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(回答先: 現在の日本国で、「国家意志」をする者は誰か?(uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 11 日 22:48:56)
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官僚主導に、いかなる政治思想的根拠があるかと、全日本人は問え
投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 7月 2日(金)12時30分9秒
こんにちは、皆さん、植田です。
学校教育を終えると、日本の若者たちは、それぞれに希望を抱いて社会に入っていきます。
若き官僚たちも、そのようにして霞が関官庁街に入っていきます。
では、なぜそれが数年もすると、省庁益を最優先する律令官僚になってしまうのか。
自身、外務省職員として官僚の生態の一部を体験した佐藤優氏が、その理由を次のように述べています。
「官僚は、国家公務員試験、司法試験などの難しい国家試験に合格した偏差値エリートによって日本国家が支配されるべきと考える。そうでないと、≪食うか食われるか≫の激しい競争が展開される国際社会で日本が生き残っていくことはできない。結果として、偏差値エリートによる支配の方が下々の国民にとっても幸せなのだと考える。」『小沢革命政権で日本を救え』p.3
これは佐藤氏の体験談です。
その意見が正しいかどうかではなく、佐藤氏は、体験したままを述べています。
さらに官僚は次のように考えます。
「国家公務員試験や司法試験で測ることが出来るのは、人間の能力のごく一部分にすぎない。この種の試験に合格するためには、まず真理を追及するという発想を捨てなくてはいけない。」p.3
まったくその通り。
佐藤氏は、なぜ自分が外務省から追放されたのかわからず、それを知るために退職という形を取らずに、起訴休職外務事務官の肩書を今でも名乗り、自分の立場を理解しようとしています。
その自己認識の成果として、以上のような指摘が出てきました。
さらに次のように述べてます。
「彼らの理解からすると、〈国家の主人というのは、難しい国家試験に合格した、もしくは司法試験に合格したエリート〉なのです。・・
彼らは頭がよいのではなく、頭が強いのです。長時間の受験勉強に耐えられるような、耐性が強い頭を持っています。これは本来の頭の良し悪しとは関係ありません。それゆえ、自分たちがほんとうにただしいことをしていると思い込み、舞い上がっているのです。」p.32
日本社会が官僚主導になるのは、官僚たちが以上のように考えているだけではありません。
公務員試験が日本人の全員に公開されているためです。
日本人であれば、誰にも霞が関官僚の一員になる道が開けています。
つまり、試験制度的に、官僚たちは、自分たちが日本人の中で一番頭がいいと自認できる、制度的根拠があるわけです。
佐藤氏が言います、
「『官僚になるための国家試験は日本国民なら誰だって受けることが出来る。だから国民のものである。そうすると国民意思の代表は官僚である』。このようなインチキ議論にごまかされてはいけない。官僚は国家支配の道具であって国民の意思に制約されずに動く本性があります。これをどうやって押さえるかが政治家の仕事です。」p.168
ペリー・グッド。
そして、そのための思想的根拠を提供するのが、私たちの律令理性論です。
日本の官僚が自分たちこそが国を動かす原動力であると考え、そのように動く、というのは、官僚の本性なのではなく、不比等が構築した日本・律令システムがそのように出来ているからです。
そこでは、官僚が主導者です。
官僚にそのように動ける根拠を与えるのが天皇です。
だから、官僚が政治を主導できるというのは、彼らが国家公務員試験を通過したからではなく、日本社会が律令システムだからです。試験制度の効用を律令システムが保証しているわけです。
だから、官僚主導の根拠は、試験頭脳の性能の問題ではなく、この国の統治権者は誰か、という政治思想の問題です。
ここのところが、日本語言論上では、まだ誰によっても明示されていません。
佐藤氏と副島氏の対談にも、まだ出てきません。しかし、素晴らしいことに、ついに疑問だけでも、出てきました。
しかし、「脱官僚」が最終的に成功するかどうかの真髄は、ここです。
私は最終的には官僚が負けると思っていますが、それには、政治家・有権者の側に、今の戦後のデモクラシー制度の中では、なぜ自分たちに権力があるかを、試験合格頭脳による説得をはねかえすだけの納得をもって理解してもらう必要があります。残念なことに、大卒の大メディアの優秀な記者たちも、ここがさっぱりわかっていまん。つまり、試験優秀組の官僚の説得を跳ね返す学力がありません。うーむ、余談ですが、学力という言葉、本来、こういう場合に使うべきものでしょうねえ。
日本国憲法は、さっさとこのことを宣言しているわけですが、学校の教師たちも含めて、まだ日本人の誰もが自力でこのことを説得できる段階に来ていません。
もちろん、日本国憲法を起草したのはアメリカ占領軍でした。「近代」という時代の申し子たちです。
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http://www.uedam.com/yogo.html
[律令理性論の用語集]
律令理性
自分を主体に置くことが出来ない理性。律令システム下に生きる日本人は、すべてこの理性の状態にある。
日本国内で生きている分には、特別、問題は起きないが、対外的には、大問題となる。戦後の日本は「対米従属」の時代として規定できるが、この「従属」状態を招来しているのが、自分を主体にできない律令理性である。
自分を主体にできない結果、戦後の律令理性・日本人は、アメリカをご主人さまにしている。
冷戦時代は別として、以後は、アメリカが日本を対米従属に強要しているわけではない。
日本人の律令理性が呼び寄せているのである。
もちろん、戦前も日本人は律令理性人だったから、その場合は、天皇がご主人だった。
これが戦前の「国体」の正体であり、それもまた日本人の律令理性が招来したのだった。
幕末時代の日本人がいかに律令理性人だったか。これを丸山真男が1949年の東大法学部での講義で述べているので、紹介しておきたい。
「このように、国民の圧倒的多数をなす庶民が政治的主体として能動的・自発的な関心を有していなかったということこそ、明治変革前後の実情であった。」『講義録2』東京大学出版会P.100
戦後の日本も同じこと。
2009年8月に民主党が「脱官僚」をスローガンにして勝利した時、それまで戦後の日本社会を官僚主導にしてきたものは何か、といえば、律令理性だったということになる。普通の有権者が、憲法上は「主権者」となっているのに、悲しいかな、律令理性人であるがゆえに自分を主体にできないので、それならば、とばかりに、霞が関官僚が主人になっていたまでのことである。
これを称して、元防衛庁官僚の太田述正氏が言うには、「脱官僚だって!?政治家が主導しないだけのことじゃんか」
しかり、日本人の思想史上、永久に残る名言である。 2010.9.7
自然理性
律令理性の反対に、自分を主体とする理性。普通の言い方では、近代西洋哲学が開拓した理性である 2010.9.7
新京都学派
不比等戦略
SWNCC228
只今、工事中。
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