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(回答先: 放置が一番の尊重 投稿者 初哲学者 日時 2007 年 1 月 15 日 07:55:53)
初哲学者さん、こんにちは。
義務と権利とは、よく対比した話題に上りますが、、。
義務とは社会的に考えれば、必ず実行するように求められている事ですね。
(義務には、宗教的、社会的、道徳的・倫理的、法的と分類されるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/義務
参照のこと)
さて、義務を果たせる人には色々な事情がありますね。(汗)
1.滞りなく実行する人々。
2.無視して、やり過ごす人々
3.果たしたいと願いながらそれが叶わない人々。
4.出来れば果たしたいが、状況によって逃れられるのならその道を選択しようとする人々。
最初に提示したように、義務には分類分けがあるので中々全ての義務を果たしている人は存在し得ないと思っております。
初哲学者さんの仰りたい義務感が社会的なものに限るとすれば、この社会が求める義務というものが、時代毎に後付けで足されていくものである以上、そのこと自体で人物を論評するにはいささか尚早の気がいたします。
私個人としましては、道徳的・倫理的義務と云ったものに対する忠誠を誓った人物に、より大きい信頼を持ちたいと思うのですが、いかがでしょうか?
道徳的、倫理的義務というものの曖昧さがいささか気になりますが、、。
社会というものが、人と人との関わりが全てであり、共存共栄と云ったものを目指すのであれば、それなりの社会的義務は求められてしかるべきだと思っております。
ただ、それのみが世の安定に寄与しているわけではないという現実があります。
義務とルールは密接に絡み合っております。
法というものは、その為の力であるのだと思います。
今の社会の問題に対して新しい法を作る為に必要な存在は、義務の履行者のみの意見では偏向したものにならざる負えません。
なぜなら、最初にあげた四種類の人間(それ以上?)がこの世には存在しているからです。
あくまで、義務の履行者のみに焦点を向け、弱肉強食と自然淘汰の道を選ぶのであればその限りではありませんが、末路は華々しくはないでしょう。多分、勝ち続ける事が可能である期間繁栄が続くのだと思います。
失礼いたしました。