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(回答先: 水木しげる『神秘家列伝』とカント『視霊者の夢』 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 11 日 01:27:21)
南青山さん どうもです。
個人的にはオカルトという呼び方ではなくサイキックと言いたいんですが...
>問題は、オカルトがあるとして、それで何が変わるかですね。
>ものを数センチ浮遊させたり、移動できたとしても、持ち上げればそれですむわけですから、>それ自体、たいしたことではない。
映画「グリーンマイル」もそうですが、半村良の小説『岬一郎の抵抗』にありましたね。もの凄い能力を持ったサイキッカーは個人としてはあまりに無力であり国家に翻弄されるという。
>オカルト的な事件は20世紀にも、19世紀にも存在しました。
18世紀で最も高名なのが視霊者スウェーデンボルグですね。本来はダ・ヴィンチ的な科学者=発明家で彼が設計した飛行機の模型がスミソニアン航空博物館に「人類史上初の合理的な航空機のデザイン」として展示されているようです。ちなみにスウェーデンボルグについては水木しげると「内弟子」を自認する荒俣宏の最強コンビで劇画化されています。
カントは本人と文通して、本まで書いていますが『視霊者の夢』はカントの著作のなかで一番「難解」な本です。普通のカント学者は知らない振りして、跨いで通り過ぎてしまう。坂部さんは「黙っていれば」日本を代表する立派なカント研究者で通る人なんですが下記のような「危ない」ことを言いますね。私はこういう人が大好きです。(笑)
「カントとマルクス」柄谷行人X坂部恵 『群像』2001年12月号
■坂部 七六年です。
■柄谷 実は僕は、七十五、六年というのはイェール大学で日本文学を教えていたのです。と同時に『資本論』について論文を書いていたのです。そういう二つのことを同時にやっていたということで、年齢は少し違いますが、坂部さんもやはり二つのことを同時にやっておられたのだな、と思ったわけです。だから坂部さんはいつヨーロッパに行かれたのかと思って、先ほど、一九八○年だと伺って、ちょっと驚くと同時に納得したのです。そのことについては後で話したいと思います。その前に、僕がパララックス(視差)ということを考え出したキッカケについて話しておきたいと思います。
一九八○年代の初めに、僕は『形式化の諸問題』という論文を書きました。二十世紀のあらゆる知的領域は、芸術を含めてすべて形式化としてある、だから形式化のもたらす問題としてそれらを包括的・根源的に考えようと思ったわけです。デリダのディコンストラクションなんかだと、わりと限定された領域でやっていますけれども、僕はそれを全領域でやろうと思った。そこで数学基礎論をもってきた。つまり、ゲーデルのいう「決定不能性」をもとにして、形式化の問題を考えようとしたわけですが、その結果として、病気になったのです。カント的にいえば「脳病」ですね。そのとき、たまたま坂部さんのカント論を読んだのです。
実は、そのころ、僕はスウェーデンボルグを読んでいたのです。読んでいたのみならず、実際にも、そういうサイキックたちに出会うようになったわけですね。その当時、それを僕は否定できなかった。今も否定しているわけではないのです。確かにスウェーデンボルグみたいな人はいる。どうしてだかかわからないけど、とにかくいるのです。だから、僕は、坂部さんの『理性の不安』をたんに過去の話としてでなく読んだ。カントは本当に悩んだんだろうなと思いました。それ以降、カントが非常に身近になったわけです。古い話じゃない、自分の経験からいってそうなのだ、と思うようになったわけです。実際にはカン卜のことをやってなかったけれども、そのことがずっと頭にあって、『純粋理性批判』からではなくて『視霊者の夢』から始めるべきだと考えていた。それは坂部さんの影響なんですよ。
■坂部 ここにも書いてくださっていますけれども、私と柄谷さんがカントの見方で分かれるところは、私は『視霊者の夢』がカントとして一番大事な書物で、むしろ後の『純粋理性批判』などは、『視霊者の夢』で遭遇していたアイデンティティーの危機に対する一種のディフェンス・メカニズムだというようなことを、この前の座談会でも話したのです。今度、柄谷さんのご本を拝見して、はっと目を開かれたというか、こういう見方が要るんだというので本当に驚いたのは、そのパララックスの話を『純粋理性批判』の方に持っていって、それで『純粋理性批判』どころか、その後の二つの批判を全部新しい視点から読み直すという見方を出されている。これは私の全然思ってもみなかったことなので、大変印象的でしたし、カントの読み方として、非常に深いところで、これからの若い人たちに刺激を及ぼす問題提起だと思いました。