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(回答先: 第54回 「脳とは何か」を解き明かすサイボーグ研究最前線 (2005/11/04) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 22:49:00)
第55回 うつ病治療にも道を開くサイボーグ技術の是非を問う (2005/11/07)
http://web.archive.org/web/20051211134550/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051107_utsubyo/
2005年11月7日
先週土曜日に放送されたNHKスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」のエンディングの言葉が、前回書いたことと若干ちがっていることについて説明しておく。
前回、エンディングで、人間の脳には、大きくわけて「身体脳」と「人格脳」ともいうべき相異なる機能を受け持つ部分があり、そのどちらかによって、脳の取り扱い方、脳とは何かを考えるときの基本的考え方がちがってくるはずだと述べた。
人格脳の部分は、故障を起こしたからといって、簡単にそこにメスを入れて除去する、あるいは手を加えて改変してしまうなどということは許されるはずもあるまいが、こと身体脳に対しては、そういうことをしても許されると述べた。
「人格脳」と「身体脳」を区分した仮説で脳について考える
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実際の番組では、この「人格脳」と「身体脳」を区別することの上に、脳に対して何をすることが許されて、何をすることは許されないのかという評論を展開しようとした部分が削られていた。
実際には、あのエンディングの撮影は、2時間くらいかけて、6つくらいのちがうヴァージョンを作った。だんだん内容的によくなって、時間的にはちょっと長いけど、これできまりにするかということになった最終ヴァージョンが、前回書いたような、脳の問題を考えるときは、まず「人格脳」と「身体脳」を区別して考えるところからはじめるべきだという内容を含んだヴァージョンだった。
そのあと、最終的な編集はNHKにまかせ、私のほうは、学生たちといっしょに作りはじめていたあの番組に関係するリンク集に熱中していたので、最後の編集過程を知らないまま、前回の文章を書いてしまったのである。
あとから、スタッフに聞いてみると、最後にあのカットを一部削った主たる理由は、あのカットの時間が長すぎて入りきらなかったことにある。そして、もう一つの理由は、「人格脳」と「身体脳」という表現があまり一般的でなく、その内容が厳密に確定できていないので、視聴者に無用の混乱をまねくおそれがあることを心配したのだという。
なるほどいわれてみればその通りかもしれない。「人格脳」、「身体脳」という表現は、あのときあの場で私がとっさに思いついた表現だから、一般的でないといわれれば、その通りである。
そして、その境界も明確でないといわれればその通りである。
しかし、脳に対して、何をすることが許されて何をすることが許されないかの判定基準を議論をするときに、この概念は、作業仮説として、わかりやすく、かつ有用であると私は今でも思っているので、これからも積極的に使っていこうと思っている。
next: 脳への刺激療法と倫理的問題性…
http://web.archive.org/web/20051211134550/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051107_utsubyo/index1.html
脳への刺激療法と倫理的問題性
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そこでもう少し、この概念の内容をここで確定しておこう。
まず、定義を試みるなら、「人格脳」とは、その脳の働きが人格の形成と直結する故に、脳のその部分に手を加える(破壊してしまう)と、その人の人格を改変(破壊)することになってしまう部分である。
「身体脳」とは、その働きが、もっぱら身体各部の機能維持にかかわる部分で、そこが改変(破壊)されると、身体的支障は引き起こすが、それが直ちに人格の改変(破壊)にはつながらない部分である。
別のいい方をするなら、「人格脳」とは、それが「人格」のコンテンツそのものであるような部分で、「身体脳」のほうは、それが人格というコンテンツを入れる容器のような部分といってもいい。
もちろん、容器を完全破壊してしまったりしたら、中のコンテンツも流れだしてしまうだろうが、少々こわれたり、穴が開いたりしても、コンテンツが流れださないうちに修理すれば、中におさめられた「人格」も破壊されないですむ=すなわち人格のアイデンティティ(同一性)を保つことができる、という風に考えればいいだろう。
「人格」のアイデンティティが保たれる限りにおいては、脳の「身体部分」に手を加えても問題はないし、何らかの生理的障害がそこから発生していることが明らかな場合は、むしろ積極的にそこに手を加えることによって、少しでも「人格」の健全性を保つという方向の努力をすべきだと思う。
視床下核など大脳基底核と呼ばれる部位が発する異常信号によって、肉体に異常なふるえ、硬直状態、ねじれなどがもたらされるのがパーキンソン病、ディストニアなどの病気だが、それが、脳深部刺激法によって病的症状が著しく軽減されることがわかっている(健康保険まで適用されることになっている)以上、そこに、その医療に対する倫理的問題性は何も発生しないと私は考えている。
next: 脳への刺激療法と倫理的問題性…
http://web.archive.org/web/20051211142416/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051107_utsubyo/index2.html
うつ病治療にも道を開く「身体脳」という考え方
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問題があるとしたら、うつ病の治療に脳深部刺激法を用いることの是非だろう。
うつ病というのは、精神科疾患の中でもむずかしい病気で、病気の原因もよくわからないから、根治をはかる方法もない。ただ、いくつかの向精神薬がうつ病の症状をやわらげることがわかっているので、今はもっぱら、薬物療法が行われているというのが現状である。
ただ、重症のうつ病の場合、どのような薬物によっても症状の改善がみられないという例があり、そのような重篤な患者にかぎって、番組で紹介されたロザーノ医師の脳深部刺激法のような実験的治療に対する許可が出されている。
ロザーノ医師のいう悲しみの中枢であるCg25(脳の中の「帯状膝下野」)に対する電気刺激法は、11人の重症のうつ病患者のうちの8人に著しい症状改善効果があったが、3人にはほとんどきかなかったという。
この実験結果が示していることは何なのかというと、一つはうつ病にはいろんな種類があるから、タイプによって効く療法と効かない療法があるということだろう。そして、あるタイプの重症患者に対しては、たしかにこの療法がかなり効くらしいというにとどまるだろう。11人のうち8人に効いたのだから、相当の確率で効いたともいえるが、まだこれぞ決定版治療法というところまではいっていないというところだろう。
ロザーノ医師の主張で、脳の中に悲しみの中枢みたいな場所があって、そこが、異常な暴走状態に入ると、うつ病になるという考え方は、精神性疾患の病因論として非常に面白い考え方だと思う。つまりそれは、病因論として、パーキンソン病やディストニアと同じような考え方をするということである(脳のその部位がノーマルに機能していれば何も問題が起きないのに、暴走をはじめると、全身の働きに狂いを起こす)。
この考えが正しいとすると(多分正しいのではないかと私は思っているが)ある種の精神科の病は、これまで「人格脳」の狂いと考えられてきたが、実はそれは「身体脳」の狂いだったと考えられるということになるわけで、そうであれば、脳深部刺激法を用いる事に倫理上の問題はないということになる。
ただ本当にそういえるのかどうかは、もう少し症例が積み重ねられてみないと何ともいえないというところだろう。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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