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(回答先: 【はがれたベール】第1回 突然の辞意(新潟日報) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 27 日 23:34:32)
第2回 地質学と工学 (2008年01月03日掲載)
断層評価 意識にずれ
「つくる」ために妥協許す
東京電力柏崎刈羽原発の建設に伴い、地下の地質を調べるため予定地に掘られた試掘坑の入り口。当時、陸地の断層評価をめぐって論争が展開された=1973年
「ああ、また始まった…」。1975年から行われた東京電力柏崎刈羽原発1号機の安全審査の分科会。東京大助教授で耐震工学の専門家として参加していた秋山宏(68)は、ため息をついた。2人の地質専門家が、活断層の見方をめぐり延々と議論を続けたからだ。
2人とは、東大の松田時彦(76)と地質調査所(当時)の垣見俊弘(78)。そのやりとりだけで、午後1時に始まった会議が夜八時までかかったこともある。秋山ら工学系の委員たちは「建物の耐震性を最後に確認するのは、われわれ工学屋。活断層の話は、地質屋さんに知恵を借りたいだけなのに」との思いをのみ込み、辛抱強く待った。
垣見も秋山らの冷めた視線には気付いていた。「地質学は自然が相手だが、工学は物を造らなければいけない。断層評価もどこかで割り切りが求められていた」。垣見のいた地質調査所は旧通商産業省の下部組織。役人でもあった垣見は、地質学と工学との「橋渡し役」を自覚していた。
当時はまだ新しかった活断層の概念は、工学者の間ではなじみが薄かった。垣見は工学者が集まる講演会で活断層と地震の関連を紹介した際、「厄介なことを言い出してくれたもんだ」となじられたのを覚えている。そんな時代だった。
■金科玉条の式
垣見が感じていた工学者との意識のずれは、松田が専門誌上で75年に発表した地震規模の計算式の扱いをめぐって如実に表れる。
「松田式」と呼ばれる計算式は、活断層の長さから、起こり得る地震の規模(マグニチュード=M)を推定する。10キロ以上の断層が過去に起こしたM6・5級の地震記録を根拠にしていた。だから10キロより短い断層には応用できなかった。
だが、数式で表すことが難しい地質学の分野で、松田式の登場は「画期的だった」と垣見。工学者もこれを見逃さず、「便利な式」として独り歩きが始まる。電力各社でつくる日本電気協会も原発耐震設計マニュアルで松田式の活用を明記。本来使えないはずの短い断層にまで、式を当てはめるようになったのだ。
予想もしなかった事態に、生みの親である松田は戸惑った。「大ざっぱな材料から作った式なのに、いつしか金科玉条のように使われていた」
ちょうど松田式発表の年に始まった1号機の審査でも、焦点となった「気比ノ宮断層」の評価で採用された。それも、「もっと長い可能性がある」とする松田本人の見解は事実上無視されるという皮肉な形で。気比ノ宮断層が起こす地震の推定規模は、式から「M6・9」とはじき出されたのである。
工学者らが式を都合よく利用したとの指摘に対し、秋山は反論する。「発電所の設計は、活断層の評価だけで考えているわけではない。むしろ過剰なほど安全上の余裕をとっている」
当時、審議を見守った元科学技術庁職員の塚腰勇(69)は「地盤はよくなくても設計で手当てすればいいというのが、工学屋さんの考え方だった」と振り返る。
■地質屋に非難
松田は自らの見解が生かされないとして審査の場を去った。一方の垣見は「多少の不満はあったが、役人の立場もあり避けては通れなかった」ととどまり、全国のほぼすべての原発審査に携わった。
そして今、中越沖地震により、地質の専門家として「地震想定が甘かった」との批判にさらされている垣見はこう漏らす。「審査に『ものをつくるため』との割り切りがあったことは知られていない。地質屋ばかり責められるのは納得がいかない」
安全審査での妥協が、審査を受ける電力会社側にも影響を及ぼしていた。
(文中敬称略)
http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n78/n78h5k2m1.html
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