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(回答先: 不完全な社会的義務に対して、改善する意思を持たねばならない。 投稿者 haru 日時 2007 年 1 月 16 日 19:26:25)
レスありがとうございます。
さて質問に答える前に、少し。
haruさんは、少しいぶかしんでいるやも知れません、それはひとえに私の駄文のせいです(言葉の限界を感じるのはこういう時ですね)。
つまり、haruさんは私が義務という枠をはめたがる側であり、それによって正当な反論・反対ができない側が作られて、義務を果たすべきという主張をする私は足かせをはめたがる側の代弁者ではないかということ(違ったらごめんなさい)ではないでしょうか?
いぶかしむには違いありません。たしかに、私は義務を果たす人が増えてほしいと望んでいるからです。でも、いぶかしむ必要はありません。たぶん、認識は違えど立ち位置は同じではないかと思いますから。
>人間社会すべてが人間が作り出したものなのです。
>だからこそ、生まれたばかりの子に社会システム(もちろん統治者に都合がよいシステム)を強制的に教え込まねばなりません。
>>確かに社会というものは人間が恣意的に作り上げたものです。そしてそれは、普遍
>>的、あるいは永続的なものではなく絶えず変化しております。
>>なぜ、強制的に教え込まなければならないのでしょうか?
言語、物の解釈を強制的に教えなければ動物になります。言葉に慣れさせる行為も強制です。石を石と教えるのも強制以外何者でもない。
>それらを踏まえたうえで見ていきますと、完全ではないにしろ社会システムを修めたとみなされる人に、あーしろ、こーしろといってくるのは、義務を果たしているものからすれば単なる障害以外何者でもない。つまり、義務を果たさなくてもよいと再度別な形で教えられているとでもいえると考えられるのです。すなわち、統治者に都合よく反応してくれるバカ物(笑)になれと。
>>つまり、“社会システムを修めたとみなされる人に対しては”尊重すべきであり、疑>>義を唱えてはならない。という事でしょうか?
「ただし」以降に注目してください。判断ついた人間は、(良いこと悪いことを別にして)自ら進んで行動するものです。また、協力者は自ら進んで協力者のために行動を行うのです。都合が良いか悪いかは行動した内容によって両側が勝手に精査し、あーだ、こーだの国民全体に両側が官報をながすのです。
だから「社会システムを修めたとみなされる人間」には「疑義を唱いではならない」ではなくて、「ほかって置いてくれ」ということです。
すべてお見通しともいえます。
>不逞のやからは、誰かのために、もしくは影響されて(そそのかされて)、あえてああいった行動をしているのです。つまり、誰が考えたかは分かりませんが、意識的に社会不安を助長し、お上にすがる様を国内全体に起こさせ、結果強硬な法律を作り、国民を統制するという構図が浮き彫りになってくるのですね。
>>こちらの文章の意味は、不遜の輩が不安を煽るせいで、より窮屈な法律が必要になら>>ざる負えない。ということでよろしいでしょうか?
作りたい法律があれば、関連した物事を大々的に国内に起こさせるべきです。もしくは、は人知れずやってしまうべきです。でないと法律は変わりません。
>>三つ、私は質問させていただきましたが、私の意見を少し述べさせていただきます。
>>世界的に見て、今の地球的平和状態は、僅か数十年前の第一次、第二次の世界大戦の>>結果に招かれたのだと云う認識です。そして、一部の戦争地域が未だ存在している理>>由は、それ以前から続く力による支配が少しも改善されていないのにもかかわらず、>>支配に抵抗するものは世を乱すテロリストであるという大義名分に変えて人々を罰し>>ているのだと感じております。
争いで利益を得る人が両側にいるので、そのままにしてあるのでしょうね。
>>庶民には遠い話になっておりますが、我々は国内の社会のみならず地球的視点の社会>>の中で生活を営んでいる事は紛れもない事実なのです。
地球という認識もすべて人が作った虚構の一つ。認識は作られるのです。
確かに「生活を営んでいる事は紛れもない事実」です。
>>あなたが仰ります“人間が作った社会”には多くの問題と矛盾が潜み、それが未だ解>>決されてはいないのです。不十分な社会の理由を追求し、それを解決させるのが我々>>に課せられた役目だと思っております。
そのとおりです、。人が作ったものですから人の手でどうにかしなくてはなりません。犬や猫には問題解決はできないのです(解決の道具として利用はされそうですが)。
私の駄文に条件があります。義務に対して積極的に意見交換していかないといけません。
もちろん、奪ってやろうと思っている方々には注意が必要です。
>>私の考えでは、不十分で、不完全な社会的義務に対して、改善する意思を我々は持た>>ねばならない。という考えです。
義務は果たさねばなりません。人が目の前で跳ねられたら救急車を呼ぶべきです。
でも呼んだ側を変に持ち上げて報奨したり、何かしら手続き上の些細なミスがあった場合にことさら非難を浴びせたりするヤカラには何かしらの意図が仕組まれているでしょう(自覚してやっているか、教育を受けた上で行っているかも含めて)。
義務を果たしただけなら、ほかって置くべきでしょう。義務を果たすような社会システム維持のために感謝は必要ですが、必要以上は厳禁です。
どのような論であれ、何時どのように利用され、足をすくわれるか分かりません。
もちろん私の論も。
ほかって置くべきです。言い換えれば、そういった意見もあるのだなぁと心にとどめておくということです。
義務を果たすのは難しいけれど、私はできる範囲で行っています。
姫さんのレスにもありますが、「思想の檻」を見つけることが、社会システムを修めたとみなされる一つと私はおもいます。
>>失礼いたしました。
>>失礼いたしました。
こちらこそ、私の駄文に付き合ってくださりありがとうございます。
わたしは、もう少し論を練らなくてはなりませんね。反省してます。