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新教皇ベネディクト16世の略歴 [カトリック中央協議会HPから]
http://www.asyura2.com/0502/war69/msg/549.html
投稿者 white 日時 2005 年 4 月 20 日 13:34:21: QYBiAyr6jr5Ac

(回答先: 悪魔に催眠をかけられた新教皇ラツィンガー【エル・ムンドが痛烈な非難記事を掲載】 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 20 日 09:19:57)

□新教皇ベネディクト16世の略歴 [カトリック中央協議会HPから]

 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/biography.htm

新教皇ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)略歴

前教皇庁教理省長官、教皇庁聖書委員会委員長、教皇庁国際神学委員会委員長、首席枢機卿
1927年4月16日 ドイツ・バイエルンのマルクトル・アム・インに生れる
(78歳)
1951年6月29日 司祭叙階
父親は下バイエルンの伝統的な農家出身で、警察官であった。トラウンシュタインで青年時代を過ごし、第二次世界大戦の最後の数ヶ月間、対空防衛補助活動に従事。1946年から、1951年に司祭に叙階され、教え始めるまでの間、ミュンヘン大学とフライジング大学で哲学と神学を学ぶ。1953年に「聖アウグスチヌスの教会論における神の民と神の家」のテーマで神学博士号取得。4年後、大学教授資格を得る。フライジング大学で教義と基礎神学を、次いで1959〜1969年までボンで、1963〜1966年までミュンスターで、1966〜1969年までチュービンゲンで神学を教えた。1969年からレゲンスブルク大学教義神学・教義史教授、また同大学副学長。

1962年、35歳でケルン大司教ヨセフ・フリングスに同行して第2バチカン公会議顧問になる。著書『キリスト教入門』を1968年に、『教義と啓示』を1973年に刊行。

1977年3月25日 パウロ六世によりミュンヘン・フライジング大司教に任命される
1977年5月28日 司教叙階
教区司祭がバヴァリア教区の司教となったのは80年ぶりであった。
1977年6月27日 パウロ六世により枢機卿親任
1980年 第5回シノドス報告者
1981年11月25日 教皇ヨハネ・パウロ二世により教皇庁教理省長官、聖書委員会・国際神学委員会委員長に任命される
1982年2月15日 ミュンヘン・フライジング名誉大司教
1983年 第6回シノドス議長代理
1986〜92年 『カトリック教会のカテキズム』編纂委員会委員長
1998年11月6日 枢機卿団首席枢機卿代理に選出される
1999年11月10日 マリア・サンティッシマ・アスンタ自由大学名誉法学博士
2000年11月13日 教皇庁科学アカデミー名誉会員
2002年11月30日 首席枢機卿となる
2005年4月19日 第265代教皇に選出され、ベネディクト16世を名乗る
ドイツ人の教皇の選出は、ヴィクトル二世(在位1055〜1057年)以来950年ぶり。
教皇庁国務省外務局委員
教皇庁東方教会省、典礼秘跡省、司教省、福音宣教省、教育省委員
教皇庁キリスト教一致推進評議会、文化評議会委員
ラテン・アメリカ委員会、エクレジア・デイ委員会委員

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