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(回答先: 天皇はなぜ参拝しないのかA(立花隆のメディア ソシオ-ポリティクス) 投稿者 gataro 日時 2006 年 8 月 17 日 16:49:20)
以下は http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index2.html からの転載。
天皇の意思を無視した小泉首相の暴挙
天皇は、A級戦犯合祀後の靖国神社参拝拒否によって、自分の意思をはっきり表明している。今上天皇も昭和天皇の基本的立場を受け継ぎ、それを貫くことで、自分の意思をはっきり表明している。
それに対して、小泉首相は、「心の問題ですから」という論理に逃げこむことによって、「自分は自分」とばかり、天皇の意思など全く知らぬげに、今年も靖国参拝を強行しようとしている。
それもおそらくは、今年が最後のチャンスとばかり、8月15日の靖国参拝に踏み切ろうとしている。
だが、それは正しいことなのか。「心の問題」であれば、誰でも自分の思うがままの行動をしてよいのだろうか。
天皇はなぜ靖国参拝をしないのか。「心の問題」だけで行動を決めてよいというなら、天皇もおそらく靖国参拝をしたい気持ちでいっぱいにちがいない。
靖国神社にまつられている祭神の大多数は、あの戦争に命を捧げた一般の将兵たちであって、A級戦犯ではない。
一般に靖国神社に参拝する人々も、誰も自分がいまA級戦犯を拝みにいっているとは思わないだろう。心の中で自然にA級戦犯とその他の祭神たちを分祀して、A級戦犯以外の祭神たちを拝んでいるはずだ(あるいはそういう区別もなく、あの戦争に命を捧げた人たち全体を拝んでいるはずだ)。
要するに、単なる個人の行動として、靖国神社を参拝している人たちにとっては、誰を拝んでいるかは、それこそその人の心の中の問題であって、いかなる意味でも特別の問題にはならない。
公人には通用しない「心の中の分祀」論
問題になるのは、公人の立場にある人が、公人として参拝する場合だけである。
そして、日本国の最大の公人といえば、天皇と総理大臣ないし、最高裁長官、衆参両院議長の三権の長である。それらの人々が公人として参拝すれば、それは日本という国家を公に代表しての行動となり、その行動は、「心の問題だから個人の勝手でしょ」の理屈で済ますことはできない問題となる。
天皇は、個人の心情の問題としてではなく、日本国を象徴する最大の公人という立場であるという自覚があるからこそ、A級戦犯を祀る靖国神社に参拝することができないのである。
天皇あるいは三権の長のような立場の人の参拝の場合、それは即A級戦犯に対する参拝と受け取られ、「心の中の分祀」論は通用しなくなる。分祀を主張するためには、それが即物的に分祀された状態にあることが必要である。
小泉首相の「心の問題」論は、この視点を完全に欠落させている。自分が天皇に次ぐ、国家の象徴そのものなのだということを忘れた議論である。
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