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セイサンセイノイミヲカンチガイ
まさに1億人の勘違い。
われわれは、経営側から搾取されている理由をはぐらかされている。
政治家や経営者は、フランスを見習え。
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/043c7fee4d63a13a50666d74d0ec5d33
生産性向上に背を向けられるワケ
終日営業で労働効率3割低下=小売りが産業全体の生産性抑制−労経白書(時事通信)
厚生労働省が22日公表した2008年版「労働経済の分析(労働経済白書)」によると、終日営業は、通常時間帯の営業に比べ労働効率が3割も低下することが分かった。スーパーなど小売業が営業時間の延長を進めたことが、日本の産業全体の労働生産性に影響しているという。同省は、労働力が限られる少子化社会に対応するため、「さらなる生産性向上に取り組む必要がある」と指摘している。
生産性が低下している、という話です。その原因は営業時間の延長にあるとの分析ですが、それはそうでしょうね。営業時間を延ばせば延ばすほど1時間当りの利益は減少するわけで、客足の少ない時間帯まで営業を続けていれば、こうなるのも当然です。社会通念上は「生産性の低さは克服しなければならない」と考えられており、厚労省も「さらなる生産性向上に取り組む必要がある」と指摘するわけですが、しかるに世の中は逆行しています。
長時間営業が生産性の向上を阻害しているわけですが、ではその長時間労働の現場が生産性向上に反対でもしているのでしょうか。さすがに表立って「生産性をもっと低下させるべきだ」と主張している経営陣は見たことがありません。とは言え、現に生産性の低下に繋がる営業形態が推し進められてもいるのです。この齟齬は何なのでしょうか?
結局のところ、目指しているもの、理想としているものに食い違いがあるようです。つまり厚労省や御用評論家の類は、理念上の「良いとされていること」を説きます。一方でより現場に近い経営者層は、自社の状況を見て「思いついたこと」を実行させます。その結果として両者の指し示す方向は正反対、方や生産性の向上を語り、方や生産性の低下へと突き進むわけです。
生産性は高くあるべき、との主張は説明不要でしょう。そりゃ、生産性が低いよりは高い方が好ましい、ごく単純に生産性だけを勘案してみるなら、その向上に反対する必然性はありません。その一方で労働現場では生産性の向上に逆行している、この理由は何でしょうか? 機械的な生産性の向上を追求することが人間性を損ねるから?なーんて、とってつけたような理由がそこにあろうはずもありません。理由はもっと別のところにあります。
生産性が高い=効率的であるとはどういうことでしょうか? より小さな時間的、金銭的コストでより高い利益を上げることでしょうか。そのために最適な人の使い方を考えるのが「無駄を省く」ことでもあります。しかるに、それが実践できるのは全体を見通す長期的なビジョンがあってこそです。そして経営者にそんな広い視野など期待できるはずもありません。往々にしてもっと近視眼的な、その場その場の「無駄」に目くじらを立てること、この繰り返しが労働現場なのです。
例えば目の前の社員が余力を残しているとしたらどうでしょうか。彼を今以上に働かせることは可能であり、彼の労働力を限界まで使い尽くすことが「ムダゼロ」に繋がると、そう考える人は経営者ならずとも多いと思います(実際に労働現場で行われていることもそうです)。ところが、全社単位、中長期的なスパンで見れば社員に余力を残しておくことがトータルで見ればプラスであり、効率的な経営に繋がるケースもあるのではないでしょうか? しかるに、そんな可能性は考慮しない、あくまで近視眼的に目の前のムダを叩いていくのが日本的経営です。
床にこぼれた水をバケツに移すとしましょう。タオルで水を拭き取って、バケツの上で絞ります。ここでタオルを限界まで絞ろうと足掻き続けているとしたらどうでしょうか? そんなことをするよりも、さっと絞ったらまた床を拭いた方が効率的です。しかし、「まだ絞れるのではないか、余力があるのではないか」と、そう考えてしまうのが近視眼的な経営です。まだ絞れそうなタオルに見切りをつけてしまうことをムダと感じ、限界まで絞り尽くそうと粉骨砕身する、それをカイゼンと呼んでいるのが日本式なのです。
あくまで近視眼的に、労働力を余すところなく使い尽くすことを営業努力と信じてきた結果として、長時間労働の横行、長時間労働のライフスタイルに合わせた小売店の長時間営業があるわけです(決してそれだけが原因ではありませんが)。厚労省や御用学者も、「生産性の向上」というお題目を唱えるばかりではなく、こうした日本の現場感覚を考慮に入れた上で実践的な対策を考えていかねば、本物の効率化はいつまでも夢の中です。