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(回答先: 【はがれたベール】第4回 初歩的ミス (新潟日報) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 27 日 23:48:09)
第5回 出来レース (2008年01月06日掲載)
「追試」重ね却下ゼロ
国と電力 あうんの呼吸
原子力施設の耐震安全性などについて議論する国の作業部会の傍聴者。国の方針をいち早く把握しようと、電力会社の社員の姿も目立つ=東京・霞が関の経済産業省別館
原子力基本法(1955年公布)によって日本の原子力利用の歴史が始まってから既に半世紀余り。実は、原発の設置許可申請が国の安全審査で却下されたことは一度もない。電力会社が不合格にされる前に、「追試」を繰り返し受けていたからだ。
東京・霞が関の官庁街に近いビルの2階「原子力公開資料センター」で、追試の跡を見ることができる。
センター内の東京電力柏崎刈羽原発のコーナー。東電が国に提出した1号機の設置許可申請書の分厚いファイルが並ぶ。75年3月に最初に提出されたものに加え、許可が下りる2カ月前の77年7月に再提出された申請書がある。
77年版は、表紙に金文字で「昭和52年7月一部補正」と記されている。目次を追うと、追加補正を意味する「追補」の文字が付いた書類が15件約770ページ分もあることが分かる。
「それこそが審査そのものですよ。補正は審査した結果を表している」。柏崎刈羽の審査に2度かかわった東京工業大教授の衣笠善博(63)は強調した。
追加補正分は、電力会社が申請書の内容の不備を審査で指摘されたことなどを受け、差し替えた修正版だという。だが、この存在自体が、原発審査が許可を前提としているとの疑念を深めている。
■行政通じ把握
「電力会社の申請は審査委員に『駄目』とは言わせない。何度も補正を出し直すので、最後には『妥当』となる」。大半の原発の安全審査を担った地質専門家の垣見俊弘(78)は明かす。
さらに、意外な事実も浮かび上がった。理化学研究所(埼玉)の所員として柏崎刈羽をはじめ多くの原発を審査した浜田達二(85)の回想は生々しい。
柏崎刈羽のケースではないが申請書類に問題があり、審査委員の1人が「申請をいったん却下し、出し直させるべきだ」と指摘したことがあった。だが、事務局の役人は「いや、それはあうんの呼吸でやる」とやんわり断ったというのだ。
次回の審議。前回示された問題点をクリアする内容の追加補正書類が電力会社側から“自主的”に提出されてきた。「電力会社は本来、われわれの議論を聞いていないはずだ。でも実際は行政庁を通して把握し、『却下』と言われる前に修正版を出してくる」。浜田は苦笑した。
「ノー」を事実上、封印した安全審査で、岩盤が他原発に比べて軟弱といわれた柏崎刈羽も、マグニチュード8規模が想定される東海地震の震源域にある中部電力浜岡原発(静岡県)も合格してきたことになる。
そもそも、審査に参加した専門家は原発の立地点を本当に適当だと思っていたのか―。垣見は正面からは答えず、「本音を言えば、適地を選べるなら選ばせてもらいたい」と、立地候補地決定後にしか審査できない歯がゆさをにじませた。
■「ただの視察」
審査委員が立地地域を訪れ、地盤や断層などを自らの目でチェックする「現地調査」も不十分だった。
前原子力委員長の藤家洋一(72)は「安全審査というのは社会に説明するための行為でもある。現地でちゃんと調べているということは見せないといけない」と意義を説明する。
だが、柏崎刈羽を審査した元日本地震学会会長の大竹政和(68)は「現地調査では見たいものはたくさんあったが大抵1、2日だけ。少なくとも倍の日程は欲しかった」と漏らす。さらに地質の専門家は「案内された場所を歩いただけ。ただの視察だ」と吐き捨てた。
却下ゼロの実態から「出来レース」にも見える安全審査。その過程では、電力会社とのなれ合いも生じていた。
(文中敬称略)
http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n78/n78h5k5m1.html
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