★阿修羅♪ > 議論25 > 461.html
 ★阿修羅♪
般若心経的世界観
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/461.html
投稿者 如往 日時 2007 年 4 月 07 日 03:16:05: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 括的原理への飽くなき欲求は狂気による自己破綻に至るか、さもなくば欺瞞的自己正当化に陥るのではないか。 投稿者 張良 日時 2007 年 4 月 05 日 11:00:01)


 張良さん、こんにちは。


 >如往さんこんにちは。私は如往さんを誤解していたようです。如往というHNから、仏教的見方をなさる方かと存じていたのですが、その逆なのですね。なるほど、如往は如来の反対でした。もちろん仏教的といっても私の理解する仏教であって、如往さんのそれは違うのかもしれません。

 おそらく、それは二重の誤解です。先ず「如往」は「如来」の反対語ではなく、対義語の一種と受けとめていただければ幸いに存じます。次に仏教的見地ですが、 二十年程前、一つの出来事を切っ掛けにして、般若心経の暗誦からその理解に励んだ一時期があります。学部課程から修士課程(一年で中退)にかけて宗教は概ね文献研究の対象でしたので、本格的(?)に取り組んだのはその時が初めてですので、私の知識は極々浅いものです。
 しかしながら、一見非常に乾いた論理によって紡がれる般若心経の世界観は人間が生きていく上での基底的な認識(諦念)を提供するものであり、しかも最も原初的な釈迦の悟りを伝えていると想われます。そして、それを今日の分子生物学的研究が補完するまでに至ったことに奇妙な脈絡の一致を感じています。

 >存在理由------それが倫理的な事柄として語られることには恐怖すら覚えます。理由なき存在は許されないのでしょうか。あるいは、理由なき存在など有り得ないのでしょうか。存在する者は全て何かの為に存在すると宣言することは、その何かをめぐる生死をかけた闘いや目的ある秩序への隷属をもたらすように思えます。存在理由を口にするとしても、あらゆる存在にはそれぞれに応じたそれぞれの存在理由があると言うのであれば許容できます。個体は特殊な存在として特殊な理由の下に存在しているとすることです。

 ご存知のように、仏教的世界観では本源的に死後の世界の存在を認めてはいませんし、胎蔵・金剛の両界曼荼羅はこの世が映し出されたものであり、有り体に謂えば“即身成仏”の世界が描かれたものに外なりません。“即身成仏”の一つの側面には存在理由(存在目的)の完結があり、ヒトという生物が完結後も生きていこうとするのは周知の如くであり本来他者の許可を要するものではないのですが、人間は自身が創り出した制度によって制限を受けるという事態に直面せざるを得なくなるのも、それもまた定めなのかも知れません。
 普段は存在理由が人々の意識の上って来ることはないでしょうが、「生死をかけた闘いや目的ある秩序への隷属をもたらすような」それほど差し迫ったものではなくとも、やがて子供達も社会人になって自身の定年後を生きる目的探しに難儀するとき、心の深奥では己の存在理由の不在を意識せざるを得なくなるのではないでしょうか。もちろん人々の多くは生きる目的を探して右往左往していると忽ちのうちに仏界に入ることになると想われます。

 >柄谷行人の“世界共和国”は読んでいませんので何とも申し上げられませんが、世界を一つとする思想に組するつもりはありません。

 非常に端折った言及で、本人にたいし礼を欠くことにもなり深く反省しています。尚、柄谷行人の論旨によれは“世界共和国”とは協同体で構成される連合(体)に外ならず、協同体が有する個性(多様性)を寛容するものです。しかし、それを下支えするような包括的原理をカントの世界平和論に求めることについては評価が分かれるところです。

 >包括的原理への飽くなき欲求は権力への意思と同等であり、それを全うせんとすれば狂気による自己破綻に至るか、さもなくば欺瞞的自己正当化に陥るのではないかと愚考します。すでにグローバリズムとはそうしたものに過ぎないという思いを持って反グローバリズムを追求しております。

 グローバリズムを克服するためにと、少しばかり普遍性という問題に拘ってみたのは、一年前の張良さんとの交信(過去ログ)を振り返ってみて、【心すべきは、大東亜共栄圏にならないこと。歴史は正しく反面教師です。そう考えれば、あの馬鹿げた戦争も無駄にせずに済みます。http://www.asyura2.com/0510/dispute22/msg/629.html投稿者 張良 日時 2006 年 1 月 22 日】の中の、『しかし、上層市民と下層市民とが分裂・対立を避けて妥協し得る条件が無くてはなりません。経済的条件の異なる社会階層を結びつけるものとして、先ずは、対USという国民・国家意識が考えられます。しかしこれだけでは、グローバリズムを掲げるUSに対して充分ではありません。悪くすると、時代に逆行するアナクロニズムとなりかねません。それを避けるには、もう一つのグローバリズムとなり得る世界戦略が必要です。』の一節が目に留まったことに起因しています。
 ここで既に張良さんは、「…かつて日本になかった市民革命…」を実現するためには、「反グローバリズムを追求していくのと同様に」もう一つのグローバリズムとなり得る世界戦略が必要であると述べられています。そこで、今回の「国民国家という枠組みの中で国家的秩序を再定義」することが、インターナショナリズムとどうリンクするのだろうかといった疑問に繋がっていったのですが、「○○の赤子(せきし)論」を廻っての辺縁論議に再び足を踏み入れるのは現状のベクトルを鑑みるならば双方にとって益多いことではないかも知れません。

 ところで、私が般若心経の世界観に見出したものは、「生命は、虚時間の地平から出でて実時間の河を渡りやがて虚時間の地平に還る」と、そんな他愛のないことです。虚時間の地平がどのようであるのかは判りませんし、勿論般若心経がそれについて語っている訳でもありません。ただ、荒野(あらの)に生まれた人達にはそこに厳然たる支配的な存在であるヤハウェが介在することが必要であったように、また久しく森林に育まれて来た人達には側(そば)に寄り添ってくれるような存在が重要であったように、それらが実時間の河を渡っていく生命にたいし、時には生き様を質しつつその航行を見守っていてくれているのだという想いが人の心に湧き起こったとしても、何ら不思議ではないと思います。

 「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」 (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、悟りの岸へ全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。) 

 また、会いましょう。

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ      HOME > 議論25掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。