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(回答先: そんな犯罪の事例を勝手に想像して「これなら死刑でしょう。」と言う事に何の意味がありますか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 12 月 02 日 22:45:20)
>ワヤクチャさん どうもです。
どうも、ワヤクチャさんは「議論」という物が分かっていません。
死刑廃止については「死刑になる可能性のある犯罪が起こり得るか?」が焦点であり、過去の判例が妥当か?という命題ではありません。
それくらいの「当たり前」も理解できないのでしょうか?
>【>そんな犯罪の事例を勝手に想像して「これなら死刑でしょう。」と言う事に何の意味がありますか?】
逆でしょう。「死刑に値する犯罪が今後、起こり得るか?」の想像力の方が「意味がある」のでしょう。
良いですか?
議題は「死刑廃止」についてであり、例えば「オームの麻原教祖の死刑は妥当か?」でも「大久保清の死刑は妥当だったか?」ではないのです。
議題をすり替え【現実に起こった犯罪で「これなら死刑が妥当」という例を挙げて見て下さい。その根拠を聞いていきますから。】とか勝手な事を主張しないで下さい。
>【「死刑が必要」だと言う以上はそれぐらいの責任は取って下さい。でなければあまりにも無責任です。】
ここも逆です。
現行法を変更すべきという主張をされているのが「死刑廃止論者」のほうですから、なぜ、それが必要か?の論証義務は「死刑廃止論者」に発生します。
>【何故犯人が私を殺したのか犯人を生かして徹底的に調べて欲しいと思います。その調査の意義はメシを食わせるコスト以上のものです。】
ここは、ワヤクチャさんの私感であり、全く説得力なしです。
未成年犯罪が「凶悪化した」一つの理由に「未成年の内は死刑にはならないから」というものがあります。
「死刑廃止論者」の「自己満足的な妄想」によって「死刑が廃止され」それによって犯罪の凶悪化が「一面的にでも起こる」可能性があるなら、それは「愚策」でしょう。
ここまで書く気はなかったのですが、Kの持つ「隠し球的考察」も書いておきましょう。
Kに言わせれば「死刑廃止論者」というのは「綺麗事を述べるだけの評論家」という最低の存在です。
仮に殺人事件があり、ある人(A)の「妻と子供が殺害された」としましょう。
その裁判において「7人の陪審員がいて、7人とも死刑廃止論者だった」とします。
当然ながら、「死刑にはならない」でしょう。
怒り狂った、ある人(A)は、その7人の陪審員の「配偶者」「子供」という掛け替えのない者達を「殺しまくった」とします。
ある人(A)は逮捕され「検察の求刑は死刑」の裁判になったとします。
果たして、7人の陪審員は「それでも、ある人(A)の死刑に反対する」でしょうか?
Kは何人かは死刑を支持すると思います。
自らの「愛する者」を殺されたらという「自分の立場に置き換えるという想像もしないで死刑廃止を訴えるのは、自己満足の綺麗事であり、最低の偽善」です。
良く「他の国では死刑が廃止されているので、死刑の廃止されていない日本は野蛮な国と言えます。」とかの事をしたり顔で言う「大馬鹿野郎」がいるが、このようなバカの「愛しき者を殺しても、同じ事を言い続けるのか?」を試してやりたいという誘惑にかられる者もいるだろう。
どこかのバカな「国」が「死刑を廃止した」から「バカに追従する」などという「意見」こそバカのドミノ倒しだろうと思う。