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(回答先: 量子力学と物象化プロセス シュレーディンガーの線形劇場を通して 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 27 日 16:55:00)
小生には、本旨はまったく理解不可ですが、シュレディンガーの猫について一言させていただきます。
シュレディンガーが猫のたとえ話を持ち出したのは、波動方程式を解釈すると、生きた猫と死んだ猫を重ね合わせた奇妙な状態になるということを指摘したかったのであって、量子力学の深遠性を喧伝するためではなかったといいます(ことの良し悪しは別にして)。
こんな量子力学に嫌気がさして、以降この分野から退いたということを竹内薫氏が著作のなかで言っています(今ここに引用できないのは残念ですが)。
代わりに町田氏の著作から下に引用しておきます。自然の本質は「複素数」でなければ表せない、と言い切っているのがショッキングです。また、量子力学のさらなる展開も示唆しています。
思うに、宇宙の森羅万象をゴビの砂漠にたとえれば、人類が手にした科学的知見というのは、指先に掬い取った数粒の砂粒ぐらいの量でしかないのではないかと思います。(その意味では、これまで手にした科学的知見をもとに、予断のある(思い上がった)議論はできないということになります)。
「量子力学の反乱〜自然は実在するか?」町田茂/学研‘95年 第13章から
「量子力学が与える自然像は…「現存在と現象」の背後にはそれを統一している「本質」があるが、それは複素数を使わなければ表現できないようなものであり、…古典物理学的に「物質」とは「実在」を定義すれば、そういうものは存在しないことになる!
われわれは、測定によって現存在と現象をとらえ、その内容は日常言語あるいは古典物理学の言語で表現される。ところが測定と測定の間は波動関数でなければ表されず、それを日常言語で表すと誤りに陥る」。
「物質がなければ運動はなく、また運動しない物質というのはないのだから、重要なのは「本質」の運動−すなわち波動関数の時間的変化−を生じさせているものは何か、そして物質の一般的性質はそこにどのように現れるのか、ということである。…古典物理学の言葉で言えば、「物質とは力を及ぼし、また力を生じるものである」ということである」。
「古典物理学の背後に量子力学が存在したように、量子力学の先にもそれを超える領域が果たしてあるのだろうか? その答えはわからない…が、筆者はおそらくあると考えている。…(現在)量子力学の成立を疑わせるような兆候が何も見つかっていないことから、100年を単位とする期間の後かと思われる」。
(自然)科学とはいちばん新しい仮説の集まりにすぎない/竹内薫
http://www.asyura2.com/07/nature2/msg/578.html
投稿者 短足鰐 日時 2008 年 3 月 07 日 20:43:08: 1dEIvwQCPSw5M