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(回答先: レスありがとうございます。 投稿者 風のように 日時 2005 年 5 月 25 日 16:12:50)
>都会暮らしさんにとって、何らかのキッカケになればありがたいですが、私には「信奉」は無用ですよ。
>私は何かに「信奉」するという社会を求めてはいないですから。(笑)
いやいやお恥ずかしい。(笑)
確かにどこの誰ともわからん人間に、「あなたを信奉しています」なんて言われたら、気味が悪いだけですよね。(笑)
「常々あなたの投稿から、深い感銘を得ています。」と言い直しておきます。
最近ここで、「霊性学」へのリンクを貼り付けておいたんですが、↓ ここで菅原さんは、文体について言及している。
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/521.html
俺はこの菅原さんの文章そのものにもに「美」を感じるんですが、それは風のようにさんの文章にも感じることなんですよ。
澱みがなく、流麗で、詩的ですらある。
記憶が定かではないのですが、天才数学家が登場する或る映画だか小説だかで、主人公が書いた数式を誰かが「美しい」と評していた場面を思い出す。
漫画の「ゴルゴ13」だったか、映画の「グッドウイル・ハンティング」だったか・・。
まあ、それと似たような・・。
俺は風のようにさんの投稿を読むにつけ、「俺もこんな文章を書いてみたい」って思うんですよ。
それでまあ、「信奉してます」なんて大仰な表現を使ってしまった。(爆)
まあ、大目にみといて下さい。(笑)
話は変わるのですが、俺は人の持つ「感性」というものに、大いに興味を持っています。
興味を持たせてくれたのは、他でもない俺の二人の子供たち、特に上の娘なんですけどね。
まあちょっと、それは置いといて・・。
カルト板で、「科学」について議論していたのですが、さてそれでは人の持つ「感性」ってのは「科学できるのか?」ってことについて、風のようにさんにお聞きしてみたいと思いまして・・。
ここで言うところの科学とは、物理学を礎とする「物質至上主義パラダイム内における自然科学」と規定しておく(形而上的な考察は排除する)として、さてさて「感性を科学する」なんてことは可能なのだろうか?
「心を科学できるか?」という命題がありますが、どうも俺にとっては「心」を「感性」と置き換えてしまったほうが、アプローチし易い気がするんです。
それは「心」というものが、あまりにも抽象的過ぎる(つまり、ありとあらゆる解釈や定義を許容してしまう)からであり、逆に「何をもって心とするのか」というところで、議論や探求をする人々同士が認識を共有することは不可能に近い気がするのです。
(議論や研究の、対象への認識を共有しとかんと、そもそも何も始まらない。)
さて量子学なんてものは、科学者でもない俺にとっては到底理解し難いものではありますが、どうも人間ってのは簡単に言えば「ある種の受信装置」って仮説があるようですね。(間違っていたらご免なさい。)
もし、そういった仮説があるとすれば、「感性」ってものの実態(というか、輪郭?)が非常に良く見えてくるように思うんですね。
とても感性が高い人、つまりは比喩としてですが、「高感度の受信装置を持つ人」が、ある特定の周波数に乗ったメーセージを受信する。
そのメッセージを受けて、現世において文学とか絵画とか、音楽とかといった形でもってそのメッセージを表現する。
そう仮定してみると、我々が抱くありとあらゆる「抽象的概念」の全てが、「未だ解読されていないメッセージ」である可能性も見えてくるんです。
その中には、「愛」も含まれている。
予期せず、とりとめのない投稿になってしまいました。
稚拙な文章を読ませてしまって恐縮ですが、風のようにさんにはどんな感想をお持ちになって頂けましたでしょうか?
お聞かせ頂けたら、嬉しいです。
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