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(回答先: 第53回 小泉改造内閣人事で浮き彫りに キング・メーカーの執念と野望 (2005/11/01) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 22:32:53)
第54回 「脳とは何か」を解き明かすサイボーグ研究最前線 (2005/11/04)
http://web.archive.org/web/20051211134330/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/
2005年11月4日
NHKのスペシャル番組「サイボーグ技術が人類を変える」(番組終了後は「放送記録」ページから番組内容を閲覧できる)がようやく完成し、明日(11月5日土曜日)夜9時の放映ときまった。最後の最後までてこずっていたのが、番組の随所に出てくる精緻なCGである。労働量としては、細かい作業の連続であるCGを作る作業がいちばん大変で、担当部門は毎日徹夜続きで頑張ったというのに、やはりこれがいちばん最後になってしまった。
番組放送終了と同時に、インターネット上に番組を解説するページを作ろうということで、東大教養学部立花ゼミの学生とともに、このところ毎日ページ作りにはげんでいる。
あの番組を見ると、見た人がもっとあれについて知りたい、これについて知りたいと思うにちがいない場面の連続なので、とりあえずは関連情報をワーッと沢山集めた解説つきの大きなリンク集を作った。その数ざっと数百(いま刻一刻ふえつつある)。
あの番組の中で一括してサイボーグ技術と呼ばれている、脳=機械(コンピュータ)インターフェース、脳深部刺激法(大脳基底核に電極をいれて恒常的に電気刺激を加えることで、パーキンソン病などを治す。アメリカでも日本でも保険が適用されている)、あるいは、人工内耳、人工眼などについて、これ以上のページはないといえるような情報満載のページがいまできあがりつつある。
このページは放送終了と同時に公開され、NHKの公式サイトのNHKスペシャルのページからもリンクが張られる予定だ。
機械の手が頭の中で自分の手と同化する
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この番組、試写などで何度か見ていくうちにわかったことだが、本当はとても不思議な映像を見ているはずなのに、それがだんだん不思議でも何でもなくなってしまう。
多分、不思議な部分が隠されたときの人間の本性にもとづく視覚効果(見えない部分は頭の中で合理化して見てしまう)によるものだと思うが、はじめから終わりまでごく普通のものを見ているような気がしてきてしまうのである。
next: 何をいっているのかというと…
http://web.archive.org/web/20051211134330/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/index1.html
何をいっているのかというと、たとえば、番組のはじめのほうに出てくるサリバンさんという腕を失った電気工が、肩につけたロボットアームで、飲料水のビンをふりまわす場面がある。
ロボットアームがあまりに精巧にできているため、自然のなんでもない腕がビンをふっているように見えてしまうのである。腕が完全に切断された傷口の部分があからさまに見えていればそうは思わないだろうが、そこは服でおおわれて見えない。そして、ロボットアームにも服がかぶされてしまうと、手でにぎられた飲料水のボトルがふりまわされるのを見ただけでは、どうしてもその向こう側に、普通の腕があるような気がしてきてしまうのである。
サリバンさんが、「自分の腕の使い心地」というか、「頭の中の認識」を問われて、「頭の中には、自分の腕がそこにあるのです。頭の中でそれが見えているのです。あなたが自分の手を開くときと同じように、私も自分の頭の中で自分の手を開くとロボットアームの手が開くのです」と答える場面がある。
これは、東大工学部の横井浩史助教授の研究室で作られた5本の指が全部動く世にも精巧なロボットハンドをつけることになった、手を事故で失った患者の笠井ヒロ子さんが、そのハンドを自宅にもち帰り、しばらく使っているうちに生じた感覚、「自分の手がそこにある」という感覚とそっくりである。
使い慣れるに従って、機械の手が頭の中で自分の手と同化していってしまったのだと思う。
脳が持っている適応能力の驚くべき大きさ
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番組でMRI(磁気共鳴画像)で示されたような、笠井さんの脳の中で生じた変化――すなわち、はじめの頃は頭をフル回転させないと使いこなせなかったのに、使い慣れるに従って、かつて(自分の腕があったころ)自分の生身の手を使うときに活性化させていた脳の運動野のごく小さな部分と同じ部分を活性化させるだけで、機械の手を使いこなすようになった――が、サリバンさんの頭の中でも生じていたのだと考えられる。
そして、同じような変化が、それを何度も見ている我々の頭の中にも生じたのではないだろうか。
サリバンさんの腕を一見すると、それは「そんなことありえない」といいたくなるほど不思議な光景であって、それこそを頭をフル回転させて見ることになるが、やがて、何度も見ているうちに、だんだん不思議でも何でもなくなってしまったのである。
next: 今回取材した脳の研究者すべてが…
http://web.archive.org/web/20051211142044/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/index2.html
今回取材した脳の研究者すべてがいっていたことは我々の脳が持っている適応能力の驚くべき大きさである。
ちょっと慣れてくると、本来不思議なはずのものも、不思議でないものとして受け入れてしまうというこの能力も、人間の偉大な適応能力の一つであるにちがいない。
