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悪魔に催眠をかけられた新教皇ラツィンガー【エル・ムンドが痛烈な非難記事を掲載】
新しいローマ教皇はベネディクト16世(ヨゼフ・ラツィンガー:ドイツ、78才)と決まりましたが、エル・ムンド紙(電子版)は彼に関する次のような非常に興味深い紹介記事を載せています。全文を翻訳します。
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http://www.elmundo.es/elmundo/2005/04/19/enespecial/1113930599.html
エル・ムンド 2005年4月19日
『伝統的教義の守り手』
ホセ・マニュエル・ビダル
ローマ : 普遍的教会としての任務を果たすために、ヨハネ・パウロ2世は教会の管理者の鍵をローマ教皇庁に渡し、教義の鍵をヨゼフ・ラツィンガー枢機卿に渡した。このドイツの枢機卿はカロル・ヴォイティーワ教皇の正統性の守り手であったばかりでなく、この二、三十年間の教会守旧派のイデオローグでもあった。聖座が空位の期間、彼は後継者選びの最も重要な候補にもなった。
ローマでは人々は彼を”Panzerkardinal”と呼ぶが、故教皇に最も近い協力者のひとりであった。そしてしばしば、国務長官のアンジェロ・ソダノすら差し置いて、ローマ教会の強力なナンバー2として考えられた。ポーランド人教皇の聖座と深く結び付いて、ラツィンガーの姿は、教会を秩序付け「解放の神学」をまず押さえつけて次に飼いならすことに力を振るった神学者として歴史に残るだろう。
1984年にこの信仰の厳格な門番によって成された「解放の神学」に関する公式の非難によって、カトリック右派は、司教面、神学面、信仰面そして社会面の分野におけるあらゆる新しい潮流を排除することができ、最も人気のあるそして貧困者の福音に最も忠実な思想の芽を摘み取ってしまった。
ラツィンガーはローマ教会の知識人たちに、全面支配的な厳しさと神学への妥協の無いコントロールの力を押し付けた。そして彼の派閥の間に恐怖が植えつけられた。懲戒処分された者たち、責めたてられた者たち、見張りを付けられた者たちなど、知的には居るに耐えられない組織の中で、ローマ教会の思想家たちは逃亡したり(レオナルド・ボッフ)黙り込んだり(グスタボ・ギティエレス)また喧嘩を始めたり(ハンス・ケンク)といった道を選んだ。
神学の抑圧の極地は『カトリック教会の公教要理』の出版を見れば理解できる。そしてとりわけ『ドミヌス・イエスス』という、真実と救済はカトリック教会のみが独占的に保持することを説明したラツィンガーの文書である。『この教会以外に救済は無い』とするトレントの公理の再来である。これは数多くの枢機卿が彼に対して抵抗するにいたった実に不幸な文書なのだ。
さらに言えば、ラツィンガーは議論された神学的な疑問のすべてを権威主義的な方法で無視した。司祭の独身制度、神学者の規約、世俗の役割、悔い改めの実践、離婚者のための教会、エイズの予防、人工授精といった問題に関してである。
彼はローマ中心主義の論理を強制し、学校制度と司教区会議の権威を教皇庁の支部を減らすことで骨抜きにし、女性の司祭職への道の可能性を教条主義的に閉ざした。ラツィンガーは決定的に公会議の機能を止めた。
そして実は、第2バチカン公会議(1962〜65)の時にはラツィンガーは教会革新派の一翼を担っていたのだ。しかしすぐに保守派に転向した。今回のコンクラーベでは復興の党派、教会の伝統主義の党派を率いた。一連の新保守主義の運動(オプス・デイ、共同と解放、キリストの軍団、等)と共にである。ヴォイティーワ無しのヴォイティリズムである。
その78才の年齢で” Panzerkardinal”はその偉大な人格の魅力を保持する。しかしながら他の者たちは彼を双頭のヤヌスと表現する。ラツィンガーは第2バチカン公会議の楽観主義も人間の良心への信仰も好まない。彼には罪の観念が付きまとい、そして彼の同国人であるルター同様に「悪魔に催眠をかけられ」ている。
【翻訳終り】
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この間のマドリッド会議あたりからどうも奇妙だ、と思っていたのですが、エル・ムンド紙はどうもユダヤ勢力にその経営を乗っ取られているようです。もともとはオプス・デイの力が強いとされていたのですが、まあどっちも一緒か。彼らのどちらもが得意とする「左右の両面作戦」なのかな?
私の次の投稿でも申しましたが
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 19 日 20:49:58
超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/282.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 16 日 09:36:22
超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
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第2バチカン公会議はよるカトリックの自由化(米国憲法化)と「ユダヤ化」でした。そこから「解放の神学」が登場し、そして新教皇ベネディクト16世(=ヨゼフ・ラツィンガー)はオプス・デイと手を組んでそれを押さえつけてきた枢機卿でした。これは左派系ユダヤ勢力にとっては面白くないでしょう。
記事中の『そして実は、第2バチカン公会議(1962〜65)の時にはラツィンガーは教会革新派の一翼を担っていたのだ。しかしすぐに保守派に転向した。』という部分では、この記事を書いたホセ・マニュエル・ビダル記者は第2バチカン公会議への「裏切り」をあからさまに非難しています。
『彼には罪の観念が付きまとい』という部分にもご注目ください。私は上の投稿記事で次のように書きました。
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【引用開始】
◎以前のカトリックでは(私もカトリック系の学校にいたので散々吹き込まれた)、その教義(一般信者向け)の最大のファクターは「原罪」でした。人間はその存在の初期から「原罪」を背負っており、この地上は罪悪に満ちて救いは天国にのみ存在するが、「原罪」を背負う人間にとっては不可能。そこで、神は自らの子を「罪のあがない」のために地上に遣わした、「キリストの十字架上のあがないを信じることによる霊魂の救済」のみが人類の目標とすべきことである、と、まあ非常に簡単に言えばこのようなものでした。
【引用終り】
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欧州で子供のときからカトリック教育を施されてきた者にとってこの『原罪』は「呪わしい」としか言いようのないものなのでしょう。そしてカトリックの近代化(ユダヤ化)を目指した第2バチカン公会議でそれは『十字架上のキリストによる罪のあがない』および『天国での救い』と同時に記憶のかなたに消し去られたはずのものだったのです。
またこの記事では、オプス・デイを「新保守主義(neoconservadores:英語ふうならネオコン)」と名付けてラツィンガーと一緒に非難しています。確かにオプス・デイはユダヤ勢力の中でも右派の方に絡んでおり、左派的な人なら今回のコンクラーベの結果には失望と怒りしか感じないことでしょう。
明日のニューヨーク・タイムズの反応が楽しみです。