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(回答先: Re: まあ、でもこれは頭の良し悪しにも多いに左右されますね。 投稿者 日 日時 2007 年 9 月 06 日 00:08:42)
真理を追求するという事はどういう事か?
という疑問が私の頭の中にはあります。
自分が未だ獲得できていない真理なものを「ある」と前提して思考するとはどういう事なのか?と。
ある説に不都合な事実が出てきた時にその説の信憑性は大きく損なわれます。
こういう様々な説に対する不都合な事実をあげつらう行為は真理への階段だと思います。
我々にできる事は「限りなく真理に近づく」事であり「真理そのものの獲得」ではないと思われます。
あくまで主観という事です。
WTCの崩壊がいかなるものであるかは真理の一角を形作るものでしょう。
WTCが何によって破壊されたか?をめぐる議論は疑いも無く真理追求の為に必要不可欠でしょう。
ところがこの議論を詳細に渡って見ようとしない自分がいます。
見ようとしないのは何故なのか?
小型水爆によって爆破されたかどうかを考えようとしない自分がいます。
何故なのか?
その事がさほど重要でないと思っているからか?
だとすればそれは何故なのか?
言い換えれば「真理を追求しようとしない自分がいる。」って事です。
これが何故なのかを今考えている所です。