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(回答先: バランス感覚の欠如が「正直者が生きられない社会」を作る。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 2 月 18 日 10:11:06)
Kさんこんちは、
前に書いたものと重複する部分が多いですけど、思っていることを書いてみます。
まずはじめに、
まじめなものが馬鹿を見なかった社会が、過去あったのでしょうか?
苦しみを伴うことだけど、バカを見ている人、お人よしといわれている人が、「自分たち自身を変えない」と、自分の労働環境も、世の中も変わらないです。
お上が「下々のため」を思って、新しいルールを作ってくれる、法を作ってくれる、世の中を変えてくれるなんてことは、ほとんどないです、あったとしても、自分たちのモウケがたいていは「仕掛けられて」います。
「自分の健康は、自分で管理」する。
学校、役所、会社、仕事、自由主義、社会主義、。。エトセトラ、それ以前の、
人、ひとりひとりの、「自分自身の基本」にかかわる問題です。
それについて、同僚、仕事等、介在する余地がありません。自分が、働けるか働けぬか、病欠、仕事に行くべきか、「きわめて個人的な決断」によるものだと思います。
一人の従業員の病欠で業務が回らないのは, マネージメントの問題であって、個々の従業員の問題ではないと思います(そこにマネージメントの「甘え」を見ます)。
良質のマネージメントは、「この人しかわからない仕事」、「この人がいないと仕事にならない職場」を絶対に作らせない、とおもいます。
多少はみな、無理して仕事に出るでしょうけど、自分自身の「健康状態の物差し」で「仕事、病欠」」を判断できないとしたら、それは、世界経済第二位の大国にふさわしい、健全な労働環境ではありません。
「日本は「自己主張する文化」が育っていないのだろうとKは思っている」とのご見解ですが、
日本の経営者は、新自由主義の自分の都合のいい部分と、伝統的な雇用関係の自分に都合のいい部分をだけを「切り取っているだけ」だとおもいます。
逆に言うと、被雇用者は、新自由主義の都合の悪いところ、伝統的な雇用関係の否定的な面を押し付けられてるだけだと思います。だから現在、「二重に」苦しめられている。
自由主義が前提としているような教育制度、スペシャリストとしての労働力、法律、インフラがすくない。
自由主義は、A社からB社にスムーズに移籍が可能なスペシャリストの存在、そしてその労働者が転職しても、賃金、退職金、年金で損をしないインフラ、法律を前提としている。
そしてもっと大事なことは、人は生きるために一日、8・9時間労働仕事に行くこと、それで何とか生活を営める、給料がもらえること。この認識が一般化していないと、自由主義がドレイ主義に化けてしまうと思います。
みなが利己主義に徹してそこから生じる問題点は話し合いなり、ルール、あるいは法制化で解決しよう、それが、経済自由主義のルールだとおもいます。
それが日本の伝統的な労働文化と調和するかは、言及しません。
労働市場の活性化は、奥谷女史の商売を潤す。
つまり、年収五百万の労働者をA社に斡旋させれば、「それなりの歩合」は出るはず。彼女が率先して、労働力の移動を簡易化させるような法律の作成を呼びかける答申案を提出する可能性はあるかもしれないけど、周りの連中との利益が競合するだろうし、私は、無理だと思います。
冒頭にも書きましたけど、自分(たち)の利益は自分(たち)で守る以外にありません。