番組の中で示したことだが、人工内耳で使われる電極がたった22しかない。それに対して人間の普通の内耳には、同じ機能(音波⇒電気信号の変換)を表すための有毛細胞が一万数千ある。たった22しかなくても訓練をつづけるうちに、いつのまにかそれで普通に聞こえるようになり、外国語の学習やバイオリンの学習すらできるようになるのも、脳の適応能力の大きさである。少ない電極をつけて、あとは脳の適応能力に頼ってしまうという戦略がこの場合は功を奏するのである。
人工内耳が開発された当初、たったそれっぽっちの電極では、ノイズのようなものしか聞こえないだろうとされていたが、そうではなかったのである。理論的には悲観論(そんなものでは何も聞こえるはずがない)のほうが正しそうだったのに、脳がその潜在能力を発揮させると、できっこないと思われていたことがどんどん可能になったのである。
超能力のサイコキネシス(念力)のような現象
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この番組には、不思議な映像が沢山あるが、やはり何といっても不思議なのは、手で何か操作しなくても、頭で考えただけで外部機器が動いてしまうという場面だろう。
リアルタイムの操縦は何もなされず、何か精緻なコンピュータプログラムが入った自動操縦装置のようなものがあって、そのスイッチを入れたというわけでもない。ただ本人が考えただけで、外部機器が動いてしまうのである。これはまるでいわゆる超能力のサイコキネシス(念力)みたいな現象なのではないかとさえ思えてくる。
しかし、よくよく考えると、それは不思議でも何でもないともいえる。
我々が自分の腕、自分の手を動かしたいと思うとき、どうしているだろうか。何か意識して操作するだろうか。そのような動きに関係しているはずの、自分の手や腕の無数の筋肉に何か意識して命令を発するだろうか。
何もしないのである。ただこうしたいと思えば、手足はちゃんとその通り動くのである。
next: これはよくよく考えると…
http://web.archive.org/web/20051211142111/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/index3.html
これはよくよく考えると不思議なことだ。自分の手や足を一種の外部機器と見なせば、我々は日常不断にただこうしたいと考えるだけで、外部機器を動かしていることになるではないか。
自分の手足は外部機器ではなくて、内部機器だという反対意見もあろう。
それはその通りである。だが外部機器と内部機器のちがいはどこにあるのか。
人間に有用な技術は生物世界の模倣から生まれる
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まず駆動装置が内部にあるということだろう。手足の駆動装置、すなわち筋肉である。次に駆動装置に指令を送る信号系が内部にあるということだろう。
信号系、すなわち神経である。神経を走る電気パルスが、人体の内部装置を動かしている。
それなら、その信号系を走る信号を盗み取って、それを外部の駆動装置(筋肉に代わって動きを生みだしてくれるモーター等)に送り込めば、生体信号で外部機器を動かせるのではないか。
こういう発想が生まれたことが、いま爆発的に進歩しはじめた神経工学(ニューロエンジニアリング)のはじまりなのである。
この発想のもとにあるのは、バイオミメティックスの思想である。
人間に有用な技術は、生物世界のシステムを模倣するところから生まれてくるにちがいないという考えである。空飛ぶ鳥を模倣して飛行機を作り、水中を泳ぐ魚を模倣して、船や潜水艦を作ったように、人間の文明の産物の多くは、自然界の生物の営みや機能を模倣するところから生まれた。
この神経工学の技術は、模倣の対象が、ついに、生物の脳神経系まできたということである。別のいい方をするなら、模倣の対象が人間まできたということである。
模倣の対象が人間ということで、誰でも思い出すのはヒト型ロボットのことだろうが、ヒト型ロボットは、まだ自動機械の延長上にしかなく、まだまだとても人間の模倣というレベルには近づくことさえできない。
ロボットがぶつかっている、どうしようもなく大きな壁はそこにある。人間の脳を模して作ったはずの人工知能が、人間の脳にくらべてあまりに低いレベルにあり、その辺の虫の脳にさえまだ遠く及ばないので、ヒト型ロボットはまだ将来展望を語るレベルに達していない。
next: サイボーグ技術は人間を…
http://web.archive.org/web/20051126164836/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051104_cyborg/index4.html
サイボーグ技術は人間を中心とする技術
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それに対して、サイボーグ技術は、人間を模倣するというような野望は持たない。
それはあくまで、人間を中心とする技術なのである。人間を機械系で助けようとする技術である。
人間の神経系を模倣するといっても、それが模倣しようとしているのは、あくまで脳が身体各部を動かしていく、抹消神経系の機能(身体脳)であり、脳の中枢部分、すなわち人格が宿る人格脳の部分ではないのである。
私はこの番組のエンディングの部分で、脳をどこまで医学工学的応用研究の対象にしていいかについて語った。
これまで一般には、基礎的脳研究から得られた知見を、技術応用の対象にするなどというと、それは人格の中枢である脳に対する冒涜であるときまって息巻く人がいるものだが、私はこう考えている。脳には「人格脳」の部分と「身体脳」の部分と、明確にちがう二つの部分がある。人格脳にメスを入れることは通常許されるべきではないが、身体脳に対しては、医工学技術の対象にしてさしつかえない。
この番組作りに参加したことで、脳とは何か、人間とは何かといったことをさんざん考えさせられたが、そのあたり、これからも折りにふれて述べていきたいと思っている。
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立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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