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吉田茂のストライキ(uedam.com)
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投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 13 日 01:24:38: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: 戦後の言論をすべてご破算にする「昭和天皇が安保条約を主導」説(uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 13 日 01:20:34)

http://www.uedam.com/kako104.html

吉田茂のストライキ

投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 4月15日(木)16時45分31秒

こんにちは、皆さん、植田です。

 戦後のサヨクもウヨクも昭和天皇に見事にうっちゃりをくらいました。
 ただの「象徴」であるはずの天皇が、戦後の「国体」を決定していました。
 日本国の安全保障を全部アメリカに依存する、という体制です。
 吉田茂は、昭和天皇の決定を追認し、首相として安保条約に署名するだけでした。

 なぜこのことが豊下氏が解明するまでわからなかったのか。
 というと、すべては主権が回復される前の出来事だったからだ、という点にあるでしょう。
 主権が回復後になってから、戦後の日本がなぜアメリカに従属するのかと調べても、一向にわからない秘密がここにありました。
 その時はすでに天皇の役割は終わり、名実ともに「象徴」となってその役割を見事に演じきって死んで行きました。
 ただ、節目節目には、アメリカに、「すべてオーライ」という合図を送っていました。アメリカ軍の日本駐留はすべて順調である、と。

 昭和天皇の恐怖・不安は2つありました。
 1 戦争犯罪人として裁かれること。
   これがクリアされると、次は
 2 憲法9条下での共産主義は皇室の死活的脅威となりました。
   共産主義を敵とみなすアメリカは、皇室を敵と考える共産主義勢力にとっては敵にな るので、アメリカと天皇は味方同士となり、利害が一致しました。
   そこで日本国土に米軍基地を提供する、と。
   もともと日本国土のすべては天皇のものだから。
 普通の日本人が、それは違う、と主張しても、天皇の僕(しもべ)たる外務官僚は天皇の意向のままに動く、と。
 これで占領中に日米安全保障条約が立案され、署名されました。
 1952年4月28日に主権が回復したときはすべて終わっていました。戦後の「国体」が作られていました。
 そして日本人は新憲法のもと、天皇は象徴になったので、政治には関与しないと考えるようになりました。
 以後、私たちは、戦後の日本の〈対米従属〉という現実を受け入れるしかない、となりました。

 『昭和天皇・マッカーサー会見』の「はしがき」で豊下氏が言います、

 「この拙論で筆者が取り組んだ課題は、占領下の政治外交過程における〈天皇ファクター〉の重要性を抉り出すという、それまでおよそ本格的な研究の対象とはなっていなかった〈空白〉の領域に挑戦することであった。」P・

 そう、豊下氏は実にいいところに着眼したわけです。
 これで私たちは戦後の日本人の言論の「すべて」を見直すことになります。

 問題は、天皇とは何か。
 なにゆえに天皇はそこまでこの国の「国体」を決定できるのか。
 となります。

 この天皇が決定した「国体」の中で、金丸・元自民党幹事長の「思いやり予算」があったり、ジョセフ・ナイが日本の防衛方針を決める「ナイ・レポート」があったり、普天間基地移設問題があったり、と、私たちが戦後に目撃してきたゴタゴタが置きます。

 豊下氏が1996年に言いました、

 「そもそもなぜ〈ナイ・レポート〉が日本の防衛外交方針の指針とならねばならないか、という前提自体が問われることはないのである。かくして、日本における〈有事対応〉体制の確立こそが、〈日米緊密化〉の証しとして位置づけられることになった。」『安保条約の成立』P.239

 「米大統領補佐官キッシンジャーが、国際政治の重要なイッシューに関わる資格がない〈つまらぬ簿記掛と蔑んだ日本への認識は、〈ナイ・レポート〉においては、安保条約の意義を〈核兵器能力をもとうとする試みを未然に防ぐのに役だっている〉ことに求める、根底における対日不信感として維持されている。」P.240

 戦後日本の問題の核心と根源は、占領中の昭和天皇の政治介入にありました。
 「万世一系」をどうしても守りたいという昭和天皇の不比等戦略への忠誠です。いや、皇祖皇宗への誓いです。

 吉田茂以下、講和条約、日米安保条約の立案に頭を振り絞る外務省官僚は、結局、この昭和天皇の意志に服しました。律令官僚です。

 吉田茂が、もし、後醍醐天皇に反抗した足利尊氏のようであったら、どうなったか。
 いや、いましたよ、吉田茂の側近に、足利尊氏もどきの日本人が。
 白洲次郎です。
 白洲次郎は、冷戦が始まった時点で、中国をアメリカとの交渉カードに使いました。
 しかし、これが天皇の逆鱗に触れます。
 皇室を守ってくれるのはアメリカ軍だから、交渉などするな、と。ただ、日本はアメリカの言うことを聞いて、その通りに動けばいいんだ、と。

 吉田茂はここでストライキを起こしました。

 「〈総理の口から漏れた総理の心境ー平和会議に自分は出たくないというー〉(調書Z昭和26年9月サン・フランシスコ平和会議)問題、つまり、来るべき講和会議において日本側全権主席を当然になうべきはずの吉田が、執拗にその任務を固辞した・・。」同前掲書P.211

 「吉田の固辞は執拗をきわめた。会議の開催地がサンフランシスコとなることが最終的に日本側に伝えられたは7月7日であったが、それ以降も吉田の態度は、シーボルトの側がワシントンに送った報告にしたがえば、『サンフランシスコの選択が全権の任務を人に託す格好の機会を与えるのみならず、そのような兆候がいよいよ高まってきた』というものであった。」P.215

 「つまるところ吉田は、調印されるべき安保条約にそれほどにも自信をもつことができなかった、ということであろう。それは、みずからの〈外交センス〉で構想していたのとはまったく異なった筋書きで日米交渉が進展し、その結果としてまとめられた安保条約であったことを示しているのであろう。
 さてそれでは、かたくなに〈異常〉なまでに固辞をつづけた吉田がついに全権をひきうける決意を固めた契機はなんであろうか。それは、天皇への〈拝謁〉であった。」P.216

 要するに、私たちは、対米従属問題を論じる時、つねに昭和天皇の呪いの中にいる、ということです。
 よくも日本人は皇室を守る努力を怠ったな、と。

 昭和天皇の政治介入は、日米がイコール・パートナーになるための交渉を封じ込めたわけですが、さて、私たちはここからどうやって抜け出すか。  

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コメント
 
1. 梅雨の晴れ間[1] lH6JSoLMkLCC6orU 2018年6月25日 03:40:13 : 7frqg6pbKM : Oe@mfACp4sc[1]
西村熊雄氏をはじめ、一般の外務官僚は昭和天皇の意向だとは全く想像もしていませんでした。知っていたのは、吉田はじめごく一部の人達だけでした。
そしてその後は、世界のパワーバランスに従って米国への従属が続いたと思っていただろうと思います、つまり、核の傘の下で守ってもらっているから仕方がない、と。この独立に際して中枢にいたトップの人物以外、どの程度の人達が昭和天皇が戦後の安全保障体制を決定したと知っていたのか?
宮沢喜一氏は、天皇制の廃止を言ってましたね。池田ミッションの一員で、ある程度察していたのでしょう。私の知人の元官僚は、いまだに信じられないと言ってます。そこそこ偉かったんだが・・・。

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