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この世の修行とは
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投稿者 金十字架 日時 2012 年 11 月 17 日 18:26:20: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: ゲームの進め方と終わり方 投稿者 金十字架 日時 2012 年 11 月 17 日 15:02:43)

人の心を知る為にこの世界にやって来る存在は多い
それはその姿をした自己の心を通して
人と云う者の理解に及ぶと云う冒険である

我が同胞もまたその一人だ
我が心のマザーその人である

彼女は鳩尾で神と話をするそうだ
私からすればそこに言われる神とはマザーそのものであると言える

またマザーはその分身なのである
例えれば肉体と細胞の関係のように
互いを利用している存在である

さてこうして
自己の心とその動きを始終観察すると云う事は
こうした世の中でそれを試みるようになる迄にも
幾日幾月の居ることであると感じるだろう

そしてまた心に意識を集中しつづけるにも
極力考え抜かれた
日々の暮らしの立て方が重要になるとも考えられるだろう

しかし心のマザーが言うには
長く苦労はしたが必然的にすべてはただ動かされているように感じるそうだ

彼女は常に「空(くう)」であると言う
故にありのままであると言う

私なりに言い換えればそれは
此処で何度も言葉にして表現した様に
自分の意識をその心の「心中穏やか」な状態に置き
無意味な価値や評価には気を使わないということである

頭で自我の思考に意識を合わせるのではなく
胸にあなたの望ましい事柄だけを思い浮かべ
安堵の感情を呼び寄せそこに浸るということである

そしてただする
ただ憶う
そしてただ居ることに喜びを感じる
この世界を修行の場として認識する者の中にも
ほぼその修行の内容について的を得て理解する者は少ない
優れた見解に辿り着ける者はごく僅かではないだろうか

この今の世界を覗き観るに
安定を齎すと謳われるものほど欺瞞に満ちたものはない

当たり前だと言われることや常識といったものは
常時人の評価を気にし
比較を怖れ体裁を繕うといった人の心理に支えられている

常識を打ち破る者とて
けして安定を求めない訳ではないが
人から与えられる評価に疑問の余地を挟み
常に自己を過小評価しない人物ではあるだろう

そうした者はあらゆる訓練を好み
その成果を自身に役立てる事ができるだろう

己を活かしつづける事を修行と呼ぶのであり
ただ何かに耐えるだけの状況を修行とは呼ばない

一般的に観て客観的に人が何かに耐えているような状況を
讃えるような状況は在ってもいいが
そこにけしてその人物は「耐えてなどはいない」と云う事が
第三者には精確に理解出来ていないと云うのは面白いものである

何かに比較した正しさのみを外に追い求めて
結論を先急ぐ者が辿り着く場所とはいつも
「結局は他人の考えを渡り歩くだけに終わってしまう」
と云った皮肉な結果である

何が自分にとっての答えなのかは自身の内に探し捉えるしかない

正当なる評価と云うものは敢えてそれを求める必要のない所に既に在るものだ

至福感や満足感や豊かさと云うものもまた同じであると言える
敢えて求めないし求める必要性がないから其処に在るのだ

知識で人と争ったり比較して侮蔑したり優劣を決するのは滑稽だ
すべては単に自分の中にあるものを掘り起こす作業であるのだから

出世といったものにしか夢を抱けないと考えるのであれば
限定された価値観に縛られている事が大前提となる

だからこうした話は理解出来ないかも知れない

実際他者から観ても良い仕事と云うものは
余計な意識を持たずにただそこに集中して居れば
自然と良い仕事ができるものである

「してあげたい」とする心もが世の中に浸透して循環さえすれば
世の中というものは良い方向にしか回らなくなる

批判する精神とはその裏腹に在るのは
評価されたいとする心であり
言い換えれば批判を怖れる心なのであり
「自身への評価」を期待する心によって成り立つ

そこに生まれる自らの存在と
その限定された能力を利用して何かを捉えようとする

あなた方は他者からの評価というものを利用して
それを指針として自分という存在の確かさを知ろうとする傾向があるが
自らそのように自身の可能性を他者に決めてもらおうとするのは
つまり限定された存在であろうとするのは
そもそも何かおかしな事とは感じないのだろうか

本来何もかもすべて改めて他者の評価など必要としない
生まれながらにそれぞれは立派に確立された存在であるのだから

その可能性を狭めるも広げるもあなただけがそれを赦す立場にあるのである
他者を利用して自らそのようにしているだけである

一度胸に意識を降ろす事を決めれば
頭に在る思考はただ放置し観察だけすればいい
振り払おうとする必要性はない

必要性という言葉には常に恐れがついてくる

あなたはただそれをする事を決めればそこに恐れはない

そうすればあなたが思っていた事は
思っていた以上にすべて上手く行くと感じられるようになる

今年最後の挨拶として来年何かが起きるとするマザーに私からこう言った

「・・だから世の中が悪くなっているとは思わないほうがいいんですよ」

すると彼女は「あ」と一言声を出し笑って

「私は世の中がどんどん悪くなっているとばかり考えている。それじゃダメなんだ」
と笑って居られた

すべては自身が体験したい事を決めているに過ぎない  

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コメント
 
01. 2012年11月17日 21:49:28 : FhxHNIGldI
色々、日々経験すること、即修行である、修行遥かにあらず、足元にある。

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