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(回答先: 天皇はなぜ参拝しないのか@(立花隆のメディア ソシオ-ポリティクス) 投稿者 gataro 日時 2006 年 8 月 17 日 16:42:35)
天皇はなぜ参拝しないのか@のURLを忘れていました。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/
以下 http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index1.html から転載。
全ページにメモ用紙を貼り付けた「黒い手帳」
富田メモの原資料になる「富田資料」そのものの中核部分は、昭和50年から昭和61年までの日記帳11冊と、昭和62年から平成9年までの黒い手帳である。これとは別に昭和62年、63年分の黒い手帳がもうワンセットあり、それは、
「ほとんど全てのページに横書きのメモ用紙を貼りつけたりホッチキスでとめてあって、分厚く膨れている」
ものだった。「それが私の心だ」という靖国メモは、この中に貼りつけられたものとしてあった。
ではそのメモとは何なのか。
「メモ魔だった富田長官は、昭和天皇の話を聞いて、すぐ手近な用紙に書きとめた」
そのときの用紙もバラバラの直筆メモなのである。そのメモを、コピーをとったりせず、現物のまま、手帳の日付のところに糊やホッチキスでとめていったのである。それで手帳がスクラップ帳のように膨れ上がっていったのである。
あとからきれいに整理したメモではなく、天皇の発言の都度メモを取ったものだったから、誤記もあり(たとえば、前イタリア駐在大使白鳥敏夫のことを『白取』としていた)、略字もあり(たとえば、「関連質問」、「関係者」を「干連質問」、「干係者」としていた)、補足的書き込みもあった。それを信憑性を疑う根拠とした論者もいたが、逆に、そういう部分があるからこそ、天皇の肉声をその場で書きとめたものだというリアリティを感じたというのが、原物をつぶさに検討した人々の共通の印象である。
A級戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみ
その他、記述内容から、信憑性、天皇の真意性が疑われた点についても、3人の論者はつぶさに検討を加えているが、そこでも靖国メモを疑う人々の議論は一蹴されている。
たとえば、昭和天皇は東条英機に好意を持っていたはずだから、A級戦犯全体を丸ごと否定するかのごとき富田メモはウソだというような議論があった。
それに対して、たしかに「昭和天皇独白録」には、「東条と云ふ人物は話せばよく判る」「東条が云ってゐることも思慮周密で中々良い処があった」といったくだりがあるにはあるが、
「秦 頼りにならぬ陸海空軍の統帥部長に比べて、相対的に、東条がマシに見えたのでしょう。能吏だから、こまめに上奏するし、御下問があればごまかさずに答える。しかしながら、戦争末期には東条もまったくアテにならず、天皇は、アメリカの短波放送で戦況を聞いていたんですよ。
保阪 昭和天皇は、終戦後さまざまな事実が明らかになるうち、臣下は私を騙していたのではないか、と気づいたのではないでしょうか。
半藤 私は怒りというより、天皇の哀しみを感じました。戦争中から騙されていると判っていたと思いますよ。だから最後は『聖断』で自分で終戦を決断したんです」
こういうくだりを読んでいくと、いまA級戦犯の肩を持つ人々への怒りがこみあげてくる。天皇と国民にウソばかりならべたてて、あの無謀な戦争をはじめさせ、戦争の真実の推移をすべて押し隠し、ついには一億玉砕の本土決戦にまで持ち込もうとした、あのA級戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみが、あの富田メモの「それが私の心だ」によくあらわれていると思う。
それにしても、自分の一の臣下であるはずの時の首相にして陸軍大臣でもあり、参謀総長でもあった東条の戦況報告が信用できず、敵国アメリカの短波放送で真実の戦況を知っていたとは、天皇も哀れである。真実を知れば知るほど怒って当然である。
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