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(回答先: Re: 国家の「戦争」と、個々人の生活を守るたための「戦闘」を同じ次元で考える愚 (本文なし) 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 5 月 27 日 15:37:57)
>Kotetuさん どうもです。
また、つまらんイメージ誘導をしますね。
大きな三角定規も、小さな三角定規も構造が同じなら同じ使い方ができるでしょう。
構造問題と云う意味で「同じように見えても違う」という論証をするのは結構ですし、規模の差による「構造上の差異」を論証するのでも良いのですが、単に「戦争」と「戦闘」という言葉によって「両者が別の構造」との印象を植え付けるかのようなテクニックによる誘導というのはどうなのでしょう?
国が殺すのであっても、企業が殺すのであっても、個人が殺すのであっても「全ての殺人行為は止めた方が良い」でしょう。(裁判における死刑は別にします。)
全ての闘争は「我の無理強い」と「対話の拒否」から発生すると言っても良いでしょう。
我慢と対話の継続の努力を全ての人、組織、機関、国が心がければ「多くの戦闘的実力行使行為は減る」でしょう。
当然ながら、戦闘行為による犠牲者も減少するでしょう。
国家が行うのは許されない行為なら、組織、個人レベルであっても「できるだけ避ける」ように考えるべきでしょう。
仮にどうしても「避ける事ができない」のなら、それを論証すべきでしょう。