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(回答先: 日本は戦争に負けた 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 5 月 27 日 00:37:39)
>ワヤクチャさん どうもです。
この意見はワヤクチャさんを卑下しているのでも、ケンカを売りたいという意図もないと前もって書いておきます。
ブログ【アジアの真実】はザッとですが読ませていただきました。
まあ、Kの主観では「ワヤクチャさんは間違っていない」と思っています。用語の使い方が適当か?は別にしてですが、主張の方向性は正解と云う意味です。
しかし、「第2次大戦時の日本の最後の抵抗(=特攻隊)」を否定するのなら、現在のイラクの抵抗戦士の「市民を巻き込んでの抵抗テロ」も「いたずらに処分される現場教師を増加させ、参加者に違和感(後味の悪さ・気まずさ)を与えるような君が代不起立」についても「少し深く考える必要」があると思います。
基本的に当時の日本の特攻も、各種抵抗的戦闘行為も構造は「同じ」なのです。
Kは「あらゆる戦闘行為はできれば避けるべき」だ考えています。
ただし、結果論として総体の被害者が減少するのなら「短期間の強攻策(戦闘行為含む)」をするという選択手はある。とも考えています。
一番愚かしいのは「結果も見えない(=結末の予測のない)被害者増加の強攻策」でしょう。
「国を守る」・「信念を守る」・「宗派を守る」
人には様々に守りたいものがあるでしょう。
しかし、それらはほとんど全部が「主観による思い込み」でしょう。
少し目覚めた人なら「国」というのは一種の集団の形態でしかないと理解するでしょう。
「信念」を捨てても何かが大きく変化するわけではありません。多分、目に見えるような実損はないでしょう。そもそも、「信念」が正解だったのか?も分かりません。
「宗派・宗教」は歴史の途中で「庶民を支配しやすいように権力サイドにより改竄されている」とも言われる代物ですらあります。
多分ですが、この世に「他人に犠牲を強いても守った方が良い」というものは「生命」くらいです。誰だって「自分、もしくは自分の愛する人」の生命を守るためなら「戦闘」と云う行為におよぶでしょう。
それは自衛権の行使であり、生物なら全てに与えられている権利(本能)でしょう。
ライオンに襲われた草食獣は無抵抗で食べられはしません。決死の逃走も「闘争」なのです。
反戦平和を唱えるのなら「あらゆる意味での実力行使による対立構造」を「対話による解決」に導こうという方向で考えていく必要があるだろうと思います。
イラクの戦闘も「最初にボタンを掛け間違ったのはアメリカ」です。
しかし、事態がここまで来てしまえば「テロの抵抗をやめさせる」のが「事態収拾」には効果的でしょう。
米軍が撤退して「親米の民主的政権の人達が暗殺され続けるようなテロが連発」するのはイラク市民にとって「最悪の事態」だろうと思います。
その意味では「反戦平和の立場からは、抵抗テロをする抵抗戦士を非難する」のが正解となるでしょう。アメリカを批判したって事態は収拾しません。
君が代不起立も構造的には同じです。不起立と云う実力行使に頼らない「反対運動」に切り替えていかなければ「犠牲者が増える」だけなのです。
悪いのはアメリカ、悪いのは政府、というのは分かっています。
しかし、それを主張しているだけでは「事態は悪化していく」のです。
実力行使という強攻策に出たら、相手は対抗的に強攻策に出てくるのです。
その場合、権力サイドの方が強力な力を持っているので大抵は抵抗側が不利になります。
弱者の方から力技に持ち込むという手法をとってはいけないのでしょう。
民衆サイドに優位性があるとすると「人数」です。
民主主義においては「多数決による決定」という方法が用意されているのですから、実力行使に頼らず、多数派形成によって「変えられる」という選択手があるのです。
特攻の愚かさに気が付いたのなら「色々な面においても考察をしてください」
特攻隊は愚かだった。で、君が代不起立・イラク抵抗戦士には応援をでは、首尾一貫性はないだろうと思っています。