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(回答先: Re: 個人を認めるという事は放任するだけではなく、視野に収めた上で認めるという行為を含む。 投稿者 初哲学者 日時 2007 年 1 月 16 日 14:28:01)
初哲学者さん、レスをありがとうございます。
御主張の本意とも言える発言をなさっていただけたのかもしれませんが、生憎と物わかりが悪いもので、二、三質問させていただきたく存じます。
>人間社会すべてが人間が作り出したものなのです。
>だからこそ、生まれたばかりの子に社会システム(もちろん統治者に都合がよいシステム)を強制的に教え込まねばなりません。
確かに社会というものは人間が恣意的に作り上げたものです。そしてそれは、普遍的、あるいは永続的なものではなく絶えず変化しております。
なぜ、強制的に教え込まなければならないのでしょうか?
>それらを踏まえたうえで見ていきますと、完全ではないにしろ社会システムを修めたとみなされる人に、あーしろ、こーしろといってくるのは、義務を果たしているものからすれば単なる障害以外何者でもない。つまり、義務を果たさなくてもよいと再度別な形で教えられているとでもいえると考えられるのです。すなわち、統治者に都合よく反応してくれるバカ物(笑)になれと。
つまり、“社会システムを修めたとみなされる人に対しては”尊重すべきであり、疑義を唱えてはならない。という事でしょうか?
>不逞のやからは、誰かのために、もしくは影響されて(そそのかされて)、あえてああいった行動をしているのです。つまり、誰が考えたかは分かりませんが、意識的に社会不安を助長し、お上にすがる様を国内全体に起こさせ、結果強硬な法律を作り、国民を統制するという構図が浮き彫りになってくるのですね。
こちらの文章の意味は、不遜の輩が不安を煽るせいで、より窮屈な法律が必要にならざる負えない。ということでよろしいでしょうか?
三つ、私は質問させていただきましたが、私の意見を少し述べさせていただきます。
世界的に見て、今の地球的平和状態は、僅か数十年前の第一次、第二次の世界大戦の結果に招かれたのだと云う認識です。そして、一部の戦争地域が未だ存在している理由は、それ以前から続く力による支配が少しも改善されていないのにもかかわらず、支配に抵抗するものは世を乱すテロリストであるという大義名分に変えて人々を罰しているのだと感じております。
庶民には遠い話になっておりますが、我々は国内の社会のみならず地球的視点の社会の中で生活を営んでいる事は紛れもない事実なのです。
あなたが仰ります“人間が作った社会”には多くの問題と矛盾が潜み、それが未だ解決されてはいないのです。不十分な社会の理由を追求し、それを解決させるのが我々に課せられた役目だと思っております。
私の考えでは、不十分で、不完全な社会的義務に対して、改善する意思を我々は持たねばならない。という考えです。
失礼いたしました。
失礼いたしました。