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(回答先: 少しは相手の質問に答えようとしなさい。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 12 月 09 日 22:15:48)
犯罪の分析については遅々として進んでいないように思います。何故か?裁いたらそれで一件落着で犯罪に至る経過の分析に取り組んでいないからでしょう。つまり裁いたらもうその事件は無かったのごとく扱われているという事です。こんな事で犯罪が無い社会を作れるハズもありません。司法は犯罪を処理しているだけであり犯罪の分析はほとんど手付かずでしょう。犯罪を犯人個人だけの責任にして社会的な問題を分析させないようにしているのが現在の司法でしょう。犯罪の1つ1つの事例について公開した上で分析をやっていく必要があると思います。議論百出でしょう。その議論の中で現在の社会の支配的イデオロギーが明らかになるでしょう。やっていきましょう。死刑にする事なく。当然、被害者家族からの「即刻死刑にしてくれ!」というような意見も出されるでしょう。しかし、被害者家族の意向だけで犯人の処遇を決めるのか?という問題提起がなされるでしょう。こうして個々の犯罪に対して社会が向き合うというシステムを構築していくのです。犯罪は被害者と犯人だけの問題ではなく「この社会で発生した問題」として全ての人が関わる中で適正に分析・処理されるという風になっていくでしょう。このような社会的な取り組みが犯罪を減少させると私は思います。私の思考は犯罪撲滅に向けられており、Kさんの思考は犯罪を処理する事に向けられています。目的が違うのだから中々話が噛み合わないと思っております。死刑があれば犯行を躊躇するが死刑がなければ躊躇しないという心理を実際の犯行時にどのぐらいの確率で持つものであるかについては調査が必要だと思っております。犯行時に「このぐらいの事なら死刑にはならないだろう。」と考えて犯行に及んだという人がどれだけいたのかという事が一つの参考になるでしょう。死刑の犯罪防止効果を調べましょう。もう1つの論点は「死刑になるかも知れないからやめておこう。」という事は「死刑にならなければやろう。」という事の裏表でありそのような気持ちは生じている事が既に問題ではないか?という事です。一般に刑罰による犯罪抑止効果を期待する思想は犯罪の発生原因の分析から目をそらし抑制さえできればいいという思想でしょう。解熱剤で熱が無くなったから病気が治ったと考える思想と同じように対症療法に過ぎず犯罪社会の根本問題から目をそらすという思想的誤りです。「とりあえずこれでいいだろう。」という現状肯定の「いい加減な」思想です。暴力団の抗争で死刑にしたりしておりますが、暴力団なら生かしておいて洗いざらい吐き出させて取り締まりの手段にすべきでしょう。さっさと死刑にするのは逆に暴力団中枢にとっては好都合でしょう。つまり司法が暴力団に協力して死刑にしているのです。こういう事も考えなければなりません。