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最近は「真面目な奴ほどバカを見る社会」になって来た強く感じる。
今日
【奥谷発言(過労死は自己責任)について思う まとはずれのおせっかい】
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/270.html
という投稿に出会った。
この意見には一定の正しさはあるだろう。
しかし
>【健康維持は、仕事のためでも、会社のためでもない、自分のためである。】
と云うのは、100%正しいか?と言えば疑問である。
確かに「病気になれば、苦しいので、自ら進んで病気になりない」という人は、ほとんどいないだろう。しかし「人に迷惑をかけたくないから健康管理に気を使う」という部分もあるだろうと思う。
>【10人でする仕事を10人、11人配置されている労働環境が存在していること。役所と大企業いがい、そんな職場どこにある?】
「そんな職場は極少数」というのは現実として正しい認識だろうとして、本来「職場の定員には余裕があるべき」というのが間違いであると云うことにはならないだろう。
この辺は「企業もしくは管理者の考え方に任せるのか?」それとも「法規制という一定のルールで規制するのか?」という部分でもあるのだが、少なくとも「労働者にシワ寄せが来るのが当然」という事だけはないだろう。
社会の一般的常識が「隣の職場では、ギリギリの定員でやっているのだから、うちの職場でもそのようにする」という右にならえ的になってしまうと、労働者にだけ不利益が生ずる事になる。
その労働者側にも十分ではないにしても権利意識が根付いてきた。
これは、一面的には良い事なのだろうと思う。方向的には間違ってはいない。
しかし、依然として「自己主張ができない労働者」と「権利意識より、責任感の方が強い労働者」というのも存在している。
Kの主観では「責任感」というのは「正しい意識」だろうと思う。「権利意識>責任感」が正しいとは言えないだろうと思う。
>【自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。。。】
ここも、100%間違っているとは言い切れないが、同意できるかというと非常に疑問だろうと思う。
日本は「自己主張する文化」が育っていないのだろうとKは思っている。
「君が代不起立問題」ではKも「そのような運動手法には反対」という意見であるが、日本の文化では、自己主張する事は美徳とされず、むしろ「白い目で見られる」という面が強いのが現状だろうと思う。
ここは「誰かが、自己主張した場合、迷惑を受けるのは企業ではなく、周りの関係者」という仕組みになっているからだろうと思う。
仮に必要最低要員が4人の職場で、5人(休暇要員1名含む)という場合において、1人が長期休暇か退職してしまった場合には「事実上、4人で頑張るしかない」と云うのが、今の企業の仕組みなのだろうと思う。
そこを、どのように考えるか?と云うことなのだが、Kはこの部分は「労働者側(現場の管理職を含む)からはどうにもならず」、「企業論理に任せてきたから、現状がある」のであるから「お上が一定のルールを作る」以外には改善できないのではないかと思う。
前にも書いたが「過労死・過労自殺問題」を改善するには
【「企業側(管理責任)」
「労働者側(自己管理)」
「外部(国家責任)」
という三位一体構造で協力して撲滅する】という事が必要なのだろうと思う。
http://asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1305.html
Kは「法規制」は最小限にすべきだろうとも思っている。
特に「国家権力が個人の行動を規制・監視するかのような場合」は慎重にも慎重であるべきだろうとも考えている。
ただ、現在の過労死・過労自殺問題は「過渡期」なのだろうとも思う。
そして、この問題は「労働者側」と「企業側」では、真っ向から利害関係がぶつかり合う問題なのだろうと思う。
そのような場合には、内部からの問題解決は「内部の力関係で決着する方向になる可能性が高い」だろう。
これは「八つ墓村の法則」になるだろうが、大抵の場合「外部の目で見ると、途方もない決着となってしまう」のだろう。労働者側に不利益が押し付けられるという事である。
内部と外部の価値観では大きな違いが生まれるのなら、過労死・過労自殺問題は「外部からの解決(一定のルールの確立)」が妥当だろうと思う。
少なくとも「過渡期」の間は「お上が主体的に企業への教育的指導をする」のが基本になるのではないだろうか?
ただし、ここで問題なのは「自己主張できる人(権利意識の強い人)」は「正しい」と言えるのか?という問題もある。
実は「過労死・過労自殺をしている人」は「企業論理」によってだけではなく「権利意識を持った、先見性のある労働者仲間」によっても「追い詰められている」という部分もあるのだろうと思う。
先の例に戻れば「必要最低要員」を「企業論理として、完全に無視して、周りの人とのバランスと云うものを考えない労働者」が急速に増加していると云う部分が「問題の本質の一部」となっているのだろうと云うことである。
権利意識に目覚めた事によって「利己主義」になってしまった労働者が増加して、「目覚めるのが遅れた、責任感が強く、仲間意識が強く、真面目な労働者に全てのシワ寄せが行くのである」
「企業論理」と「権利意識」の板ばさみの中で「生存権が喪失しようとしている仲間」がいる事を「見ようとしない価値観が増加している」のである。
「バランス感覚の欠如」というのは、前にも書いたが「デジタル思考の二元論」という部分に強く関連するが「仲間の過労死・過労自殺を、自分らにも責任の一端があるかもしれない」とは、全く考えないのだろう。
しかし、その視点が抜け落ちているという事が「実は最大の問題」と云う可能性があるくらいの重要な要因ではないだろうか?