投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 27 日 20:50:02:akCNZ5gcyRMTo
(回答先: hagaki-pc 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 13 日 05:16:57)
観測装置が如何に高度化(精密化)しても人間の感性的直感に基づく認識行為自体が「延長」されるわけではないというように理解しましたがどうでしょうか?

トーマス・クーン(いしいひさいち画)
トーマス・クーン『科学革命の構造』(みすず書房)
--略--
後に出た科学理論は、前のものよりも間題を解く能力において、時には全く違った状況にまで適用できる、より良いものである。それは相対主義者の立場ではない。それは私が科学的進歩の強固な信者であることを示している。しかし、科学哲学者や一般人の間に最も行き渡っている進歩の観念と比べると、何か欠けているものがある。後から出る科学理論は、普通、その先行者よりも良いと感じられるのは、ただ、パズルを発見し、解くより良い道具であるという意味だけでなく、それが自然の真相をよりよくあらわしているからである。後から出る理論は「真理」にますます接近する、ということは良く聞くことである。このように一般化する述べ方は、パズル解きや理論から生じる具体的予測に当てはまるもの、というより、むしろ理論の実体論、つまり、自然の中に仮構するものと、「真にそこに」存在するものとの間の適合に関するものである。
しかし私は、そのような主張がもはや意味を持たない、とする。一つには、「真にそこに在る」という言葉が何を意味するかわからないからであり、また一つには、理論の実体論とその自然における「真の」対応物との間の適合という観念自体は、私には原則として今や幻想に見えるからである。その上、歴史家として私はこの見解の説得力のなさを身に染みて感じている。たとえば、私はニュートンカ学がパズルを解く道具としてアリストテレスの力学より優り、アインシュタイン説がニュートン説に優ることを疑わない。しかし私は、これら諸理論の継起において、実体論的発展の首尾一貫した定向的方向を見出だし難い。逆に、ある重要な点に関しては(決してすべてについてではないが)、アインシュタインの一般相対論とアリストテレスの力学の間の親近性は、両者の各々とニュートン説との間の距離よりも近い。この立場を相対主義的と表現したい誘惑は、理解し得るものであるが、それは、私には間違いであると思える。逆に、その立場が相対主義であるとすれば、相対主義者であるからといって科学の本質や発展を説明するに必要な何ものも失うものではない、と私は断言できる。
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