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立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」第82回 天皇はなぜ参拝しないのか 「心の問題」論と靖国神社2006年8月12日
すでにこの欄でも取りあげたことだが、昭和天皇が靖国神社にA級戦犯が合祀されたことをきわめて批判的に見ていたことをハッキリ示す富田メモ(「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」)の出現は、保守派の人々に、相当大きなショックを与えたようである。
その後ひとしきり、さまざまなメディアを通じて、天皇にそのような発言をしてもらっては困ると考える人々から、メモの信憑性を疑ったり、あるいはそこに記されていた天皇の言葉が天皇の真意を伝えたものではないことを懸命に論証しようとしたりの議論がつづいた。
──議論の内容は、もっぱら、富田メモの中身が、実は天皇の言葉ではなくて、富田朝彦元宮内庁長官の個人的な思いをつづったものだったにちがいないなどとする、根拠もなしに自分勝手な推論を述べたてるものだった。
これに類するものとしては、実はそれが天皇の言葉をメモしたものではなくて、他の人の発言を富田がメモしたが、たまたままぎれこんだとしか考えられないという推論から、これを『大誤報』と断ずる噴飯ものの主張もあった。あるいは、このメモをスクープした日経新聞の記者あるいはその周辺の人物が政治的思惑からメモの内容を改竄したにちがいないなどとする主張もあった。
それらの議論の特徴を一言で要約すると、もっぱら「にちがいない」「としか考えられない」という論法を駆使することによって、ろくに根拠もなく、自分の願望を客観的な現実ととりちがえてしまうお粗末な議論の羅列といってよい。
徹底検証で明らかになった「富田メモ」の信憑性
それに対して最近発売された「文藝春秋」9月号での、半藤一利、秦郁彦、保阪正康の3人による座談会「徹底検証・昭和天皇『靖国メモ』未公開部分の核心」は、そうした有象無象の議論を全部吹き飛ばしてしまうくらいのインパクトを持つものだった。
なにしろ、それら否定論者たちの発言がおしなべて、現物を見もしない、かつ内容を深く検討したこともない人々の無責任きわまりない発言であったのに対して、この座談会に出ている、半藤、秦の両名は、日経新聞のスクープ(7月20日朝刊)以前に、原物を見せられ、その信頼性のチェックをした(半藤氏は7月のはじめに、秦氏は発表の1週間前に)ような人物だから、議論のレベルが、有象無象の人々とは比較にならないくらい深い。
富田メモの内容とその背景に関しては、日経新聞でしばらく写真入りの囲み記事の連載がつづき、それなりに知ったつもりになってはいたが、この座談会による「徹底検証」は文字通りの徹底検証で、その情報量は何十倍も大きい。
たとえば、日経新聞が公開したメモの原文の写真によると、コピーしたメモの切れ端のようなものが貼りつけられた感じになっていて、そこが信憑性を疑う人々の疑いの根拠にもなっていたのだが、その理由が、この座談会で詳細に明らかにされている。
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