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(回答先: それを使命であるとする姿勢を俺は信仰的だと捉えているだけです。 投稿者 アロン 日時 2007 年 2 月 16 日 07:51:04)
アロンさん、こんにちは。
レスを頂けて大変ありがたく思っております。
私は、主に雑談板に投稿させていただいておりますが、かつて投稿するのにはとても勇気が要りましたし多分に萎縮しておりました。現在も少なからずビビっておりますが、持ち前の図太い性格からでしょうか、最近は頻繁に投稿するようになってしまいました。投稿する事により、自分の思考や自分が向かいたい場所が少しずつ解明されている様な気もしつつ、実は、ほんの少しずつしか進んでいないと云う現実にも時に気が付き、自分が投稿をする事が良い事なのか悪い事なのかの判断はできておりません。しかし、少なからず人々の目に触れる事によって何らかの影響を与えているのでは、との想像の中で自己満足している次第であります。
私は、自分の生に意義を与える為に、他への影響というものを考える事によって、自分の生に力を与えました。そして、できる事なら自分にとって良いと思える影響を他に与える事を願うのです。昼休み板でかつて“良い種を蒔こう”というものがありましたが、私はその気持ちでいたいと願っております。また、自分の善悪の判断がより普遍的な力を持てるよう過去から現在を通しての矛盾、そして許しがたい現実がなぜ引き起こされるのかについて学び、その謎を解き明かそうとしておる途上であります。
実は、アロンさんの理解、主張にはとても共感しております。
しかし、何かしら訴え主張しなければならないという衝動が私にはあるのです。
すべては、私の衝動から始まっております。
お許しください。
>愛や世界などの根本的な存在理由が不透明な段階にも関わらず、それを前提とさせて論を成立させることはただ信仰的だと言っているだけです。それは区別であり、認識の問題であり、それが良いか悪いかなどの価値判断を書いているわけではありません。
正しいと思います。
“認識の問題”が最重要であるでしょうと思います。
親子の断絶の理由がまさにそこにあると思っております。しかし、親子であるからこそ子には記憶が残り、いつか親を理解する時が来るものと思っております。肉親が人に与える影響力の強さというものなのでしょう。そして、子が親を乗り越えるという事は、その親を取り巻いている社会についての認識をより深め、別の道にチャレンジする事なのかもしれません。
愛については、私は理解がまだ不十分ですが、世界についてはより認識を深めようと日々努力しております。その理由は、ただ“良い種”を蒔きたいからです。
>世の中がなぜ作られたのか、どんな意義があるのかというような根本的なことを掘り下げもせずに、今の世の中を成り立たせる為には信仰は意義があるとする姿勢、それを俺は信仰的だと言っているだけです。
そうですね、私は911からより深くここ阿修羅掲示板にのめり込んできましたが、理不尽な現象についての“なぜ”が知りたかったからであり、それまで、自分に関わりのなかった世界の人々の悲惨な状況について知るうちに、もしかしたら自分も加害者なのでは?と思い始めた事から始まっております。また、今の世界が一定方向に計画的に動かそうとする力を今ひしひしと感じています。そして、望むと望まないに関わらず日々世の中に翻弄され、変化させられている自分自身を認識しております。
>人を殺す事、生物を殺す事を正しい事だと認識している人もいるでしょう。少なくとも現に我々は生物を殺し食べているではないですか。自然環境には殺しが溢れています。何が良いか悪いかなどただ視点により変わるだけです。
ペットを飼った事がおありでしょうか?
ペットを支配するのは主人である我々自身です。目前の動物の生死は私たち自らの手に握られております。自らを最重要と考えるのはある意味自明なので、望むと望まないに関わらず、彼らの飼育が困難になれば何らかの手を打たなければなりません。多くはそれが、去勢であったり、避妊と云う行為であるようです。
人類にもし、飼育者が存在しているのであれば、彼の手に我々の命は握られている事になります。もしかしたら、彼は我々と少しも変わらない人間であるのかもしれません。
>その繰り返しをなぜ続けることがいけないのですか?
>それは人間として進化しないからですか?
>では、なぜ進化しなくてはならないのですか?なぜ我々は進化の為に色々な経験をしなければならないのですか?
>それを真に問うことなしに、それを使命であるとする姿勢を俺は信仰的だと捉えているだけです。
>また、もし何かを学ばずそれを伝承しないような繰り返しの人生があったとするのなら、その人生を生きた人は使命を果たせず無駄な生を過ごしてきたわけですか?
>それを無駄な人生だと見下す価値判断で作りあげる未来とは何かを想像したことはありますか?そこにどんな秩序や幸福があると考えているのでしょう。
私は“繰り返し”という言葉を、人生ではなく人類の歴史という意味で使いましたが、仰るようにも“繰り返し”がもしあるのであれば、そこから学び進化する必要はないのかもしれませんね。そもそも、我々人類、存在、命とは、一つとして言い切れる真理を携えている人はいないのかもしれません。
しかし、もし我々自身が酒や麻薬のような思想に麻痺しているとすれば、そこから抜け出す為の努力が、より自分らしい、人間らしい生き方を見いだす為の道になり得るのかもしれないと私は思っております。
知る事、理解する事、、
私は、怠慢にならぬよう努力したいと思います。
失礼いたしました。