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(回答先: Re: 絶対的真理と相対的真理 投稿者 日 日時 2007 年 9 月 11 日 00:33:23)
日さん、こんにちは。
ご無沙汰しておりますが、この度はレスをありがとうございました。
尚、当方のレスが大へん遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
さて、私が「絶対的真理と相対的真理」と区分して物事を考察してみることを提起した背景には、とりわけスレッド主であるワヤクチャさんには絶対的真理に関して極端な劣位の感情を懐くことや、また或る人達には宗教的真理と同一視する臆見に陥るような事態を避けて欲しいとの願いが重なっています。
二つの真理に関してもう少し厳密に謂えば、絶対的真理とは自律的に成り立っている原理・法則であり、相対的真理とは可塑的な関係性を伴うような限り無く複合的な原理の総体もしくは関係性の成立要件を表象するものです。つまり、絶対的真理はそれが発見され演繹の基材となるような真理であるのにたいし、相対的真理とは個々の事象から導きだされた関係性の収斂としての真理を意味します。蓋し、後者の追求に関しては今も尚ワヤクチャさんは情熱を失ってはいないと確信しています。
>しかし、それがたとえ判ったとしても、この世の悲惨は無くなるのでしょうか?
>過ちや戦争を、謀略を繰り返させない力を持てるのでしょうか?
>残念ながら、民衆に真実を伝えてもその力とはならないと認識すべきでしょう。
>何故なら被支配側人類の中も、既に0.1対99.9の比率以上の二極化の中にあると思われるからです。
相対的真理の探究に属するであろう、つまりWTCの真実(ビル崩壊の原因の究明を含む真相の解明)が白日の下に曝されることによって、この世のすべての悲惨が無くなるわけではありません。けれども、僅かなインパクトであっても陰謀や戦争が引き起こされる過誤や災禍にたいする人々の批判の目が開かれ、それへの対策を模索する契機を与える可能性は否定できないのではないでしょうか。それ故、仮令0,1%であっても人々の中には真実を探求してやまない人達が存在する限りおいて、その意義は生成し得るのであり、またそれが人間的営為の重要な諸相の一つをなしてもいると考えています。
>その意味でそれは「絶対」であり、それが真理という言葉の重みでもあります。つまりそれは「絶対」という意味を含むが故に「真理」であり、「絶対的・相対的」という連語で意味を重複させたり、あるいはその範疇を分ける言葉では無い、それは上記の通り、概念が違うと思うのであります。
「絶対的・相対的」が概念的に「真理」とどの程度の周延関係が成立し得るかについては諸論があると想われます。また、相対的真理を統合するための統一理論すら構築できない現状で、絶対的真理と相対的真理とを整合させるような、所謂統一原理と云ったものがあるのかどうか、私は推測がつき兼ねています。しかしながら、今回のアジェンダを再点検してみて、すなわち斯かる真理の探求においては、便宜上も「真理」の位相を絶対的なものと相対的なものとに仕分けして捉える必要があるのではないかと考えた次第です。
また、会いましょう。