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(回答先: 誰も言わない 格差社会をなくすことと、男女平等と 安定した家族生活は 同時にできないのでは。 投稿者 東京音頭 日時 2007 年 2 月 27 日 00:01:34)
>東京音頭さん こんばんわ
【誰も言わない 格差社会をなくすことと、男女平等と 安定した家族生活は 同時にできないのでは。】
ということですが、Kの考えでは可能だろうと思います。
まず、格差社会ですが「餓鬼道」という憑き物落しをすれば、格差は縮小するはずです。
一生懸命に真面目に働く人が、真面目に働こうとしない人よりも収入が低いというのは、ある程度は仕方がありません。例えば、1時間で製品を5個作る人と3個しか作れない人では収入が同じでは、逆の意味で不公平でしょう。
ですから、同一労働・同一賃金は原則ですが、そこに能率給を上乗せします。
問題は、拘束時間が一日8時間、週40時間であるなら、最低限の文化的生活が営める賃金保証です。ここは制度的に可能でしょう。
対価報酬としての「自由時間」と引き換えにして「後の時間」を有効に利用するのは個人の自由です。しかし、この「拘束時間」は社会参加という一種の「義務」ですから、ここを果たさない場合には「社会も助けはしない」と云うことになります。
しかし、今現在は「社会参加の労働時間を働いても、最低限の生活が保障されない」という点に問題があります。「その人の人生では使用しきれないお金を貯め込む、銭の亡者」がいて、流通貨幣の過度の溜め込みをするからです。
ただ、価値観として「お金を貯めたい」という価値観もあるでしょう。
ここは、相続時(その人が死んだら)に清算する。という事で「憑き物を落とします。」
誰だって、自分の人生で使い切れない「お金を溜め込んでも無駄だ」と気付けば「価値観に変化が起こる」でしょう。無駄なことをしたがる人はほとんどいないでしょう。
実は「人の価値観」は多様性がありますが、多くは憑き物でしょう。
また、社会という集団生活の中で生活している以上は、一定の義務と責任を負うのは当たり前です。これは「資本主義」には関係なく、当然の事です。
ここを無視した「価値観」は、単なるワガママでしかありませんから、ここは無視します。
もちろん「社会参画を拒否した上での権利主張」という価値観というのもあるでしょうが、それは「社会に頼らずに、すべて自分で賄う」ということですから、無人島にでも行ってもらうということになります。日本という国では「社会として、拒否する」という事になるでしょう。「社会を拒否する者は、社会から拒否される」のも仕方がありません。
男女平等は「性別としての差」がありますから、権利としての平等にしかなりません。
男性には子供を生む事もできませんし、母乳も出す事はできません。ここは、現実として受け止める必要があります。
問題は「女性が社会進出を望む時に、受け皿が用意されているか?」と「夫が気持ち良く、送り出してくれるか?」でしょう。
ここも一種の憑き物であり、資本主義というような経済体制とは無関係でしょう。
育児のサービスをしてくれる福祉施設の充実とかの問題と、男性の「エゴ」という一種の「ワガママ」を憑き物落しできれば、資本主義でも十分に対処可能でしょう。
【安定した家族生活】というのは、色々な意味がありそうですが、最近のトレンドとして、夫が定年退職後の夫婦は「交代制で家事をする」というのがあるそうです。
「夫が手伝う」のでは、結果的に主体は妻であり「妻に自由な時間が出来ない」ので、「少々、不味い食事を我慢してでも、夫に全て任せる」事で、妻も当番ではない日には「自由な時間を満喫する」のだそうです。
ただし、一定期間は「夫の教育」が必要でもあり、ここは忍耐力が必要だそうです。
ここは、基本的には共働きの夫婦でも通用する手法でしょう。
ただし、共働きの夫婦が「将来、子供が面倒を見てくれない」というリスクを負うのは仕方がありません。因果応報です。子育てを他人任せにした報いは自らが背負うことになります。
全ては「因果応報」という事をしっかりと認識した上で「無制限の餓鬼道に陥らない上での価値観」というブレーキさえ効くのなら、家庭崩壊までは行かないで「社会は成り立つ」だろうと云うのがKの考えです。
言葉を変えれば、全ては「心の持ち方一つ」でしょう。
相手を思い遣る気持ちと、義務と権利のバランス感覚、後は、所属する集団(家族・職場の仲間など)に対する責任感
前にも書きましたが「人間が心から喜びを感じるのは、人の笑顔に出会った時」なのだそうです。大金持ちの資産家が時折「全財産を福祉施設に寄付する」というのも、何かで心から「感動した」のではないだろうか?と思います。
金の亡者の価値観が「憑き物が落ちて、変わった」という出来事があったのかもしれません。
それらの事を総合して考えた時、多くの人が正しい判断力を持ち、偽りの価値観に支配されないで、更に適切な社会的システムを作る事によって、十分に【格差社会をなくすことと、男女平等と 安定した家族生活は 同時にできる】という気がします。