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(回答先: 知る事、理解する事、私は怠慢にならぬよう努力したいと思っております。 投稿者 haru 日時 2007 年 2 月 16 日 20:10:46)
Haruさん、こんにちは。
>【レスを頂けて大変ありがたく思っております。】
所詮俺のエゴから書いているだけですから気にせずに。
>【知る事、理解する事、私は怠慢にならぬよう努力したいと思っております。】
ここで言う怠慢というのは、思考放棄や思考依存として俺が説明をした信仰的に対するHaruさんの返答だと受け取りました。そして「怠慢にならぬよう努力したい」と書かれているということは、少なくともそうした状態を良しとはしないという価値判断に基づくことだと認識しました。
そして宗教というのは信仰によって成り立っており、信仰的というのは宗教を包括しているものだと思っております。つまりHaruさんは実は自らが間接的に宗教批判、信仰批判をしているということになりますが、どうでしょうか?
別にだから何だということではなく個人の勝手ですが、俺は思考怠慢・思考放棄・思考依存が良い悪いという価値判断で書いたつもりもありません。もしかしたら人間存在はある目的の為に思考怠慢するように設計されたかもしれませんし、生まれて来た目的はどれだけ深く思考怠慢できるかだということもあるかもしれませんし、そんな事は一般的には計り知り得ない事です。
つまり絶対的な真実は知り得ないにも関わらず、思考怠慢を無くそうと価値判断し、それに対して努力するという時点で、それは思考怠慢状態からの見切り発車しているに過ぎないと俺は思っております。
もちろんこの事は、価値判断を無くしましょうという意味あいにおいて書いたものではありませんし、個人としての人間存在が価値判断を無くすことができ得るとも思いません。苦悩や紛争や不安や恐怖や、そして思考怠慢などの世間一般的な意味においての諸問題の原因の一つとして価値判断があるのだとすれば、それを無くすこともできない個々の人間存在は果たしてそれら諸問題をなくすことができるのかは甚だ疑問です。
>【私は、自分の生に意義を与える為に、他への影響というものを考える事によって、自分の生に力を与えました。そして、できる事なら自分にとって良いと思える影響を他に与える事を願うのです。昼休み板でかつて“良い種を蒔こう”というものがありましたが、私はその気持ちでいたいと願っております。】
「自分にとって良いと思える影響」が、他人にとっても必ずしも良いとはならないはずです。また逆に他人にとっての良いというのが、自分にとっての悪いとなる場合もあることでしょう。そして、その良い悪いという価値判断ですら人間存在の思考怠慢により獲得していったものでしかないと俺は認識しております。
また、「自分の生に意義を与える為」というHaruさん自身のエゴの欲求を満たす為に、他人に対して“良い種を蒔こう”とすることが、果たして本当に良い種になり得ているのかは甚だ疑問です。
>【また、自分の善悪の判断がより普遍的な力を持てるよう過去から現在を通しての矛盾、そして許しがたい現実がなぜ引き起こされるのかについて学び、その謎を解き明かそうとしておる途上であります。】
「自分の善悪の判断がより普遍的な力を持てるよう」にするには、少なくとも自分の考える普遍的な善悪というものの事例をとことん検証してみるべきだと認識しております。ただ、そんな普遍的な善悪などあり得るのでしょうか?
>【人類にもし、飼育者が存在しているのであれば、彼の手に我々の命は握られている事になります。もしかしたら、彼は我々と少しも変わらない人間であるのかもしれません。】
飼育されているのか、飼育されにきているのか、見方によって色々と変わるのでしょうね。
>【私は“繰り返し”という言葉を、人生ではなく人類の歴史という意味で使いましたが、仰るようにも“繰り返し”がもしあるのであれば、そこから学び進化する必要はないのかもしれませんね。】
人類の歴史を作り上げるのも、個々の人間の人生が単位となっていると思っており、そして歴史が経験を積んで学んでいくのではなく、人間が経験を積んで学んでいくのだと思っております。そして同じ歴史を繰返すのを止めるには、個々の人生において何かしらの変化を生み出さなければならないということだと認識してそれを書いただけです。
>【しかし、もし我々自身が酒や麻薬のような思想に麻痺しているとすれば、そこから抜け出す為の努力が、より自分らしい、人間らしい生き方を見いだす為の道になり得るのかもしれないと私は思っております。】
>【知る事、理解する事、、 私は、怠慢にならぬよう努力したいと思います。】
上記でも似たような事を書きましたが、もしかしたらHaruさんは酒や麻薬のような思想に麻痺する為に人間として生まれてきたのかもしれないし、人間の創造者が酒や麻薬のような思想に麻痺することを目的として人間存在を設計したのかもしれません。そうするとそこから抜け出す努力は無価値なことになるのかもしれないです。
いずれにせよ、何かに努力するという時点で、それは思考怠慢状態からの見切り発車しているに過ぎないと俺は思っており、そして、それが人間存在であるのだと認識しております。