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(回答先: おっしゃることにはおおむね同意できます。 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 12 月 25 日 23:51:58)
ダイナモさん、はじめまして。
新参者ではありますが、アク禁覚悟で実も蓋もないことを申し上げております。
というのも再帰性を確保しなければ、対話というものは発展しないと心得ておりますのでご容赦いただければと思います。
> しかし、いくら探求しても「傍証」しか出てこず、
>誰もが納得する明白な根拠を提示することができません。
その通りなのですが、「そういう人」にとってみればそれこそが「事実」なのです。
(故に懐疑的な立場をとると対話が成立しないのです)
これは専ら「信仰」なのであって、対話する事は限りなく不可能に近いのです。
(ここでこんな事を申し上げるのは教会で無神論を唱えるようなものですね)
そこで、敢えて申し上げますが、「そういう人」にとっての「事実」と、「そうでない人」にとっての(つまりダイナモさんが仰る「周知の事実」)に差はあると御思いでしょうか。
私から申し上げればそれらは「等価」です。
何故なら、「事実」に対して全ての認識は「解釈」でしかないからです。
各々の「解釈」が、言語的、象徴的、概念的な了解を得る事ができれば、「周知の事実」なのであり、そうでなければ「陰謀論」或いは「異端」「キ印」となるでしょう。
その違いでしか有り得ないと思うのですがいかがでしょうか。
その中で、崩壊しつつある近代的観念に未練のある方のおおくが「陰謀論」に流れるのでしょう。
つまり、社会的事象は国家や権力、或いは科学技術によってコントロール可能であるという「神話」が健在であった頃の、安心できる大枠によってしか思考できない人々にとってはそれに替わる「行為主体」がなければ不安で仕方が無いはずなのです。
そこで「陰謀論における主体」が登場するという寸法です。ネオコンとか秘密結社とかそんな主体ですね。
「そういう人」はそうでないと解釈できませんし、「そうでない人」は「周知の事実≒多くの了解を得られる複数の根拠」がなければ解釈できません。
林檎が地球に落ちたのか、地球が林檎に落ちたのか。天動説が正しいのか地動説が正しいのか。いずれも解釈でしかありません。
横糸と縦糸を解きほぐそうとしたところで、認識されていない横糸と縦糸もあり、またそれらに対して解釈のみ行えるという状態で、実も蓋もない言い方ですが「事実」もへったくれもないように思います。
「解釈」の世界しか認識できないでしょう。
丁度いいところにワヤクチャ氏(事例の提供に感謝します)が
http://www.asyura2.com/07/idletalk28/msg/327.html
このようにレスをつけてくれています。
このレスは、結局のところ全ての言葉が自分に向いているというパラノイアックな妄想、つまり“自らに閉じた「解釈」”ですね、これによる対話の不可能性を見事に顕しています。
これこそ、人間が(氏のみならず、私もまた)自ら解釈した世界の外には出る事が出来ない、本当の意味での対話が不可能であるという良い例です。
念のため申し上げますが、これは氏個人に対する批判ではなく、人間に対する反省です。
また「傍証」ですが、社会を構築しようと躍起になって論を展開する事、それ自体もまた、閉じた解釈への操作に他なりません。
世界の混沌は“もっと”理解不能です。
>困難な道を進むことが誤りのない事実に到達する道だと思います。
お叱りを覚悟で申し上げますが、到達は無理でしょう。
そんな事より、より刺激的でより高度な「解釈」を編み出す喜びと、刺激のしあいを楽しんだほうがお得だと思うのですが、いかがですか?
追伸
レスはされないと仰っておられるので、あっくん氏へこの場を借りて一言申し上げます。
http://www.asyura2.com/07/idletalk28/msg/319.html
ここにて
>関係はとっくに破綻してるでしょ。
と仰っておられますが、最初から“常に/すでに”破綻していますので、そこだけ指摘させていただきます。