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(回答先: 絶対的真理と相対的真理 投稿者 如往 日時 2007 年 9 月 08 日 00:46:33)
>日さんには割り込みをお詫びいたします。
歓迎いたします。こちらもそれに関してはワヤクチャさんに多少の説明責任が生じていますので、ここでの割り込み返答をさせていただきます。
「真理と真実(の混同)」に対する「絶対的真理と相対的真理」ですね。
前者は異なる概念を区別したもので、後者は同じ概念内の範疇を区別したものだと捉えます。
その理由
@事実とは→事物の存在・現象・事象それ自体のことを言い→WTC・その崩壊・その報道・必ずいなくてはならない犯罪実行者(未解明)の事となり
Aその虚実の判定をします→つまり、その報道・情報の背景、疑惑の分析であり→その行為の動機・その犯罪者・組織の解明作業がそれです。そうしてはじめて
B真実が浮かび上がる→Aの特定とその証明
しかし、それがたとえ判ったとしても、この世の悲惨は無くなるのでしょうか?
過ちや戦争を、謀略を繰り返させない力を持てるのでしょうか?
残念ながら、民衆に真実を伝えてもその力とはならないと認識すべきでしょう。
何故なら被支配側人類の中も、既に0.1対99.9の比率以上の二極化の中にあると思われるからです。
C真理とは→真実を成り立たせている「ことわり」のことです。
無数の事象に対する真実や真理(ことわり)も無数なのですが、その事象ひとつずつで結論付けられる「真実」に対し、「真理」は全てに共通・関連した唯一の真理へと導く事が可能であり、故にこそ「ことわり」なのではないでしょうか。
その意味でそれは「絶対」であり、それが真理という言葉の重みでもあります。
つまりそれは「絶対」という意味を含むが故に「真理」であり、「絶対的・相対的」という連語で意味を重複させたり、あるいはその範疇を分ける言葉では無い、それは上記の通り、概念が違うと思うのであります。