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(回答先: 時代の最先端を行く柳澤厚生勞働大臣 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2007 年 2 月 01 日 23:49:57)
石工の都仙臺市さん、こんにちは。
早速今日、皇族をおとしめる為の報道がなされましたが。
私は、必ずしも天皇陛下を擁護しようとは思っておりませんが、昨今の日本で行われる政策、風潮には一定の線があるように感じております。それは、所謂先に立つもの、敬われて当然なものを貶めることです。このような傾向は、明治維新からじわじわと布石が打たれ、戦後の経済成長後の安定期であるバブル期前後から顕著になってきたように感じます。
アメリカ文化の流入によって、じわじわと始まった家族破壊は、女性の地位の向上とともにそれを際立たせました。そして、そのアメリカナイズした文化を受け入れる事によって若者至上文化が生まれ、老人や先人を否定する風潮が強くなりました。
教育制度と云う制度をごく自然に受け入れた為に、教師をただの人間としてではなく、責任ある聖人として認知したことによって、教師の不祥事を批判する風潮が生まれ、昨今の若い教師の不祥事によって、教師の権威も失墜してしまいました。また、政治家の不祥事を際立たせる事によって、それらの権威をも失墜させる事にも成功いたしました。
日本文化は、江戸迄、上位に立つものがその自覚と与えられた責務の重さを自覚する事によって、節度ある教育が求められ、自ずから節度ある生活、行動を実践してきた歴史があったように感じております。一時期は、日本の国家権力である警察の優秀さも絶賛されておりました、古来の伝承があったからでしょう。しかし、現在では不祥事ばかりしかクローズアップされていないようです。
裁判員制度の導入もしかりです。人が人を裁くという事をかつての日本人はしませんでしたし、それを嫌いました。その誰もが嫌悪する役割をお上が引き受けておりました。
お上の失墜により、それを大衆にさせる事になった。我々の社会はまるで原始に逆抗しているようです。
先に立って導くものがいない世界は、やがて、ルールと云う無機質なものに取って代わられるでしょう。文明はコンピュータを産み、我々は間違いなく否応でもなくそれらに従う奴隷社会、いや家畜社会に向かってゆくのではないでしょうか?その岐路に今立っておりますが、、
個人の尊厳はルールの中に埋没します。
そのルールを作るのは、もちろん人間なのですが、民主主義という言葉によってその批判は封じられてしまうでしょう。あたかも我々が望んで選んだ選択なのであると思い込まされてしまうのだと思っております。
家畜の世界は、一定年齢迄しか生存を許されません。
我々の世界、価値観もそれと同じ道が用意されているのではないでしょうか?
杞憂でなければいいのですが、、。
失礼いたしました。