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(回答先: 生命を守るためなら「戦闘」と云う行為におよぶ→ならば抵抗戦士の戦闘は否定できない 投稿者 パルタ 日時 2007 年 5 月 27 日 14:04:36)
>パルタさん どうもです。
どうも、話が逆のように思われます。
仮に「武力抵抗テロ(レジスタンス)」が抵抗を止めた場合、アメリカ軍が「虐殺」を繰り広げる訳ではありませんよね。
確かに「親米派」と「反米派」の対立は憎しみの連鎖の中にあり
宗派間の対立も憎しみの連鎖の中にどっぷりと浸かっているでしょう。
それらの憎しみの衝突を「米軍」が抑えているのですから、先に和解すべきは「親米・反米」であり「宗派間」ですよね。つまり、米軍ではなく「解決策を握っているのはイラク側」であり、テロ戦士の方でしょう。
抵抗を止めれば「米軍に虐殺される」のなら「米軍が先に撤収する」という意見に理があるでしょう。
しかし、元は「米軍の間違い(大量破壊兵器の所持疑惑)」であったとしても、少数派の宗派を支持基盤にしていたフセインの恐怖政治から、フセインという独裁者を取り除いたら「宗派間対立は予想以上の憎しみの連鎖に浸かっていた」ので、撤収できなくなってしまった。というのも一つの見方でしょう。
何やら複雑な構図ですが、このパズルを解くには「抵抗戦士の戦闘を否定」する所からでないと解けないと思いますよ。