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(回答先: Re: その心の持ち方は、どのように育てられるのでしょうか。 投稿者 東京音頭 日時 2007 年 2 月 28 日 23:40:33)
>東京音頭さん どうもです。
問題の本質が「東京音頭さんの理想とする社会」と「現実」の乖離なのか?
「弱者が生きられない社会」に対する問題提起なのか?
既存の概念としての「集団生活」としての共同生活が破壊されている事への問題提起なのか?
と云う点が今ひとつ不明確なようです。
【ゲームなど一人遊びの増加。】とか【OB会などをめんどうくさくなって主催しなくなる現役大学生たち。】
を一概に「悪い事」とする価値観は正しいのか?という部分は考える必要があるでしょう。
どうも、東京音頭さんの問題提起の本質は「資本主義」という社会システム体制の問題というよりは、「自由主義・権利主義」という「個人の利己主義」の方の問題だろうと思われます。
社会システム(資本主義等)の問題ならば、社会システムで対応させるというのが、基本であり、可能でしょう。
医療は全国津々浦々に設置される診療所の「公務員」で行い、原則すべて無料とすれば、少なくとも「健康不安による過度の貯蓄は減少する」
学校も「本人が望むのなら、大学まで全て国が面倒を見る」という制度を作れば、かなりの面で家庭の負担は軽減する。
ここは「憲法の保障する、全ての国民に与えられるべき、最低限の文化的生活」という事のセーフティネットの確立という範囲なのです。
お年寄りが「生きられる」社会は「社会システム」で可能です。
「老人ホーム等の福祉施設の充実」は国の責務でもあるでしょう。
しかし、老人の世話をするのは「各家庭」が主体か?「国」が主体か?は問題もある。
最初から「各家庭」が主体と結論をするのは問題もあるでしょう。
乗り物において「老人に席を譲る」という価値観が正しいと決め付けるのも問題です。
日本には「姥捨て」とか「口減らし」という「働かざるもの食うべからず」という弱者切捨ての文化も有ったと言われています。「老人を大切」にと云う思想は朱子学あたりから来ている考え方かもしれません。だとすれば歴史はむしろ浅い。
老人も「譲ってもらう」のが当然というような「他人依存」という考え方を改める必要があるという面もあるでしょう。基本的には「全ての成人は自立する」というのが正解なのかもしれません。そこをサポートするのは「家庭」よりは「社会システム」が良いのかもしれません。
とは言え、以上も考え方の「ひとつ」です。
地域の文化は「地域で教育して作り上げる」のです。「集団で遊ぶ」という価値観は「学校教育」ではなく、地域で教育するしかないのでしょう。
そのためには「遊ぶ土地の提供・確保」といった事も必要ですし、家庭だけではなく「町ぐるみ」で協力する必要もあるでしょう。
あまり、意見が整いませんが、Kの考えは、そう言う事です。