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(回答先: 常連の欺瞞 投稿者 あっくん 日時 2007 年 12 月 25 日 10:14:14)
はじめましてこんにちは。
こちらの常連さんは、昔からこうですよ。
他の多くの投稿者がこのような状況に呆れて離れていかれました。
そも、世界の予測不可能な部分をそのまま受け入れて理解する事
が出来ない、想像力が不足している人々が「陰謀論」にはまるので
はないでしょうか。
絶望的なランダムさから生まれ出る事象が理解できず、全ての事
象に「行為する/した」主体が存在すると仮定しなければ理解できな
いのでしょう。
ここに集まる多くに人々は、パラノイアックに「行為する/した」
主体を想定しているでしょう。
何故ならそのように想定しなければ「陰謀論」自体が成り立たない
からです。
その傍証として、こちらの論客の中にはやたらに社会を設計しよう
とする方も見られます。
多種多様な人間の集合体である社会を設計しようというのですよ。
こんな馬鹿な話はありませんし、社会を設計し得た事例はこれまでに
ありません(必ず不安定で絶望的なランダムさを伴います)。
「社会を設計する」事自体が、設計するという行為をする主体を必要
とします。
このように、この場には「行為する/した」主体を想定しなければ
いけないという症候を持つ人々が集まっています。
(「神」を想定することと似たようなものです)
さて、彼らは「行為する/した」主体を通してしか世界を記述できない
わけですから、当然自らの周囲に起こる事にも主体を必要とします。
つまり「自分は今不快である」という事一つとっても、「不快な事」
を引き起こした主体を必要とします。
そして同時に「快」という感情にも基本的に主体を必要とします。
「不快な事には、不快な他者がいる」
「快の事には、快な他者がいる」
という図式は、しばしば転倒し(誰にでも身に覚えがありますよね?)
「不快な他者がいるから不快な事が起こる」
「快を齎す他者がいるから快な事が起こる」
という事になります。
つまり自分を取り巻く世界の出来事が、低次の「二元論」に落とし込
まれるわけです。
こういった低次元の「二元論」的な世界解釈は古今に例が溢れる物
ですが、つまりあっくんさんの仰る「仲良しクラブ」は、そういった
低次元の二元論で世界を捉える病人の集まりでしかありません。
そのような考えを基本に持っている人物は、それ以外の事を考えられ
ないわけですから、何を言っても話は噛み合いません。
(ちょうど狂信的なカルト信者に道理を説いても理解できないのと同じです)
>社会で上手くいかないからか
>ある共同体に固執したがるのもわからないこともありません。
きっと逆だと思いますよ。
ある共同体に固執したがるからこそ、排除の論理が働くのでしょう。
その結果敵が増えて上手くいかなくなるのでしょう(笑)
>9・11のことにしろ、新たな<物語>をつくって
「大きな物語の凋落」というやつですね。
何故そうなるのか、追求すると案外面白いですよ。
>「真実を探す」
これが面白いのです。
「真実」とか「真理」とか言い出す人というのは、自らの想像力の欠如
と理解力の無さを何かで埋めようとしているに過ぎません。
その何かを、格好よく「真実」などと称しているに過ぎません。
ですから、基本的にそれが見つかったとしてもその人の想像力と知能
に合わさったもの、つまりその人の腑に落ちるものでしかないのです。
>常連が目を覚ますことに期待しても仕方ないですよね。
無論です。
ここで無意味にやり取りをしている人(私もそうですね(笑))を
観察対象にして、[何故人間は〜]と問いを立てて追求するほうが
ずっと有意義でしょう。
とはいえ、貴方は何も知らないように見せかけながら観察し、嘲笑して
いるのではないですか。私にはそう見えます。私もそうですから(笑)