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(回答先: Re: 30日間ファストフード食べ続けたら....話題の米映画「スーパーサイズ・ミー」 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 29 日 17:03:15)
じゃっく・どんどんさん どうもです。
阿修羅を自分の備忘録にするのかと言われそうですが、忘れないうちに昨日の続きです。
北里大の新村先生は真面目な先生で、半分くらい寝てしまったのですが(苦笑)後藤新平の都市計画にはビスマルクの社会政策がバックボーンにあるという話でした。
エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』という有名なルポルタージュに詳しいのですが、産業革命と言いながらイギリスでは綿織物=軽工業中心で大量の婦女子や子供が工場労働者として低賃金、長時間労働にあえいでいました。食い物がまたひどい、小麦粉を石灰で水増し?したパンとか訳のわからないニコチン入り?飲料、特に婦人労働者が手のかかる幼児を黙らせるために睡眠剤をのませるとかの状態でこのままでは「労働種族」が絶滅してしまうところまで行き着いて、機械打毀しのラダイト運動とかオーエンのユートピア社会主義とか出てきてから漸く国家が介入するわけです。
あと以前BSで18世紀のパリの都市改造の番組をやっていましたが、石造りの建物や石畳の道路は一見かっこいいんですが、糞尿は道路にぶちまけ、人々はよけて歩いたくらいでロンドンも同じようなもので衛生状態は最悪だった。
それに比べると当時の江戸は世界一の人口を抱える大都市だったのですが、「伊勢屋、稲荷に犬のクソ」といわれ犬のクソは沢山落ちていたが、人間の糞尿は郊外の農家が金肥として回収し遥かに清潔だったわけですね。
後発のドイツ(プロシャ)は国家主導の資本主義化を推進するのですが、すでに重工業主体にシフトしていたこともあり、イギリスほど大量の労働力を必要としなかったし、労使の階級対立が国家を揺るがす危険なものだという認識があり「社会保護法」のような社会政策も織り込んだわけです。まぁその代わり「社会主義者鎮圧法」も作って強力な思想統制もかけたのですが、この線は細いですがヒトラーまで続いていると思います。ナチスのほとんどビョーキかと思うような健康=純血指向ですね。それとヘーゲルの「人倫の基礎としての家族」っていうのも?あってナチスは最後まで女性兵士どころか家庭婦人の軍需産業への動員もやりませんでした。
後藤新平は元々医者だしドイツに留学して社会政策を勉強したのですが、主眼は対処医学ではなく予防医学ですね。以前ジャック・どんどんさんご紹介の養老モー先生の水道の話とか土木工事重視の都市計画とかにあらわれています。
東大の御厨先生の話は後藤新平と原敬を比較して前者をパトロン型政治家、後者を政党型政治家と分類して論じたもので、結構面白い。後藤新平は米騒動で首相を辞職した寺内正毅とか桂太郎などの「親分」を掻き口説いて金と人を集めてプロジェクトをやるわけですが、まぁ一匹狼には限界があって構想は雄大なんだけど必ず途中で挫折する、「大風呂敷の後藤新平」と揶揄される所以ですね(笑)
原敬は最初の政党内閣を作って「平民宰相」と言われますが、組織を作って気配りで多数派をとった、でも大した事もやらないうちに殺されてしまったんですが、時代的には後藤新平は明治を引きずった古い政治家だったわけです。実はここまで枕を振らないと話しに入れなかったのですが読売新聞の買収も実は親分の桂太郎のスキャンダルつぶしが眼目なわけです。
寺内内閣の時はシベリア出兵を主張したかと思えばソ連のヨッフェを招待して日ソ友好をやる、鶴見俊輔さんが言っていましたが「深読みしてもわからない、やってることはデタラメ、後藤新平はイデオロギーなんて判らない人なんだ」と。
で、思ったんですが後藤新平と原敬を合わせた稀有の政治家が田中角栄だったのかなと、「後藤新平待望論」みたいな話を藤原書店としては作りたいのかも知れませんが、今の政党の枠組みがガラガラポンにならないと、ちょっと無理だろうなぁという気がします。
元東京都副知事の青山さんの話は空耳板の記事にありますので省略します。
全体には「後藤新平偉かった、台湾に病院もつくった、感謝された、先見性がある」という筋書きなんですが、佐野眞一と鶴見さんご本人は「そーかぁ、ほんとか?」という雰囲気で面白かったですね。
台湾の話は柳田国男の件で少し書きましたが、後藤新平が行くまで台湾の植民地支配は持ち出し(赤字)でフランスに売ッパラってしまおうかという話があったんです。台湾の高砂族は焼畑農業や採取が主で土地は「共同体所有」で私有概念はなかった、それを「土地調査」して近代土地私有制を導入して課税したわけです。おかげで租税収入は一挙に三倍になったけど、当然暮らしていけないから武装反乱も起きています。病院つくったって言ってもODAじゃないってば(笑)
鶴見さんは埴谷雄高と対談してますが、埴谷は台湾生まれなんですね。子供の頃、親と一緒に中国人の車夫が引く人力車に乗っていた時の話ですが、「その角を曲がれ」と言うかわりに車夫の頭を靴で蹴ったそうです。埴谷少年はそれを見て「心が凍った」、言っている事とやっている事が違うじゃないかって。それから埴谷少年は鶴見さんのジャワでの生活と同じように「異邦人」になった、そういう話を聞いていますからね、自分のじい様が何をしたのか
物事すべて両義的ですから。