心に行動を決めさせればよいだけだ
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