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(回答先: それぞれの民族は、お互い、住むべき場所に分かれて住んでいた方が、平和だと思う。 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 10 月 04 日 17:46:16)
明治維新の前は日本も大名が統一していた小さな国々(領土)でした。そこにはたと
えば大阪に行くのにも多くの関所、現代流にいえばパスポートが必要でした。やがて
日本はひとつに統一され人々は自由に北海道でも沖縄でも行き来することができます。
グローバルということは人々がパスポートもなく自由に行き来することができるとい
うことです。そこには民族感情、民族意識もないただ人間であるという意識があるだ
けです。
現代という時代はまだ人間が未発達の段階だといえます。
逆に中国を危険視することは日本の軍国主義の復活に手を貸すことになるのではない
でしょうか。
私の見るところでは旧共産圏社会は決して完全なる資本主義社会にはならないという
ことです。そこには人間を追及していくと人間が持つ本来の自由平等の社会に行き着
きます。それは現在の資本主義社会ではないということです。
原始の時代に偶然から生み出した貨幣、使い方も解らないまま不完全な自由平等と
いう考え方で使ってきたことが、現在人々が苦しんでいる金融危機という名の貨幣に
よる報復を受けている姿だと見ることができます。使い方を誤ってきたことが原因です。
ただ民族主義は一部の人間を利するだけです。